三宅善信代表が出演した
明治神宮での『神道時事シンポ』大盛況
6月21日更新
6月14日(土)、明治神宮の社務所(東京都渋谷区)において開催された「神道時事問題研究会」主催(東京都神社庁協賛)のシンポジウム『宗教間対話、神社界からの呼びかけ』に、レルネットの三宅善信代表がパネリストのひとりとして出演し、大いに議論が盛り上がった。
「神道時事問題研究会」とは、医師の資格を持つ神職の片山文彦新宿花園神社宮司と、公認会計士の資格を持つ神職の山本雅道高円寺氷川神社宮司という2人の「異色の神主」によって始められた研究会であり、一流の講師陣を招き、創設以来35年間欠かすことなく続けられ、今回で第435回を数える伝統のある研究会である。
明治神宮で開催されたシンポには
大勢の参加者が訪れた
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今年度は『宗教協力』を共通テーマとして実施されているが、通常の研究会(主として、花園神社で開催)では、1人の講師による講演と質疑のところ、年に1度のシンポジウム形式として開催された。今回は、約百名の参加者を集めて、明治神宮で開催された。
田中安比呂明治神宮権宮司の挨拶では、同神宮のご祭神である明治天皇の御製や、天皇と会見した元アメリカ合衆国大統領のグラント将軍との交流のエピソードを例に挙げ、明治天皇がいかに諸文化の理解に熱心であったかを説いた。この挨拶に続き、シンポジウムは、片山師の軽妙洒脱な進行で始まった。
まず、トップバッターとして、明治神宮の間島誉史秀教学センター長が、昨年のブッシュ米国大統領の来日時にも見られたように、国際都市東京の真ん中にあり、外国人の参詣者も多い「国際諸文化交流」の場としての明治神宮の機能を紹介し、また、1981年に明治神宮を会場に、神社界が中心となって開催した「世界宗教者倫理会議」の事跡と併せて、神社神道の持つ日本の伝統文化の表現者としての機能を強調した。
ユダヤ教徒の衣装を身に纏い、
パフォーマンスするシモン中村師
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次ぎに、18歳で単身イスラエルに渡り、10年間現地でユダヤ人と共に生活した経験を持つシモン中村奥羽大学講師が、日本人にはほとんど馴染みのない「生活宗教」であるユダヤ教徒の暮らしぶりを紹介し、イスラエル滞在中に経験した第三次中東戦争(註:1967年に、イスラエルとエジプトの間で勃発したいわゆる「6日間戦争」)や、日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件(註:パレスチナゲリラと連帯するために、岡本公三がイスラエルの空港で自動小銃を乱射し、百名に及ぶ死傷者を出した無差別テロ事件)などの事例を上げ、国家と宗教の関係について、示唆に富んだ発言を行った。
続いて、諸宗教間対話については、質量共に余人の追従を許さない圧倒的な経験(百回に及ぶ海外での宗教会議への出席と四半世紀に及ぶ宗教対話の方法論についての研究)を持つ三宅善信レルネット代表が、「諸宗教間対話は不可能である」という、シンポジウムの主旨をある意味で否定するようなショッキングな主張を展開した。三宅代表は、「日本の大教団の指導者に見られがちな、ローマ教皇などの著名宗教指導者と握手して記念撮影しただけで『対話ができた』などと言うのは論外にしても、たとえ、両者の間でそれなりの『話し合い』が行われたとしても、基本的な価値観を共有しない者同士が『理解し合えた』と思っているのは、単なる『勘違い』に過ぎない」ことを、誰にでも分かり易い実例を挙げて論証し、真の対話を可能にするためには、「グローバル経済の世界における『変換装置としてのマネー』のごとき『共通言語』のシステムを構築する以外には解決方法がない」として、新しい方法論を提起した。
三宅善信代表のラディカルな
主張で大いに盛り上がった
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最後に、名古屋商科大学講師の三輪隆裕日吉神社宮司が、三宅代表の発言を捕捉して、「日本の宗教界でよく言われる『登り口(諸宗教の形態)は違っても、目指す頂上(諸宗教の究極的関心)は同じ』という『万教同根』論が、いかに浅薄な思想であるか」を説き、「三宅氏の亡祖父が深く関わったIARF(国際自由宗教連盟)やWCRP(世界宗教者平和会議)という国際的諸宗教対話機関の実例を紹介しつつ、原理主義者が跋扈するための土壌となる経済的不均衡や人権抑圧をはじめとする『世俗の問題』の解決こそ重要である」と主張した。
他の宗教関係シンポジウムでは決して聞くことのできないようなショッキングなパネリスト諸師の発言と、シンポの論旨の思わぬラディカルな展開に、会場は大いに盛り上がり、フロアからも次々と質問(難問・珍問)や意見も表明がなされたが、そのいかなる質問や意見に対しても、三宅・三輪の両氏が、大阪弁と名古屋弁を駆使して、ユーモアを交えて、実に分かり易く、かつ、ものごとの本質を的確に捉えた答弁を行ったので、参加者たちの知的な欲求も満たされた近年にないシンポジウムであった。