2014年4月16日から17日にかけて、九州の最南端、薩摩半島の指宿方面(鹿児島県南西部)で、三宅善信代表がフィールドワークを行った。伊丹空港から空路で鹿児島空港入り、レンタカーを運転して、まず鹿児島市内中心部の照国(てるくに)神社を訪れた。この神社の祭神は、幕末期に外様大名であった薩摩藩が幕政に関与するきっかけを作った薩摩藩第11代藩主(島津家第28代当主)の島津斉彬公を祀る神社で、明治維新に対する功績により、別格官幣社に叙せられた。現宮司の島津修久師は島津家第32代当主である。
島津氏が宮司を務める照国神社を訪れた三宅善信代表
次に、知覧町にある「知覧特攻平和会館」を訪れ、太平洋戦争末期の特攻隊に関する資料を学んだ。特に、ちょうど69年前に当たる昭和20年の4月16日から18日にかけては「第三次特別攻撃部隊」として多くの若者が沖縄の海を目指して出撃した日に当たり、今も見ることができる名残の桜に往時を偲んだ。
知覧特攻平和会館前に展示されている戦闘機を視察する三宅善信代表。
展示場に隣接する平和祈念観音堂。
祭壇は神式なのに、ご神体(ご本尊)は観音様
続いて、薩摩半島最南端の海岸沿いに聳える開聞岳(かいもんだけ)を西方の枕崎側から北方の頴娃(えい)町側から東方の指宿市側から望んだ。開聞岳は、その優雅な姿から「薩摩富士」とも呼ばれる「日本百名山」にも数えられる活火山であり、周囲には地質学上では「マール」と呼ばれるかつての火山活動の噴火口跡に水が貯まった地形が多く見られることでも有名である。この日は、それらのひとつ「鰻池」を訪れ、マールに海水が湾入した山川湾沿いのホテルに宿泊した。
枕崎方面から見た開聞岳。
マールのひとつ鰻池。
山川湾方面から見た開聞岳
17日は、鰹節の生産地としても有名な山川湾の先端部にある漁師町の熊野神社を調査。続いて、3万kw/hの発電量を擁する九州電力の山川地熱発電所を視察。さらには、薩摩半島の最南端「長崎鼻」に鎮座する龍宮神社を訪れた。ここから先は、奄美諸島から沖縄へと続く「海の道」であって、浦島太郎伝説の伝承地のひとつでもある。
九州電力山川地熱発電所から見た開聞岳。
この岬の端から先は奄美諸島から沖縄へと繋がる。
浦島太郎伝説の地に立てられた龍宮神社
さらには、鎌倉時代の始めに源頼朝の命で島津氏が薩摩入りするまでは、「薩摩国一之宮」であった「枚聞(ひらきき)神社」を訪れた。一般に神社は南面して建っている(つまり、境内地の最北部に社殿があり、鳥居は最南部にある)が、この神社は真逆であり、その社殿は背後には開聞岳があることから、何度も噴火してその凄まじいエネルギーを見せつけた開聞岳自身が「ご神体」であることは疑いようがない。「開聞」は、訓読みすれば「ひらきき」になることからも、そのことが伺える。そして、社殿が九州の最南端から北を向いて鎮座しているということは、有史以来何度も薩摩の地に攻め込んできたヤマト、朝廷、幕府等に対抗する隼人族の守り神であったと考えるほうが自然である。
開聞岳をご神体と仰ぐ枚聞神社
続いて、オオウナギでも知られる九州最大の湖である池田湖を訪れた。この湖もマール地形のひとつであり、海岸線から3km離れているが、日本で4番目に深い(233m)この湖の最深部は、海抜−167mにも達するカルデラ湖である。前の月にイタリアのアルバーノ湖を訪れたように、カルデラ湖(マール地形)は、三宅代表のフィールドワークのひとつである。
九州最大最深の池田湖からも開聞岳がよく見える
最後に、鹿児島空港の北側にある霧島神宮を訪問した。こちらの神社も九州有数の活火山である霧島連峰を神体山といただく古い神社であるが、江戸時代までは、山岳仏教の聖地であったものが、たまたま祭神が天照大神と神武天皇を繋ぐ天津彦火瓊瓊杵(ニニギ)尊であったことから、天孫降臨神話から続く万世一系の天皇を戴く明治政府の宗教政策と合致したため、官幣大社に叙せられた、南九州では最大の神社である。こうして、二日間におよぶ薩摩の火山と神社のフィールドワークを終えて、空路、大阪へと戻った。
霧島神宮の壮麗な社殿を訪れた三宅善信代表