三宅代表 南インドで人権教育プログラムを視察

2/6〜10

  2012年2月6日から10日の日程で、三宅善信代表は、南インドのケララ州を訪れ、IARF(国際自由宗教連盟)の現地役員らと会合し、地元の教育大学で実施されるHRE(人権教育)プログラムに参加した。

  2月6日の深夜にケララ州のコーチ空港に到着した三宅代表は、翌7日の午前中は、コーチ市内のホテルで、SACC(南アジア連絡協議会)議長(前IARF会長)を務めるトーマス・マシュー博士と、インドにおけるIARF運動の現況について情報を聞き、意見を交換し合った。また、昼食を挟んで夕方まで、ケララ州だけでなく、遠くマイソールやチェンナイから集まった数人のIARFインド支部役員たちからも、彼らの状況や要望を聞いた。

IARFインド現地役員たちと意見交換する三宅善信代表
IARFインド現地役員たちと意見交換する三宅善信代表

  翌8日は、コーチから車で南下すること3時間のパタナムチッタ市の郊外にあるSACC事務所を訪れ、マシュー博士と前日に引き続きIARFの直面する様々な問題について協議した。この地は、SACC事務所以外にも、マシュー博士が営むSEEDSインディアや横浜のフェリス女子大の支援で行われている活動の事務局、「ダリット(不可触賤民)」と呼ばれる被差別民族でしかも障害を持つ人々への内職機会を提供する施設などが集まっており、200名以上の人々がマシュー博士の事業によって生計を立てている。

  この日の晩、三宅代表は地元のYMCAを訪れた。理事長が歓迎の挨拶――饒舌なインド人は挨拶が長い――の間にも、近所のモスクからは夕暮れの祈りを呼びかけるアザーン(註:イスラム教の礼拝への呼びかけ。町中に聞こえるような大音量で流される)の声が響き、インドのほとんどの地域ではヒンズー教徒が圧倒的多数派を占めるのに対して、ケララ州では、約40%のキリスト教徒、30%割のヒンズー教徒、25%のイスラム教徒、その他の人々が平和裏に同居していることを印象づけた。本来キリスト教徒の団体であるYMCAの理事にも、ヒンズー教徒も名を連ね、「信教の自由」を尊重する地域性が見て取れると同時に、「信教の自由」は豊かで文化的な社会を構成するのに、必須の条件であることが証明されるような地域であった。もちろん、YMCAの特別ゲストとして招かれた三宅代表も、インド人に引けをとらない得意のマシンガントークで、信教の自由の重要性について説明した。この日の模様は、百万部の発行部数を誇る地元紙『マノラマ新聞』にも掲載された。

三宅善信代表がYMCAを訪れたことを報じる地元紙の記事
三宅善信代表がYMCAを訪れたことを報じる地元紙の記事

  ケララ州にキリスト教が伝来したのは、一般に考えられているような16世紀初頭、ポルトガルからアフリカ大陸最南端の喜望峰を回ってインドに拠点を築いたバスコ・ダ・ガマやフランシスコ・ザビエルの頃ではなく、それに遡ること1500年! イエス・キリストの処刑からわずか20年後には、十二使徒(弟子)の一人トマスがこの地に到達し、キリスト教を宣教したとされる。以来の2000年の歴史を有し、中東やインドで独自の発展を遂げてきたシリア正教会の流れを汲んでいる。

ティトゥス2世教育大学で講演する三宅善信代表
ティトゥス2世教育大学で講演する三宅善信代表

  翌9日は、三宅善信代表は、朝からシリア正教会系のティトゥス2世教育大学を訪問した。高校教師の養成機関である同教育大学では、2月9・10の両日にわたって、150人の学生がIARFがオランダ政府の補助金を得て制作したHRE(人権教育)プログラム用のDVDを利用して、「信教の自由」に関する人権教育を実施することになっており、そのオープニングに三宅代表とマシュー博士が招待されたのである。歓迎セレモニーに続いて、三宅代表は本プログラムの趣旨を織り交ぜてスピーチを行った。

三宅善信代表のスピーチに耳を傾けるティトゥス2世教育大学の学生たち
三宅善信代表のスピーチに耳を傾けるティトゥス2世教育大学の学生たち

  続いて、三宅代表は、ラーマクリシュナ・ミッションの僧院を訪問して、スワミ・サマグラナンダ師と話し合いを行った。ラーマクリシュナ・ミッションは、スワミ・ヴィヴェーカナンダによって19世紀末にカルカッタで設立されたヒンズー教系の新宗教で、1893年のシカゴ万国宗教会議に参加したヴィヴェーカナンダはキリスト教絶対主義の欧米の思想家たちに大きな影響を与え、その7年後にリベラルなユニテリアンの人々によってボストンで創設されたIARFに大きな影響を与えた教団である。その後、マシュー博士と昼食を摂りながら時間の許す限り意見交換を行い、夕方にパタナムチッタを発ち、陸路3時間半の移動の後、深夜にコーチ空港を発つ便で帰国の途に就いた。



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