三宅代表がイランのハタミ前大統領と念願の会談

 06.08.26

  8月26日から29日まで、世界百カ国から500名の宗教指導者を招いて(日本国内からは1,500名が参加)開催された世界宗教者平和会議第8回世界大会(WCRP8)に参加するために来日していたイラン・イスラム共和国の前大統領セイエド・モハンマド・ハタミ師と三宅善信代表が会談した。

  代々続いたシーア派のウラマー(知識人)の家系(アヤトラにまでなった父はホメイニ師の友人)に生まれたハタミ前大統領は、学生時代にイスラム教神学だけでなく、広く西洋哲学も学び、教育学の修士号も有し、ペルシャ語・アラビア語だけでなく、英語やドイツ語も話すインテリである。

  1990年代に、「キリスト教世界とイスラム教世界と衝突は不可避である」と、冷戦後の世界秩序を規定したサミュエル・ハンチントン教授の『文明の衝突』(ブッシュ政権の基本政策)という世界理解に対抗して、『文明間の対話』という視点から議論を展開してきた。その意味では、世間一般に「イスラム原理主義」国家と見られるイランのほうが、「キリスト教原理主義」のブッシュ政権よりも穏当とも言える(註:その後、イラクを先制攻撃した米国への対抗意識もあって、現在のアフマディネジャド政権はより危険な原理主義政権になった)。

  ハタミ師(当時は大統領)の『文明間の対話』という考え方は、国連にも受け入れられ、新世紀の劈頭(へきとう)となった2001年は『国連文明間の対話年』ということで、世界的にこの理念を広宣流布することになっていた9月に始まる国連総会の開会式のまさにその日に、「9.11」米国中枢同時テロが勃発したのである。


ハタミ前大統領と三宅善信代表

  という訳で、「諸宗教間の対話なくして世界平和はあり得ない」とのスタンスで活動を展開してきた三宅善信代表は、長年、ハタミ前大統領と直に話をする機会を待っていた。三宅代表は、世界170カ国の首脳が参加した2000年9月の国連ミレニアムサミットにも出席し、また、2001年の「9.11」事件の直後に国連プラザで行われた緊急国際シンポジウムの際にも、ハタミ大統領(当時)の説く「文明間の対話」というスタンスを強く支持してきた経緯があるからである。

  そのためには、まず、いったん全ての文明や国家や宗教が相対化の洗礼を受け入れるべきである。民族主義者や原理主義者たちは、「相対化」を極端に恐れるが、個人であれ宗教であれ国家であれ、存在していること自体でそれぞれが固有の価値を持っているので、たとえ自らの奉じる価値体系がいったん相対化されたからといって、その価値が決して減じるものではないことは明らかである。否、むしろ、いったん「相対化」の洗礼を受けることによってこそ、その信念体系の価値が上昇すると言うべきであろう。


各国宗教指導者と共に
会議に列席した三宅代表

  その意味では、安保理の常任理事国にだけ核兵器保有が許されていて、それ以外の国は、核兵器を開発しようとしただけで国際的に罰せられること自体、不条理なことであり、百歩譲って、「既成事実」として5つの常任理事国の核保有を認めたとしても、それ以外の国々の中で、「NPT(核不拡散条約)体制の加盟国であるイランがIAEA(国際原子力機関)の査察を遵守しているのに、加盟国でないイスラエルはなんの圧力も受けずに核兵器開発を行っていることの不平等性と、そのことを背後から容認するどころか、支援さえしているアメリカの姿勢をアンフェアだ」と主張しているあたりも、三宅代表との共通点が多く、会談するのに最も興味深い。


ハタミ前大統領と手を取り合う
三宅代表

  この種の国際会議に出席する「大物」は、とかく開会式やレセプション等で「歓迎」のスピーチ等を行うだけであるが、本WCRP大会に出席したWCRP国際管理委員会議長のヨルダン王国のハッサン殿下と共に、ハタミ前大統領もほぼ全日程、会議に出席され、食事の時間なども、特別室ではなく、世界中から参集した一般参加者と共に食事をするなど、意識して価値観の異なる人々との対話を推進しようという意図が読み取れた。


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