人類共栄会
1st Quater 2004 |
・IARF国際評議会に三宅善信師が出席
・三宅理事長 WCRP研究集会の司会を務める
・「愛・地球博」出展委員会開催
・WCRP日本委員会青年部会年次総会開催
・中曽根元総理を表敬
・会長夫人「青少年を守る母の会」40周年式典で祝辞
・理事長がインドでAYC20周年大会を開催
・在阪7カ国の総領事が相次いで来訪
・大阪国際宗教同志会平成16年度総会開催
・理事長WCRP開発環境委員長としてカンボジアへ
・額賀福志郎自民党政調会長が再来訪
・関はじめ虎ノ門戦略研究所理事長来訪
・理事長ら台湾の原住民と交流
・第129JLC会議へ出席
・レスキュー協会事務局長が謝意
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3月26日から28日まで、英国オックスフォード市のハリス・マンチェスター大学において、2004年度のIARF(国際自由宗教連盟)国際評議員会が開催され、IARFの現状分析ならびに将来像の検討を行い、激しい議論が応酬されたが、今回の評議員会の最大の課題であった「次期世界大会開催候補地」の決定は先送りされた。
26日からの国際評議員会に先立ち、24・25の両日、規約検討委員会・世界大会評価委員会・将来検討委員会・次期評議員指名委員会・新事務総長候補調査委員会・編集委員会等の各種専門委員会が開催され、IARFの意志決定機関である国際評議委員会に向けて最終的な調整を行ったが、既に、評議員会の「前哨戦」として、激しい意見の応酬となった。
様々な懸案についての議論の末、2年前から2006年夏に開催されることが決定されていた第33回IARF世界大会の開催地の選定を巡って、インド案(主に、欧州と南アジア選出の評議員が支持)と台湾案(主に、日本と米国選出の評議員が支持)が鋭く対立している最中の3月27日、東京から緊急の連絡が入り、「元来2005年に韓国で開催が予定されていた第8回WCRP世界大会が、韓国側の事情で返上されることになったが、その開催地として、2006年の6月に日本で開催されることになった」という知らせが入った。 3月27日(土)、カトリック聖イグナチオ教会(東京都千代田区)において、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会主催・環境省後援の「第30回平和のための宗教者研究集会」が440名を集めて開催され、WCRP日本委員会開発・環境委員長を務める三宅光雄理事長が司会を務めた。
まず、環境ジャーナリストの幸田シャーミン氏が、綜合テーマの『平和をめざす人類と大自然――森・水そして生命――』にちなんだ基調講演を行い、続いて開催されたパネルディスカッションでは、WCRP平和研究所員の薗田稔秩父神社宮司(京都大学名誉教授)の進行で、自然環境学者の熊谷洋一東京大学大学院教授、沙流川ダムの建設に反対したアイヌ人の山道アシリ・レラ北海道沙流川を守る会会長、幸田シャーミンの各氏らが議論を交えた。
3月16日(火)、人類共栄会本部において、来年、愛知県で開催される『EXPO2005愛・地球博』のIARF/WCRP万博出展委員会が(委員長:西田多戈止一燈園当番)開催され、同事務局長の三輪隆裕日吉神社宮司をはじめ、WCRP日本委員会事務総局を代表して、畠山友利同事務局次長や松原通雄立正佼成会外務部長ら、万博に出展を予定している教団関係者が参加した。本会からは、同委員会副委員長の三宅光雄理事長と同副実行委員長の三宅善信師が出席した。
3月14日(日)、人類共栄会本部において、WCRP日本委員会青年部会(幹事長:三宅道人金光教常盤台教会副教会長)の年次総会が開催され、WCRP日本委員会常務理事を務める三宅龍雄会長が、歓迎の挨拶を行った。 翌15日の朝、参加者たちは、大相撲春場所のために折から泉尾教会で宿泊している佐渡ヶ嶽部屋の朝稽古を見学し、ちゃんこ鍋を楽しんだ。
3月11日(木)、人類共栄会の三宅善信師は、砂防会館(東京都千代田区)に、中曽根康弘元総理大臣を表敬訪問した。中曽根元首相と人類共栄会との関係は、1994年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のご臨席を仰いで、バチカンで開会式が催された第6回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会の際に、本会創始者故三宅歳雄(当時WCRP国際委員長兼財務委員長)が「平和の祈り」を行い、引き続き、北イタリアの都市リバ・デ・ガルダで開催された同世界大会の際に、中曽根氏が基調講演を行って以来の交流がある。
善信師は、来月(4月24日)創立百周年を迎える「一燈園」当番の西田多戈止師に中曽根氏を紹介するために、砂防会館の中曽根事務所を訪問したものである。一燈園の創設者故西田天香師と故三宅歳雄師との交友関係は古く、その天香師の日記である『天下香洞録』がこの度、刊行されるに際して、その序文を中曽根氏に依頼するためのものであり、若い頃、独自の世界観を展開された西田天香師の活動に感銘を受けられた中曽根氏も、序文の執筆を快諾された。 3月9日(火)、プリムローズ大阪(大阪市中央区)で開催された「大阪青少年を守る母の会結成40周年記念大会」において、同会を構成する各団体を代表して、大阪府宗教婦人連盟理事長を務める三宅壽賀子人類共栄会会長夫人が挨拶を行った。
同会は、戦後の復興が一段落し、高度経済成長が始まった昭和38年、大阪府宗教婦人連盟をはじめとする大阪府下の12の婦人団体によって結成され、「母親の立場から青少年の非行を防止する活動」に取り組んできた。
結成当時、大阪府警少年課長として担当した四方修元府警本部長が、感慨を込めて挨拶し、四十年間、一貫してこの運動を支えてきた大阪府宗教婦人連盟等に感謝の意を表明した。 3月4日から13日の日程で、三宅光雄人類共栄会理事長は、インド南部の大都市チェンナイで開催されたAYC(世界連邦運動アジア青年センター)創立20周年記念大会を主催するため、総勢13名の青年らを率いてインド各地を訪れた。 数派に分かれての出発であったが、本隊はシンガポールを経由して4日夜、インドのチェンナイ(旧名マドラス)に到着。翌5日には、AYCチェンナイ支部のプロジェクトのひとつであるストリートチルドレンのシェルター(註:路上生活の子供たちに宿泊と食事を与え、今後の立ち行きを援助する)のひとつを視察する。午後からは、三々五々到着する各国支部の代表者たちとの会合を断続的に行い、夕方には、各国支部の代表を招待しての晩餐会を持った。
6日午前8:30から、最初のプログラムである「ピースマーチ(平和行進)」のスタート地点に集合した。参加者総数620名が、約2,5kmの道矩をバナー(横断幕)を掲げて行進した。この平和パレードには、チェンナイ市警察署長も参加し、地元テレビ局からの取材陣も多数参加し、想像以上の平和行進となった。今から、ちょうど20年前、この地で、当時82歳の高齢であった本会創始者三宅歳雄師が同じ道矩を行進し、そのことが今日のAYC活動の出発点となったが、参加者一同、その尊い遺志を追体験することができた。
平和行進後、ホテルに戻って記者会見を行い、その様子は翌日の新聞各紙にも大きく取り上げられた。また、この日の夜はチャリティーの音楽会を主催し、500名を越す人々が集い、その全ての売上金は翌日、恵まれない子供たちの活動をされている3つの組織に贈呈された。
3月7日、いよいよAYC20周年記念大会がタミール州中央公会堂にて開会された。各国代表のAYCメンバーを中心に200余名が集ったが、残念なことに、予定されていたインド大統領の歓迎演説は、この直前に決まった総選挙に関する政治日程のため、首都デリーを離れることができず、代理によるいメッセージのみのご挨拶となった。今回大会のテーマ『人間の安全保障と平和と正義』に関係した各来賓から挨拶があった後、午後1:00の閉会直前、壇上の三宅光雄AYC会長に花束が贈られた。この日は三宅光雄師の満48歳の誕生日であることを全役員が覚えていて、その場は誕生を祝う場となった。
午後からは現地の一般の方も加わり、教育開発セミナーが開かれ、夜には『いこいの夕べ』というコンサートが開催された。若い人たちが喜ぶ姿には新しい流れを感じた。そしてまた、このコンサートの最後に、三宅会長の誕生日を祝ってバースデイケーキが贈られ、青年メンバーとして参加していた三宅会長の長女(恵さん)と次女(薫さん)の手によって、英国式(?)にケーキを口に入れるセレモニーが行われ大いに盛り上がった。
8日、昨年2月にコルカタ(旧カルカッタ)での役員会で新しく選出された執行理事(EC)による初めてのEC会議が午前十時より開催された。長年、指導的役割を果たした旧ECメンバーをすべて新メンバーと入れ替え、三宅会長と、それを補佐する事務総長のスクマール・ディビット(ハイデラバード)以外の9名はすべて新しい顔ぶれでの新出発となった。EC会議では、各国各支部からの1年間の報告が行われ、将来の展望と予算の報告などの後、新メンバー9名の今後の役割分掌が決められた。20年前に結成されたAYCは、現在では、有償会員2,000名を越す世界連邦運動(WFM)の中でも最も大きなそして最も活動的な組織となり、国連経済社会理事会からも大きな期待を寄せられる組織となった。
この日の午後8:00、チェンナイを発ち、次の目的地であるハイデラバードに向う。空港には、インド泉光園の責任者で、20年前に人類共栄会で半年間修行をした、ジョン・エベネッツア師が一行を迎えた。翌9日、午前7:00に、専用の小型バスでホテルを発って片道5時間(400km)のバスでの移動で、昼過ぎに、『インド泉光園』が経営するムッチェラ村幼稚園・小学校に着く。ムッチェラ村はインドでも最も貧しい生活を送っている村のひとつである。この学校は開校して5年になるが、その前身である19年前に始まったインド泉光園の教育プログラムを足すと延べ5,000人の子供たちが教育を受けたことになる。当初は、生きるための人助けに初まり、現在では、医療・教育等でインド泉光園の働きは拡大拡充している。
現在、幼・小に170名の子供が在籍しているが、今年と来年に相次いで開校する『イズオ小学校(インド泉光園より5kmの距離)』と『ミヤケ小学校(同7km)』を視察して、帰路に着いた。その2つの学校が完成すれば、合わせて、近隣25の村々より子供たちが就学の機会を得ることができるようになる。町から往復800kmの遠距離を移動して、夜に宿泊地であるハイデラバードへ戻った。 3月3日、5日、11日の3回に分けて、米・英・中・独・タイ・インドネシア・フィリピン7カ国の在阪総領事らが相次いで人類共栄会本部に来訪し、親善交流や国際問題等について意見の交換を行った。
人類共栄会と在阪各国総領事との意見交換プログラムは、毎年この時期に行われている恒例行事である。今年は、本会からは三宅龍雄会長と三宅善信師が出席して、国際情勢の分析や、日本の政局などについて、総領事たちと意見の交換を行った。
また、各国総領事たちは、折から大相撲春場所のために滞在している佐渡ヶ嶽部屋の力士たちの稽古を見学し、ちゃんこ鍋を一緒に食するなど文化交流も行った。 AMDA理事長が総会で「殺人テロの本質」を大胆に分析
会場を変えて開催された総会では、理事の村山廣甫曹洞宗大阪教区所長が議長に選任され、先ほど、理事会によって承認された諸議題が悉く承認された。また、去る2月17日から19日にかけて台湾の高雄市で実施された「台湾原住民族視察旅行」の内容が、参加した会員によって報告された。
続いて、アフガニスタンやイラクの戦地で、敵味方の分け隔てなく医療活動を行い、また、世界各地で発生する大地震や台風などの自然災害においても、早急に救援チームを派遣するなど、わが国を代表するNGOとして国際的にも高い評価を受けているAMDA(アジア医師連絡協議会)理事長の菅波茂博士を招き、『日本人は何をなすべきか?』と題する記念講演が行われた。
同講演で、菅波氏は、「9.11」米国中枢同時テロ事件を題材に採り上げて、「テロ」事件の首謀者が発するメッセージの謎を解き明かし、日本人には馴染みの薄い「啓典の民(ユダヤ・キリスト・イスラム教徒)」に対して、日本(政府・国民)の意図をどうすれば伝えることができるかについて、示唆に富んだ分析と大胆な提言を行った。 2月23日より27日まで、三宅光雄人類共栄会理事長は、鳥インフルエンザの人への感染が懸念される中、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会の開発環境委員長として、同視察団10名を率いてタイ・カンボジア両国を訪問し、WCRPが長年カンボジアにおいて実施してきた支援プログラムの視察を行った。
24日は、午前中にはプノンペンにあるWCRPカンボジア委員会、SVA(シャンティボランティア会)、仏教研究所の各所を訪問し、それぞれの活動について説明を受けた。午後からは、WCRP日本委員会が長年支援しているスベット・ソン氏の「平和の子供の家T」を視察した。
スベット・ソン氏は、ポル・ポト派による大虐殺と長年にわたる内戦の真っ只中、本会創始者故三宅歳雄師へ支援を求めて1980年に本会を訪れたことのあるソン・サン元首相の子息で、同子供の家の敷地内にあるソン・サン氏の墓所に参拝した。同所では、WCRPが支援したソーラー発電ポンプによる給水設備のオープニングセレモニーが行われ、三宅光雄理事長がスイッチを入れると勢いよく水が汲み上げられ、同所の150名の子供たちから感謝された。
25日には、首都プノンペンから300kmも離れたバッタンバンにある「平和の子供の家U」を訪れ、潅漑用水路の工事現場や農地開発等の現場を視察した。長年にわたる内戦で荒廃した国土も、日本をはじめとする諸外国に支援で、かなり復興したが、それでも、往復600kmの陸路移動は大変で、この日の予定はすべてこの視察に宛てられた。 26日早朝、プノンペンを発ち、タイの首都バンコク移動。プラティープ財団を訪問し、交流会を行ない、翌朝帰国の途へ着いた。 2月23日(月)、与党の政策責任者である額賀福志郎自由民主党政務調査会長が、1月25日に続いて再び人類共栄会を訪れ、三宅龍雄会長らと内外の情勢について意見の交換を行った。
1月の布教77年記念祭の日に参拝した額賀代議士は、その際に行われた三宅会長との対談に非常に感銘を受け、激務の合間を縫って、この日、再び泉尾教会を訪れ、三宅龍雄会長と問題山積の国政運営について相談した。 2月23日(月)、虎ノ門戦略研究所の関はじめ理事長が人類共栄会本部を訪れ、三宅龍雄会長らと内外の情勢について意見の交換を行った。防衛庁キャリア官僚出身の関はじめ氏は、海外公館駐在の経験や、内閣安全保障室のスタッフを務めた経験を持つ、わが国では数少ないグローバルな視野での安全保障問題の専門家で、現在、安全保障問題を研究するシンクタンク「虎ノ門戦略研究所」を主宰している。関氏は、イラクで展開する自衛隊の問題や北朝鮮による脅威等について、具体的な実例を挙げて、三宅龍雄会長に日本の現状を説明した。
三宅光雄理事長と三宅善信師は、大阪国際宗教同志会(会長:大森慈祥辯天宗管長)の台湾視察団のメンバーとして、2月17日から19日まで、中華民国(台湾)南部の都市高雄を訪問し、原住民各部族と交流を図ると共に、佛光山総本部を訪問した。 大阪国際宗教同志会の台湾原住民視察団一行10名は、2月17日夜、台北中正空港経由で、台湾南部の大都市高雄に降り立った。関空を発ってから関空に戻って来るまで、わずか45時間の強行日程であった。
翌18日は、朝8時に宿泊先のホテル国賓大飯店を出発。貸切バスで高速道路を1時間半かけて移動し、高雄市東部の屏東県の山岳地帯にある「原住民族文化園区」(註=日本では、一般に「先住民」と呼ばれているその土地にネイティブな少数民族のことを、中国語では「先住民」とは「昔に滅んでしまった民族」という意味があるので、「原住民」と呼称されており、本誌においても、その慣例に従うことにする)を視察した。 一見、テーマパークのような「原住民族文化園区」では、それぞれ、アフリカ沖のマダガスカル島から、南太平洋のニュージーランド、南米沖のイースター島に至る広大な海域の各原住民族と人類学的な繋がりを持つと言われる台湾原住民各部族(註:泰雅族・阿美族など十数部族が現存する)のかつての生活風習等の展示館で、彼らの伝統生活を学ぶと共に、イベントホールで各部族の舞踊を見学した。
続いて、高雄市への帰路にある台湾最大の禅宗系新宗教教団「佛光山」の総本部を訪れ、釋心定管に面会し、大阪国際宗教同志会の事務局長を務める三宅光雄理事長から、国宗の歴史と活動について紹介すると共に、諸般の問題について意見の交換を行った。佛光山は、星雲大師によって始められた宗教運動であり、創設されてまだ三十数年しか経たない歴史の浅い教団であるが、総本山の佛光山は30万坪(100万u)の広大な境内地に、1,300人もの出家僧尼が共同生活を営む、大変活気に満ちた「地上の楽園」の建設を目指している。
さらに、高雄市内にある原住民事務委員会を訪れ、ササラ・タイバン主任委員をはじめとする同委員会のスタッフから、中華民国政府の原住民政策についての説明を受けた。台湾では、現在、現職の陳水扁総統と、政権奪回を目指す国民党の連戦主席との間で、激しい総統選挙が繰り広げられているが、その最大の争点である「大陸(中華人民共和国)」との関係についても、中台を一衣帯水の関係と見る国民党と台湾独立を掲げる民進党との基本姿勢の違いの根拠、すなわち、賛成にしろ反対にしろ、漢人中心史観による「一衣帯水」との主張を根底から覆す台湾「原住民」の存在は、これからますます大きな問題となるであろう。同委員会での会談の後に、同委員会のビルに付属する原住民のための職業訓練センターや職安を訪れ、原住民との交流を行った。 2月9日(月)、今年度のJLC当番事務局を引き受ける椿大神社(三重県鈴鹿市)において、第129回JLC会議(IARF日本連絡協議会)が開催され、人類共栄会からは、三宅光雄理事長とIARF国際評議員である三宅善信師が出席した。
会議では、この度、「IARF/WCRP『愛・地球博』出展委員会」からの経過報告や、オックスフォードにあるIARF(国際自由宗教連盟)国際事務局から要請を受けている国際委員会に属する各専門委員会への日本人委員の指名や、今夏に予定されている日米青年交流行事の日程・予算等を審議した。
会議終了後、恒例の当番教団への正式参拝を拝殿で行い、引き続き、前IARF会長で2002年8月に逝去した故山本行隆先代椿大神社宮司が祀られている行満堂へ参拝し、人類共栄会からの献花が行われた。 1月15日(水)、昨年末にイラン南東部を襲った大地震は、死者・不明者数で4万人を超える大被害をこの地域にもたらせた。
人類共栄会では、いち早く現地へ駆けつけた救助NGOのひとつである日本レスキュー協会を支援するため、昨年12月29日に、同協会本部を訪れ義援金を手渡したが、この日、同協会の河合伸朗事務局長が本会本部を訪れ、泉尾教会のいち早い支援への感謝とイランでの救援活動状況の報告を三宅善信師に行ったものである。 |