3nd Quater2002

三宅理事長 南アでの開発・環境サミットに出席
皇太子殿下 ジャンボリーで泉尾健児団のサイトにご来臨
第31回IARF世界大会へ代表団を派遣
三宅理事長、世界連邦運動の副理事長に選出される

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三宅理事長 南アでの開発・環境サミットに出席

 8月26日から9月4日までの日程で、南アフリカ共和国のヨハネスブルグにおいて、国連の主催で開催された『持続可能な開発のための世界サミット(通称:開発・環境サミット)』に、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会開発・環境委員長を務める三宅光雄理事長が参加した(三宅光雄理事長自身の参加日程は、8月23〜30日)。

 今回のサミットの最大の課題は、10年前にブラジルのリオデジャネイロで開催された同様の世界サミット(それ故、今回のヨハネスブルグでのサミットは「リオ+10」とも呼ばれた)の諸決議事項の検証と、さらに具体的には、5年前に京都で開催された「気象変動防止枠組み条約第3回締約国会議(通称:COP3)」で2002年に発効が約束された『地球温暖化防止条約』の実施が決められる、大袈裟な言い方をすれば、人類および地球上に暮らすすべての生物の未来にもかかわる重要な国際会議であった。


大木浩環境大臣と懇談する三宅理事長

 三宅光雄理事長は環境問題担当として、COP3にも宗教NGO部会の副委員長として参加し、COP3で開会式の議長を務めた大木浩環境庁長官(当時)や全体会の実務議長を務めたエストラーダ氏とも交流を深め、その後、ボンやブエノスアイレスで開催されたCOP4やCOP5会議にも参加した。
 今回の世界サミットには、全世界から、各国政府代表団とNGOを合わせて4万人もの人々がヨハネスブルグを訪れ、この問題に対する関心の高さを見せつけられたが、日本政府からも、所轄の大木環境大臣だけでなく、小泉純一郎総理や川口順子外相をはじめ500名もの大型代表団が参加して、世界各国に対して日本政府の取り組みをアピールした。


ソウェトにある慰霊碑に手を合わせる三宅理事長

 三宅光雄理事長は、サミット期間中、多忙を極めている大木環境大臣と個別懇談を行い、この問題に対する宗教NGOの立場と大きな貢献の可能性について協議し、意見の一致を見た(日程の関係で、小泉首相や川口外相とは、入れ違いで南アを離れた)。また、長年、アパルトヘイトという不条理な人種隔離政策を実施してきたこの国の歴史と社会を学ぶために、「ソウェト」と呼ばれる黒人居住地区を視察し、黒人解放革命の出発点となった場所に作られた慰霊碑に参拝し、黒人初の大統領になったネルソン・マンデラ氏の記念館を訪問した。

皇太子殿下 ジャンボリーで泉尾健児団のサイトにご来臨

 8月3日〜7日の5日間の日程で、大阪北港の埋め立て地「舞州(まいしま)スポーツアイランド」において、ボーイスカウト日本連盟創設80周年記念の第13回日本ジャンボリー(同時に、第23回アジア太平洋地域ジャンボリー)が約20,000人のスカウト・リーダーを集めて開催され、人類共栄会の支援する健児団に所属するボーイスカウト大阪第8団にスカウトとリーダーたちが参加した。


舞州の会場を埋め尽くしたスカウトたち

 日本ジャンボリーは、4年に1度開催されるボーイスカウト最大の行事であり、今回は、『新しい時代(とき)の風をうけて 〜 とびだそう、人と文化の森へ 〜』の大会テーマで、初の人工島で行われた「都市型ジャンボリー」であった。


皇太子殿下からお言葉を賜る健児たち

 今年、創設75周年を迎えた泉尾健児団も、大阪では最も伝統のあるスカウト組織であるが、「地元開催」のジャンボリーに積極的に貢献し、特に、5日(月)の「ジャンボリー大集会」に訪れられた皇太子殿下が、ご視察に回られた野営地のひとつとして、大阪第8団のキャンプサイトをご高覧になられ、参加した健児たちも感激をあらたにした。

第31回IARF世界大会へ代表団を派遣

 ハンガリーのブダペストで開催された第31回IARF(国際自由宗教連盟:本部オックスフォード)世界大会に、7月27日から8月4日までの日程で、人類共栄会から三宅光雄理事長以下6名の代表団が参加した。


開会式で加盟各宗教の代表として登壇する三宅理事長

 IARFは、1900年にボストンで設立された世界最古の国際的宗教対話団体であり、国連経済社会理事会公認のNGOに認定されている機関である。その第31回目の世界大会が、東欧圏で初めて開催された。
 大会会場となったブダペスト経済科学大学は、対岸には王宮の丘を見上げるドナウ川河畔に建つハンガリー有数の大学で、社会主義時代には、その名も「カール・マルクス大学」と呼ばれた名門校である。


開会式で各宗教を代表して「祈り」を行う三宅理事長

 開会式は、28日(日)の夕方、同大学のメインホールで始まった。地元宗教界からの歓迎の挨拶とE.v.ヘルワイネン会長の開会の挨拶に続いて、IARF加盟教団の内から世界の6つの宗教の代表のひとつとして、登壇していた三宅光雄理事長が装束を身につけて「金光教の祈り」を行った。

 29日(月)には、大会期間中を通して行われる「各宗教別の祈り」のひとつとして、メインホールにて実施された「神道の祈り」で、神社神道を代表した椿大神社(山本行隆宮司)による祈り(祭主は落合哲二師)と教派神道を代表した金光教泉尾教会による祈り(祭主は三宅善信師)が行われ、特に、善信師は全文英語による祈りを行って各国からの参加者の理解を集めた。


「金光教の祈り」を英語で行う三宅善信師

 30日(火)には、今大会の目玉のひとつである、単なる「会議のための会議」ではなく、各地域ごとに行動計画に移すためのワークショップの準備段階としての6つのテーマ別のレクチャーが各会場で実施された。なかでも、『IT(情報通信技術)と宗教的自由』と題するワークショップでは、三宅善信師が講師となって、人類史を情報メディアの発展史と捉え、そのことが宗教に与えた影響について、コンピュータで制作した画像を用いて全編、英語で論じ、大いに注目を集めた。

 31日(水)は、前日の各レクチャーを受けて、6つのワークショップが開催され、各会場毎に大いに議論が盛り上がった。というのも、同じ話を聞いても、各参加者の国情や社会制度が異なれば、当然、想起する問題も異なるのであり、欧米の人々に一般的に見られる「自分たちの基準がグローバルスタンダードであるべきである」という態度が大いに批判されることとなった。また、この日の夜は、米国のUUA(ユニテリアン・ユニバーサリスト協会)会長の招待による晩餐会が行われ、人類共栄会からは、三宅光雄理事長・善信師が出席した。


「ITと宗教的自由」について講義する三宅善信師

 8月1日(木)の朝には、悲しい知らせが全参加者の間を駆けめぐった。IARFの前会長で、33年間にわたってこの運動を推進してきた山本行隆椿大神社宮司が、80歳の誕生日のこの日、日本で逝去されたとの知らせが届いたのである。急遽、神道式の追悼祭を行うということになり、椿大神社からの参加者(山本行隆恭権宮司ら)は、危篤の報に接して、既に帰国してしまっていたので、IARF日本チャプター事務局長で清洲日吉神社の三輪隆裕宮司が祭主となって、追悼祭が仕えられた。この追悼祭では、三宅善信師が典儀(司会進行役)を務め、三宅光雄理事長や酒井教雄前立正佼成会理事長らが、関係教団を代表して玉串を奉奠した。また、大会閉会日の前夜に当たるこの日の夜は、参加者全員で、船を借り切ってドナウ川での夕食会が催された。

 8月2日(金)は、大会最終日であるが、これまでの大会では、比較的簡単な通過儀礼的な色合いが強かった「会員総会(各加盟教団毎に割り当てられた投票権に基づいて議決行為を行う法的な会議)」が大いに紛糾することになった。これまで、IARFの中心的位置を占めてきた北米のユニテリアン関係の代議員たちが、現執行部の方針に対して反旗を翻したのである。それは、特に、これまの慣例を破って「再任」しようとしたヘルワイネン会長と、結果的には、宗教的自由の確保どころか、権力による宗教弾圧に手を貸すことになりかねない「VCC(実践的行動規範)」の制定を画策したA・クラーク事務総長へ向けられた。総会は多いに紛糾し、執行部提案の原案は、次回大会(2006年)までの任期4年の新国際評議員の人選と、それまでの活動計画の2案のみの採択となり、他の原案はすべて否決されるという前代未聞の展開となった。


大会参加者による集合写真

 しかしながら、1969年のボストン大会で、人類共栄会創始者である故三宅歳雄師が選出されて以来、一貫して(1990〜2002年は、三宅龍雄会長)選出されてきた国際評議員に、このたび三宅善信師が選出され、引き続き、移行期のIARFの運営に責任をもつことになった。

三宅理事長、世界連邦運動の副理事長に選出される

 三宅光雄人類共栄会理事長は、7月7日から14日までの日程でWFM(世界連邦運動)の第24回世界大会に出席するため、ロンドンを訪問した。今回の世界大会における役員選挙で、AYC(WFMアジアユースセンター)会長としての傑出した働きを評価された三宅光雄理事長は、WFMの副理事長に選出された。


ロンドンで開催されたWFM世界大会で発言する三宅理事長

 第24回世界大会の開会式の前日、WFM国際理事による理事会が開かれ、三宅光雄理事長は、AYC代表として出席した。会長のピーター・ウスチノフ卿・理事長のジェームス・クリスティー氏・執行理事長のキース・ベスト氏・専務理事のウィリアム・ペイス氏等が、前大会からの報告を始め、ICC(国際刑事裁判所)設立の経過を報告した。WFMは国連経済社会理事会の諮問を受けるNGOの代表として、多くのNGOを束ねる働きをしている。

 国際理事会の後、今回の受け入れ委員会である英国委員会の主催で、レセプションが開かれ、三宅光雄理事長は大勢の理事から挨拶を受けた。というのも、人類共栄会創始者である故三宅歳雄師(三宅理事長の祖父)は、故湯川秀樹博士らと共に50年以上も前からWFM運動に関わってきたが、その間、一貫して変わることにない人類共栄会からWFMへの支援ぶりが、他の国際理事たちから驚異と尊敬の念を抱かれていたからである。

 さらにその後、場所を変えて、WAC(世界連邦アジアセンター)やAYCの代表メンバー等による会食会が開かれた。というのも、WFM世界大会期間中ではあるが、日本でのスケジュールのため、ロンドンでの世界大会の途中で帰国しなければならない三宅光雄理事長のために、わざわざ十数名のアジアからの代表が集まってくださった。そして、この度、多くのアジア選出の国際理事の推挙で、三宅光雄理事長が国際副理事長に立候補をすることの再確認がその場でなされた。さらには、来年2月にAYCの第7回総会をインドのカルカッタで開催することの再確認も、その場でなされた。

 7月12日、WFM第24回世界大会の開会式が、ロンドン市内中心部のハイドパークの少し南側に位置するインペリアルカレッジで開催された。前回のインドでは、マドラスのホテルを借り切っての大会出会ったが、今回は夏休み中の大学を使っての大会となった。形式的な開会式の後、ICC(註:国際刑事裁判所=WFM専務理事のウィリアム・ペイス氏が中心となり、常設の国際的な刑事裁判所を創設するため、千を越すNGOを束ねて、CICCを結成し、ウィリアム・ペイス氏が理事長となって、民間サイドからこの条約の実現に功績を残した。オランダのハーグに置かれるこの国際刑事裁判所の常設化は、国連の創設にも匹敵するほどの大事業と賛美を受けている。この条約は、予定より3カ月早く、所定の60カ国の批准に達し、この7月1日をもって、恒久的な国際刑事裁判所として効力を発揮する。現在のハーグに設置されいる刑事裁判は、国連安保理の管轄下での暫定的な刑事法廷であるが、今回の国際刑事裁判所は恒久的な常設裁判所で、安保理の影響を受けないまったく独立した国際刑事裁判所である)の件を中心に議事が進行した。このことからも、約200名のWFM世界大会参加者のこのICCにかける意気込みが見て取れた。

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