西宮神社宮司、吉井貞俊先生へのインタビュー 
           (2000/5/20 西宮神社社務所において
 感想

◇ ご紹介 ◇

吉井貞俊先生

 「西宮えびす」として親しまれている西宮神社は、全国のえびす神社の総本宮であり、商売繁盛の神として毎年、1月9日の宵えびすから11日の残り福までの3日間は縁起物の福蓑や福笹を求める100万人以上の人で賑わう。6月20日、この西宮神社での会合に出席する三宅主幹に随行し、吉井貞俊権宮司に、インタビューをさせていただいた。

 また、吉井権宮司は長年、旅先や日常の移動の際に目にする情景をスケッチされている。それが1・2分間隔でまるでビデオを回しているかのように描かれている。インタビューの中にも出てくるが、吉井権宮司が西宮・三宮(神戸)間で阪神淡路大震災の前後で描かれていたスケッチは資料としての価値も高く、各地の美術館や博物館でも展示されることがあるそうだ。



豆本



西宮神社権宮司、吉井貞俊先生へのインタビュー
 

                           (2000/6/20 西宮神社社務所において)



インタビュー宇根

 
(宇根) よろしくお願いします。予め資料をご用意下さってありがとうございます。こちらを拝見しますと、毎月、なんらかの会を催されてらっしゃるようですが、対象はどういった方々なんでしょうか?

(吉井) 一般市民の方々です。全然そういう気(信心)のないひと。お祭には来ない。(笑)普通の市民です。ただ、年齢的には、この頃ずーっと上がってきてしまったな。中年の人が多かったんだけれど、それより上になってきた。会員は300人くらいで、ひとつの講演で集まるのは100人くらいですね。

(宇根) どういったお考えで、一般市民対象の会をなさるようになったんですか?

(吉井) なんと言うんでしょう…。神社というのは学校教育のなかった昔は、神社はひとつの教養機関であるべきだという観念があった。そういうことです。いわゆる公民館活動というものが戦後すぐに始まったわけですが、それよりも、この活動の方が先行していたんだね。西宮文化協会という名前でやっているんだけれど、普通、他の市では市役所がやってるから、ここも西宮市役所がやっていると思われることが多いですね。西宮市では文化協会というのはやっていなくて、市の職員がここの文化協会の役員として来ています。

(宇根) では、内容的にも、一般教養的なものなんですか?

(吉井) ええ、一向に神社らしくないんですよ。「聖徳太子と道真公ゆかりの地を巡る」では飛鳥の地を訪ねる見学会でしょ。今月は「人形浄瑠璃 その生い立ちと魅力」です。お祭のこともひとつも書いてへんからね。割に、その点は気楽なんですよ。

(宇根) では、西宮神社として神道の教えを広めていこうという活動はどのようになさってらっしゃるんですか?

(吉井) それは、自然。自然のうちに、そういうようになるだろうと思うております。そやから、とにかく若い人にも「どんなことでも一度、徹底的にやってみなさい」と言ってます。そうしたら、これではいかんということになってくるからね。その時に、どこに帰るかという時まで、こっちでしっかりと守っていなさい、きっちりしていなさい、ということを訴えてます。

新宗教等では、教義やら歴史やら、いろいろと説明をしなければならないけれど、神社神道はその点、楽なんですわ。経典もないからね、自然のまま過ごしてたらいいからね。最後に頼るところとしては、絶対だから…。日本の道というものを考えた時には、やっぱり神道というのがあるなぁということで。そやから、その点はあんまり心配してへんねぇ。動くだけ動きなさいと。

(宇根) 今の社会情勢が乱れたりしていますが、それも、その動きの一部だということですか?

(吉井) ああ、もう、もっと乱れなあかんわ。(笑)

(宇根) もっとですか?! まだですか? (笑)

(吉井) そのうちに自覚してくるから…。そりゃね、外国に行った時に何が楽しいかって、その国らしさというのに触れた時が楽しい。だから、よその国から人が来た時に、巫女さんなんかに会うと、よその国にはない、この国らしさということでおもしろい。日本人よりも外国人の方が先に、「あ、これが日本やな」って発見してくれると思うけどね。
 
日本人は外国人が「ええ(良い)」って言うもんを「ええ」と思う民族やからね、外国人に日本らしさを発見してもらえばええと思うけれどね。テレビや新聞の人なんかも、判らんのなら徹底的に判らんで言うとってくれたらええねん。そのうちに帰ってくるから。中途半端ではいかんのや。ほんで、ちょっと言うてね、訂正したりしたらいかんのや。

(宇根) ちょっと、微妙なお話ですね…。(笑) では、今後、西宮神社として、あるいは神道としてどのようになって行けばいいのかと…

(吉井) もう、このまま。まっすぐに…。

(宇根) これまでがどうだったかとか、これからがどうかということではないということですか?

(吉井) うん、そのまま。あのね、うちでは一番大きなお祭は、例祭というんです。だから、例によって行っているお祭です。それだけや。新しいもん新しいもんてしてたって、そんなに新しいものなんかできへんからね。例によって行うことから、ずーっと続くんですわ。

(宇根) では、私も含めて特定の宗教、特定の神様を信じていない人というのもたくさんいると思うんですが、そういう人に対してはどういうったお考えを持っていらっしゃいますか?

(吉井) そりゃ、「神社や宗教なんていらん」と思うている人ほどね、ほしゅうなってくる人が多いんです。そんな人に「要りますよ、要りますよ」って説教したかて入ってけぇへんから。その人が、そのうちに自覚してくるから。アホは…まぁ、な。「失言しました」って言わなあかんな。ま、ちゃんと自覚できた人は帰ってくる。

(宇根) 「日本文化の本質に帰りたい」と言って来た時にはどうなさるんですか?

(吉井) シャンとしてたらええねん、こっちが。こっちの風が吹くなぁと思ってこっちに向いてたらいかんの。こっちの風が吹いても、ちゃんと(キチンと)していたらね、あっちの風が吹いた時にもちゃんとできるの。そうしてないと、帰りたくなっても帰ってこられへん。

(宇根) では、誰かが「帰りたい」と言ってきたときにも、特別「さぁ、いらっしゃい。こっちですよ」と言うわけではないということですか?

(吉井) いや、受け入れる方法は考えておかなければならんな。

(宇根) それはどういう方法なんでしょうか?

(吉井) わからん。(爆笑) 心を鎮めるところということを言うと、神道は本来、日本人を対象にしているのかもわからないな。民族を対象にしているのかもしれん。けれど、民族がしっかりしていればいるほど、国際人やということになるからね。世界のこっちの人とあっちの人が全く同じことをやったり言ったりしてたら、それは本当の国際人とは言えないんですよ。

 人間というのは、この大きな世界の中の小さな存在でしょ。これが、大きな環境の中でそれぞれ個性を持っていなかったら、本当の意味で国際人にはなれない。だから、神道の場合には、確かに日本人の好きな環境を整えとるわけやから、ある意味では狭いけれど、それが世界に通じるものやと僕は思っています。

(宇根) 日本人の好きな環境とおっしゃるのは、どういう環境のことなんでしょうか?

(吉井) それは、これを読んで下さい! (笑いながら著書『日本美と神道』〔新風書房〕を示される)

(宇根) はい、読ませていただきます! (笑) ずっと、先生は日本人の好きな環境ということを意識しながらやってこられたんですか? それとも、どこかの時点で「あ、こういうことか」とお気付きになられたんですか?

(吉井) そうですね、私が生まれたのは伊勢神宮なのでね(註:神宮に古来より神職として仕える宇治土公家に生まれ、西宮神社の吉井家の養子となる)、初めからそういう感覚はあったんです。教えられるわけではなくてね。僕は1930年生まれですからね、ぴったり70才ですけど、この70年間「お前はこうしろ」と強制されたことはないんです。だから、自然とこうなったんです。

日本人の好きな環境というと、どこに行っても、あの伊勢の感覚、雰囲気はいいと思いますよ。伊勢には行ったことある?

(宇根) いいえ、まだないんです。

(吉井) ああー、もう、早よ行きなさい。(笑) 本当に一度は行ってみるべきです。昔はこの辺の人は、小学校の修学旅行で伊勢方面にいったから、割合に知ってくれていたんだけど、最近は修学旅行に来ることは来るんだけど、伊勢街道を復元してあるところ(テーマパーク『おかげ横丁』)があって、とてもおもしろいんですが、バスでそこにさーっと行ってしまうんです。学校で神様を拝みに行くのはいけないっていうんで、テーマパークの方に行っちゃうんです。

★ここで三宅主幹が乱入!

(三宅) われわれ、関西の人間であれば、先生がおっしゃったように子供のころに(修学旅行で)お伊勢さんにも行くんですが、宇根さんのように北海道の人や関東の人では、なかなか来られませんからね。

(宇根) 札幌では、身近に残っている古いものがとても少ないんです。目に付くものはせいぜい100年か200年前のものですから。ですから、こちら(関西)に来て目にするものの歴史が、1000年、2000年という単位に突然飛んでしまうわけなんですが、それがとても懐かしいような感覚なんです。

例えば、田んぼにしても北海道では、広い平野に大きく真四角に切られた水田を見て育っているんですが、山あいの田園風景を見てもとても懐かしい感じがするんです。

(三宅) 先生のおっしゃった、例大祭、同じことを繰り返して行くといくということは非常に重要性が高いと思いますね。キリスト教でも毎週、毎週、パンとぶどう酒を用いた聖餐式(ミサ)でキリストが十字架に架けられたことを追体験するわけですね。もっと言えば、DNAも同じことを繰り返すわけで。ですから、「新しいことを、新しいことを」と僕らは言いますが、繰り返しの再評価ということがもっとなされても良いのではないでしょうか。

(宇根) 特に、関西地区では1000年という単位で存在するものの大切さということを子供のころから自然に感じることができると思いますが、古いもの少ないところでどうやってその重要性を感じれば良いのでしょうか。

(吉井) 1000年とは言ってもね、それほどのことではないですね。僕が40年くらい前に考古学を始めたころには、縄文式・プレ縄文となって、だいたい3万年がひとつの基準になっていたんです。3万年を30cmとすると1000年文化というのはたったの1cmやねん。たいしたことないねん。その尺度をどこに持っていくかで、ずいぶん違ってくるね。

(三宅) 次々と考古学的発見がされて、私たちが学校で習ったころと歴史評価がずいぶん変ってきていますけれどね。縄文以来のニッポン文化が13,000年。日本として統一されて1,300年。明治以降の近代日本が130年。先日から問題になりました「神の国」にしても、日本の歴史の中で言うと100分の1、10分の1でしかないわけで…。

(吉井) そういう感覚はこれからも持っていかなければならんね。

(三宅) 日本人の、すぐ新しいものに飛びつくという性質にしても、一方では伊勢神宮など、変らない確固としたものがちゃんとあるから、今日はこっち、明日はあっちといけるのでしょう。中心に「ブレないものがある」という安心感があるからこそ、流行りに流れるという気がします。

(吉井) アメリカでは星条旗が揚がると、皆、ビシッとなって敬礼したりするでしょ。でも、日本は日の丸が揚がったからってどうっとことはない。それはね、日本には皇室があるから、日の丸がどうのってね…。その点は全然違います。だから、アメリカ人がビシッとなっているから良くて、日本はだめだという批判にはならないと思いますよ。

ただ、皇室の存在というのは日本人はもっとちゃんと認識しなければなりません。日本人より外国人の方が羨ましがります。外国では基準となる人がいないんですから。例え政権が変っても、こんなに長く皇室が続いている国は他にありませんよ。日本人はよく、個性がないと言われますが、世界一個性を持った国民ですよ。

(宇根) そろそろ時間がなくなりそうですが、先生の豆本を拝見してよろしいですか?



解説を聞く宇根


(三宅) 阪神大震災の前と後に、西宮−三宮間の阪神電車沿線の風景を描かれたものは(都市防災学的)資料としての価値も高いと伺っています。

(吉井) ええ、平面図は結構あるらしいんですが、立面図はないんですよ。

 阪神電車西宮−三宮沿線の風景を阪神淡路大震災の前と直後と復興後に同じ場所を描かかれ、ワンセットにしてあるものや、東北新幹線の右左の車窓の風景などが、幅5cm、長さ数十cmから数mの巻き紙に描かれ、装丁されて豆本になっている。数十巻箱の中にびっしりと詰められている。



 想

70歳というご年齢と権宮司という肩書きに、厳めしい方かとお会いする前は不安があったけれど、実際お会いしてみると、「優しく冗談好きなおじいちゃん」という印象だった。

豆本の作成は「趣味」という枠を超えている。先生のライフワークなのだと思う。目に見える風景を、そのままに記録に残されている。そこには時代と共に変り行く街並みや、震災などで変らざるを得なかった風景がしっかりと残っている。それらの豆本を見せてくださる時の吉井先生は、「西宮神社権宮司先生」というよりは、大切な宝物を見せてくれる少年のようだった。目を輝かせて、次々に巻物状の豆本を広げて見せてくださる。その上、私が何mも広げてしまった豆本を「いいですよ」とおっしゃって巻とって片づけてくださる。本当に素敵な方だった。

現在の日本の状況にも特別の危機感は抱いてらっしゃらないし、この状況や日本人の変化に神道を対応させていくとういうようなことは、お考えにはないようだ。変化というものを、普遍的な神道の幅の中での事象と捉えてらっしゃるように思えた。それは神道が長い長い年月をかけて、日本人や日本文化を培ってきたという自信の表われなのだと思う。肩ひじを張ったものではなく、神道それ自体が日本文化の基礎であり、変化や流行り廃りを超越しているということのようだった。

前回、今宮えびす神社の津江宮司にお会いした時にも同じことを感じた。神道に携わる方に共通する考え方なのだろうか。次には、どのようなお考えの先生にお会いできるかとても楽しみ…。


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