三宅代表が教皇ベネディクト16世に謁見

2006年10月13日

  10月11日、世界10億人のローマ・カトリック教会の総本山バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂で全世界から数万人の巡礼者を集めて催された教皇ベネディクト16世(註:「ローマ法王」は日本のマスコミ用語、カトリック教会では「教皇」と呼ばれている)の「謁見」に招かれた三宅善信代表は、ローマ教皇から直接祝福を受けた。


教皇ベネディクト16世と
手を取り合う三宅善信代表

  昨年薨去されたヨハネ・パウロ2世と比べて、日本では話題になることの少なかった感のある教皇ベネディクト16世であるが、9月17日に出身地のドイツで行った講演で、「イスラム教に対して批判的な発言をした」とされる“事件”で、俄然、注目を集めることになったが、半年以上前からベネディクト16世との「謁見(註:カトリック教会では、教皇にお目にかかることを「謁見=Audience」と呼んでいるので、ここではその伝統に従う)」を切望していた三宅代表であるが、このたび、バチカンの宮内庁から許可が下りて、サン・ピエトロ大聖堂前広場で行われる「謁見」に招かれた。

  とは言っても、「9.11」以後、常にテロの標的となる危険性の増した教皇謁見は、前月のドイツでの発言も相まって、警備当局はピリピリムードであった。なにしろ、通常、毎週水曜日に行われる「謁見」には、全世界から様々な民族の人々が数万人づつ集まるのであるから、保安検査するだけでも大変である。しかも、大多数の人は、熱心なカトリック教徒で、彼らの純粋な信仰心を傷つける訳にはいかないから、有る意味、空港での保安チェックよりもはるかに難しい点がある。



大群衆の中を分け入るように進む
教皇ベネディクト16世の御車

  そんな中でも、数万の群衆が「今や遅し」と固唾を呑んで待ちかまえる中、教皇ベネディクト16世を載せた真っ白なランドクルーザーがサン・ピエトロ広場に姿を現すと、群衆の興奮は一挙に沸点に達した。その群衆の中に、車上からではあるが分け入って行く教皇…。大聖堂正面の壇上に設けられた特別席に座っていた三宅代表の位置からは、300m以上の距離があってよく見えないが、大群衆の塊が教皇の御車が通過する周辺だけ揺れるので、認知できるというような興奮に包まれた光景である。大群衆の中を「お練り」した後、教皇を載せたランドクルーザーは、最後にサン・ピエトロ大聖堂目指して正面階段を勢いよく駆け上ってきて、既に教皇座を取り囲むように30名ほどの高位僧(枢機卿や大司教)らが着席している三宅代表から10m程の位置にある教皇の特別席に着座された。

  屋外で行われた礼拝は、全世界からの参集したカトリック教徒のために、フランス語・英語・ドイツ語・スペイン語・ポーランド語・イタリア語などで、教皇自らメッセージを巡礼者に与えていく…。その合間合間に、進行係が「○○国から来たXX巡礼団です」というふうに、主な団体を紹介していく。紹介された団体(たいてい、揃いの服装をしているので容易に識別できる)は、色とりどりのハンカチや小旗を振って、教皇に自分たちのいる場所をアピールする。それをひとつひとつ見つけては、教皇はそちらの方角を見て祝福の十字を切る。そして、また別の言語で祈りを進めていくというパターンが1時間半ほど続いて、一般謁見の礼拝は終了する。


三宅代表のほうへ自ら近づいて来られた
ベネディクト16世

  礼拝の終了後、教皇の背後に座していた枢機卿団(おそらく、たまたまローマに来ている枢機卿)らが教皇に拝顔の挨拶を済ませ、またバチカンに赴任した外交官等が挨拶した後、教皇はこの日の謁見招待者(つまり、最前列に座る資格を有する人。天皇陛下の園遊会をイメージすれば解りやすい)のほうに目を向けられた。その時、最前列右端の席で、装束姿で威儀を正していた三宅善信代表は、学生時代以来二十数年前ぶりに使ったというドイツ語で教皇に声を掛けると、ベネディクト16世はつかつかと近づいてこられて、手に手を取って1分間程言葉を交わされた。これで、この日の謁見招待者との面会の順番は「右側から」となった。三宅代表に続いて十数人が教皇と握手を交わし、この日の「謁見」は終了した。その様子は、バチカンの新聞やテレビが全世界に報じた。


ベネディクト16世と祝福の言葉を交わす
三宅善信代表

  「謁見」を終えた教皇ベネディクト16世は、参向された時と逆の順序で、お迎えのランドクルーザーに乗車されて、サン・ピエトロ大聖堂前の特設会場を後にされ、別れを惜しむ大勢の群衆に見送られて、バチカン宮殿の奥深くに退出された。以前、報じたとおり、三宅善信代表は、1977年に弱冠18歳で、時の教皇パウロ6世と謁見したのを皮切りに、これまで数回、教皇と謁見する機会に恵まれている。


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