★2002年 上半期掲示板掲載分

■ウルトラマンは法蔵菩薩です  
 02年03月03日
       マーヒー・K (浄土真宗僧侶)


 三宅主幹様、はじめまして。私は38歳の浄土真宗の僧侶であります。いかにもインターネットらしい出会いですが、gooという検索システムで「ウルトラマン 還相回向」という組み合わせでの検索をしていました時、このネットにつながったわけです。私が今から20年前の学生時代から、まあ酒の席が中心ですが、しゃべっていたことを、若干、形や考え方は違う(それはこれから述べてまいります)にしても、宗教界のなかで、考えておられる方がいらっしゃることに驚くとともに、私は金光教の教義などは勉強不足でわかりませんが(首都圏では金光教の時間のラジオ放送があり、たまに聞いていましたが、現在は新潟県在住で、ほとんど聞いていません)複雑な心境のなかですが基本的には嬉しく思います。

 さて、私の考えるウルトラマンと往・還二回向との関係ですが、主幹様と私の考え方の違いは、まず、私は「ウルトラマンは法蔵菩薩である」という考え方に立っていることです。主幹様の切れ味の良い文章力と論考には一目を置きますが、虚構と現実の線引きができなくなってしまう危惧もありますので、私は、ウルトラマンの制作者の立場を推理しながら、考えたいと思います。

 ウルトラマンの制作者といっても、いろいろな方が関係していらっしゃいますが、やはり、私はその中心的人物として円谷英二さんに注目します。彼は様々な求道と信仰経歴をもち、最終的にはたいへん敬虔なカトリックの信者になります。その信仰課程において、親鸞自身が「真実の経」と宣言している『大無量寿経』を読まれたことは、推測ではありながら、まず間違いのないことであると確信しております。

『大無量寿経』は、釈尊が語った物語で、法蔵菩薩という菩薩が、世自在王仏という師に出会い、一切の衆生が救われないならば、私は仏に成らないと誓い、願を建てるお経であると、まあ簡単に言えばそういうお経です。その四八願のなかで第12願(光明無量の願)と第13願(寿命無量の願)は、まず間違いなくM78星雲のモデルとなった願文であります。そのような国土を、この『大無量寿経』は述べているのですが、それを3歳の子どもにもふれることができる映像をウルトラマン制作者は提示していると思われます。その世界に往相と還相の回向の形の映像化をしながら、もしかしたら回向ということを潜在的にも表現していたかもしれないという考えには私は賛同いたします。

 さて、次に私が述べたいことがこのメールの主眼ですが「ウルトラマンの本質は法蔵菩薩である」というのが私の考えです。法蔵菩薩は、浄土真宗では「大悲の菩薩」と呼ばれております。つまり、一切の衆生が救われるまで、仏にはならず、凡夫の苦悩を共有しているからです。物語としてのウルトラマンの秀逸さは、ハヤタ隊員という一人の凡夫人として普段、身を落としているという点です。これにより、見る人は「危機感」というものを共有して見ることができるからなのです。

 今の宗教界は、「救い」の理念だけは語るけれど、この「凡夫の苦悩」は共有できうるものをウルトラマンほどに描ききれていないであろうことは、思います。凡夫の苦悩については、実際に起こっていて、報道される社会記事の方がはるかに進んでいます。

 さて、とにかく、ウルトラマンにおいては、最初から「救主」があるのではなく、凡夫として、ハヤタという凡夫に身を落としている菩薩とともに眼前の「危機」を共有するのです。

 それには、凡夫として身を落としてくれている存在がなくては成り立たないわけで、往相・還相の回向も、そうした凡夫と救い主の関係において成り立つことがらであり、ウルトラマンは、映像世界での物語として、それを成り立たせています。

 さて、その凡夫がもつ危機感とは、それは、どういう「危機」であるのか、私なりにシンプルに述べさせていただくならば、「科学特捜隊の科学が通用しなくなった危機」と端的に申し上げますならば、あとはあらゆる現代の諸問題について思想的な研鑽をされている三宅主幹様であれば、何か感じていただけるものがあるのではないかと勝手に考えております。

 長い感想メールになって恐縮ですので、今日はこれぐらいで失礼いたします。なお、法蔵菩薩について、もしも参考文献をということでありましたら、浄土真宗で積極的に法蔵菩薩を問題にされた曽我量深先生の選集等に収録されている、法蔵菩薩論の記念講演をご一読いただく存じます。できすぎた話ですが、その記念講演のタイトルは、「地上の救主」というタイトルです。 シュワッチ!          



■『八丈語:もうひとつの海上の道』    
  02年03月13日
         菅田正昭 (著述業)

 3月9日付けの三宅さんの『主幹の主観』の「北海道:アイヌだけが先住民か」に、わたしも同感です。

 いわゆる“アイヌ先住民”説には、古代史における“自虐史観”のごときがほの見えていて、何となく、わたしは好きになれません。しかし、その一方で、地名をアイヌ語の視座から捉えていく方法は、とても大事なことと考えています。 

 ところで、もうずいぶん昔のことですが、昭和46年5月、「鳥も通わぬ・・・」と謳われた八丈島の、さらに南方67kmの太平洋上に浮かぶ孤島・青ヶ島に住むために、初めて八丈島に渡ったとき、わたしは、八丈島民の基層に南太平洋の諸民族に共通するものがある、ことを直観しました。

 実際、八丈島の溶岩の下からは縄文遺跡のほか、マリアナ系とみられる石器が出土しています。さらに、八丈島や青ヶ島の、ずっと南の小笠原諸島では、ミクロネシア系の遺跡も発見されています。しかし、小笠原諸島のことを英語でBonin Islands(Boninは無人が訛ったもの)というように、おそらく1000年以上も無人島であったらしく、文化的には現在につながっていません。

 この小笠原諸島と伊豆諸島について、わたしは拙著『アマとオウ――弧状列島を貫く日本的霊性――』(たちばな出版、平成11年7月)の中で触れていますが、南太平洋の文化がマリアナ弧を媒介として、八丈島や、さらに伊豆半島にまで到達していた可能性があります。ふつう、《海上の道》というと、琉球弧すなわち南西諸島をいうようですが、マリアナ諸島―小笠原諸島―伊豆諸島の島々が、南北に長く連なる弧状列島の住民と文化の形成に大きな影響をあたえていたと考えられます。

 ちなみに、小笠原に再び人びとが住むようになったのは幕末のことですが、東京都いうところの《在来島民》、世間では《欧米系島民》と呼んでいる人びとの先祖(白人およびカナカ人、チャモロ人)でした。わたしは、彼らのことを《遅れてきた先住民》と呼びたい気持です。

 ところで、日本三大方言の一つに《八丈方言》があります。国語学者・言語学者の金田一春彦氏はこの八丈方言のことを《万葉集東歌方言》という美しい言葉で呼んでいます。万葉集が編纂された頃の、東国(関東および東北)で話されていた言語とおなじ文法構造のコトバが、いまも八丈島や青ヶ島では使われているのです。

 この八丈方言は、明治から大正にかけては「関東方言の一変種」、昭和20年以降になると、琉球方言を除く「本土四大方言」(八丈方言、東部方言<東北・関東・東海>、西部方言<北陸・関西・四国・中国>、九州方言)の一つということになりました。その後、日本語は大きく分けると、琉球方言、八丈方言、東部方言、西部・九州方言の四つに分類されるようになりました。平成に入ると、本土を一つとして見る考えも登場し、八丈島・青ヶ島方言、琉球方言、本土方言(東部・西部・九州)の三つに分類されるようになったようです。つまり、《八丈方言》は、次第に独立した言語として認識されるようになってきたわけです。

 国際的な言語学者だった故・服部四郎は八丈方言について「日本祖語から分岐したのは琉球方言よりも古い。日本祖語にみられない特徴がある」とのべています。

 すなわち、今では日本三大方言の一つになった八丈方言――琉球方言のことを「琉球語」とか「沖縄語」という呼び名を真似れば――ハチジャウ・オウヶシマ語は、縄文語に一番近い可能性がある、と指摘されています。八丈方言の遠い言語的先祖の上代東国方言を使っていた人々も、おそらく《蝦夷》と呼ばれていたのでしょう。 なお、この《八丈語》は八丈島と青ヶ島で辛うじて使われていますが、その本当の意味での話者は人口9000名の八丈島で数百名、人口200名の青ヶ島で数十名と推定され、あと数十年もすれば、言語学的には絶滅してしまうのではないか、と危惧されています。

 琉球語やアイヌ語に関しては、地元放送局のラジオ放送もありますが、《八丈語》に関しては、打ち寄せる荒波によって浸蝕される一方です。

 弧状列島の文化をかんがえるときは、もう一つの《海上の道》のことも、多くの人に考えていただきたいと思っています。

   とほかみ ゑみため  菅田正昭  拍手




■猿山群と変わらない問題議員の論理  
 02年04月02日
      匿名 (団体役員)

 『賞味期限って誰が決めた』の玉稿拝見いたしました。身から出た錆び、か、人を呪わば穴二つ、か、叩いて埃のでぬ畳はない、と言いますか、このところ喜んでいるのは、週刊誌の売り上げが伸びている面々ばかりでしょう。

  自分に身贔屓なテレビ番組には出るけれど、抵抗勢力には歯を剥き出すところは、猿山群と変わらないと思います。




■『賞味期限』はコロンブスの卵    
  02年04月03日
      萬 遜樹

 「賞味期限って誰が決めた」を拝読しました。主幹にしては地味なタイトルとテーマですが、かえって主幹の地力を感じさせるエッセイと思います。

 私も含めてハッタリ気味の論説が多い中で、喩えて言えば、プロ写真家の「構図」作りを感じます。ご自身は無意識でしょうが。論の枠取りの大きさ、バランスがちょうどよい。さすがですね。


 「賞味期限」は味の素の容器の穴の大きさと同じく、つまり企業の販売促進のための仕掛けだったとは言われてみればその通りですが、気づきにくい「コロンブスの卵」です。それは押さえるべき指摘であり、かつていねいなご指南だと痛み入りました。
 
 思えば、日用品に始まり、最近の家庭電化商品や自動車などでも「賞味期限」が組み込まれていますね。数年使えば故障し使用できなくなり、修理するより買い換えた方が安いという詐欺のような供給側中心の産業構造です。


 辻元清美氏が「疑惑の百円ショップ」だとは言い得て妙で、思わず苦笑してしまいました。テレビ・メディアの制作意識と、そこにおける彼女の存在意義の分析もとても的確だと思いました。

 この人の「爽やかさ」はあの「笑顔」だけでしょう。決して発言内容ではありません。つまり私たちは映像で騙されているわけです。

 このことは田中真紀子氏の「迫力」も同じで、発言内容の価値とは無関係であり、むしろ相反していると思います。


  恥ずかしながら軽薄短小の「カタカナ」をタイトルに含む「ニッポン民俗学」を発行する萬遜樹より




■ブッシュ政権は人類の運命にとって大きな不幸
 02年04月05日
      三輪隆裕 (日吉神社宮司)

 ブッシュ政権、すなわちアメリカの伝統産業である石油と軍需産業をバックとする共和党政権が誕生して以来、アメリカの暴走は目に余るものがあります。

 クリントン政権が、アメリカ経済を立て直し、政府財政を黒字にしたというのに、ブッシュ政権はそれを戦争遂行による軍需産業の建て直しに使用していると考えられます。9.11を理由とするアフガン侵攻も、ミサイル防衛構想も、パレスチナにおけるイスラエルの強硬姿勢の黙認も、そして主幹の主張のようにジェノバ・サミットのおける一方的な温暖化防止条約離脱宣言もすべて同根でありましょう。

 人間は、すべてそうですが、遠大な理想を掲げつつ、目先の状況にも対応して、そのバランスを取りながら進まねばなりません。ところが、バランスを失って、目先の我が身の利益の追求のみに汗を出せば、中長期にわたって手酷い失敗の憂き目をみることになります。現在のブッシュ大統領は正にその直中にあるのでしょう。恐らく良いアドバイザーも無く、保身と利益追求に走る部下に囲まれているのでしょう。これが現在最もパワーを有し、いわゆる「パクス・アメリカーナ」を実現できる国のトップリーダーであることが、人類の運命にとって大きな不幸でありましょう。

 普通の人々は、危険が目前に、我が身に迫ってこなければ、危機への対応ができません。地球温暖化の問題も、オゾンホールの拡大の問題も、砂漠化の進行の問題も、すべて人類の生存可能地域の減少をもたらす大問題ですが、人々は、実際に自分達の身内や友人が生き残りをかけた争いで死ななければ、これらの問題に対応しようとしないのでしょう。ブッシュ氏も同じタイプの人と思われます。

 キリスト教には「最後の審判」の信仰があり、世界の終末を予感しています。旧約の「ノアの箱舟」の故事をみればわかるように、人間は目先のことにとらわれ過ぎて全体の運命を見誤ってはならないというのは、キリスト教徒の肝に銘じねばならない教えのはずです。

 しかし、アメリカにも、ノーム・チョムスキーのような哲人もいます。政治的良心の具現のような政治家も出てくるかも知れません。多岐にわたる人間が生きているというアメリカの懐の深さは、人類の運命を預けるだけの可能性を秘めているようにもみえます。

 ひるがえって日本は、現世肯定の現実的、世俗的な宗教感覚の中で、功利的な行動を取る人々が多いといえましょう。しかし、案外こういうところから、人類の運命にとって大切な提言ができるバランス感覚の優れた人が現れるかも知れません。主幹がそのような人であるという期待を込めて感想とします。




■ Nobody Can Something Against Jews
 02/04/08
      Jan Bully, (Engineer)

Let us face the truth...nobody can something against jews. What is happening in Palestine today is what is happening to anybody in the world who doesn't want to bow and surrender to jews lobbies and credo....Mr. Bush's staff is mostly jews and he has to please jews lobbies, in US journalists opposing to the so calles New World Order are fired, in schools children talking about peace are sent back home.

The fact that Mr. Sharon is killing innocents and nobody can stop him is the clear image of what himself said once "We don't have to worry much about US reaction...they know how leads".

Palestinians are asking Jerusalem east, '67 borders for a Palestine state, and the return of refugees from all over the world....well, Jews don't want any of that, this is the reason of the war...nothing else.

If you check the symbol of United States, the one with a eagle (also on the one dollar bill), you will find 13 stars forming a big David star, symbol of Israel and the sionists...just go around the net and you will find the story...jews organized the crise of the black friday in the beginning of the century, so to take control of United States. Then, once taken the control, under Roosvelt, they changed the symbol (before the 13 stars where like a constellation) and they made the David star, so to visualize clearly their new position in the world.

Today it is the time for Palestinians to suffer, tomorrow it will be Iraq, Iran, Syria and all of us...all the persons who will not surrender to them. Let me say that we will all suffer, because they are really bad persons...how you can kill peple that way?!?!? They talk about antisemitism, they talk about terrorism...but if you know phisics, every action has a reaction...if terrorists are killing jews, if there is antisemitism in the world it is only because we react to their arrogance, their being without a soul, without justice, without peace...Israel is the only country in the region with a nuclear bomb...if they don't want to use it, why do they have it?

Have peace




■怨みをもって怨みに報ゆれば怨みは止らず 
 02年04月11日
 天台宗僧侶

 中東地域はニュースで見る限り、まさに市民を巻き込んだ戦争以外の何ものでもありません。

 仲裁役の米国の行動が遅い(国務長官)ような気がします。一刻も早く戦闘をやめさせ、イスラエル軍撤退の手だてをとらないと、被害&犠牲が拡大の一途です。リーダーの交代なくして、沈静化、ひいては平和の訪れはないのでしょうか。

 「第6条目にすぎない・・・」ということですが、まずもって第6条目にはっきりと示されていることを重く受けとめなければならないのでは!?思います。守るべきこととして「殺すなかれ」があるのですから、願望を込めて違反甚だしいと言いたいです。

 ただし、この場合「〜を」という目的言葉が明確でなく抽象的ですし、三宅さんの説のように「1、 私(ヤハウェ)の他になにものをも神としてはならない」が優先されるとしたら、これを守るためなら非情な手段も許されるという考え方もできなくもないですが・・・。

 なお仏教の場合、不殺生戒は生けとし生きるもの全てというような広大な意味あいと思われます。自殺、人に殺させる、殺すことをほめる、殺すのを見て喜ぶ、など命あるものを故意に殺すことを禁じています。

 「怨みをもって怨みに報ゆれば怨みは止らず、徳をもって怨みに報ゆれば怨みは即ち尽く。長夜の夢裏の事恨むなかれ、法性真如の境を信ずべし」

 最澄の「伝述一心戒文」での言葉です。これに尽きます。究極的には悪循環を絶つのは当事者以外にないでしょう。

 余談ですが、政治不信のどさくさに、有事法制法案も進められています。もし市民が犠牲なった場合、人の命が"有事だから"で、かたづけられる危険性がありませんかね。

 それからクローン問題も以前取り上げられたかもしれませんが、三宅さんの鋭い切り口を期待しております。


 

■「キトラ」は今期の一押し 
 02年04月21日
  萬 遜樹

  「珍説:キトラ古墳の謎」は旬を得た、素晴らしいものでした。快刀乱麻の三宅主幹ならではの快作と思います。

  まず、おっしゃる通り、「天皇陵」の封印は時代錯誤だと思います。目に見えるものの開放は、目に見えない神秘を露呈することでは決してないのですから(これらを安易に同一視する国民性に危惧するのはよく分かるのですが)。

  それから何と言っても、星野仙一監督の「運命」を四神相応図で解明された手腕はさすがです。これはちょっと思いつきませんね。さらに、南面する青龍(これを石切セイリュウに結びつけられたのはまさに玄人!)に対応して、北面する白虎を「敗北」していないと、キトラ古墳の謎と星野タイガースの行く末をより合わせたのは誠にお見事でした。




■「キトラ古墳」は面白い  
 02年04月23日
   居眠り狂四郎

 新作を拝読致しました。まず、一言。「おもしろい!」です。

 白虎が北を向いている理由について、風水的神仙思想から説明されたことに関しては、思わず、納得!です。確かに、ものごとの循環が滞りなく巡ってゆくことこそが一番大切ですし。

 キトラ古墳について興味深いのは、獣面人身の図です。高松塚古墳の美人画とは決定的に意味合いが変わってきますから。身の回りに侍るのが、人ではなく獣神たちというのは、埋葬者の身分・思想などを解き明かす鍵になります。この調子で他の古墳も調査してもらいたいというのが、正直な気持ちです。

 それと。星野タイガースの異例(?)の快挙の理由を、このキトラ古墳の四神にみる視点は、本当に面白いです。古田選手を育てた野村監督の力量はすごいものだと思いますが、その野村時代でもうまくいかなかったタイガースの今回の快挙には、やはり目に見えない力が動いていると感じますので。

 もう少しキトラ古墳の「四神相応図」について語りたいところですが、今回はこの辺で。

 これからも楽しみにしています。




■テロが許せない(報復攻撃の正統性)のは当然ではないか  
 02年05月07日
    MK(米国在住)

 三宅善信氏の「テロとは何か」(02年04月17日)の中で、《▼テロリズムの定義...軍隊や警察という常設的暴力装置を有する国家権力は、その権力の行使に際して、暴力的手段を使うことがままあるし、また、CIAやKGB、モサド...といった諜報機関に至っては、それこそ「国益(実際には、権力者の利益や組織そのものの利益である場合が多い)」という目的を達するためには、平気で暗殺や謀略等を行っているではないか……。国家によるテロ的行為が許され(野放しにされ)て、個人もしくは団体によるテロ的行為が許されない(取り締まりの対象となる)合理的な(普遍妥当性を有する)理由が見つからない。》

 と書かれていますが、りっぱな辞書の定義は別にしての話ですが、平和に生活している市民を平時に無差別に殺すのがテロで、それが許せない理由ではないですか?

 アラブ過激派のテログループは、平和に生活している市民を脅かすもので、国家や諜報機関の暴力とは違うと思います。「平気で暗殺や謀略を行っている」のは関係者間のことであって、戦いに参加していない市民を無差別に暗殺しているのではないです。少なくともそれを目的としてはいません。

 アラブ過激派の個人や団体が、イスラエルの過激派の暗殺や謀略をするだけならばテロという感覚でなく、過激派同士の戦いと見做すこともできますが、平和な生活をしているイスラエル市民(ユダヤ人だけでなく、市民権を獲得して平和裏に暮らしているアラブ人もイスラエル市民)を爆弾で殺すことを目的としています。過激派でない市民にとって、アラブ過激派の「無差別市民殺し」が許せないテロ行為なのだと思います。

 「それでは、イスラエル軍も無差別市民殺しをするではないか」とおっしゃるかも知れませんが、イスラエル軍の犠牲になるアラブ人は、戦闘服こそ着けていませんが、銃撃するアラブ過激派に・・・(以下、文字化けのため、判読不明)


 *管理者からのお願い: ご意見くださった方のメイルアドレスが記されておりませんでしたので、「文字化け」による判読不明部分について、確認することができませんでしたので、再度、info@relnet.co.jpまで、貴方のアドレスをお知らせください。もちろん、アドレスは公開しませんから。




■骨があって、興味をそそられるWebサイト 
 02年05月15日
    会社員(東京都)

 いつも「主幹の主観」を拝見させていただいております一会社員です。

 仕事の関係で様々なWebサイトを見させていただいていますが、これほど骨があって、興味をそそられるWebサイトもそうそうありません。

 今回載せられた「日本人にとっての玄関」の話しなどはその視点といい、カーター元大統領来日時のこぼれ話といい、大変楽しく、また感心させられ、最初から最後まで一気に読ませていただきました。

 これからもさまざまな出来事に対する様々な見方や考え方のご紹介楽しみにしています。


*管理者からのお願い: ご意見くださった方のメイルアドレスが記されておりませんでした。再度、info@relnet.co.jpまで、貴方のアドレスをお知らせください。もちろん、アドレス等は公開しませんから。



■鈴木宗男議員の「一声」で中止させられたモザンビーク災害派遣  
 02年05月16日
      救急救命医

  (私はこれまで何回か、海外での大規模災害時に、救援活動を行ってきましたが、私たちの仕事に関して)最近になって鈴木宗男という名前がかかわってくるのは、災害派遣に関してです。

 2000年3月モザンビーク洪水に外務省が医療チームを派遣する時のことです。私の親しい医師数名の派遣が決まりましたが、成田に集合したところで「俺(鈴木代議士)は聞いていない」というだけの理由で派遣が中止となりました。

 参加予定者は2週間の個人のスケジュールを調整して集まっています。その調整がいかに大変かと言うことは経験のあるものには良く分かります。回りにいる多くの人々の支えがあって、初めて実現することです。

 それがたった一言の横やりでつぶれてしまったのです。何の抵抗もできなかった外務省担当者の不甲斐なさもさることながら、自分のメンツしか考えない政治家に怒りを覚えました。人命など、彼らの世界では大した価値を持たないようです。

 (災害医療の専門家であるわれわれは、)外務省からの派遣(要請)の機会を待っています。今後、ごますり官僚や横暴政治家が災害医療の足を引っ張らないことを切に願っている次第です。



■日本人は隣近所の世話話としてしか、国際関係を理解できない
 02年05月22日
         萬 遜樹
                             
 まずは、先日はテレビニュースご出演おめでとうございます(?)。しかし私はその時間は会社で勤務中でありまして、残念ながらグルのご尊顔(?)を拝見することはできませんでした。

 そう言えば、佐藤優前主任分析官は妖しげで「ラスプーチン」風(?)とも言え、いかにもテレビ(マスコミ)受けしそうですね。

 小生、近頃ますますつけ上がるマスコミの蝙蝠のような報道ぶりに憤慨したり辟易したりばかりしています(例えば、瀋陽事件)。騒ぎを大きくして「情報」の価値を釣り上げ、「判断」をミソクソにして、日本人を徹底的に白痴化することに邁進している姿はまさに国賊ものです。

 政府や首相へのこき下ろしは慣れっこになったとしても、カメルーンのサッカーチームの延着事情なぞをこれほど詳細にマスコミで流す国はないのではないでしょうか。ここにこそ、政治に関するものを含めてニュース、つまりは国民が周知すべき「情報」をワイドショーに貶めている典型があるように思います。要するに、日本人は隣近所の世話話としてしか、国際関係を理解できないのです。

 かくして、人間なら誰でもが政治等を批評できるものだと思い込まし、そのレベルの田中真紀子なぞいうおばちゃんを大政治家にしているのでしょう。言うまでもなく、人間は平等であるというのは理念はともかく、現実ではありません。バカな政治家や国民にものごとの判断をさせてはなりません。



■「脳死」と「心臓死」という二つの死を法律で認めながら、矛盾を感じない国
  02年05月30日
         救急救命医


 『自爆テロの宗教的意義』ですが、自爆テロの背景を理解するのにとても役立ちました。

 さらに、興味深く読ませていただいたのは、「十戒」と「十善戒」の項です。十戒など映画のタイトル位の知識しかなく、十項目すべて並べて見る機会はありませんでした。実際に並べてみて殺人の項目がかくも低い位置に置かれているのかと驚きました。

 「ユダヤ・キリスト・イスラム教徒たちが信じている神は、多元主義を真っ向から否定する神なのである。」

 この件を読みながら思い浮かべたのはわが国の臓器移植法です。脳死と心臓死という二つの死を法律で認め、そこになんの矛盾も感じないのはまさに多元主義ですね。そして、拍動している心臓を摘出することへのためらいや嫌悪感の存在は、この殺人禁止項目の順番と関係があるのではないかと感じました。

 私の単なる印象に過ぎませんが、わが国の医療と宗教の関わりのある一面を切って見せて頂いたのではないかと感じた次第です。



■龍王と龍馬   
  02年06月29日
           三宅善信 (レルネット代表)

 火山列島のインドネシアは、山の斜面まで「棚田」が続き、藁葺き・高床式の神殿が並ぶ、弥生時代の「豊葦原の瑞穂の国」を彷彿とさせる地です。

 ヨニ(陰)とリンガ(陽)といったセックスシンボルに満々ちたヒンズー遺跡のプランバナン寺院や、仏教遺跡のボロブドゥール寺院を見学してきました。これらのお話は、いずれ作品化する際に、お話しします。

 萬遜樹氏の新作『龍と鳳凰、そして蛇---大陸の北と南からニッポンへ来た文明』を読みました。現在でも、揚子江にはメガネカイマンという鰐が棲んでいます。また、満州あたりに焦点を当てられたお話、興味深く拝読しました。

 そこで気になったのですが、「将棋(中国では、象棋)」というゲームの駒の中で、最強の二つの駒と言えば、飛車が成った「龍王」と、角行が成った「龍馬」ですよね。そして、お互いが詰め合うターゲットは「玉将(王将は俗称)」です。これって、今回の作品(『龍と鳳凰・・・』)に何か関係しているのかもしれません。

 もちろん、現在の日本将棋(小将棋)が成立するのは、室町後期(戦国)時代ですが、それに先行する中将棋・大将棋・泰(摩訶大々)将棋等は、相当古くからあったようですからね。



■「合衆国への忠誠」は、国家による一神教の強要か?     
   02年06月28日
         サボり会社員

 今朝(28日朝)新聞を見たところThe New York Timesの記事に"Pledge of Allegiance is illigal ? ‘Ridiculouse'"の見出しを見つけました。日本生まれの日本育ちの私にはPledge of Allegianceが何なのかピンと来ませんでしたが、記事と一緒に子供たちが右手を胸に当てて星条旗に向かっている写真があったので、「米国の学校でやっているあれか。」ということでちょっと記事に目を通してみました。

 読み進むうちにかつて三宅様の「主幹の主観」にあった宗教国アメリカ合衆国論の一端を見たような思いがしました。

 そもそもこの事件の発端はPledge of Allegianceそのものが良いか悪いかということでなく、この短いPledgeの中の'one nation under God,'の'under God'という言葉が日本と同じく政教分離をうたった合衆国憲法に違反しているのではないかという点につき9th U.S. Circuit Court of Appealsの判事が2対1で指示を示したものです。

 記事を更に読むとこの'under God'という言葉はもとからあったわけではなく、1954年の冷戦時代の真っ只中に台頭してきた共産圏・社会主義圏の無宗教主義に対抗するために当時の米国大統領も推進し、議会の可決を受け挿入されたという点を呼んで、その時これに携わった人たちは憲法の規定について何も考えなかったのかという気にさせられます。

 この9th U.S. Circuit Court of Appealsの判断に対しワシントンの議会では猛反発が起こったとか。

 私が感じる限りでは記事にある当の判事達のunder Godという言葉が挿入されていることに対する違憲性の判断理由は筋が通っていると思います。

 自分たちが子供のころから親しんでいたものだけにこの判断の米国社会への衝撃は大きいでしょう。この先どのような展開を見せるのか興味のあるところです。



■日本は、中国から「降伏国」と見られている
   02年06月30日
         萬 遜樹

 インドネシアの生活や風景はやはり「倭族」風なのですね。それから、ヒンズー教系遺跡のシンボルは「森の文明」「蛇・大地信仰」の証と思います。

 早速、『龍と鳳凰・・・』へのコメント、ありがとうございます。古将棋を思い浮かべられるとはさすが博識ですね。思いも及びませんでした。

 「主幹の主観」がどんどん上がっていますね。『玄関扉に見る日本文化論』は着想が鮮やかですね。そこからの『瀋陽総領事館事件考』は真っ正面からの分析で、大いに勉強になりました(ピントの合った録画も納得)。『チャイナスクールはメダカの学校?』は「スクール」の語義を明らかにする啓蒙ものでした。

 以上の流れでは「対中国」対応での政府批判でしたが、『刑は大夫に上らず?』では返す刀で日本政府の基本認識を突かれました。政府(官僚)の「常識」(無意識)としての官尊民卑意識を暴露されたわけです。ほんとに日本人の頭は西欧近代語(例えば「民主主義」)で混乱しており、実態としての東洋・日本的「常識」(善し悪しは別)と分裂していますね。「同じ」言葉で別のことを考えているのです。上半身と下半身の分裂です。

 ところで、文芸春秋・七月号で佐々淳行氏が書いています。故田中角栄元首相が日中国交「回復」会談時に、毛沢東・周恩来から蒙った侮蔑を。特に周恩来は「言必信、行必果」(言ったことは必ず守り、やるとなったら必ず果たす)と色紙に書いて渡したそうです。これは『論語』巻第七・子路第十三の二十の一節で、士人の条件を問われた孔子が三番目に答え、「小人」並みだがねと評した言葉なのです。おまけにその際の接待料理がやはり三番目のナマコ料理で、これは「降伏国」に出すものだったそうで…。二千年前から中国の対日姿勢は不変なのです(国交「回復」の言葉にこの歴史観があります)。




■文化圏という新たな分類の視点
     02年06月30日
         三阪和弘 (神戸大学大学院国際協力研究科)

 三宅様のホームページを早速拝見させて頂きました。あまりの内容の濃さに、驚きとともに、尊敬の念が湧いてきました。今まで私がお会いしてきた宗教者の中で、これほどまでに多方面にわたって深い関心をもたれている方には会ったことがなかったからです。改めて、「縄文からポケモンまで」という三宅様のフレーズを思い知らされた次第です。

 私が「主観の主観」の中で、まず拝見したものは『玄関扉に・・・』でした。(内容を既に、インドネシアでお聞きしていたこともあったので)その中での率直な感想を申し上げると、

1.文章で拝見したほうが、よりはっきりとした理解が進んだ。特に、個別のエピソード(カーター元大統領の話)と結びつけられた話はわかりやすかった。

2.文章自体がわかりやすく、論理的であるので、「天声人語」などより興味深いと思った。(直感としては、毎日は困難でも、週間か、隔週くらいのペースで、何かの媒体に連載されればいいのに〜と思った。)

3.本文では、西洋と日本の比較がされていたが、日本と同じ東洋(アジア)の中ではどのような差異があるのだろうかと思った。たとえば、韓国では靴を脱ぐが、スリランカやインドネシア、マレーシア等では靴は脱がない。この差異によって、日本と西洋との差異のようなものが同じアジアの中にもあるのかが新たな関心事項として生まれた。

 もし、玄関での靴の着脱が文化を決める一つの決定要因であることがわかれば、欧米とアジアという分類とは異なる、@欧米文化圏(南米含む)と東南アジア、A日本、韓国文化圏という新たな分類の視点もありうるだろうということである。(ひとつの仮説としては、欧米列強の植民地文化圏とその他という分類方法が可能かもしれない)

 ちなみに、日本と韓国を分けるひとつのポイントとしては、風呂のあるなしに注目すれば面白いのではないでしょうか。韓国では、立派な家でもシャワーだけの家が結構あるようです。

 今後とも随時、感想を申し上げていきたいと思います。



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