1、21世紀と宗教生態主義時代
21世紀を迎え、人類の持続可能な生存は世界平和から始まるのであり、世界平和は世界人の平和倫理から始まり、さらに、世界人の平和倫理は宗教の平和と宗教人の平和倫理によって可能になるという普遍的要請が人類の前に横たわっている。
そして我々が直面している21世紀の世界における普遍倫理と、宗教人の普遍倫理の新しい枠を形成する理念的基礎としての宗教生態主義は、どのような合理的相関関係を持っているのか考えてみなければならないという課題が存在している。
一言でいえば宗教生態主義が持つ合理性は、生命の尊厳性と共存性を主張する生態主義の合理性をその根拠とするもので、21世紀の普遍倫理的な地平(horizon)は勿論、宗教間の共生と共栄の為の対話と一致においてもそのような合理性が要請されている。
そのような宗教生態主義の合理性を土台として、21世紀は勿論、未来の宗教生態主義時代を生きていく宗教人はどのような倫理的態度を持つべきであろうか。宗教生態主義時代が現存の宗教の生態学的自存と共存を意味するならば、宗教生態主義時代を生きていく宗教人の倫理も宗教生態主義的展望と形成が要請されるということは明らかだといえる。
したがって、我々はここで宗教生態主義時代を生きていく宗教人の倫理について考えてみることにする。
2、宗教生態主義時代を生きていく宗教人の倫理
まず、宗教生態主義時代を生きていく宗教人が決して見過ごしてはならないコンテクスト(context=脈絡)は、宗教社会でもそのパラダイムが変化するであろうという点だ。つまり過去20世紀までの宗教的生を導いてきたバラダイムが人間中心であったなら、宗教生態主義時代の宗教的コンテクストは脱人間中心であるといえる。
この脱人間中心とは、いわゆる20世紀の中心主義が解体されたことをいい、そのようなパラダイムが21世紀のコンテクストだということだ。しがって、21世紀のバラダイムとは神、人間、自然が各自の中心主義的位置を超えて相互和解と調和をなす共生的な関係のパラダイムをいう。
また、これは生命によって連結される宗教生態主義時代のコンテクストを謙虚に受け入れている。創造主という唯一無この神的権威を乱用してきた創造信仰の宗教人達や、人間の傲慢を煽り自然を利用価値としてのみ見てきた宗教人達もまた、自らの生存の為にも脱人間中心の位置に立たざるを得ないことをいう。
次の世界の宗教的コンテクストを考察してみるならば、一言で言って宗教的多元化社会だ。(世界文化の形成にある程度の自負を持っている)世界宗教は勿論、自生的民族宗教や新宗教に至るまで多元化した宗教社会を形成しているのが世界の宗教的現実だ。
したがって、宗教生態主義時代において宗教人は否応なく宗教的多元化社会の文化の中で生きるほかはなく、多元化された宗教社会の問題、即ち、宗教的摩擦に依る葛藤のみならず、日常的な宗教的接触という多元化された宗教文化の現実の中で宗教人は生きていかなければならない。
最後に、宗教生態主義時代の宗教的コンテクストは宗教人達が願おうが願うまいに関わらず、世界化(globalization)された空間(space)の影響を受けるようになるという現実だ。のみならずサイバースペース(cyber space=仮想空間)にまで拡張された生と共に宗教生活をしなければならないことも現実だ。
そのような時代において宗教人は変化するパラダイムに合わせて新しさを追求しなければならず、また、その新しさがもたらす新しい倫理意識を併せ持ちながら生きていかなければならないだろう。世界化された空間では独り善がりの排他的倫理意識は許されない。情報の共有という状況の中で対話と和解を倫理意識の中心に置かざるを得ない。これは宗教人に対する責任のみならず世の中に対する責任を強調する倫理意識が宗教的コンテクストであることを意味する。
それでは宗教生態主義時代を生きていく宗教人の倫理的態度とはどのようなものか。生態主義的宗教生活、即ち自身はもちろん他者の「為に生きる」宗教生活を実践しながら生きていく宗教人の倫理を以下のとおり要約することができる。
一番目は、宗教生態主義によって生きていく宗教人は人間関係において個人的自由は勿論、社会的正義をも実現しなければならないということだ。
宗教の究極的関心が人類を苦痛と桎梏から救い出すことにあるならば、この地に存在する貧しい者や権力から疎外された者に連帯することは宗教人本来の使命でもある。したがって、社会正義を保つ為の努力を行わなければならない。
そればかりではなく、宗教生態主義によって生きていく宗教人は自身の宗教に依る他宗教や他宗教人に対する疎外も徹底的に宗教的正義に立脚し打破しなければならない。これは宗教人の自由と正義が宗教の中でも正しく実現されなければならないからだ。
二番目は、宗教生態主義によって生きていく宗教人は家庭と社会での女性差別や女性に対する抑圧を男女平等と女性解放に転換しなければならない。
男女間にはどのような差別も存在してはならず、また同等な協力関係が成立されなければならない。我々は性的にどのような不道徳な行為も犯してはならない。どのような形態の支配や虐待も許されてはならない。
特に、宗教内での公然とした女性差別と(男性による)支配を断固として拒否し、宗教共同体の制度と法体系を変化させなければならない。宗教共同体内での政治が男性中心に行われては決してならないであろう。
三番目は、宗教生態主義によって生きていく宗教人は各文化の多元性と多様性を認め、尊重しなければならない。したって、他の文化を蔑視したり破壊することは許されない。
我々は非暴力の文化、尊厳と正義の文化、平和の文化を遵守する。相違点があるといってお互いに暴力を使ってはならず、また他人を抑圧したり傷つけてはならない。
四番目は、宗教生態主義によって生きていく宗教人は世界各地で起こっている紛争を終息させるために全ての力を注がねばならない。
特に、宗教人は新冷戦にまで発展しかねない宗教的紛争と葛藤を解消し無効化するまで宗教人と宗教共同体の力を注がねばならない。そのような紛争と葛藤を支持する宗教的イデオロギーもまた排斥されなければならない。
五番目は、宗教生態主義によって生きていく宗教人は人間の利己的で無分別な環境破壊を中止させ、環境の復元の為に全ての力を集中させなければならない。
そればかりではなく、自身の宗教を生態学的宗教、即ち生命の宗教として培う為の積極的な努力を行わなければならない。生命の倫理の元に全ての宗教と宗教人は、宗教間の積極的な和解を模索しなければならない。
六番目は、宗教生態主義によって生きていく宗教人は国家と世界との関係において徹底的な批判と緊張を通してたゆみなく寛容的態度を示し続けなければならない。
政治と宗教の一致と分離の問題を超越し相互牽制と協力を果たすことによって、宗教と国家そして世界は共生と共栄の道を歩むことができると確信し、宗派的利己主義を超える生態学的平和を進展させなければならない。
<参考文献>
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朴 チュング1999 「21世紀文明と基督教倫理」 ソウル:大韓基督教書会
李 ジュンモ 2000「生態的人間」 ソウル:ダサングルバン、2000、"宗教の多元性と宗教生態学:宗教生態学をどのように受け入れるべきか"韓国宗教協議会 宗教学術セミナー発表論文(未刊行資料)
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仁川:ネイルル ヨヌン チェクKnitter, Paul
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of a New World Ethic. NewYork:Continuum(「世界倫理構想」 アン・ミョンオク訳 ウェグァン:ブンド出版社 1992)、1999"新しい世界秩序の為の普遍倫理"「ユネスコフォーラム」9(秋):10-26
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