日韓宗教人協議会 創立30周年記念総会 第l分科 発表文 

宗教生態主義時代を生きていく宗教人の自己実現
大韓イェス長連合総会長  金 光明                           

1、宗教生態主義と宗教人

 宗教に対する21世紀的展望は過去の世紀のものとは違うパラダイムとして我々に近づきつつある。宗教の一次的目的は人間の自己実現、または自我完成にあるといえる
が、自己実現に対するパラダイムは時代と世紀によって変化してきた。

 21世紀が宗教生態主義時代であるという展望はそのように変化したパラダイムをいうのであり、宗教生態主義が生命の尊厳と共存による生命全体の保護と平和を基礎として宗教間の対話と一致を主張する理念であるならば、21世紀こそ宗教生態主義時代であるということは明らかである。

 ここで、我々は宗教生態主義時代を生きていく宗教人の自己実現、即ち、宗教生態主義時代に実現されなければならない宗教人としての生がどのようなものでなければならないかを考えてみることにしよう。


2、宗教生態主義時代を生きていく宗教人の自己実現

 過去の20世紀までの宗教人の自己実現は次のような束縛の中にあった。第一に、宗教人の自己実現は「中心主義」の枠を越えることができなかったといえる。つまり宗教人の自己実現の成就は個人利己主義を超えることができなかったのである。

  宗教人の個人中心的自己実現とは、愛や慈悲や謙徳(謙譲の美徳)等の宗教的自己実現の理想を忘れたまま利己的なものになってしまったということだ。また、宗教人の個人中心的自己実現は非人格的なものであったので他人を蔑視し軽視するという暴力を行使したりもした。

 さらに、宗教人の自己実現が個人中心主義を超えることができなかったことによって、宗教人の自己実現を成した生も個人中心的な利己主義に還元されていた。真正なる自己実現を成した宗教人は、自身の生において自らを利己主義の貪欲さから引きずり出し、偽りなき犠牲と奉仕を行う宗教人となるように努力し、また、他人の為に生きる真なる愛の宗教人にならなければならないにも関わらず、そうすることができなかったのである。

 第二に、過去の宗教人の自己実現は、宗教の究極的な目的といえる宗教共同体の理想、及び宗教間の対話と一致に奉仕しなければならないにも関わらず、宗教間の相互関係をおろそかに扱ってきた。つまり宗教人の自己実現と自己実現の究極的目的の間の相関関係を無視し、別個のものとして扱ってきたのである。宗教人の自己実現とその目的は決して分けることができない関係であるにも関わらず、そのような過ちを犯してきたのであった。この結果、自己実現を成そうとする宗教人をして、自己実現を通して成そうとする究極的目的を忘却させるという過ちを犯させるようになった。

 宗教人の自己実現とその目的は別個のものではない。自己実現なき宗教人が、自己実現の目的を実現できないということは火を見るよりも明らかだ。また宗教人の自己実現を通して成そうとする究極的目的に忠実でない宗教人が、自己実現を成したとしても、それは決して望ましいこととはいえない。何故ならばそのような宗教人の自己実現は観念的なものでしかないために無意味であるのみならず、虚偽にも陥りやすいからだ。

 それでは、21世紀を迎え、そして宗教生態主義時代を生きていかなければならない宗教人はどのように自己実現を成さねばならないのであろうか。

 まず、宗教生態主義時代を生きていく宗教人として成さなければならない自己実現は、宗教生態主義がそうであるように生命に対する尊厳性を自己実現の最高価値としなければならないであろう。そのような自己実現のためにまず自身が生命であることを悟らなければならない。これを「知己」の自己実現であるということができる。

 宗教生態主義時代の「知己」とは全ての生命の尊厳性と共存性を根拠として真なる自己を発見することだ。真なる自己の発見とは自身が今までどれほど他の生命を軽視してきたかを悟ることであり、さらに、生命の根源に対して無関心であることによって生命の価値を相対化してきたことを悟ることである。

 したがって、真なる自己を悟った宗教人は自身の宗教のみならず、他の宗教もまた生命の尊厳と共存の価値を土台にしているという事実をはっきりと知らなければならない。それ故、全ての宗教と宗教人は共に尊重されなければならず、また共存しなければならないという点にも同意しなければならない。


 次に、宗教生態主義時代を生きていく宗教人の自己実現は、生命の尊厳性と共存性を実現しなければならない生態主義と同じく、自身の宗教は勿論、他の宗教や宗教人とも調和を成すことによって協力と一致を実現しなければならない。

 そのために、宗教生態主義を生きていく宗教人は、利己的自我に打ち勝つだけではなく、たゆみない鍛錬を通して宗教間の対話と一致を模索することをためらってはならないであろう。これをして「克己」あるいは「修己」の自己実現ということができる。

 最後に、宗教生態主義時代を生きていく宗教人の自己実現とは、生命を生命らしくする真なる愛の宗教人となることだ。生命の価値における尊厳性は同時に利他性を意味し、またその共存性は相互依存性を意味するともいえる。

 したがって、真なる愛の自己実現とは他の為に存在する生を実現することであり、またそのような生を完成することでもある。このような生の自己実現こそ宗教生態主義時代を生きていく宗教人の真なる姿である。これを「成己」の自己実現ということができる。

 21世紀、そして宗教生態主義時代を生きていく宗教人達が、「知己」と「克己」を実現し、究極的には「成己」という利他的自己実現を成し遂げることができるように願わずにはいられない。
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