レルネット主幹 三宅善信
▼キトラ古墳は天皇陵?
今から約1年前に、奈良県明日香村で再発見されたキトラ古墳が、大変な話題を呼んだ。というのも、泥棒の盗掘した穴から、石室の中に光ファイバーを挿入して、デジタルカメラで撮影された写真は、約三十年前に発見された同じ明日香村の高松塚古墳同様、東西南北の壁面に『四神相応図』が描かれた珍しい彩色壁画古墳だったからである。しかも、キトラ古墳の天井には、世界最古の『星宿図』(天体の軌道や星座を表した図表)が描かれていたのである。
このことをテーマに、4月8日、NHKの『クローズアップ現代』でも特集を組んで、最新の考古学的な研究成果とコンピュータグラフィックスを織り交ぜて、飛鳥人の世界観について解りやすく説明していた。しかも、同じ四神が描かれている高松塚古墳は、唐様の美人画が描かれていて、唐代の中国と日本との関わりを示す上で、学術的価値が高かった(註:例えば服飾の移り変わりなど)が、キトラ古墳には、さらに十二支を現す獣面人身の獣神図も描かれており、極めて学術的価値の高いものであった。このたび新たに明らかになった、東西南北を表す四神相応図といい、また、天帝である北極星(北辰)を中心とした世界観が描かれているという天井の星宿図といい、あるいは十二支図といい、道教的世界観から言えば、この古墳に埋葬されている人は、死後の天界の支配者であろうとしたことを意味しており、すなわち、この人物は、生前は地上の世界を支配していた人=天皇か、もしくは、それに準ずる立場の人(註:百済や新羅からの亡命王族の可能性もあり)であったことを意味している。
現在、名の知れた多くの古墳が、天皇陵という形で宮内庁から認定(註:ほとんどの天皇陵は徳川幕府の御用学者の手によって、元禄期にほとんど科学的根拠なしに捜査・比定・修復がなされ、明治政府もこれをほぼ踏襲し、治定先の間違いを指摘しかねない科学的調査を許さず、しかも、その時点の結果を「聖別」化した。驚くべきことに、現在においても、宮内庁書陵部は、その姿勢を変えようとしていない)されており、発掘を許可されていないにも関わらず、このような江戸・明治期に天皇陵の指定を受けなかった小さな古墳ですら、これだけの学術的発見があるのだから、いわゆる「仁徳天皇」陵や「応神天皇」陵といった世界的にも有数な規模を誇る古墳に、どのような学術的価値があるかに関心があるのは私だけではあるまい。
▼垂直・南北軸は中国的価値観
このように、高松塚古墳やキトラ古墳には、道教的世界観(風水や神仙思想)で色どられたシンボルがてんこ盛りなのである。そもそも、「日月星辰紋」という模様を使うことを許されているのは、中国でいえば「天子」たる皇帝(もちろん、日本では天皇。幕末の孝明天皇の正装も同じ)の正装の図柄であり、皇帝(天皇)とは、まさしく地上世界と同時に、天上世界をも支配している(註:当然、空間だけでなく時間も支配しているので、「元号」の改変も皇帝の専権事項である)ことを表現しているのである。日月紋様における太陽の中に描かれた三本足の烏、あるいは月の中に描かれた兎と世界樹そして蟾蜍(ヒキガエル)の意味については、最近、畏友の萬遜樹氏が、『月には何故ウサギが住んでいるのか――古代中国の太陽と月』において詳しく論じているので、私は四神相応図について論じたい。
四神とは言うまでもなく、北の方向の守り神である玄武と、南の方向を表す朱雀、東の方向を表すの青龍、西の方向を表す百虎と名付けられた四つの獣身の神のことである。亀と蛇の絡み合った形の玄武と鳳凰をイメージした朱雀のシンボルカラーは黒と赤である(註:玄人を「くろうと」と読むように、玄は黒のこと)黒赤青白という四つの方向を表す色は、大相撲の土俵の上にある神社の屋根のようなものの、四隅から、黒房・赤房・青房・白房というふうに色分けして名付けられた房がぶら下げられていることからも、この四色が四つの方向を現していることは明らかだ。かつて、平安京の一番南の端にあった正門(羅城門)まで、大内裏(皇居)の正門(朱雀門)からまっすぐに伸びる幅90mのメインストリートが朱雀大路といわれたことからも地名にも残っている。
この北方の玄武と南方の朱雀については、当主幹の主観シリーズで1999年の3月に『ガメラ3:怪獣は地球環境維持装置だったのか?』において、南の方向を表す朱雀は、怪獣ギャオスであり、北の方向を表す玄武は、怪獣ガメラであるという説から、これを展開し、南の明日香村から始まった怪獣同士の戦いが、北の京都市で終結を向かえるという、極めて風水的な解釈からこれを論じたので、ご記憶の方もあられるかもしれない。
▼青春と白秋
今回は、その時にやり残した東を表す青龍と、西を表す白虎について考えてみたい。大阪平野(河内国)の東端、まさに沖積平和が生駒山に駆け上がろうとする地、石切に「セイリュウ」という名の観光ホテルがあるように、現在でも、青龍は東をイメージするものとして認識されている。「石切」の人類学的宗教的意味については、2000年4月に上梓した『ヤポネシア:日本人はどこから来たのか?』において詳しく論じたので、それを読んでいただきたい。
皇太子のことを古くは、東宮あるいは春宮と呼んだ。今でも、皇太子殿下(同妃殿下も)の身の回りのお世話をする宮内庁職員を「東宮職」(天皇皇后両陛下の場合は「侍従職」)と呼ぶ。「東」や「春」という言葉は、これから物事が発展していくということをイメージしているのである。「青春」という言葉がある。何故、春が青いのかということであるが、「新緑の季節」というのなら、「緑」のはずである。だいいち、旧暦の「春」は新緑なんてどこにもない。まだ、冷たい風が吹きすさぶ中で、春の兆しを見つけるのが「春」である(註:「春」という漢字は、草の種が地中から芽を出そうとしている象形の「屯」という字と、太陽を表す「日」という漢字を合成した漢字)。
実は、青春の「青」は、青龍(註:長年、水中に伏してエネルギーを蓄えていた蛟が天に昇って龍になる)の「青」であり、古代中国の道教的世界観(神仙思想)から導かれており、先ほどの皇太子の例でも述べたように、春は東と同じ意味なのである。では、「青春の反対語は何か?」と聞くと、パッと思い浮かばない人も多いだろうが、ここから考えてみれば答えは簡単である。すなわち、白い秋・・・・・・白秋である。北原白秋という詩人がいたが、彼は青春まっただ中の旧制中学の時に、「白秋」という号したのである。きっと、生意気な学生だったんだろう。したがって、「青春」ほど一般化してないが、青春の反対語は「白秋」なのである。東の方向を表す「青龍」と、西の方向を表す「白虎」は対になってイメージされているのである。
▼無限の循環を願うキトラの神仙思想
中国や古代朝鮮半島、あるいは日本の高松塚古墳も含めてであるが、伝統的な四神相応図においては、東の青龍も西の白虎も頭は南のほうを向いているのが一般的である。高松塚古墳においてもそうである。しかし、キトラ古墳においては、青龍は頭が南のほうを向いているが、白虎は頭が北のほうを向いている。これを捉えて考古学者の中には、「キトラ古墳を造った人は、中国の道教的な世界観(神仙思想)の理解が不十分であった」という人がいるが、それは大きな間違いである。
そもそも、キトラ古墳という名前自体が不思議である。伝統的な日本の地名なのに、片仮名で「キトラ」と書いてある。このことについての説明でも、かつて古墳に盗掘に入った賊が、盗掘口を開けて中を覗いたときに、北の玄武と西の白虎が見えたので、「亀+虎(キトラ)」と言ったという珍説まであるが、私は、もちろんそのような説は採らない。私の解釈では、青龍が南向き、白虎は北向きで正解である。すなわち、キトラ古墳には、世界最古の星宿図が描かれていたように、これ自体が、ひとつの世界を無事に循環させるための安定装置なのである。天井には、天帝=北極星を中心とした星座世界が描かれ、壁には北東南西の四面にそれぞれ玄武・青龍・朱雀・白虎が描かれ、さらにその四神像の下に、「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」といった十二支を表す図柄が描かれていたのである。
今回のデジタルカメラ撮影によって発見された画像は、高松塚古墳の美人像と同じような服装(着物の襟が「右前」になっている)をした人間の体に、顔だけが十二支の動物、例えば、虎や猪や鼠等が描かれた奇妙なデザインの壁画が描かれていたのである。これらは全て、いわば一定の方向に向かって回転する時の流れを表しているのである。したがって、東の青龍が南を向いている以上、対面の白虎は北を向いていなければ、エンドレスな時間の循環は不可能になってしまうのである。風水的神仙思想においては、ものごとの循環が滞りなく巡ってゆくことが一番大切なのである。
▼キトラ古墳と星野タイガース
さて、今回は「東の青龍と西の白虎について論じる」と言ったが、かつて、北の玄武をガメラ、南の朱雀をギャオスに当てはめて、怪獣映画の論評を試みたの同じように、今回、東の青龍と西の白虎を、全く別のものに当てはめて解釈が可能なことに気が付いた。すなわち、明日香(大和国)の地から見て、東の方角の尾張国は名古屋に、青い色をした龍がいたのである。すなわち、プロ野球の中日ドラゴンズ球団である。ドラゴンズのチームカラーはブルーである。そして、去年まで中日ドラゴンズの監督を務めていた星野仙一氏が、今年からは、明日香の地から見れば西の摂津国にある阪神タイガースの監督に就任したのである。タイガースのチームカラーは真っ白なユニホームに黒のピンストライプの縦縞のユニホームで有名であるが、基調は白である。ブルードラゴンからホワイトタイガー、つまり、青龍から白虎へ星野仙一氏が移動することに風水的合目的性したということを、実は暗示していたのである。
そうしてみれば、星野仙一という名も奇妙である。阪神タイガースと、キトラ古墳の星座、そしていかにも神仙思想のような名前が付いているではないか。ここに、星野監督の中日から阪神への移籍成功の訳を、キトラ古墳の四神相応図を見る新説(珍説?)が成り立つのである。キトラ古墳の白虎は北を向いている。中韓日の他の古墳のように、北に背を向けていてはいないのである。「北」という字は、背という字の一部分になっているように、「敵に背中を向けて逃げる」という意味である。だから、負けることを「敗北」というのである。
現在、阪神タイガースは絶好調を維持し、ひとりプロ野球界のことだけでなく、ここ十数年来、低迷を続けた関西の経済を活性化させる可能性があるとも巷間噂されているが、これが単に、東を表す春の珍事だに終わらずに、不事、千秋萬歳の白い秋を迎えることができるか、そしてその時に、北に背を向けているかどうかは、古墳に祀られていた人のみぞ知るのである。そういえば、阪神タイガースの本拠地は「甲子園」(甲子=きのえね=ものごとの始まりの年の意)だし、応援歌(『六甲颪
(おろし)』)に、こんな一節があった。「 ・・・♪蒼天翔ける日輪の青春の覇気うるわしく・・・♪」実に、道教的ではないか。