■人類共栄会半世紀の歩み
人々の幸福と世界平和の実現をめざす人類共栄会は、1952(昭和27)年1月21日に大阪で創設された。当時、一般国民の関心は、戦後の復興と生活の向上に向けられており、海外援助のためのNGOといった概念すらなかった時代に「人類共栄」をめざした活動が開始されたことの意義は深い。爾来、今日まで50年間、人類共栄会は数々の活動を展開してきた。
人類共栄会の創設は、日本の敗戦がきっかけとなった。創設者の故三宅歳雄師は、個々人の幸福は社会全体の繁栄や世界平和を抜きには実現し得ないと悟り、人類共栄会を創設した。当時、米ソ冷戦が始まり、世界状勢はより大きな核戦争の脅威に直面していた。
1950年代は、三宅歳雄師は、世界平和と人類救済を願って各国を歴訪し、時のローマ教皇やアメリカ国務長官、多数のノーベル賞受賞者らと会い、平和の重要性を説いた。さらに1957年にモスクワを訪れ、時のソ連首相に核実験の停止を直接訴えた。60年代は、核戦争の危機を回避するため東奔西走した。70年代には、師の活動が世界的に評価され、国連の歴代事務総長をはじめ、多くの国際機関から人類共栄会の活動が顕彰されるようになった。
また宗教・民族紛争の解決なしに世界平和は実現しないとの観点から、1970年にWCRP(世界宗教者平和会議)を創設し、宗教者主導よる世界平和の実現に邁進した。 80年代に入り、インドシナやカンボジアなど各地の大規模な難民救援に焦点を向け、多大な成果をあげた。またこの時期、社会主義政権の相次ぐ崩壊に伴う社会困難をいかに救援するかに腐心した。その後、各地にミヤケホーム(孤児院・学校・職業訓練施設)創設し、戦争孤児たちを支援する活動を始めた。
90年代に入ってからは、一国家レベルではケアしきれない問題に対して、ますます積極的な関与を行い、さらに地球環境や伝統文化の保全等、各民族固有の伝統を維持しながら、世界全体が地球家族として人類の共存共栄が実現できるように、人類共栄会は取り組んでいる。