レルネット主幹 三宅善信
▼鈴木宗男とダライ・ラマとの不思議な因縁
2001年9月11日の米国での同時多発テロ事件からちょうど半年を経過した2002年3月11日、海外のメディアではこの話題で持ちきりであったが、わが日本では、いわゆる「鈴木宗男疑惑」で、衆議院において同代議士の証人喚問に関する報道一色であった。私はそもそも教養のない人は好かんので、同氏が自民党の総務局長をしていた頃から、その品のない言動を快く思っていなかった(註:2000年1月に行われた大阪府知事選で、私は、自民党大阪府連と一緒に太田房江現知事に敗れた学校法人専務理事の平岡龍人氏を支持し、地元大阪の議員たちは党本部の執行部から「圧力」を受けたことを知っている)。
しかし、田中眞紀子外相(当時)とのバトル以来、メディアによって一方的に「悪役」に仕立て上げられた感があり、昨今では、「アホの坂田」こと、ベテラン上方漫才師コメディNo.1の坂田利夫に擬されるまで虚仮にされた宗男氏を見て、「天の邪鬼」の性格が擡(もた)げつつあるのも事実である。世人は、漫才師の坂田利夫と鈴木宗男代議士がよく似ているというが、十数年以上も前から、私はこのコメディNo.1の相方である前田五郎と、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ13世が「生まれ変わり(転生)」ではないかと思われるくらいのそっくりさんであるということに気づいている。少し、興奮した時の話し方もそっくりである。
▼北方領土問題という幻想
さて、本題に入るが、ここで私は、世情を騒がせている鈴木宗男氏の具体的なディテールについての「疑惑」についてコメントする気はない。ただひとつ関心があるのは、対ロシア(ソ連)外交について、私が長年考えてきたことと同じ意見を鈴木氏が持っていたことが判明したからである。それは、すなわち、いわゆる"北方領土返還"問題についてである。本日(3月11日)午前中の衆議院での証人喚問に続いて、午後に行われた参議院予算委員会で、問題の発言は明らかになった。すなわち、外務省の斎藤泰雄欧州局長は本日の参院予算委員会で、自民党の鈴木宗男前衆院議運委員長が、北方4島返還に関して、1995年に外務省幹部に対し「国の面子(メンツ)から領土返還を主張しているにすぎず、実際には島が返還されても国として何の利益にもならない」と述べたことを記した同省の内部文書の存在を認め、内容についても「事実だ」と答弁したのである。
本発言は、関係者に大きな衝撃をもたらせた。というのも、わが国においては、一般国民はもとより、右翼の構成員から共産党員に至るまで、「"北方領土"は、わが国固有の領土であり、太平洋戦争末期にソ連によって"不法に占拠"され、その状態が五十数年を経た現在に至るまで継続されており、ソ連の継承国であるロシア連邦は、速やかに日本に対して(不法に占拠している)北方領土を返還すべきであり、しかる後に、日露平和条約の締結や(日本からロシアへの)経済援助を行うべきである」という点では、最も広範囲に国民的コンセンサスが得られている数少ない政治issueであると理解されているはずである。
しかし、私は、このこと(「不法に占拠されている北方領土は速やかに返還してもらうべきである」というアプリオリな議論の前提)について、従前から大いなる疑問を抱いていた。隣国との領土問題だけなら、何故、韓国(大韓民国)との間で領有権が争われている(韓国が武力で不法に占拠している)「竹島(韓国名では独島)」や、中国(中華人民共和国)との間で領有権が争われている(中国が武力で不法に占拠している)「尖閣列島(中国名では釣魚島)」の問題が、ロシアとの間で争われている「北方四島」の問題のように、二国間の政治的な交渉の大きな障害にならないのであろうか? しかも、韓国や中国とは、「領土問題」を棚上げにして、それぞれ既に「日韓基本条約(1965年)」や「日中友好平和条約(1978年)」を締結してしまっている。ここに、私は戦後史の大いなる疑問のひとつを感じるのである。
▼対中・対韓関係では、損ばかりしている
もちろん、日本と中・韓・露それぞれの国との間の関係ならびに、米ソ冷戦という第二次大戦後の国際情勢および、アメリカ追従を外交の主軸とする戦後一貫した日本の外交方針などが絡み合って、中・韓・露それぞれの国との間の関係に差異が生じてきたのであるが、第二次大戦後の五十数年間を率直に振り返ってみて、わが国にとってみて、対中・対韓・対露の「どの関係が一番得をした(損をしなかった)か?」と言えば、言うまでもなく、対露の関係である。こんなことを言えば、多くの読者の方々は、ソ連は日本にとって長年軍事的な脅威であったし、資本主義陣営の韓国は一応「友好国」ということになってはずだ。また、中国とは、田中角栄総理の電撃的訪問以来、それまでの仮想敵国から善隣友好国に変化したはずだ。と言われるかもしれない。しかし、それらの意見はすべて、物事の表層しか見ようとしない一面的見解に過ぎない。以下、ひとつひとつ論証してゆこう。
まず、三カ国の中では唯一、最初から資本主義国家であった韓国の例から考えてみよう。確かに、韓国は1950年の朝鮮戦争以来、日米が組みする資本主義陣営の傘下に入っていた。しかし、これはあくまで北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)という軍事独裁国家の脅威に備えるためのことであって、韓国自身も、決して「民主主義国」と言えるような国ではなかった。私が学生の頃は、日本が大量に資金援助していた朴正煕大統領の軍事政権下であったし、朴政権に次いで軍事クーデターで政権についた全斗煥大統領の政権もしかりである。その後、やっと選挙で選ばれた軍人出身の盧泰愚大統領政権下で民主化されたのである。民間人出身の政権といえば、金永三氏と金大中氏による直近の2政権だけである。しかも、日韓両国は、一応「友好国」と言いながら、韓国が世界中で最も、日本のすることに「いちゃもん」を付けてくる国である。日本の教科書を云々する前に、自分のところの教科書が如何に客観的に書かれていないかをチェックすべきである。
次に、中国である。この事大主義の大国は、歴史を通じて一貫して日本のことを軽く見ている。何故、日本は「台湾(中華民国)」という"切り札"を使って、中国との交渉に当たろうとしないのか疑問である。もし、中国が日本に対して、合理的な理由のない無理難題を押しつけてきたら、「結構です。じゃ台湾と関係を回復しますから」と何故、言わないのであろう。日中国交回復以来、日本政府は既に何兆円ものODAと称する「援助(もちろん、日本国民の血税によって賄われている)」をこの国に供与してきたにもかかわらず、この国は、靖国問題をはじめ日本の内政問題にまで平気で口を出してくる。一方、日本政府はと言えば、チベット自治区や新彊ウイグル自治区での北京政府による組織的な民族・宗教弾圧が行われていたとしても、見て見ぬふりである。同じように、「北京政府を中国唯一の政権」と認めているアメリカは、台湾問題やチベット・ウイグル問題等については、中国政府に言うべきことはキチッと言っている。もちろん、この国は、未だに自由選挙が行われたことのない独裁国家である。
▼「有り難い仮想敵国」ロシア
これら2国と比べて、長年"仮想敵国"であったソ連(現ロシア)とは、思いの外、巧く行っている。まず、仮想敵国であった故に、前2者と比べて、この国とはあまり深くコミットしていないことが良い。"北方領土"問題という棘(とげ)が喉元深く突き刺さっているが故に、「日ソ(露)平和条約」の締結も行われず(戦争関係が精算されていない)、それ故に、バカみたいな経済援助も行われていない。日本は世界最大のODA拠出国であるが、国民の血税をつぎ込みながら、日本の経済援助が巧く行っている(日本が相手国の民衆から尊敬され、信頼され、感謝されている)国がほとんどないという状態を鑑みる時、こうなったら「費用対効果」という点から測定してみると、できるだけODA(もしくは、何らかの援助)が少ない国のほうが日本にとっては有り難い国ということになるが、未解決な領土問題のおかげで、本格的な経済援助をしなくて済んでいるロシアは、日本にとっては「都合のいい外国」なのかもしれない。しかも、長年のソ連の軍事的脅威のおかげで、日本を自分の陣営に留めておかなければならなかったアメリカがその間、日本の経済発展を全く大目に見ていてくれたのだから…。
逆に、穿った見方をすれば、ある時期の日本の政治的指導者(吉田茂あたり?)が「ソ連とは、領土問題をネタに、友好関係を築かないでおこう。そうしておきさえすれば、そのことを理由にソ連(ロシア)に経済援助しなくて済むから…」と考えたとしたら、えらく冴えた考え方だ。その点、この度、明らかになった鈴木宗男前氏の「国の面子(メンツ)から(北方4島の)領土返還を主張しているにすぎず、実際には島が返還されても国として何の利益にもならない」という主張は、ある意味、正鵠を射ているのではないかとさえ、思ってしまう。これまでの北方領土問題の論点の中に、何故、この視点が入っていないのだろうか? と、私は長年不思議に思っていた。
やれ、「日露和親条約(1854年)」だとか「千島樺太交換条約(1875年)」だとかといった近代国民国家というものを無条件の前提にした国際条約の条文の文言にばかり拘(こだわ)り、「戦争によって変更された両国間の国境線を再変更するには、両国がもう一度、戦争をするしか方法がない」という近代国民国家の大原則から目を背けているように思われる(私は、何も戦争を奨めているのではない)。さらに、もっと究極的な議論をすれば、近代国民国家であるところの日露両国がこれらの島々(千島=クリル列島)の領有権を主張しているのであるが、18世紀に、日露両国がこれらの島々に到達するより遥か以前から、これらの島々を生活圏にしていたアイヌの人々の先住権という問題が、何故、両国政府間において話し合われないのであろうかという疑問すら湧いてくる。