★人類共栄会創設50周年 記念シンポジウム 基調講演

人類共栄会創設五十周年記念シンポジウム パネル討議
  『今、NGOに何が求められているのか』
  AMDA理事長
                         菅波 茂

                        天理大学おやさと研究所長
                         井上昭夫

                        金光教春日丘教会長
                        三宅善信

2002年1月13日、金光教泉尾教会において、人類共栄会の創設五十周年記念シンポジウムが開催され、日本有数のNGOとして、めざましい活動を展開しているAMDA(アジア医師連絡協議会)の菅波茂理事長の記念講演、および、天理教隋一の国際派として知られ、国連からも高い評価を受けている井上昭夫天理大学おやさと研究所長の応答が行われた。本サイトでは、引き続き行われたパネル討議の内容を順次掲載する。

▼三宅善信
 モデレータとしては、お二人の先生のディスカッションがうまく噛み合うかしらと思っていたのですが、菅波先生もお医者様の守備範囲をはるかに超えて精神の領域までお話をしていただきました。また、井上先生も天理教という信仰を母体とされながら、国連あるいは、アフガン、インドと、実際に活動なさっておられることの中から、いろいろと教えていただいて、(人類共栄会の趣旨に添っていただき)ありがたく思いました。しかも、先生方はお二人共、ご夫婦の仲がたいへんよろしいということで、本日は私の愚妻が最前列にいて、「お前はどうなんや?」と、ごっついプレッシャーかけて(会場笑い)、さっきから目で合図を送られているような気がして、圧力を感じておるわけでございますけども……。

 人類共栄会は今から50年前の、昭和27年(1952年)の1月22日に創設されましたが、今考えますと、菅波先生がおっしゃって下さったように、とんでもないくらい先見性を持ったNGOの端緒だったと思います。WCRP(世界宗教者平和会議)ができたのが1970年でした。大阪で万博が開催された1970年という年は、戦後25年でございますけども、日本が敗戦後の復興を成し遂げ、高度経済成長を終えて、社会の新たな方向性を模索し始めた頃であります。その後、72年あたりからオイルショックとかドルショックとか、単純な成長神話が揺らぎ出す訳ですけども、一般的には、一応、日本という国が、いわゆる物質的な意味での先進国になったという時期あたりから、対外援助活動が始まりました。

 こんなことは、言いたくありませんが、よく見ておりますと、援助というものは、先進国であるがゆえの一種の国際的な税金のような感じがありました。日本政府がいろんな途上国に巨額のODA(政府開発援助)や円借款を拠出していますが、その心は、といえば「本当はそんな金払いたくないんだけども、先進国であるがゆえのサミット・クラブのメンバー会費」という感じで、政府主導の援助活動が行われておるような部分があるように思いました。


話に花が咲くパネリストの面々

 ところが、この人類共栄会が創設されたのは、50年も前の1952年まで遡ります。もちろん私の生まれる前のことでございますけれども……。つまり、どちらかというと、日本国そのものが食べていけなかった時代のことでございます。本日の会場にお越しの一定年齢以上の方は、自らの体験をもってご承知なさっておられると思いますけれども、自分たちのその日の生活を送るのが、まだまだ大変であった時代に、既に、こういうふうな対外援助活動を始めたということの意味をひとつ考えていただきたいと思います。

 先ほど、井上先生が「物質的に豊かになれば、(それに反比例して)精神的に貧しくなる」という、マザー・テレサが日本に来られた時の発言を引用されておりましたけれども、この人類共栄会は、そうじゃなかった(貧しかった)時から、人様のお役に立つ活動を始めた。しかし、それだけでは、単に「過去の遺産」というだけのことです。じゃあ、「いったい私たちには何ができるのか?」ということになっていかなければならないと思います。先ほど菅波先生がおっしゃられました、「非常に困っておる」とか、「難儀である」という状態が、実は宗教的な意味で言えば、そこから「おかげ(救済)を頂く」ということの発足点になるということでございます。

 それから、「無原則性」の問題もよくご指摘下さいました。人類共栄会の創設者であります三宅歳雄が、海外でのいろんな会議に出席した際、あちらこちらに――本日もタイから研修に来られている方が一人この会場に来られていますけども――人類共栄会が支援させていただいて、インドやネパールやスリランカやバングラデシュとかで、学校を造ったり孤児院を造ったりするわけですね……。で、聞かれるんです。「どういう基準で、三宅歳雄先生はそういうものを設置されたんですか?」と……。

 しかし、違うんですね。皆さんご承知のように、本当にいろんな国へ行かれましたけれども、そのときに、たまたま路傍で見かけたというか、そこで接した方……。例えば、ある会議に出席される時に、宿泊先のホテルから会議場へ移動する車が通るコースにたまたまいた人ですね。もし、運転手の方が、違うコースを選んでいたら、たぶんその人とは一生出会わないわけです。しかし、そこで、出会ってしまったというそういう一種のご縁というものを尊重して、それで、次々とその場その場で「見て(放って)おれない」ということで始めたことが、どんどん蓄積して、結果的にああいう形で、各地に例えばミヤケホームという孤児院を造ったり、学校を造ったりということになっただけのことです。

 本日お配りをした資料の中に、最新の会報(『人類共栄会通信』第8号)がありますけども、過去50年間のことを簡単に振り返っておりますので、それをご覧になられても、「これとこれはどういう関係があるんだろう?」という疑問をお持ちの方がおられると思います。しかし、先ほどの菅波先生のところのAMDAでございましたら、お医者様という実際にその手に技がある方々の集まりでございますね。お医者様なら、世界中、どこに行っても、人の病気とか怪我を治すことができるわけですけども、そうでないただの者が、あるいは逆に、そうでないがゆえにさせていただくというかたちでございます。

  1994年のことですけれども、人類共栄会の創設者であります三宅歳雄が、イスラエルとパレスチナの間を行ったり来たりしたことがありました。既に年齢が92歳の時だったんですけども、エルサレムの辺り――今、現在ドンパチと大変なことになっている場所ですけども――にまいりまして、私は理事長と一緒にお供して行ったんですけども、現地のパレスチナ難民キャンプを視察したことがありました。この時、私共は、最初はイスラエル外務省の差し回しの車で移動さしていただきましたら、ちょっと車を離れた瞬間に、子供たちに石を放られまして、フロントガラスが割れました。インティファーダという投石による抵抗運動ですね。なにしろ、周りはみなパレスチナ人ですからね。

 「これは危ないな」ということで、「じゃあ、パレスチナ側の車に乗せてもらったらどうでしょう?」と尋ねましたら、「とんでもない。イスラエル兵から銃で撃たれますよ。こっちなら石で済みますが」と言われまして、「それじゃ、国連の車に乗ったら安全じゃないですか?」と申しましたら、「もっと危ない。両方から狙われますよ」(会場笑い)と……。それで、「えらいことになったな」と……。冗談じゃないんですよ。普通でしたら、セダンの車の後部座席に、もし3人座るとしたら、真中の席というのはあまり良くないといって、一番偉い人は、日本でしたら右側の後ろの席に、左ハンドル車でしたら反対側の左後部座席に座るという形ですけど、投石などでもしものことがあったらいけませんので、狭いですけど真中に座っていただいて、私と理事長の三宅光雄とが盾になって両方に座りまして、「ちょっと辛抱してください」というかたちで、フロントガラスが割れて、風が行け行けのオープンカーみたいになった車で走ったことを覚えていますけども……。

 その当時は、現地はわりと収まっておりまして、ユダヤ教の人、イスラム教の人、キリスト教の人たちも、一緒に仲良くしましょうという活動をしていました。その時に、ちょうど菅波先生がおっしゃった旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナで、(ユーゴ連邦軍と各共和国軍や軍閥同士の)内戦が起こっておりまして、「こういうことをやってはどうか」ということで、そのパレスチナにいるユダヤ教、イスラム教、キリスト教の青年にボランティアになっていただいて、人類共栄会が資金協力いたしまして、冬でしたので衣料品を満載したコンボイを仕立ててボスニアに行っていただいて、そこでの救援活動をイスラエル・パレスチナの青年にしていただきました。

 ボスニアに行ったら、今度はセルビア正教会とカトリック教会とイスラム教が喧嘩(けんか)している訳ですね。自分のところにおりますと、今までのしがらみがございますから、「あいつ(異教徒)と一緒にするのは、ちょっと」というのがございますけど、他所に行って、ずっと同じ場所に住んでいた人々が、宗教が異なるという理由だけでドンパチやっているのをご覧になられてですね、どういうふうに虚しさを感じていただくか……? まあ、それぞれ、お感じになられ方はあるかと思いますが、実はそういうプログラムを人類共栄会で数年前にさせていただいたことがありました。

 これがわりと評価を得まして。途中でいろんな軍閥の将軍みたいなのが勝手に陣取って群雄割拠していますよね。それぞれの支配地域を通って行かないと、現地まで、無事、コンボイの衣料品を運べないんですよね。ところが、イスラム教徒の地域を通れる車は、カトリック教徒の地帯を通れないということがあったりして、それぞれのところで、中東から連れていったそれぞれの人が、一芸に秀でているといいますか、個別に交渉してくださって、「あんたやったら通したろ」ということになりまして、実際に最終目的地まで無事、行けたということがございました。

 ですから、人類共栄会の活動は本当に、そういう個別的なことから始まったんですけれども、たいへんおかげを頂いておるということですが、そういったたいへんな働きを、皆様方に広報する努力が人類共栄会の事務局の側でまったく足りていませんので、ご存知ない方も多くいらっしゃいます。それをしっかりと広報していただいて、どこまでご理解いただけるかは、その新聞なりニューズレターなり、そういうものを作って出す。あるいはインターネットでしっかり広報して、実際に、会員の皆さんが、「人類共栄会ってどんなことをしてはる団体ですか?」と誰かに聞かれた時に「こうこう、こういう団体です」ということがパッと言えるかということが非常に大事なことで、そのことが「意識を共にする」ということであると思います。

 それで、井上先生がおっしゃった体験知は、非常に大事だと私も思います。理論知よりも体験知が非常に大事だということです。最近、ホンダかソニーが造ったロボットで、歩けて踊れる――まあ歩くといっても二足歩行がやっとできるようになったんですけど、踊りもちょっとぎこちないですけど――ロボットができたそうですけども、いずれにしても、ロボットというのは、予めプログラムを全部人間が作ってやらないと動かないということです。私も機械のことはよく解りませんけども、例えば、あのロボットを自転車に乗(漕が)せようと思っても、まだまだ自転車には乗れない訳ですね。

 というのは、多くの人は自転車に乗れる訳ですけども、じゃあ、止まったら転んでしまう自転車に「乗る」という行為を分析すれば、多分、瞬間的に微妙な調整をしながら、倒れてゆく方向にちょっとハンドルを曲げてとか、体を傾けてとかいうことを、刹那刹那に次々と繰り返していって、その結果として、自転車に乗れるという状態があるわけです。単にペダルを漕いで、ハンドルを曲げるだけでは自転車には乗れません。それを、子供の時に何回か自転車に乗って転んでみて、「これぐらい傾けたら転ぶ」とかいうことを実際に体験をして、自分の身に付けた技の総体が自転車に乗れるということです。そのことを、例えばロボットにさせようとすると、それらの全てを予めプログラムして、つまり知能として、理論知として、入力しておかなければならないというのは非常に難しいことです。

 ということは、井上先生のおっしゃっていた体験知の世界ですね。学生さんをインドへ連れて行かれて、全員下痢して、その中で、土嚢(どのう)を積んで家を建てたということですが、私共は、その話を伺って、「ああ、インドまで行ったんだな。そして、水に当たって下痢しはったんだな。そんな中で、土嚢積みはったんだな」と、話としては一応、解りますけども、そういうものを遥かに超えた、現地に行かれた人だけが持つことのできる皮膚感覚を持った、体験知というものが非常に大事だと思うんです。少し、私が喋り過ぎてしまいましたけれども、もう一度、菅波先生に井上先生のレスポンスを聴かれて、何かございますでしょうか?


▼菅波 茂
  どうもありがとうございました。私が言い足らなかったところを全部井上先生にお話していただきまして――井上先生、私より十歳年上ですね?(会場笑い)――やっぱり50を越えてからの10年間の開きというのは大きいなと思いました。私も10年後には、井上先生のようになれるかなというのはちょっと不安なんですけども、なれるでしょうか? なれないのでしょうか?


▼井上昭夫
  とっくにもう私なんか越えていらしゃる……。


▼菅波 茂
  それで、私としては、井上先生が長年蓄えてこられました経験とか見識というものを、井上先生が死なれるまでにぜひ吸収させていただきたい(会場笑い)と思っていますので、「よろしくお願いします」と、もうこの一言しかございません。

  それから、人類共栄会の無原則というのは、人間には「閃(ひらめき)」と、「思い付き」というのがあるかと思うんですけども、多分、人類共栄会の初代の先生を含めまして、三宅善信先生も閃きがあられる方ですから、無原則という名の下に、その時その時の天才的な閃きでもって会員の皆さんを指導されているんじゃないかと思いました。凡人は思い付きしか考えませんけども、三宅先生のご家族は崇高な理念と、ただならぬ執着心とを併せ持っておられますので、閃きで運営されていると思いますので、「閃きの人類共栄会」と(会場笑い)、こういうふうに……。

▼三宅善信
  菅波先生、「閃ひらめきの人類共栄会」とは、結構なキャッチコピーを頂き、ありがとうございました。それでは、井上先生お願いします。


▼井上昭夫
  「閃き」は因果論じゃないですね。これは、先ほど三宅善信先生がおっしゃった偶然性の中にあると思うんです。「閃き」を呼び込むにはどういう条件が必要かといいますと――因果論的になってきますが――やはり、菅波先生がおっしゃったように、トラブルに直面することですね。問題にアタックすることによって、その中から生まれてくる体験が「閃き」を養成する条件に、結果としてなると思うんですよ。もちろん、これはあくまで結果ですから、目的であってはならないんですけども……。というのは、「閃きを得るために苦労しろ」というのではなくて、苦労とは与えられるものですし、閃きとはそれを取り除いていくための啓発性ですからね。

  それで、三宅先生がおっしゃった「ご縁」というものは、偶然性の中から生まれてくると思うんです。例えば、先ほど言い落としましたが、しょっちゅう日本にやってきましたバンガーロン・フセインという男は、アフガニスタン暫定政権の灌漑かんがい水源省大臣になりました。彼と私は親友だったんですよ。ここ十五年ほど文通はありませんが……。タリバン政権時代の混乱でどこに行ったか判らなくなっていましたから……。彼(フセイン)は、今テヘランに亡命しているヘクマチアル政権の渉外担当大臣、つまり、外務大臣でした。ですから、元もとヘクマチアル政権で閣僚を務めておった男でした。それが、昨年の夏に、私がインドで一所懸命チック・ダムを造ったり、水のことをやって、やっと帰って来たら、例の「九・一一事件(同時テロ)」が起こって、ご承知のように、アフガニスタンからタリバン勢力が一掃されて、アメリカの後押しで、暫定政権が樹立され、その閣僚に収まったんです。先々週のニュースで彼がテレビに出てるんですよね。彼が灌漑水源省の担当大臣になったと……。

  このニュース番組を私が視るというのは、全く偶然ですよね。しかし、これは「意味のある偶然」だと思います。「意味のある偶然」ということについて、(心理学者の)C・G・ユングは「シンクロニシティー(共時性)」と名づけたのですが、「意味のある偶然」というのは不思議ということなんです。魂の世界は、不思議というのがなかったら、合理的に説明できる科学的な根拠はひとつもございませんので……。例えば、これを奥さんのほうに放ります(会場驚く)と、お受けいただけますよね(註=パネリストの手許にあったおしぼりを最前列の聴衆に放り投げた)。これが、空中で急に横に曲がって向こうに行っちゃったら不思議ですよね。

  だから、先ほど三宅先生がおっしゃった。ですけど、予期しないところでの事故とか、他の原因で道を変えた……。そのことによって、そこで出遭ったというのは、これは「意味のある偶然」なんですよね。それは予想できないんです。予想はできないけれども、魂のレベルからすると、「判っている」ことなのです。われわれは、違う次元で起こっていることは解りませんが、実際、いろんなことをやっているうちに、それがだんだん「こうなると、そういう意味のある偶然が起こるな」という予感がしてくることが時々あります。「この次はこうなってくるな」と……。シンクロニシティーが起これば、「自分が正しい方向にだいたい向かっているな」というのは確認できるんです。

  まあ、そういうことで、私が三宅歳雄先生についてかつてお聞きしたことで申せば、「祈りの塔」ができた前後でしょうか、三宅歳雄先生は、あそこで毎朝四時から、信者と世界の幸福を祈られると……。コンクリートというものは乾いていないんですよ。冬の朝四時にですね、そこに座って祈るということは、大変な修行でありまして、「一時間、二時間祈っていると、汗が出てくる」とおっしゃいましたね。私なら凍死すると思うんですけども(会場笑い)。ですから、すごいなあと、正直思いました。そういうパワーの中から、いろんな出遭いの偶然性が生れてくると思うんですね。

  やはり、自分を苦しめるということは――「捨身飼虎」(註=谷底の飢えた虎の親子を助けるために、自ら谷底へ身を投じて、虎の餌食となった釈迦の前世という仏教説話)が利他行の究極でありますが――やっぱり自分をある程度、痛めつけないと、三宅歳雄先生のようなお徳の高い人は、いてもたってもおられないのでしょう。というのは、問題がなければ、自分自ら問題を課してやらないとだめだと思われるからだと思います。われわれ凡人は、問題が起こってきた時には――私は常にこのように考えているのですが――強い者にはハンデが付くのであって弱い者には付かない。問題があればあるほど、それは、人に迷惑をかける問題じゃなくて、自分が正しいと思うことをやっている場合で問題が起こればですね、自分は強いからその問題は神から与えられたんだと、このように、積極的に捉えて、決して「バチが当たった」とは考えません。「神からのお手引きをこのことによって頂いているんだ」と……。天理教ではこういうことを言う訳ですけど……。

  三宅歳雄先生の生き様の中に、その経験知として先生が体験されたことから迸ほとばしり出てくる言葉というのは、短ければ短いほど、われわれによく解るんですが、これは説明するとあまり値打ちがないんでしょうね。だから、そのように考えまして、今日の菅波先生のお話は、自ら通られたことを理路整然と非常に解り易くお話いただいた。言葉や概念というのは力を持っていますから、体験に裏付けられた概念というのは、非常にパワーを持っています。そういう意味で、ひとつひとつ菅波先生のお言葉を咀嚼そしゃくさせていただくことがわれわれの仕事ではなかろうかと、このように考えています。


▼三宅善信
  井上先生、たいへん解り易いご説明とパフォーマンスありがとうございました。それでは、菅波先生、またよろしくお願いします。


▼菅波 茂
  私は、今、井上先生が私より十歳老成されているんだと、まざまざと見せていただきました。私もいろんな講演会に行きましたけれども、実際に目の前におられる聴衆の方に、ポイッとおしぼりを投げて渡したのは初めて経験しましたですね(会場爆笑)。これがやれるというのはですね、何か井上先生は過激な方だと……。本当に、まざまざと見せていただきました。これをやられた井上先生というのは、いい意味で、何をやられるか判らない、無限の可能性を持っていらっしゃる方だと思いました。ぜひ、師事さしてください。よろしくお願いします。


▼三宅善信
  そうですね。本当に限られた時間の中での話し合いということで、いろいろと皆さんもっとお聴きしたいと思うんですけども……。菅波先生はお医者様ですから、今まで「お医者様というのは生きている間がその仕事の領域で、死んだら宗教家の出番」(会場笑い)という感じを私の中で――私だけじゃなくて、世間一般がそうですが――捉えておりました。宗教家の側もある意味では、そこで一種の「棲み分け」をしているところがありました。

  ところが、近頃、末期癌とかターミナルケアの問題が起きてきまして、お医者様にはターミナル――死ぬ間際の生と死の境界線――の問題が問題として浮上してきました。鉄道でも、ターミナルといえば終着駅、一番端っこのどん詰まり、という意味と同じですからね。そこで、そのターミナルケアという用語法からして、「死ぬ」までが、お医者様の仕事だと自覚して(医療的)処置をなさっていると思っていたんですけど……。その反対に、宗教の世界というのは、そこから始まるまた別の世界があるんです。「死」を境に、ターミナルケアじゃなくてアフターケアだと(会場笑い)……。それで、同じ人生という線路を走っていても、例えば阪急電車で梅田駅まで来て、お医者さん的に言うと、そこで「お亡くなりました。終点(ご臨終)です」と言ったら、それでお終しまいなんですけども、梅田で阪急電車を降りても、百貨店で買い物する人もいるし、地下鉄に乗り換える人もいますよね。つまり、ひとつのターミナルは、また別の旅行の出発点でもあるということです。

  ですから、宗教家というのは、それ(死)以後のことを本当にカバーしていかなければならない。生きている間のことは、もちろんのことですが、同時に、死んでから後の後生のことも、両方をカバーしなければならないと思っておったのですが……。

  実は、本日こうして、お医者様である菅波先生の口から、死んだ人の魂の人権のお話や戦没者の慰霊について、興味深いお話を聞かせていただきました。先生が行かれたビルマやパプア・ニューギニアの話を承りますと、本当に太平洋戦争の傷跡というのは至る所に残っているんだと、あらためて気づかされます。私共も仕事柄、いろんなところに行く機会がありますけども、「こんなところで日本兵が何千人も死にはったんや」ということをその時々に思わされます。また実際に慰霊祭とかもさせてもらっています。

  先月(2001年12月)の八日に、ハワイの真珠湾に行ってきました。ちょうど「真珠湾攻撃の60周年」ということで、米軍主催のメモリアルだったんですけども、日本の宗教者もお招きいただきまして、慰霊行事が行われました。そこで、感心したのですが、当時、日本軍の真珠湾攻撃に参加した攻撃機のパイロットの人――その人が落とした爆弾で亡くなった米軍兵がたくさんいる訳ですけど――と、アメリカ軍を退役されたベテランの方――退役軍人ベテランといっても、当時20歳の青年でも80歳ですからね。もうあと何年ああいう形式の式典ができるのか判らないくらい、実際に真珠湾攻撃を経験された元兵士は少なくなっていますが――とが、日米のかつての敵味方が一緒になって真珠湾で花輪を捧げて、戦没者を慰霊なさっておられるのを見て、非常に心温まるものを感じた訳でございます。

  そこに、日本の宗教家(僧侶や神職)も行き、アメリカの宗教家(神父や牧師やラビ)も行きということでございました。魂の問題が大切だと思ったわけですが、そういうことを、お医者様の菅波先生がそのように思ってくださっているということを承って、宗教の側におる者として、今日のお話の中で、一番思いがけない有難いお話を承ったなと思うわけでございます。

  本来ですと、もっともっとお話をお伺いしたい……。私、井上先生には、本当に若い頃から随分と可愛がっていただいて、いろんな席に呼んでいただいて、教えを蒙こうむったわけでございます。また、今回はこうして、菅波先生というご立派なお医者様の先生とご縁をいただきました関係で、いろいろこれからも教えていただくために、お声掛けいただきましたら、どこへなりと出掛けて行きたいと思います。

  本日、このシンポジウムにお集まりの会員の皆様、どうぞ、人類共栄会というのは、私共だけじゃなくって、他所の先生方も注目してくださって、あるいは、また、「支援してやろう」と思ってくださっているという団体であるということを、皆さんご自覚ください。

  人類共栄会の活動をする上でのいろんな問題もございます。先ほど申したメディア、あるいは、お役所等の「宗教に対する一種の偏見」というものもございまして、「宗教の名前を冠したNGOを公益法人として役所は承認しない」とか、訳の解らないことを申しておるのです。それなら、「YMCAはどうなるんや?」(会場笑い)と、私は思うわけですが、菅波先生がご指摘下さったように、メディアや役所は、キリスト教には――まあ、キリスト教の悪口を言うわけでないですけども――非常に甘い。

  それに加えて、日本の宗教でも、伝統仏教には比較的寛容でございますけども…。ところが、話がこと新宗教に絡んできますと、それだけで非常に偏見的な、不当な扱いを受けています。実は、NHK大阪放送局の報道局長さんというのは、金光教のある教会の信者さんでございまして、もう三代前からご信心なさっていて、ご本人も熱心に教会に参拝なさっているんですが、じゃあ、NHKのニュースで金光教の「こ」の字でも出てくるかというと、絶対に出ないですよね。ですから、「いったいどうなっているんやろうか? 受信料(の支払いを)止めたろうかしら」(会場笑い)と、思ったりしますが……。これは、(取材に来られている)新聞記者さん、書かないでくださいよ(会場笑い)。まあ、そういうことがあったりして…。


▼井上昭夫
  三宅先生。話の途中ですみませんが、それには二つの理由があると思うんですね。そういう偏見……。もちろん、彼ら自身は、偏見と思ってないでしょうが……。僕は新聞記者から聞いたことがあるんですよ。「キリスト教は信者が少ないから、載せたって載せなくたって(教勢に)関係ない」と言うんですよね。「信者が多いところは、出したら(その教団だけ取り上げたら)問題になる」と……。つまり、「別の信者の多い宗教団体から文句が出る」というんです。

だから、450年間の伝道(布教)の歴史を通して、カトリックとプロテスタントを合わせても日本人の1パーセントもないキリスト教は、マイノリティー(少数派)なので、なんの影響もない。「だから、記事に載せたって文句はないんだ」と言っておりました。でも、マジョリティーを載せると大変ですよ。金光教を載せると大変ですよ!


▼ 三宅善信
  大教団である天理教様と違って、金光教は、そのマイノリティーと言われるキリスト教の半分もないですから、マイナー中のマイナーですよ(会場笑い)。いくらマイノリティーが良いといっても、マイノリティーすぎるのもダメなんと違いますか?


▼ 井上昭夫 
  いや、それは思想的に日本の文化の中に根差したものでしょうから……。それと、もうひとつは、メディアの連中は「西洋から入ってくるものは全部良い」と思っていますからね。キリスト教はちょっと上品だと……。僕は「宗教は上品であっては本物の宗教ではない」と思っているんですけども……。泥臭さがないとあかん(会場笑い)と……。だから、そういうキリスト教の社会活動がメディアに出れば出るほど、伝道は成功していないと、私は逆に考えています。

  だから、「メディアに取り上げられて可哀想だな」と……。良いことは、大地に撒まいて、土を被かぶせないと根が出てこないんですね。根がなければ絶対に続かないんです。だから、良いことは隠す。悪いことはどんどん宣伝してもらったらいいんですよ。

  天理教でも、信者だといっても、もうどうにもならない信者もいますが、その人が、例えば詐欺をやると「天理教の信者が詐欺をした」と、報道されるでしょう? すると、皆で慨嘆するんですよ。「本部の情報担当は何をしとるんや? ちゃんとマネージしろ!」と……。しかし、私はそれでいいんだと思います。「悪い所は出してしまえ」と……。どうせ、七十五日で皆忘れてしまう(会場笑い)と……。

  ところが、「良い所は出してもらったら困りますよ」と、そういうふうに徹底すればいいのでね。私は、ぜんぜん出していただかなければ、いただかないほど、将来思わぬ所で芽が出ると、このように信じているんですが……。ですから、最近はぜんぜん気にならないんです。


▼三宅善信
  貴重なお教えありがとうございます。「節から芽が出る」と言いますけれども、私なんか性格的に体中節だらけで、「いったい、どこに本体があるのかしら?」と思うんですけども……(会場笑い)。一向に芽が出ませんが、「そのうち芽が出る時が来る」と希望を持って続けさせていただきたいと思います。では、菅波先生、どうぞ。


▼菅波 茂
  今、井上先生が言われたことの中で、「籠こもって芽が出る」という言葉がありましたが、これは、実に奥深い言葉で、つい最近知ったんですけど、病気の「病」という漢字は、丙という字にやまいだれですよね。「丙」とは何かということを考えたんですが、今、まさに井上先生が言われたことなんです。普通、学校の成績でも、甲乙丙丁(ABCD)とありますが、丙は、甲・乙・丙・丁の丙ですよね。私たちはこれをABCと同じように解釈して、「甲は良くて丙はダメなんだ」と思っておりますが、そんなことはないそうです。

  この間、辞書を見ましたら、「籾もみが、最初は中に栄養分がたくさんあって種子もあって殻が固い」これが甲という状態なんですって。そのうちに、「中の籾の内容がどんどん熟成してくる」これが乙なんですって。それから、熟成してきて、「それが外にバッと殻を破って出る時」が丙なんですね。その後、すくすく伸びるのが丁なんです。

  だから、井上先生がおっしゃったように、中に籠ってどんどん、どんどん熟成していって、「これから出ていくぞ」という勢いが丙なんです。そこに差し障りが起きたときに、やまいだれを付けて「病」と書くんですね。だから、井上先生が言われているのは、「そこまでは隠しなさい」と……。そして、外に飛び出していく。病気もそこでじっくり力を貯めこめれば破って出れると……。丙の状況が成り立つと……。したがって、井上先生のご説は、医者に対して「病気とはこんなもんなんだよ」と教えて下さっております。「まず、籠ってしっかり中を固めなさい」と……。それが、「飛び立つ時の丙の勢いになる」と……。井上説によると、病はなくなるんじゃないかとすら思ってしまいます。


▼井上昭夫
  「籠る」という字は、たけかんむりに龍と書くんですよね。「節から芽が出る」と言いますが、私は「根節から芽が出る」と思っています。だから、筍たけのこですよ。筍はひとつの生命です。竹でも、見える世界(地上部)の節は、複数にあるんですよね。でも、本当の「節から芽が出る」というのは、根の節のことなんです。竹をご覧になったら根に節があるでしょう。そこから出てくるのがひとつの生命なんですね。それが筍なんですよ。で、その「籠る」というのは龍でしょう。龍というのは、普段はじっと「籠って」いる訳です、水の中にね。そして、なんか、世間が騒がしくなると、急に天に向かって飛び上がっていくという……。龍というのはそういう意味ですから、「籠る」ということは龍なんです。

  それから、「やまい」という漢字のお話は、非常に面白いお話だと思いますが、同様に「癒いやす」という字は、やまいだれの中に「愈(ゆ)」という字を書くでしょう? 「愈」という字は、したごころを取って、ごんべんを付ければ「諭(さとす)」という字になりますね。「諭す」というのは、「メスで魂の膿を切除する。取り出す」という意味なんですよ。だから、「メスで魂を切って、膿を取り出す」というのが「癒す」ということの本当の意味なんです。漢字の語源から言いますと……。

  だけど、切られたら痛いですよね。しかし、痛い目に遭わないと膿は出てこないんですよ。「大きく切る」というのが大切ということで、親切というのは「親を切る」と書きます。日本語では「切」という字の接合語が一番数が多いんですね。「一切れ」とか、「痛切」とか、「切切たる」とか……。あれらは全部「切る」ということですよね。だから、人間は、痛い目に遭わないとダメなんです。

 「経験」の経という字も、お経の経でして、正字の「經」という漢字は、糸偏に「一」と書いて「く」を三つ書いて、下に「エ」と書くでしょう? 天井から糸をぶら下げて縊死いっしするという意味です。「首を吊って死ぬ」ということですね。ですから、「経験」ということはいのちが懸かっている。こういう意味です。もちろん、道という漢字は「首を懸かけて走る」という意味で、これもまたいのちが懸かっている訳で、宗教に関わる漢字は、全部いのちが懸かっている意味があるんですよね。それは、「癒す」とか、「籠る」とか、「病」とか、全部連動しています。

  漢字を創られた方は本当に偉いなと思って。私は何年か前に、中国で漢字をベースにして、中国語文明を褒め称えて、「日中、一緒に仲良くやっていきましょう」と言ったことがあるんですが、そういう言葉を通して、われわれは、いろいろメッセージを受け取ることができると思いますし、それを実際に実践しておられる菅波先生は、非常に羨うらやましいと思うんですけども……。


▼三宅善信 
  両先生どうもありがとうございます。最後は漢字の勉強になりましたですね(会場笑い)。私も戻ってから『説文解字』(註=約2,000年前に中国で纂まれた漢字の大辞典)を見て、また勉強し直そう。と、今思ったわけですが……。約束のお時間になりましたので、本当にもっともっと両先生のお話をお伺いしたいと思っておりますけども、どうぞ、皆さん、本日お二人の先生方から頂戴しましたお話をしっかりと身に受けられまして、これからの皆さんの「心の糧」としていただきたいと思います。

  また、人類共栄会の発展のために倍旧のご尽力を賜わりたいと存じます。そこにパンフレットやニューズレターがお配りしてありますが、募金等のことも書いていますから、そのほうもどうぞお忘れなく(会場笑い)。また、菅波先生のところのAMDAのパンフレットも今日、お配りさしていただいておりますので、それぞれよくお読みくださいまして……。これからの人類共栄会の新しい出発とさせていただきたいと思います。

 それでは、お二人の先生にもう一度万雷の拍手をもってお送りしたいと思います。ありがとうございました。
 
                            (連載おわり 文責編集部)