99年 Summer

人類共栄会半世紀のあゆみ(後編)あいさつ

人類の共栄と世界平和の実現をめざす人類共栄会は、1952(昭和27)年1月21日に大阪で創設された。一般民衆はいうまでもなく、政府ですら、その関心は戦後の復興や生活の向上に向けられ、海外援助のためのNGOなどということは、その概念すらなかった時代に「人類共栄」をめざした活動が開始されたことの意義は深い。爾来、今日まで47年間、人類共栄会は数々の活動を展開してきた。『人類共栄会通信』では前号に引き続き、その歴史を概観する。(肩書きは当時のまま)


冷戦後の世界情勢の中で

1991(平成2)年1月、束の間の世界平和の夢が破れて、湾岸戦争が勃発。人類共栄会では、3月にユニセフを通して2万ドルを湾岸戦争の難民救援金として寄託した。4月には、泉尾教会にJ・カーター元米国大統領を招き、「新世界秩序における日本の役割」と題して第1回の平和フォーラムを開催した。また、財政的に弱体化していたWCRPを支援するために、同米国委員会に15万ドルのミヤケ基金を創設した。10月には、カトマンズで開催された第4回ACRP(アジア宗教者平和会議)で三宅歳雄会長がACRP会長に再任。ビレンドラ国王と会見した。

WCRP世界大会でお祈りをする三宅歳雄師

1992(平成4)年4月には、ユニセフ事務総長上級顧問のD・ディアロ博士を泉尾教会に招き、第3回平和フォーラムを実施。また、ブラジルで開催された国連地球環境サミット関連会議に三宅龍雄理事長が出席。翌年には、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)統治下のカンボジアを人類共栄会青年部員が視察。8月には、インドのバンガロールで開催された万国宗教会議百周年記念大会に三宅龍雄理事長が出席した。

1994(平成6)年2月には、三宅歳雄会長の第百回目の記念すべき世界平和巡礼の旅として、ユダヤ・キリスト・イスラム三教の聖地エルサレムを訪問。それぞれの宗教最高指導者およびイスラエルの文部大臣とパレスチナ和平について会談した。この際、対立する三宗教の若者たちに、宗教戦争がいかに無意味なものであるかを理解してもらうために、当時、激しい宗教・民族紛争が勃発していた旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナへ、パレスチナの青年が共同して救援物資を運ぶというプロジェクトを提案。この資金を全面的に提供した。また、帰途、バチカンに立ち寄り、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と単独会見を行った。

同年11月、イタリアで開催された第6回WCRP世界大会で、三宅歳雄会長はWCRPの名誉会長に就任し、三宅龍雄理事長があらたにWCRP国際委員長に就任した。

1995(平成7年)1月、兵庫県南部地域を直下型の巨大地震が襲った。いわゆる「阪神淡路大震災」である。人類共栄会では、長年、アジア・アフリカ地域で培った救援ノウハウと、戦後のジェーン台風や伊勢湾台風の際の救援活動の情熱をもって直ちに救援ボランティア活動を実施、約1ヶ月間にわたって、被災地に水・食料・衣料品等の生活必需品ならびに義捐金を届け、救援と復興に尽力した。

また、同年3月には、コペンハーゲンで開催された国連社会開発サミットに宗教者の代表として三宅龍雄理事長が招かれた。翌1996(平成8)年3月には、ニューヨークのユニセフ本部で開催された子供の人権会議も三宅龍雄理事長は宗教者の代表として招かれ、意見を述べた。



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