未曽有の犠牲者をもたらせた3月11日の東日本大震災発生直後から、被災地へ三度足を運んだ三宅光雄会長を筆頭に、約600万円の義援金と共に、これまで人類共栄会では各方面にわたる支援活動を展開してきた。ここでは、その一部を紹介する。
気仙沼の被害地を視察する三宅会長 |
▼日本レスキュー協会と協力して
震災発生当日、日頃から人類共栄会が支援している民間の人命救助団体「日本レスキュー協会」の災害派遣活動への財的支援を表明。隊員三名と災害救助犬三匹および探査装備一式を搭載した日本レスキュー協会の災害救助チームは、日本海側ルートをひた走りに北上し、早くも翌日には岩手県入りし、陸前高田市、釜石市、大槌町、野田村などで、各府県の消防隊と連携して行方不明者捜索に従事した。
3月25日、三宅善信理事が、兵庫県伊丹市の日本レスキュー協会本部を訪問して、岡武隊長から現地での活動報告の詳細を聞き、支援金10万円を伊藤裕成理事長に手渡した。
▼三度被災地入りした三宅会長
4月21・22両日、三宅光雄会長は、津波で閉鎖になった仙台空港を迂回して内陸部にある岩手県花巻空港から被災地入りし、気仙沼市と石巻市を訪問し、大津波の跡も生々しい被災地をつぶさに視察すると共に、既に金光教首都圏フォーラムが駐留しているベースキャンプを訪問。現地の避難所で被災者を励まし、首都圏フォーラムを通じて寄託した瓦礫撤去用の道具類をボランティアの人々の活動に供した。
また、ゴールデンウイークを利用して、5月7・8両日には、人類共栄会の青年ボランティア4名が気仙沼市を訪問し、倒壊は免れたものの大津波によって泥だらけになった民家の泥掻き出し奉仕を手伝った。テレビや新聞を通じて「知っていた」だけの被災地と、実際に訪れて、つぶさに「体験してきた」被災地とでは大違いで、この貴重な体験が青年たちの今後の人生を豊かにすることであろう。
翌5月9日には、三宅会長が再び被災地を訪れ、南三陸町と石巻市を訪問し、それぞれの社会福祉協議会の責任者と面会し、WCRP日本委員会から託された支援金を手渡した。特に、津波被害の大きかった南三陸町では、「少しでも亡くなった人の想い出を…」と、瓦礫の中から丁寧に拾い集められた泥だらけの写真を洗って乾かしている現場なども視察した。
想い出の写真探しを視察する三宅会長
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6月28日には、三宅会長が理事長を務める国際宗教同志会主催の「東日本大震災慰霊復興祈願祭」が石巻市の古刹、輝寶山洞源院で仕えられ、関西や関東から参加した14名の僧侶や神職と共に、犠牲となられた方々を弔い、力強い復興を誓った。この日の行事には、同地区で家を無くした住民の皆さんも大勢参加した。
▼復興を願ってチャリティバザー
5月22日に開催された第31回チャリティバザーも、今年は特に『東日本大震災からの復興を願って、がんばろう日本』をテーマに開催され、あいにくの雨天のため、急遽、会堂ロビー内に会場を移して開催されたにもかかわらず、近隣の住民約2000人が来場し、お目当ての格安商品や泉尾教会信徒会員たちが売り子を務めるちゃんこ鍋、焼き鳥等の模擬店が多数出展した。
また、日頃から人類共栄会と協力関係にある日本レスキュー協会の隊員たちが、救助犬の調教訓練の様子を再現したり、救助犬の嗅覚で行方不明者を探索する訓練のデモンストレーションを実演した。なお、この日のバザーの収益金1,819,131円は、全額、人類共栄会に寄贈された。
▼災害復興の専門家を招き勉強会
また、震災のメカニズムと復興の方途を探るため、6月9日には、金光教泉尾教会の国際会議場にて、内閣府中央防災会議専門委員でもある関西学院大学災害復興制度研究所の室崎益輝所長を招き、『東日本大震災とどう向き合うか?』をテーマに、三宅光雄会長が理事長を務める国際宗教同志会が記念講演を行った。未曾有の大災害ということで関心も高く、各界から約70名が参加した。講演会に続く質疑応答では、熱心なディスカッションが行われた。
室崎教授は、今回の大震災の特徴を「巨大・広域・復興・欠援」という4つのキーワードで分析し、特に、地震発生後、生死を分けた「最初の30分」、物資の配給が滞った「最初の1週間」、ボランティアが来なかった(「来ないほうが良い」とマスコミや自治体が喧伝したので、決定的な人手不足が生じた)「最初の1カ月」という3期に分けて、阪神淡路大震災の経験がかえって今回の大震災への対応を誤らせているということを指摘した。
専門家の講演に耳を傾ける宗教関係者
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