■中東ヨルダンからWCRP世界大会の模様を生中継■
WCRP第7回世界大会 アンマンで開催 | ||
第7回世界宗教者平和会議(WCRP7)世界大会が、11月25日、『共生のための地球的行動:新たな千年紀における宗教の役割』をテーマに、世界60カ国15の宗教を代表する約1,200名の参加者を集めてヨルダン王国の首都アンマンで開会した。29日までの5日間にわたって、世界平和の構築に向けて宗教者の叡智を集めた会議が行われている。レルネットでは、インターネットを通じて現地の模様を中継して行く。 ▼地球化VS地域化? 1970年に京都において、世界(39カ国)の異なった諸宗教の指導者が一堂に会して、平和の問題について話し合うという人類史上画期的な第1回の世界大会が開催されて以来、WCRPはその世界大会をベルギー、アメリカ、ケニア、オーストラリア、イタリアと回を重ねて開催してきたが、今回、初めて中東イスラム圏での世界大会が開催された。 冷戦後の国際政治最大の不安定要因が、いわゆる「民族・宗教紛争」であることはいうまでもない。なかでも最も大きな要因は、欧米(キリスト教国)における価値の諸基準をもってグローバルスタンダードとしようとする勢力(G7諸国・国連機構・経済金融・情報通信等のあらゆる分野においてこの傾向は顕著に見られる)と、地域主義の観点からこれに対抗しようとする勢力(イスラム原理主義グループや各地の民族主義勢力等)との攻めぎ合いというかたちで、この対立軸は過去10年間にわたって世界の各地域で頻発してきた。また、これらの問題は、国際政治だけでなく、例えばここ数年間の日本における金融秩序の混乱(いわゆる「日本的経営」とグローバルスタンダードとの軋轢)や企業のリストラにも大いに関連していることからみても、ひとり、バルカン半島や中央アジアにおける民族・宗教紛争だけの問題でないことは明らかだ。そのような国際情勢のなかで開催された世界大会であるだけに、これまでの6回の世界大会とは、当然、性格を異にしている。 24日午後の旧役員(今大会で改選される国際委員長団)による国際管理委員会で今大会の新役員(次期世界大会まで)選出手続きが話し合われ、25日午前8時からは、各国からの正式代表団(投票権のある300名で構成)によって、国際NGO法人としてのWCRPの法務事項(規約改正等)が承認された(この朝の会議に関して言えば、実質的な討議が行われない「シャンシャン総会」だった)。 ▼アブドゥラ国王・ワヒド大統領臨席の下、華やかに開幕 25日午前11時、会場を隣接する王立文化宮殿(広大な体育・文化施設)ホールに移し、開会式が華やかに開会された。会場入口付近には、宗教者会議には似つかわしくない(あるいは、宗教者会議だからこそ必要なのかもしれないが)ものものしい自動小銃を構えた警備兵が見守る中、今春の政変(崩御したフセイン国王の下で三十数間数年間、弟宮のハッサン殿下が皇太子=実質的な摂政として政治を切り盛りしていたが、先王の崩御直前に、先王が皇太子の位を弟宮から嫡子に変更した)で王位に就いたばかりのアブドゥラ国王とハッサン殿下(この大会のヨルダンへの誘致者)が会場に到着された。 壇上には、アブドゥラ国王・ハッサン殿下と国賓としてヨルダンを公式訪問中のインドネシアのアブドゥルラフマン・ワヒド大統領、WCRP側からは、国際管理委員会議長のアダモ・N・ンジョヤ博士(カメルーン全権大使)とW・ベンドレイ事務総長の5人が席に就いた。ンジョヤ議長の開会宣言、ベンドレイ事務総長によって短い活動報告が行われた。続いて、この大会の実質的なホストであるハッサン殿下が、「初めてイスラム圏で開催されるこの大会の歴史的価値、すなわち、新しい千年紀の人類的課題を解決するための宗教の活躍が大きく期待されていること」について、力強く挨拶をされた。 さらに、先月インドネシアの大統領に就任したばかりのアブドゥルラフマン・ワヒド師が大きな拍手のもとに講演台に着き、「ここ両年のインドネシアにおける政治的混乱から思いがけず大統領に就任することになったが、自分の気持ちは常にWCRPと共にあり、自らのイスラム教の信仰は揺るぎないものであるが、そのことが決して、他者の政治的・宗教的自由を妨げるものであってはならないこと。また、東ティモールに続いて、もしその住民が望むのなら、アチェ自治州が独立することを妨げないこと」を表明した。
最後に、アブドゥラ国王が登壇。「全世界からこの大会に参加した宗教者たちを心から歓迎します。イスラム教で伝統的に言われる『聖戦』に代わって、今や『聖平和』という概念が構築されるべきである。ヨルダン王国はイスラム教だけでなくユダヤ教・キリスト教やその他の宗教の自由が保証されていること。イスラエルを平和のパートナーとすること。ユダヤ・キリスト・イスラム教の聖地であるエルサレムは、イスラエルの支配を離れて国連の統治地区とし、世界中のユダヤ・キリスト・イスラム教徒たちが自由に巡礼できるようにすること」等について、アラブ諸国の首脳として始めてエルサレムの領有権を放棄する注の目発言をされた。 ▼現実的な政治指導者の問題提起 華やかな開会式に続いて最初の全体討議『共生へのチャレンジ』が始まった。壇上には、モデレーターを勤められるハッサン殿下をはじめ、発表者であるワヒド大統領、英国国教会の最高指導者であるジュージ・ケアリー・カンタベリー大主教、イスラム法の最高権威といわれるカイロのアズハル大学総長ムハマド・タンタウイ博士、ユダヤ人権擁護連盟諸宗教対話部長デビッド・ローゼン師、立正佼成会会長庭野日鑛師、シャンティ・アシュラム(平和の家)主宰ビヌ・アラム博士の7氏が並んだ。 これらの基調後援者たちのなかでも群を抜いて素晴らしかったのは、残念ながら宗教指導者ではなく、ハッサン殿下とワヒド大統領という2人の政治的指導者のものであった。ハッサン殿下は、モデレーターとしてこのセッションを進めるための指針として、新しい千年紀を迎えるにあたり、人類が希望を持ちながら未来を歩んで行くための方策を提案。「私たちがどのようにしたら共生を求めてゆけるか、紛争を解決する、あるいは予防してゆくためにはどのようなイニシアチブを取れば良いかということが大切になってきます『このような仕事は政府とか国連に任せておけばいい』という人もいますが、それは大きな間違いです。しかし、私は政治家が容易に解決できない問題を解決できる潜在的能力を宗教家が持っていると信じています。全世界の宗教家たちが信じている人類の幸せを願う気持ちは、言語や皮膚の色や性別を問うことのない価値観が必ず、より広範な平和を構成することでしょう。まだ生れていない将来の人類が、この私たちの時代を振り返ったとき、『希望が失われた時代であった』と思うことがないようにしなければならない。この時代を『人類が世界に普遍的な道徳を確立した時代であった』と認めてもらえるように努力してゆこうではありませんか」と訴えかけた。 続いて、開会式における国賓としてのセレモニアルな立場だけでなく、一宗教指導者としてWCRPに参加してきたワヒド大統領が所見を発表した。大統領はまず、人類共通の課題を乗り越えてゆくための方途について、イスラム教徒に向けたメッセージを披瀝。「ここ数年間の数奇な運命によってインドネシアの大統領に就任したが、その間、いろんな勢力が私(ワヒド大統領)を『モサド(イスラエルの諜報機関)のスパイ(=イスラムへの裏切り者)』あるいは『KGBのスパイ(=共産主義者)』あるいは『CIAのスパイ(=アメリカ帝国主義への追従者)』などとさまざまなレッテルを貼ってきたが、いうまでもなく私は私であり、敬謙な一イスラム教徒です。イスラム教徒は教えに基いて自らを現代化してゆく使命がある」と強調。さらに、現実に目を据えた視座の大切さについて「多くのイスラム教国も署名している『世界人権宣言』に謳われている『信教(改宗)の自由』と『改宗する(イスラム教を捨てる)と背教になる』というイスラム教の教えが二律背反になっている」ことを指摘。これからは、他宗教間の対話(Inter-religious Dialogue)だけでなく、同じ宗教内の対話(Intra-faith Dialogue)も必要になってくる。それぞれに信じる神があるのなら、それは背教ではない」と、大胆にイスラム教の改革を訴えた。 ▼独善的な宗教指導者の方法論 宗教指導者の中で比較的に良かったのは、ケアリー・カンタベリー大主教である。英国国教会(旧大英帝国の版図を中心に世界中に広まっている教会)の最高指導者(形式上の首長はエリザベス女王)であるカンタベリー大主教は、最近流行のハンチントンやレロンやフクヤマの説を取り上げて、「宗教が紛争の原因なのか?」と「宗教は紛争を解決する能力を有しているか?」という、宗教者にとって手厳しい課題から問題提起をし、「宗教者・団体は、時として仲裁者・調停者としての役割を果たすことが可能である。モザンビークで活躍した聖エディジオ共同体や南アフリカのツツ大主教、マーティン・ルーサー・キング牧師、マハトマ・ガンジーなど」の例を挙げて、宗教者の役割について強調した。 続いて基調講演を行ったアズハル大学のムハマド・タンタウイ総長あたりから、話がおかしくなってきた。「イスラム教徒が日頃の挨拶で用いる『サラーム(汝に平安あれ)』という言葉に典型的に現れているように、イスラム教は平和を希求する宗教であり、それがコーランに書かれてあるアラー(神)の意志である。神が平和を求められている以上、平和になるのである」という論調なのである。全世界から集まった数多くのイスラム教徒でない人を前にして、「神は本質的に平和を求めている」ということを証明するのに、「それがアラーの意志であり、コーランにそう書かれてある」じゃ、アラーを信じない人に対する証明にまるでなっていないじゃないか? それとも、コーランに書かれてあることは、ア・プリオリな原理として万人が受け入れなければならない『定説』なんだろうか? それなら、諸宗教の人々が一同に会して世界会議など開催する必要もないではなか。 会場にいた多くの非イスラム教徒の人々は心の中でこうのように問うたはずである「じゃ、イスラム教でいうところのジハード(聖戦)とサラームとの関係はどうなるのか?」と…。 アズハル大学総長に限らず、宗教家の話は概して「自分の信じている宗教の聖典にこのように書いてあるからこうだ」という話が多すぎる。何度も言うように、それでは蓋然的な説明になっていない。自分が「こうだ」と思うことを、相手の経典・教説を用いてその根拠を証明しなければ、「対話」とは呼べない。そのためには、自分の信じる宗教の経典を学ぶ時間よりもはるかに多くの時間を他の宗教の経典を学ぶ時間に充てなくては、本当の対話にはならない。さもなくば、いきなり「人道的援助活動」などの実践論である。しかし、実践論もまた個別的な経験に基づいたものであり、その経験を共有しない他者に対しては、普遍的に訴えかける力が弱い。このような実践論と、その行為を導き出したところの教理体系を結び付ける方法論的考察が行わなければ、ならないのは言うまでもない。 基調講演終了後に行われた記者会見で、ワヒド大統領は、「インドネシア国内におけるこれまでの宗教間対立の歴史を踏まえて、宗教が平和のためにどのような役割を果たすことができるか?」という記者の質問に、「平和への具体的な解決そのものを、宗教だけに求めてはいけません。政治・経済などのあらゆる面で、まだまだ乗り越えてゆかねばなならないものが存在しています。そのことを念頭に入れておかなければならないのです」と語ったことが印象的であった。 ▼普遍的人権だけでなく、個別的「文化」権への配慮を この日の晩、一部の参加者がハッサン殿下主催のディナーに招待された。歓迎のカクテルパーティ(といってもイスラム教国だからアルコールはご法度だが)で、殿下は参加者ひとりひとりに親しく挨拶を交わされた。続いて、宴会場へ案内されたが、「長幼の序」もあり、私はメインテーブル(殿下ご夫妻や主賓格のカンタベリー大主教夫妻たち)からほどなく離れたテーブルの席に就いた。8人掛けのテーブルには比較的若い人が多かったので、話がとても弾んだ(正直言って、私の舌にはヨルダン料理はあまり美味しいとは思えなかったが)。話が盛り上がる内に、私の隣席にいたエキゾチックな(東洋と西洋に中間的な顔立ちの)女性に名前を聞いて驚いた。なんと、ハッサン殿下の次女スヤナ王女であった。プリンセスと3時間も肩の触れ合うような距離でディナーを楽しめるとはなんたる幸運…。伝統的なイスラム教国では「夫以外の男性と親しくしてはいけない」はずなので、しかも、王女の夫君も会場の別のテーブルにいたので、内心冷や冷やしながら、いろいろと会話を楽しんだ。王女は、同じテーブルに着いた全てのゲストに気を使われて、話題がとぎれないように話しをリードされ、さすがに、こういう場面に慣れておられるのだなと感心した。 一方、ホストのハッサン殿下も、日本の「宴会」よろしく、メインテーブルに座っておられたのは、最初の10分間くらいで、あちらこちらのテーブルを回っては腰を下ろされ、そのテーブルの会話を盛り上げる努力をされていたのが印象的であった。昨年6月にハーバード大学の学長夫妻が来日した日本ハーバードクラブ主催のディナーに主賓として皇太子殿下ご夫妻をお招きしたが、日本では皇族によるそのようなサービスは望むべくもない。しかも、晩餐会中に、テーブルスピーチを行った「地球倫理」の提唱者でチュービンゲン大学のハンス・キュンク教授の指摘した「人類の普遍的な概念としての人権」という発言に対して、ハッサン殿下は「グローバルスタンダードとしての人権も大切だが、同時に、それぞれの地域に個別的ないわば『文化権』という概念も同様に考慮されなければならない」と応答したあたりは、さすがだと感心した。キリスト教文化圏に属する欧米人が、この「地球化と地域化」の問題に気づかないかぎり、冷戦後の十年間に世界の各地で起こってきた出来事の多くを解決することは不可能である。もっと大きな歴史的観点からいえば、コロンブスのアメリカ大陸「発見」以来このかた500年間続いてきたパラダイムを変更しなければならない時期に差し掛かっているのであって、これこそ「新しい千年紀(ミレニアム)を迎える人類」の課題であると言えよう。 ヨルダンからのインターネットの接続具合があまり良くなかったので、今回のWCRP世界会議の現地からの実況は1回限りとなったが、この続きは、12月に帰国してから、認ためることにする。 |