サイパンで遺骨収容と慰霊祭

2016年7月5日〜7日

サイパン島を守備していた日本軍は、1944年7月7日に敢行されたいわゆる「バンザイ突撃」によって4,311名の将兵が玉砕した(米軍の犠牲者は406名)。この玉砕によって逃げ場を失ったサトウキビ生産に従事していた日本からの入植者たち約2万人は、翌々日の7月9日、サイパン島北端の「バンザイクリフ」や「スーサイドクリフ」から次々と身を投じて露と消えた太平洋戦争最大の激戦地であった。

神仏合同慰霊祭で玉串を奉奠する三宅善信国際宗教同志会事務局長
神仏合同慰霊祭で玉串を奉奠する三宅善信国際宗教同志会事務局長

国際宗教同志会では、五年前からサイパンで遺骨収容事業を行っているNPO法人「空援隊」の活動を視察すると同時に、玉砕当日にあたる7月7日に、空援隊が163柱の遺骨を収容したバンザイ突撃の激戦地跡で、「公務殉難者」に対する神仏合同慰霊祭を行った。慰霊祭では、高野山真言宗明王院住職の上田尚道師が表白文を奉読し、国際宗教同志会事務局長の三宅善信師が玉串を奉奠した。

神仏合同慰霊祭で位牌に頭を垂れるサイパン市長
神仏合同慰霊祭で位牌に頭を垂れるサイパン市長

また、国際宗教同志会会長の西田多戈止一燈園当番をはじめ、日本の駐サイパン領事の松村敏夫氏や北マリアナ諸島政府の副知事、観光局長、環境局長、国立公園レンジャー隊長、サイパン市長、サイパン警察署長、さらには、退役軍人会の代表ら三十数人が焼香し、かつての敵味方を超えて、戦争犠牲者の冥福と平和の継続を祈念した。なお、この模様は、地元のテレビ局でニュースとして取り上げられ、三宅師へのインタビューがニュース番組開始後、10分目から1分30秒間にわたって放送された。

地元テレビ局から取材を受ける三宅善信師
地元テレビ局から取材を受ける三宅善信師

北マリアナ諸島連邦のV・ホコッグ副知事やサイパン市のD・アパタン市長をはじめとするサイパンの主要官庁や、松村敏夫駐サイパン領事のもとを訪れて、遺骨収容事業に対する理解と協力を求めた。

デビッド・アパタン市長と懇談する国際宗教同志会一行
デビッド・アパタン市長と懇談する国際宗教同志会一行

また、一行は、サイパン島内の各所に点在する日本兵が逃げ込んだジャングルの中の洞窟に潜り込んで、70年以上にわたって放置されたままの遺骨を調べたり、2万余の日本人(多くは民間人)が「せめて魂だけでも日本に帰れるように」と念じて、身を投じたバンザイクリフやスーサイドクリフで慰霊の祈りを捧げた。

匍匐前進で進入した洞窟で遺骨を見つめる三宅善信国際宗教同志会事務局長
匍匐前進で進入した洞窟で遺骨を見つめる三宅善信国際宗教同志会事務局長



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