★2001年上期 掲示板掲載分


■「日本人の条件」と「ダイナソー」を読んで
01年01月05日
                             福嶋信吉
 
 ダイナソーは見ていなかったのですが、成る程そういう映画だったのですね。範型となる聖書の物語の力を改めて考えさせられるのですが、宗教的背景をまったく考慮することなく単なる物語として配給する日本では、いったいどのように受容されていくのか興味深い問題だと思います。

 外国人参政権についての議論も非常に説得力がありました。フジモリ国籍問題が非常にすっきりと見えてくる他、日蓮に対する関心が喚起されるという、いつもながらの刺激的な論考であったと思います。



■ 現代世界史は三宅師に聞け!
01年01月30日
                             萬 遜樹

 新作「ダイナスティ:両大統領就任式を見て」を拝読しました。前の 「20世紀の10大ニュース考」もすぐに拝見しておりましたが、感想を書き損ねておりました。

 まず前作を拝読して、まことに見事だなと思いました。ご批判の通り、「駄・10大ニュース」しか呼び出せない世の中において、ひとり百年という時間を大きな流れで捉え、かつたいへんバランスよく20世紀を総括されていると思いました。

 実は、そういう意味で出来すぎていて、だらだらとした感想なぞ述べられなかったというのが、私の言い分であります。(^^;

 さて、今回の「ダイナスティ」ですが、その取っ付きの良さにもかかわらず、私は三宅さんの歴史眼の確かさを読んでしまいました。とりわけ、フィリピンにおける西・米・日支配の比較は感服いたしました(私は日本の普遍性のなさは日本の幸福さの故と考えますが)。

 本をお読みにならないという三宅さんに、私が最近読んで面白いと思ったことを一言申し上げます。関川夏央という作家の方が「中央公論」に書いていたことなのですが、20世紀は第一次世界大戦に始まり冷戦終結に終わったと。そのときわが日本では、大正バブルに始まり80年代バブルで終わったと。「失われた90年代」とよく言われますが、これは20世紀パラダイムがすでに終焉し、21世紀的な混沌が始まっていたにもかかわらず、三宅さんのおっしゃる通り「西暦」に囚われることによって、見失っていたと。

 釈迦に説法、失礼いたしました。三宅さんは書物なぞ読まなくとも、現実の世界という「書物」そのものを読んでおられたわけです。現代世界史は三宅師に聞け!と言わせて頂きましょう。



■「放恥」国家ニッポン  
01年02月13日
                             物理学者 (米国 Stanford大学)
 いつもながらの健筆、頭がさがります。

今回の『国際救助隊発進せよ』が上奏された直後にえひめ丸沈没事故が発生し、またまた無能ぶりをいかんなく発揮した森首相ですが、どこまで恥をさらして首相にしがみつくのでしょうか?

こんな無能な輩を首相にした自民党も自民党ですが、そもそもそんな無能者に投票して当選させた選挙人も恥を知るべきですね。

せめて、沈没させた当事者である原潜が救助活動を行わなかった、という事実をアメリカに問いつめて徹底的に糾弾してもらいたいものです。でも、それすらできないのでしょうが。

『放置』は『放恥』でもいいかもしれません。

それでは、今後とも歯に衣着せずにどしどしと世相を斬ってください。



■『ものつくり大学って、なぁに?』を推奨します。 
01年02月28日
 London大学 SOAS 日本宗教研究所長 John Breen
 
『ものつくり大学って、なぁに?』はすごく鋭くて、論旨が明快で面白かったです。広く読まれたいですね。SOAS(東洋アフリカ研究学院)の四年生に読むように言っています。



■「歴史」の擁護か、神の「現在」か 
01年03月8日
 萬 遜樹
 
 今回の反対論に一致して見られます特徴は、「歴史」の擁護です。人間が作った歴史的文化財の擁護です。これを裏返して見れば、タリバーンの主張になるものと思われます。つまり「反歴史」であり、それは神の現在の擁護だと思われます。

 思えば、私たちはヨーロッパ流の「歴史」的思考を自明のものとしていますが、非ヨーロッパ世界ではかってはそうではありませんでした。日本を始めアジアの大半はそれに呑み込まれてしまいましたが、イスラム世界は「反歴史」を守護する者たちが最後に隠れ棲む所なのでしょう。

 ヘブライズムの「インマヌエル」(神と共に)に当たる「イン・シャー・アッラー」(神の意志あらば)は、因果連続的時間、つまり歴史の否定です。神の現在だけを生きようとする過激な熱情が、タリバーンを突き動かしているように思います。

 スンニー過激派は、イラン・シーア派を超えた原理復古主義者なのです。タリバ−ン戦士には私設イスラム神学校の卒業生が多く送り込まれています。彼らはスンマ(イスラム共同体)をめざし、シャーリア(イスラム法)を完全復活させることを学んでいるのです。

 もちろんタリバーンのアフガン支配などの現実的政治的「成功」は、国際政治のバランス・オブ・パワーによって成し得たことですが、彼らの主観はそれとはずいぶんとかけ離れた所にあるように思います。国際や歴史とは決別した世界をめざした「永久革命」運動に突入しようとしているのではないでしょうか。

 サウジは言うまでもなく、フセインのイラクも、一面ではヨーロッパ流の歴史を呑み込んでいます。あのイランでさえ「西欧派」が政治を実質運営しています。イスラム世界が歴史を受け容れたのは、欧米との対抗手段としてです。現実を前提にしていると言えます。そういう意味で、スンニー過激派は非現実主義者(理想主義者)なのでしょう。


 しかし自明のこととして、タリバーンの革命もやがて「風化」せざるを得ないでしょう。ヨーロッパ的「普遍」は非ヨーロッパ的「野蛮」を「文明」化してしまうのです。そう考えると、否応なく「世界史」に巻き込まれていった私たち自身を見ているようで、切なさすら感じてしまうのは過敏な感性でしょうか。



■地球の反対側でも48時間以内に到達 
01年05月1日
  兵庫医科大学 救命救急センター 副部長 吉永和正

 久しぶりに主幹の主観を読ませて頂きました。このなかで興味を引いたのは「放置国家ニッポン:緊急援助隊発進せよ」でした。わが国の対応の遅さ、まずさはここに書かれているとおりです。さらに、インド以前の話ですが、派遣先の国と関係をもつ代議士が、自分は何も聞いていないと言って出発直前の医療チームの派遣を止めてしまったというような、馬鹿な話もあります。外務省が運営する国際緊急援助隊(Japan Disaster Relief Team, JDR)の一員として、腹立たしい限りです。ただ、このJDRはいつもこんなもたもたした活動しかできないのかというと、決してそうではありません。

 災害救助では48時間以内に現地入りが原則です。JDRの救助チームは1990年以降、何度か海外に派遣されていますが、マレーシアのビル倒壊の時でさえ発災から現地入りまで56時間を要しており、救助チームとしての評価は低いままでした。ところが、1999年1月のコロンビア地震では48時間で現地入りしました。海外の救助チームではフロリダからのチームが数時間前に現地入りしたばかりでした。この時は現地でも日本チームは高く評価されました。これまでの派遣で最も遠いコロンビアへ48時間で到着できたのです。当然、関係者の大いなる努力があったからこそ達成できたものです。

 発災が日本時間の午前3時過ぎで、その日の午前中に外務省緊急援助室長が派遣を決めていたようです。午後1時には正式の派遣要請が自治省、警察庁に伝えられ、午後5時成田集合、午後6時過ぎに出発というあわただしいスケジュールでした。しかも、この時のメンバーは37名中17名が大阪、兵庫の消防・警察職員でした。ほとんどの隊員は仕事先から署に帰るのがやっとで、家に帰ることなく成田から出発しました。

 この派遣はこれまでの救助チームの考え方を根本から変えました。地球の反対側でも48時間以内に到達できる、関西のチームでも命令から4時間で成田集合が可能なことを証明しました。やればできると言うことです。その後のトルコ、台湾も含めて、やっと、災害関係者から評価されるようになった救助チームですが、またもとに戻りかけていることは心配です。


■古代の五畿七道はよく出来ている
01年05月13日
   萬 遜樹

 『東山道:もうひとつの国譲り』を早速拝読しました。感服いたしました。国内旅行の度に「日本」の秘密を暴き出されてしまい、三宅さんが通った後は、私なんぞにはネタのペンペン草さえ生えていないように見えます。

 それにしても古代の五畿七道とはよく出来ていますね。確かにこの分け方には必然性があったはずです。そしておっしゃる通り「東山道」は蝦夷の道であり「もうひとつの国譲り」の道であったのだと思います。

 「本を読まない」とおっしゃる三宅さんがこれだけの文章をさらさらと書いて仕舞われます。私の立つ瀬がありません。(^^;

 しかも、既存作品タイトルのリンクのオンパレード! これは検索エンジンにも有効でしょう。いやはや、参りました。


■人々が信じるものこそが真に存在し機能する:「祀られるべきはA級戦犯」
01年06月24日
   萬 遜樹


 我等が主幹は度量が広い。何と選挙で勝つ方法を惜しげもなく披露してしまうのだから(ああ、もったいない)。
 それはさておき、今回も毎度のことながら見事に一刀両断である。では、何が真っ二つとなったのだろうか。小泉内閣だろうか、靖国神社であろうか。そのいずれでもない。80%もの割合で小泉内閣を支持するという日本人の本質である。

 無神論者である(おっと、これはヒミツでしたかね)主幹に、靖国神社参拝の宗教性なんぞにそもそも関心がある訳ではない。主幹の眼はプラグマティストのそれである。プラグマティズムというのは物質主義のように聞えるがそうではない。精神の作用も含めた機能主義であり、人々が信じるものこそが真に存在し機能するということでは「真実主義」とでも呼べそうな考え方である。

 主幹は宗教をそのようなものとして捉え得る稀有な眼力の持ち主である。そういうプラグマティストの眼をもってこそ、翻訳定義が通用しない「日本人の宗教」を初めて語れるのであり、鎮魂社としての靖国神社の意味が明らかにされているのである。

 では改めて、何が一刀両断されたのか。それは自分自身の眼でものを見ることができない日本人である。翻訳定義でもってしか、「日本人の宗教」を理解できない日本人である(それが愚かしく、宗教と政治という問題となる)。そういう日本人が支持する小泉内閣とは、おそらくこれまた「日本人の政治」として理解しなければならないのである。

 小泉内閣とは、実は水戸黄門であり遠山の金さんかも知れない、と思うのは私の妄想だろうか。


■池田小学校での児童刺殺事件と法然上人の出家の動機 
01年06月09日
   長坂信一


 8日午前中、大阪教育大学付属池田小学校に、男が乱入し児童を刃物で切りつけ、8人の児童が死亡したという。言葉では表現しようのない凄惨な事件である。

 親御さんの心痛、憤りを思うとき、私は法然上人(1133〜1212)の出家の動機に想いをはせた。

 法然は現在の岡山県久米郡久米南町に生まれた。父は久米郡の押領使であった。押領使というのは、地方の暴徒の鎮圧や盗賊の逮捕などにあたる人間で、現在でいえば、警察官であろうか。法然は地方豪族の子であった。

 その地方豪族の子が出家をしたのは、法然が9歳のとき、法然の父が、同郷の預所の明石定明の夜襲をうけて、非業の死をとげたからである。この父は、最後に臨んで9歳のわが子に遺言した。

「自分はとても助からない。おまえが父の仇を討とうとするならば、相手の子もおまえを仇と思うだろう。そうすると、争いはいつまでも絶えない。だから、お前は復讐を思ってはならない。」

 法然は父のこの遺言によって、出家し、13歳のときに比叡山に登ったのである。

 今とは時代が違うので単純に比較はできない。当時は、父の仇を子どもが討つというのが社会通念であった。その社会通念に反して、最期の瞬間にわが子に復讐を思いとどめさせた法然の父の死に様は立派であった。

 法然の父が怨を残して死ねば、法然は当時の社会通念に従ったのではなかろうか。そうすれば、歴史に残る法然の事績はなかったことになる。父の最期のひとことが法然の一生を決定づけたと言っても過言ではないだろう。

 繰り返しの日常生活のなかでは、物事の本質が浮かび上がって見えないことが多い。もちろん、日常生活を維持していくだけでも、われわれ凡人には並大抵のことではない。理不尽とも思える非日常的事象に直面したときに、なにを見、なにを聞くかで人生が分かれる。


■長年にわたる歯がゆさを満たしてくれる『祀られるべきはA級戦犯?』
01年06月27日
   谷 哲哉 (会社経営)

 毎日、今日こそはと楽しみにしてアクセスしております主幹の主観ですが、6/22に更新されました「祀られるべきはA級戦犯?」をじっくり読ませていただきました。

 従来の東京裁判史観に対抗する論理として、今までいくつかの見解が発表されてはきていますが、どれも帯襷でもう一つ説得力という点で物足りなさを感じておりました。

 近隣諸国の政策的な日本の要人の靖国参拝への攻撃に対して充分な理論的背景をかざしての反論がないことを長年不満に思っておりました。いやそれだけでなく、日本国内の一般大衆が近隣諸国と同様の理屈や、深い考察もなく感情的に公式参拝に反対うんぬんの発想は、これこそ自虐史観ないしはただの自虐(史観などというものを持ち合わせていない)でしかなく、これらがおおっぴらに語られることを苦々しく思っておりました。

 今回の、先生の「神格化」からの論理も非常におもしろいのですが、さらに強力に日本人を(先ず)納得させる理論が現れるべきと望んでおります。

 大勲位から創価学会員までこの件については腰が引けており、今回の純ちゃんの8月に向けての行動がどれだけ日本人に自信を復活させることが出来るのか興味と期待をもって眺めております。

 とりとめのない文章になってしまいましたが、小生の長年にわたる歯がゆさを満たしてくれる、先生の主観を楽しみながら読ませていただきました。

 ありがとうございます。

 今後とも、更なる量的・質的な主観の発信を期待しております。



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