■国際機関との協調による平和活動
三宅光雄理事長は、9月6日から8日にかけてナポリ近郊のベントテーネ島で開催されたWFM(世界連邦運動)の国際理事会に出席した。会場となったベントテーネ島は、WFMの発祥の地ということで、2年に一度はこの地で国際役員会が開かれ、創設の精神に立ち返ることが恒例となっている。
人類共栄会は南アジア諸国におけるミヤケホームの運営やアフガン難民支援事業、また、自然災害や戦争による難民への緊急援助など、独自の救済活動を行っているが、その一方でまた、多くの国際平和団体との協力の下でも広範な活動を繰り広げている。
人類共栄会とWFMは、1953(昭和28)年に創設者である故三宅歳雄師が、コペンハーゲンで開催された第5回世界大会(当時はWAWF)に参加して以来、密接な関係を維持してきた。同師はWFMの名誉理事長を、また、三宅龍雄会長はWFMアジアセンター会長などの要職を歴任し、その活動の発展と普及に努めてきた。
WFM国際理事会で発言する三宅光雄理事長
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今回の会議は、2002年7月にロンドンで開催される第23回WFM世界大会へ向けての最後の代表者会議であり、準備の全てが今回の国際役員会で決まったが、特に、三宅光雄理事長が提案した「長年、休会していた宗教委員会を次回より復活して欲しい」という提案が、全会一致で承認された。
今回、三宅理事長は、日本選出の理事としてではなく、AYC(世界連邦アジア青年センター)会長として、「アジア代表」枠で参加し、同師が推進している南アジア地域における世界連邦運動の高揚が、世界の他の地域選出の理事たちから大きな評価を受けた。
また、会議に先立つ9月5日、三宅理事長はバチカンのサンピエトロ広場でローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に謁見した。
教皇ヨハネ・パウロ2世と握手する三宅理事長
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人類共栄会とカトリック教会との関係は古く、三宅歳雄師が太平洋戦争中にスパイ容疑で拘束されていた米国人のパトリック・バーン神父を、敵国人であるにもかかわらず、自らの平和理念に基づき支援したことに始まる。
この時の三宅師の精神は、今日の人類共栄会にも引き継がれている。それは、9月11日、イスラム原理主義集団によって米国において引き起こされたとされるテロ行為に対して、強い憤りと犠牲者に対する深い哀悼の意を表しつつも、米国の武力による報復に強く反対する態度に表れている。
なお、バーン司教は、朝鮮戦争では、教皇特使として北朝鮮に赴くほどのカトリック界の重要人物となった。
以来、三宅歳雄師は、日本が独立を回復してすぐの昭和28(1953)年という時期に、当時の教皇ピオ12世と単独会見したのを皮切りに、日本人の非キリスト教徒としては、最も早い時期から、バチカンと交流してきた人物として知られている。
その後、三宅歳雄師は、歴代のローマ教皇とたびたび会見を行い、世界平和実現のために協力をしてきた。平成6(1994)年には、2月にイスラエルからの帰途と、11月にはWCRP(世界宗教者平和会議)第6回世界大会の開会式の際に、世界平和の祈りを教皇と共にしてきた。
今回、バチカンを訪れた三宅理事長も、教皇ヨハネ・パウロ2世と謁見するのは、その時以来である。三宅理事長は、半世紀にわたるバチカンとの良好な関係を今後も継続発展させていく旨を直接、教皇に訴え、祝福を受けた。