10月15日から19日までの日程で、万国宗教会議2015が、『人間の心を取り戻す』をテーマに、米国ユタ州のソルトレイクシティで開催され、全世界から1万人以上の宗教関係者が参集した。善信先生は17・18の両日のプログラムに参加され、世界各国の宗教者と交流された。
▼万国宗教会議とは何か?
コロンブスの新大陸発見400周年を記念してシカゴで「コロンビア万博」が1893年に開催された際、欧州大陸で開催されてきたそれまでの万国博覧会が「人類の科学技術文明の発展史」中心の展示だったのに対して、アメリカンドリームを求めて世界中から移民の流入する新興国において、それまでの白人中心・キリスト教中心の世界観だけではなく、人類には多種多様な民族や文化や宗教があるという価値観に基づき、5カ月間の長きにわたって、世界各国から200名以上もの宗教指導者が一堂に会して諸宗教対話を行ったという、人類史上画期的な出来事があった。
実は、この「万国宗教会議」に触発されて、その7年後にボストンで創設されたのが「国際自由宗教連盟(IARF)」であり、その後、115年絶えることなく活動を継続してきた。特に、泉尾教会との関係で言えば、1969年に開催された第20回IARF世界大会に大恩師親先生が参加され、泉尾教会が正式メンバーとして加盟して以来、今日に至るまで46年間の長きにわたり、「責任教団」として国際評議員を送り続け、特に、2010年から2014年までは、親先生がその会長職に就かれていたというくらい泉尾教会との関係の深い団体であるからして、その「雛形」となった「万国宗教会議」には、それなりの思い入れがあった。
1893年に開催された「万国宗教会議」は一度きりのイベントであったが、米ソ冷戦終結後に世界の各地で噴出した民族紛争や宗派間対立という国際情勢を受けて、万国宗教会議の100周年に当たる1993年に、数千人の参加者を集めて、シカゴで第2回目の「万国宗教会議」が開催された。このようにして20世紀末に復活した「万国宗教会議」は、ダライ・ラマ14世やネルソン・マンデラ氏などのノーベル平和賞受賞者たちを基調講演者に迎えて、1999年には南アのケープタウンで、2004年にはスペインのバルセロナで、2009年にはオーストラリアのメルボルンで、それぞれ数千人規模の参加者を集めて開催されてきたが、今回のソルトレイクシティでの大会では、サウジアラビアの前国王が設立した諸宗教対話団体KAICIIDがメインスポンサーとなり、参加者数が遂に1万人を超す大規模なものとなった。
▼懐かしい顔ぶれとの再会
1989年1月末にメルボルンで開催された第5回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会の終了直後から、4年後の1993年に万国宗教会議を復活させるという話が始まり、私もその時からその準備会議に関わっていたが、WCRPやIARFの活動に力点を置く泉尾教会では、なかなか万国宗教会議に参加する機会がなく、私が実際に万国宗教会議に参加したのは、2009年末にメルボルンで開催された第4回目からであった。その際には、金光教に関するワークショップも開催し、地元オーストラリアの公共放送ラジオに十数分間出演し、私へのインタビューが、オーストラリアだけでなく、広く英語圏の国々でオンエアされた。今回のソルトレイクシティでの万国宗教会議は、出発直前に京都の上賀茂神社の第42回式年遷宮に列席しなければならなかった関係で、全5日間の日程の内、真ん中の2日間だけという短期間の参加になったので、1万人が一堂に会するという開会式にも出席できず、また、前回のようなワークショップもできなかった。
10月16日の夕方に関西国際空港を発ち、ロサンゼルス経由でソルトレイクまで移動したが、時差の関係で現地のホテルに到着したのは、同日の晩であった。翌17日、私は早速、会場となったコンベンションセンターへと向かった。半年以上前にネットを通じて参加登録を行っていたので、スムーズに会場内に入ることができた。幕張メッセやインテックス大阪のような広大な建物内には、色とりどりの民族衣装を着けた人々が闊歩していたが、中でも目を引いたのは、建物の入り口付近のロビーで「砂曼荼羅」を製作しているチベット仏教僧たちであった。羽織袴姿で会場内を行く私の姿は相当目立つみたいで、見知らぬ人々も、私と目が合うと、たいてい合掌するか会釈してすれ違った。
IARFで共に活動しているUUA(ユニテリアン・ユニバーサリスト協会)のエリック・チェリー国際部長の紹介で、ジュネーブの人権活動家で、国際的な弁護士派遣活動を行うNGOの代表カレン・チェ女史を紹介してもらい、すっかり意気投合した。また、会場内に数多く設置されている展示スペースのエリアを歩いて行くと、奇妙な形をした建物の写真が展示されてあるブースに目が行った。通常、英語で「LOTUS」といえば「蓮」のことである。しかし、この団体名の「LOTUS」とは、「Light Of Truth Universal Shrine (真理の光、普遍の宮)」の略号である。世界中の宗教関連物を集めて展示した「宗教博物館」のような施設である。少し気になったので、そこの写真集を開いてみると、なんと、その博物館の開設時に、大恩師親先生が依頼を受けて寄贈された神酒錫、三宝などのご神具に、大恩師親先生のご染筆の掛軸が、博物館の展示物の真正面に鎮座していた。私も、当時のことを思い出したので、係員に告げると、驚いて責任者を呼びに行き、その方から「三宅歳雄先生のことをよく覚えている。感謝申し上げます」と言われた。
このように、いろんな宗教団体のブースがあるにもかかわらず、日本の宗教教団からの参加はほとんどなく、今回、展示ブースを設けていたのは、創価学会とBCA(浄土真宗本願寺派の米国ミッション)だけであった。そんな中で、今回の万国宗教会議のメインスポンサーであるKAICIIDのブースの前を通りかかると、「ミヤケさん」と日本語で声をかけられた。そちらを見ると、30年以上前にハーバード大学の世界宗教研究所で共に学んだカナダ人のパトリス・ブロデュアー博士である。現在では、KAICIIDの首席研究員として、ウイーンに在住しているそうである。他にも、G8宗教指導者サミットや神道国際学会で何度かご一緒したジョージタウン大学のキャサリン・マーシャル教授(元世界銀行総裁顧問)とも出会った。
▼ワークショップで登壇
18日の午前中は、かつて共にIARFの国際評議員を務めたカナダ在住のユダヤ教徒フレデール・ブリーフ女史と廊下で出くわし、彼女のワークショップへと誘われた。その間、地元のテレビ局からインタビューの依頼を受けたので、彼らのリクエストに応えて数分間ではあるが、その収録に協力した。
ブリーフ女史のワークショップとは、250万人というカナダ最大の人口を有し(周辺の衛星都市まで含めると800万人ということなので、ちょうど大阪市・大阪府と同規模の都市圏)、市内では常に百数十カ国語が話され、世界中の各民族の寺院が建ち並ぶという「世界で最も多様性に富む都市」と国連からも認定されているトロントにおける40年間の諸宗教対話の歴史に関するワークショップであったが、その会場では、2008年に大阪と京都で開催されたG8宗教指導者サミットにカナダ代表の1人として参加してくださったイスラム教のイマーム(最高指導者)であるアブドル・ハイパテル師とも再会することができた。当初は、一聴衆として参加するつもりであったが、ワークショップの進行役から招かれ、気がつくと、講演台でスピーチまですることになっていた。
ブリーフ女史らと昼食を共にし、コンベンションセンターから徒歩数分の距離にあるモルモン教の総本山をサッと見学した後、私は、午後のセッションのひとつ『ソルトレイクにおける環境問題へのコミットメント』というワークショップに顔を出した。日本や欧州と比べると、いまひとつ環境問題への取り組みに欠けるアメリカであるが、さすがにこのような会議に参加する人は意識が高いことは言うまでもない。興味深く、彼らの取り組みについて聞いていたが、質疑応答の時間になって、私が発した質問で、議論が盛り上がった。というのも、今回のワークショップにおいて、彼らは盛んに「エンバイロメンタル・ジャスティス(環境正義)」という言葉を使った。もちろん、「造語」である。「ソーシャル・ジャスティス(社会正義)」と言えば、教育や就業機会の公平や、富の公正な分配のことを指すが、「環境正義」とはいったい何を指標にするのかというのが私の質問である。
人間のような論理的な思考をすることができないどころか、自分たちの意見を表明する言葉すら持たない「動植物の意見」をどのように取り入れるのか? あるいは、同じ人間でも、まだこの世に生まれてきていない将来の世代の人類を無視して、現在生きている人間だけで、地球上の資源を分配し合うだけで、本当に「公正」ということができるのかという「そもそも論」を提起したものだから、議論好きのアメリカ人の好奇心に火を点けたようなものである。このワークショップでも、気がつくと、参加者の前に出て、喧々囂々(けんけんごうごう)のディスカッションを行っていた。
このようにして、わずか2日間の日程ではあったが、しかも、出発前に咳喘息を発症して、体調的にはとても不具合であった。その上、ソルトレイクは海抜約1,300メートルと空気が薄く、その分呼吸が大変であったが、なんとかお守りをいただいて、無事予定通り、10月20日の晩に大阪へ戻ることができ、かつ、翌日の新堀会の月次霊祭から始まって、25日の秋の大祭まで続く強行日程も無事、過ごすことができた。