今宮戎神社宮司、津江明宏先生へのインタビュー 
           (2000/4/17 今宮戎神社社務所において)
 感想


◇ ご紹介 ◇
                                           

津江明宏先生

 経歴を見ると、昭和32年、今宮戎神社津江孝夫宮司の長男として生まれ、広島大学理学部地学科を卒業後、京都大学で研究生として地学を修められた。その後、皇学館大学で神職の資格を取得され、昭和59年今宮戎神社権禰宣(ごんねぎ)就任。この4月1日付けで同神社宮司に就任された。 

 最後に、「必要なら、誰か紹介しますよ。インタビュー受けるより、紹介のほうが楽だから」とおっしゃって、わははと、また、笑顔を見せて下さった。



今宮戎神社

 大阪を知らない人でも、道頓堀のグリコの看板や巨大な蟹はご存知でしょう。その難波からほんの数百メートル。日本橋の電気街の看板も読める大きさに見える。しかも、そこはマンガ「じゃりん子チエ」の世界。超下町。なのに、なぜか今宮戎神社はシンとして、夕陽の一歩手前の太陽を浴びていた。

そもそも、今宮戎神社は「皇紀1260年(わぉ!)(西暦600年)に聖徳太子が四天王寺建立に当たり、同地西方の守り神として祀られ、太子自らご祭神に市の守り神としてお祈りせられた」という、由緒正しい商売繁盛、福徳円満の神様。

毎年1月9・10・11日に、100万人以上が参詣し、商売繁盛を願って飾りのついた笹を頂く「十日戎(とおかゑびす)」のお祭は、江戸時代初期に始まり、元禄時代には、ほぼ現在のかたちになったそう。



今宮戎神社宮司、津江明宏先生へのインタビュー 

                          (2000/4/17 今宮戎神社社務所において


(宇根) 早速ですが、まず、現代社会問題についてお聞きしたいと思います。いろいろな宗教家の方がこういった問題に取組まれていますが、先生はどういったことをなさっているんでしょうか?

(津江) 神社界そのものでは「どこそこが本部になって、こういう考えをもってやっている」ということは、まだ一様ではありません。ですから、私の考えが神社界を代表するというものではないんですけれど、うちでは取りたてて、社会問題に対して真向から何かしようということはしておりません。福祉にしても何かイベントがあってお役に立つというよりも、日頃からの積み重ねというものを大事にしています。

例えば、身障者の方々の施設や学校へ毎週行って、トイレの掃除をするとか、そういう取組みです。常日頃の生活の中でお手伝いをさせていただいています。身障者の方の問題だけに限らず、前の宮司(津江孝夫名誉宮司)の時から一番大事にしているのは、神社を信奉するというのではなくても、神社の中で子どもたちに遊んでもらう、子どもたちに思い出を作ってもらうということです。神社を通して何かしらの経験を持ってもらうというのが根本的な考え方なんです。

 「こども戎」という夏のお祭があるんですが、その時には神社の中を子供の無料の遊び場にして、子どもたちに夏祭というものを体験してもらっています。また、毎年、絵の展覧会をしております。それは大阪府の幼稚園・保育園、小学校、中学校から作品を集めて、神社の中で展覧会をするんです。そのテーマというのは神社というわけではなくて、何でもいいんです。これは前の宮司もよく言葉にしていたことですが、「美しいものを美しいと感じる感性」というものが、すなわち、日本人が昔から持っていた神道に通じるひとつの考え方です。そういうものを子どもたちに実践してもらう。あえて、「神社の教えというのはこういうものだ」というのではなくて、もっと基本的なところの積み重ねをうちの神社としてしているところです。

(宇根) その絵の展覧会はいつ頃からされているんですか?

(津江) 今年で41回目です。戦後ちょっと落ち着いたくらいから始まりました。「春の展覧会」がありまして、応募数は14万点ほどです。その中から1000点ずつを選んで、前半と後半で展示しています。当社は後援というかたちで、大阪府下の図工の先生達が協力してやっておられるわけです。それから、「春の展覧会」で良かった小学校にお願いして、夏の展覧会のときには和紙に絵を描いてもらっています。裏から光を当てて、行灯のようなものを作るんです。きれいですよ。それを、子ども達に来て見てもらうんです。自分の絵だけではなくて他人の絵を見るというのも大切なことですから。

(宇根) 和紙に絵を描くというのは普通の学校教育だけでは、なかなかできないことですね。

(津江) そうですね。それから、もうひとつしてもらっているのが、2メートルX 3メートルくらいの紙にクラス全員で絵を描いてもらうんです。一人一人がそれぞれ絵を描くということはどこでもあるんですが、全員で協力し合って絵を描くという機会はほとんどないらしいんです。みんなでひとつのものを作り上げるというのも、神道につながるひとつの考えかただと思います。その中にも自分の個性は出ますし、かといって、協力し合わなければ絵はだめになってしまう。そいういうことを通じて、神道の教化ということになっていると思います。生活慣習の中に、誰もが当たり前と思っていた中に、神道そのものがあります。そういうことをもう一度、喚起してもらうためにうちの神社としては動いているところです。

(宇根) 大阪国際宗教同志会のホームページで、先生がモンゴルに仏典保護のためにと行かれたという記事を拝見したのですが、それはどういったお考えからだったんでしょうか?

(津江) (笑い)いやね、いろいろと…善信先生(三宅主幹)独特のお話のうまさに乗せられてしまって…。(笑い) モンゴルと日本とではDNA的にも文化的にも近いのに、生活習慣などは全然違う国ですが、何か似通っているものがあるのかな、という単純な好奇心から行ったんです。

(宇根) 先生は神道の方なのに仏教の経典の保護のためにモンゴルへ行かれるということは、私にとっては「いいのかな?」と疑問が生じるんですが…。

(津江) (笑い)抵抗は全然ないですね。もちろん、仏典に書かれていることというのは、ひとつの宗教の内容ですけれど、それを書かれた当時の人々の思いがあります。それは仏教・キリスト教ということを問わず、一生懸命作った人の心というものが大切なんです。かつて、その宗教の中で生きてきた人たちの気持ちを大事にしたいというのは、どんな宗教の人でも同じです。逆にもし、日本がもっと混沌とした世界になったなら、昔の人が書き残した古事記や日本書紀を保存しようと外国からも人が来られると思います。「大切にしよう」という気持ちは変らないと思います。

(宇根) では、今後、こういうことをしていきたい、50年後、100年後の姿はこのようになっているだろう、ということはお考えになっておられますか?

(津江) 言葉で言い表すのは非常に難しいんですけれど、ひとつは今までの神社の姿というのは、お祭なども含めて、後世に残していかなければならないと思っています。俳句の松尾芭蕉が「不易流行」という言葉を使っていますが、これは「古いものは大切にしなければならない。しかし、それにばかり固執してしまうと、周りから孤立して、固陋な考え方になってしまう」ということです。その兼ね合いが大切なんです。それは神社も同様で、古いものばかりに固執していますと、社会から孤立した単なる「昔の建物」になってしまいます。かと言って、流行ばかり追っていくと、いわゆる「お祭」ではなくなって、「フェスティバル」になってしまいます。そういうところの兼ね合いを大事にしていって、良いものはお祭の要素に取り入れていきたい。それは私の宮司としての経験の中で見極めていきたいと思います。

 例えば、うちではお祭の場合でも、20年ほど前からお囃子もちょっとずつ変えてきています。昔のお囃子の要素は残しつつも、短調は今の人には音楽的に乗りづらいところがありますから、テンポを変えて追加しているところもあります。先日、山折先生のご講演でも「今の子供は短調の音楽は受け付けなくなっている」というお話がありましたね。お囃子でも昔の音律は残しつつも変えていったりしているんです。ただ、私の代になったからと180度変えるのではなくて、時代の流れに合ったものを徐々に取り入れていきたいと思っています。

(宇根) そういった改革をしていくというのは難しいですか?

(津江) 改革が難しいということではないんですけれど…。考え方の違う神社さんにとっては「何をやっているんだ」という反発はあると思います。もちろんそういう点も考慮しなければなりませんが、参拝して来られる方が一番の対象ですし、うちの場合では今宮大神をお祀りするということが第一義ですから。幸いにして今のところ参拝者の方々には違和感なく来ていただいています。

 臓器移植の問題なんかに関しては、それぞれの考え方があって難しい問題ですが、神社界を見ますと8割方が反対のようです。私個人としては「賛成」という考え方があっても良いとは思いますが、それは神社をやっていく考え方とは、また違う考え方になりますからね…。古いものを守りすぎますと、結局その古いものを潰してしまうことになりかねないと思いますから。臓器移植でも頂いた新しい心臓を自分のものにすることによって、その心臓はその人の一部になるわけですね。それは結局、その人の体の他の部分を生かすことになるわけです。これと同じように考えています。

(宇根) はい、とても良く解りました。今日は本当にありがとうございました。




 想

津江先生は広島大学、京都大学で地質学の勉強をされたと聞いていた。理系の科学的分析の世界と、科学では説明できない宗教の世界、ふたつの異なる世界を持ってらっしゃるとは、どういう方なんだろうとお会いするのが楽しみでもあった。

お話しの中で非常に印象的だったのは、先生が宗教家でありながら、宗教的な色合いをあまり感じさせない点。一般的な言葉で、一般的な話題をお話になっているのに、終ってみると、神道が大切にしているは人々の協調であり、文化を大切にすることであり、広い心で生きることなんだ、ということがメッセージとして強力に残っている。

これこそ、津江先生が今宮戎神社で取り組んでおられることそのものなのだと思う。神道の教えとは具体的に教えるのではなく、既に私たちの心の中にあるもの、血の中にながれているもので、それを意識してもらうことだと、考えられているのかな。例え神道を熱心に信奉しているわけではなくても、その重要な要素は文化として日本人の中に根づいているという確信を持っていらっしゃるように思えた。

 そして、ご参拝の方々を見守ると同時に、やはりお若い先生らしく、目は先を見ていて、さらに世界を見ていらっしゃる。それは神道の世界布教といったものではなくて、他の宗教に根ざした文化であっても、その中に共通する心を見出して大切にするというやりかたで。先生の他の宗教に対する大らかさを見せていただいた気がした。

津江先生の、この大らかさのおかげで、初めは何を聞いているのか分からないほど緊張していたけれど、気さくなお話し振りに、楽しく最後まで終えることができた。

津江先生、本当にありがとうございました。


戻る