レルネット主幹 三宅善信
▼単純に喜べないシラク再選
5月5日、世界中が注目したフランス共和国大統領選挙は、大方の予想(というよりは希望)どおり、現職のシラク大統領(共和国連合)が大差で無事再選を果たした。しかし、ことここに至るまでの2週間、大変な危機がこの国、そしてEU(欧州連合)を揺るがした。ことの起こりは、4月21日に実施された同国大統領選挙の第1回目の投票で、大方の予想を覆して、現職首相であり、ポスト・シラクの一番手と自他共に認めるジョスパン候補(社会党)の得票数を、ある種の"際物(きわもの)"と見られていた極右のルペン候補(国民戦線)が上回ったということに端を発した。法律上、「大統領選挙で単独過半数を得た候補がいない場合には、上位2名によって決選投票を行う」という規定になっているので、この際物ルペン候補が決選投票に残ってしまったことによって、7年間のシラク政権の成果に厳しい採点をつけようと思っていた(つまり、対立候補に投票するつもりだった)有権者まで、不本意ながら、シラク氏に投票(承認したことになる)しなければならない羽目になり、ある意味で「成熟した民主主義のお手本」とまで言われたフランスの大統領選挙が、異常な興奮の中で歪められた形で実施される事態になってしまった。
支援者の集会で熱弁を揮うルペン候補
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結果的には、穏健派のシラク大統領が再選されたことによって、ホッとした人々(各
国政府も)がほとんどであろう――実は、そういう民衆の安直な姿勢こそが、ルペン氏のような極端な思想の持ち主の台頭を招いたのである――が、今回の件を、ただ単に「結果オーライ」で済ませるのでは、なんら問題の解決になっておらず、早晩、ルペン氏をもっと強力にした(註:こう言っては悪いが、ルペン氏はオジン臭くて見栄えがしない)ようなカリスマ的人物が現れて、EUのどこかの国の政権を奪取することになるかもしれないので、その反省の意味を込めて、今回のフランス大統領選挙の意味を問うておかなければならない。
▼"超大国"フランス
アメリカの大統領に比べて、日本ではあまり注目されないが、フランスの大統領は、ある意味で、アメリカ合衆国大統領よりも強力な権限を有する政権(註:アメリカは「州」に分権されているが、フランスの地方行政区に100もある「県」は弱小で中央集権化が進んでいる)であることを知らない日本人が多い。フランス共和国の大統領職は、「立法・司法・行政の三権の上に超然と立つ」といった感じがあって、権力集中の度合いが大きく、しかも、任期が1期4年間で3選禁止のアメリカと比較して、1期7年間のフランス大統領に誰が就くかということの歴史的影響は、非常に大きい。もし、再選されたりしたら、14年間もの長期にわたって大国の最高権力がひとりの人の手に握られるということになるのだから……(註:さすがに「任期7年は長すぎる」ということで、今回の選挙からは、任期は5年に短縮された)。
7年間の業績の信任を問うはずだったシラク候補だが…
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アメリカの大統領と比べてフランスの大統領が注目されないとするならば、それはむしろ、冷戦後唯一の超大国となったアメリカと、EUの一構成国としてのフランスといった国際政治上の立場の差、あるいは軍事力の差から生じているのではない。ひとつ例を挙げてみると、昨年9月11日の同時多発テロ事件に対するアメリカの短絡的な、あるいは子供じみたレスポンス(戦争にした)に対して、もし、この事件がフランスで発生したならば、万事にもっと大人の対応をしたであろう。しかし、そのことは結果的には、外部から見れば、常識的であるが故にそれほど極端な印象が残らないことになる。
国際社会におけるフランスの地位は、アメリカのそれと比べても実際そう見劣りするものではない。どちらも、世界経済の中心をなす主要7カ国(G7)の構成メンバーであり、なおかつそれ以上に、国連安全保障理事会の常任理事国(P5)として、世界秩序の維持に責任を持ち、核兵器の保有と、安保理での拒否権の行使が認められているという点では、アメリカとフランスはあくまで対等の関係なのである。しかも、フランスにはEUの盟主としての立場もあり、国際的にはアメリカと並ぶ影響力を持った国(世界中に、フランス語を公用語としている国は30カ国ほどある)であると言うことができる。その意味で、おちぶれたとはいえ、世界第2位のGDPを有し、G7の主要メンバー(最近は、国債の「格下げ」などにみられるように「お荷物」扱いされているが)ではあるが、政治的・軍事的には、安保理の常任理事国でもなければ核保有国でもない"大国"日本と比べれば、遥かに大きな国際的な影響力を持つ国家なのである。そのフランスの大統領を選ぶ選挙が4月21日に実施され、極右のルペン氏が決選投票に残るという事態になったのである。
▼コアビタシオンという同棲状態
今回の選挙が行なわれる1カ月前に実施された世論調査では、ルペン候補の支持率はわずか10パーセント前後であった。ところが、投票の日が迫るにつれて、13日には13パーセントに、そして投票3日前の19日には14パーセントまで急上昇した。しかしなお、この日(投票3日前)の時点で18パーセントの支持率を集めていたジョスパン候補(註:7年前の選挙では、第1回投票の結果は1位ジョスパン、2位シラクだった)を追い越すには、かなり難しい数字と思われていた。したがって、大方の予想は、現職大統領の共和国連合(右派)のシラク氏と、現職首相の社会党(左派)のジョスパン氏との間の一騎打ちと見られていたのである。
この数年間フランスの政権は、「コアビタシオン(cohabitation=同棲)」という奇妙な政権の形態であった。というのも、大統領が右派共和国連合のシラク氏であるにもかかわらず、行政府の長である首相は、国民議会の多数派である左派社会党のジョスパン氏が務めるという、一種の呉越同舟のような関係が続いてきたからである。例えとしては、厳密さを欠くが、数年前に日本でも一時期存在した村山内閣のような、それまで長年「水と油」の関係であった自民党と社会党が連立政権を組むといったような状況だと理解していただければ解り易いと思う。しかし、社会党首班が実現したことは、結果的には、それまでは、日米安保をはじめあらゆることにただ反対を唱えていれば良かった社会党――皮肉な言い方をすれば、それ故、社会党の存在意義があり、またそういう社会党だからこそ投票する人がいた――が、担ぎ上げられた連立とはいえ、政権与党となってしまったために、国際政治の現実としての日米安保体制を否定する(註:かつて日本社会党は、「日米安保を破棄して、全方位等距離外交」を主張していた)わけにもいかず、自衛隊の最高指揮官となった村山首相は、良し悪しは別として、1955年以来、社会党が一貫して否定してきたもの(例えば、「自衛隊違憲論」)を悉く容認するということになってしまい、その結果、次の選挙で社会党そのものがほぼ消滅してしまった。同様に、フランスでも、右派と左派が連立政権を構成して、相方共に、どっちつかずの現実路線を歩むことによって、だんだんに両党の政策が似通って来て、国民の選択肢は徐々に奪われつつあり、それぞれのレゾンデトール(raison
d´etre=存在意義)がなくなってきたといっても過言ではない。、このような状況が過去数年間のフランス政権におけるコアビタシオンの結果もたられたのである。
▼投票率の低さこそ問題
今回の大統領選の第1回目の得票結果が出た時、多くのメディアや専門家は、上述したようにこの国の政治状況を分析し、「国民がそういった状況に一種の飽きを感じていたのである」としたり顔で述べているところが多々あるが、これは大きな間違いである。それだけでは、統計学的手法の進歩で、かなり精度が高くなった現在の選挙予測において、全国民を票田とする(統計学的には最も誤差の出にくい)大統領選挙において、最後のわずか3日間で、4パーセントもの支持率の逆転をもたらすことなど、よほどの重大スキャンダルが直前に発覚でもしない限り、無理である。しかし、そのことが現実に、成熟した民主主義国家と思われていたフランスで起きたのである。
それでは、なぜ、このような専門家でも予測を間違わせてしまう事件が起きたのかというと、答えは簡単である。フランスの大統領選挙にこのような思いがけない結果をもたらしたのは、何を隠そう国民の関心の低下からくる投票率の低さなのである。10名以上の候補者が乱立する(結果的に票が割れる)このような選挙で、投票率の低さは、思わぬ結果をもたらしてしまうことが多々発生する。
投票を済ませるシラク候補
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事実、第1回投票で有効投票数の約20パーセントを取って第1位につけたシラク候補の得票数が約560万票であったということは、この日投票所へ足を運んだフランス国民は2,800万人だったということになり、フランスの総人口に鑑みると、有権者の半数ほどが投票したことになる。しかも、先述したように、10名以上の候補が乱立した場合、2位までに入ることはそれほど難しいことではない。おそらく大方のフランス国民は、「どうせシラク候補とジョスパン候補の一騎打ちになるであろうから、2回目の決選投票の時に自分たちの意志を示せばいい」と思っていたに違いない(註:前回1995年の大統領選挙時には、第1回目の投票では、社会党のジョスパン候補が23パーセント、共和連合のシラク候補が21パーセントと、シラク氏は第2位であったが、決選投票では、これが逆転して、シラク氏が53パーセント、ジョスパン氏が47パーセントとなった経緯がある)。
ところが、このような低い投票率は、「たとえ、雨が降ろうが槍が降ろうが、必ず政党の指定した候補に投票行動する」有権者を持つ政党が2つも存在するわが国の選挙に見られるように、その政党の支持者数が、実際の総人口に占める割合より、結果的には遥かに多くの議席を確保してしまうという弊害がまま見られる。本件に仕組みについては、2000年6月に上梓した『共産党が与党になっても大丈夫』において「半分の半分の半分の半分の法則」という箇所で説明したので、覚えておられる方も多いであろう。要は、低い投票率は、全体主義的な政党の候補者にとって優位に働くということである。今回の選挙で、ルペン氏一人が極右から選ばれたからまだ良かったが、下手をすると、1位と2位に極右と極左の候補が入ってしまい、国民が実質的にまともな候補を選ぶことができないという事態すら生じかねない(註:私の居住する選挙区では、前回の衆議院総選挙の際に、与党第1党の自民党も、野党第1党の民主党も候補を立てず、有権者には「公明党と共産党の候補からどちらかを選べ」という、信じがたい事態となったことがある)。
各地で熱狂した反ファシズム集会
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この結果(ルペン候補の躍進)に慌てて、4月21日の夜、フランス各地ではフランス革命(1798年)の勃発の地であるバスチーユ広場や、フランス共和国の象徴とも言えるレプブリック広場をはじめ、万人規模の「反ルペン・反ファシズム」デモが各都市で澎湃(ほうはい)として巻き起ったが、このデモに参加して、「反ルペン!」を叫んだ人のうち何人が、この日、大統領選挙の投票所に足を運んだのであろうか? はじめからこの人たち(特に若者)すべてが投票所に足を運んでおれば、このような示威行為をする必要がなかったのである。それを自ら、民主主義国家の国民の権利であると同時に義務であるとも言える投票に行かなかったために、慌ててこのような極めて暴力的な「反ファシズム」デモ(矛盾撞着である)をしなければならない羽目になったのである。
▼ 政見構想を開陳する権利を封殺
公然とルペン候補への選挙妨害が行われた
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その後のフランス国内は、もし2位になっておれば、シラク氏と真っ向から反対意見を述べて決選を戦ったであろうジョスパン氏までが、「シラク候補支持!」を国民に呼びかける羽目になってしまったのである。なぜならば、「極右人種差別主義者」のレッテルを貼られているルペン氏が政権を担うようなことになるという最悪の事態を避けるためには、自分と多少意見は違っても「常識的な範囲内で政権を運営するシラク候補が大統領に再選されたほうがましである」と思われたからである。しかし、実際には、4月21日から5月5日までの2週間というものは、フランスの第5共和制(註:1789年のフランス革命により成立した共和制から数えて、途中、ナポレオンの帝政など数々の有余曲折を経て、1958年に第2次大戦の英雄、共和国連合のド・ゴールによって確立された強力な大統領権限を有する政体のこと)下における民主主義は、別の意味で、存亡の危機に瀕していた。
というのは、本来、選挙に対して中立であるべきメディアまでも、「反ルペン・反極右」キャンペーン一色となったからである。民主主義とは、本来、国民が自らの自由な意志でもって、自分自身で考えて政権を委ねる人を決めるプロセスのことであり、また、その選挙という過程においては、候補者はまったく自由に自らの政策を述べる権利を有するはずである。たとえ、その政策が一般常識から見て少々おかしいと思われるものであったとしても、少数者の主張を尊重するという制度こそ重要であり、これがいわば「民主主義のコスト」といわれる部分である。さもなければ、全体主義国家における形だけの「選挙」に見られるような、単なる「通過儀礼」としての選挙と同じである。
欧州議会まで反ルペン一色に
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しかし、今回、フランスのメディアは、ルペン氏の国民戦線を除く各政党・政治家はいうまでもなく、EU各国の首脳から欧州議会の政治家、さらには、ワールドカップのフランス代表選手団に至るまで、「反ルペン」キャンペーンで一色となった。これでは、まるで「9.11」以後のアメリカと同じである。シラク候補などは、決選投票に出る二人の候補者の政策を国民によく知ってもらうためにこれまで実施されてきたテレビ討論さえ拒否したのである。シラク氏側の言い分は、「極右に(メディアを使って)その主張を宣伝する機会を与えるから」という理由で……。実際に、ルペン氏は、メディアにおいて――彼の政策の善し悪しは別として――大統領候補の決選投票に残った候補者でありながら、自分の政策を発表する機会を奪われてしまったのである。その結果、8対2の比率でシラク氏が大統領に再選された。このこと自体、逆を言うと、そもそも多くのフランス国民が第1回から投票所に足を運んでさえいれば、ルペン氏のような極端な意見の持ち主が、大統領候補の決選投票にまで残ることはなかったということをいみじくも証明した形になった。
ナチ扱いされたルペン候補
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それと同時に、いかに現在の民主主義体制を守るためとはいえ、民主主義の大原則である思想の自由・表現の自由に関して、大統領選挙という国家権力の最高機関を選ぶ選挙のプロセスにおいて、多くの国民もメディアも政治家も、このことに自ら規制を加えたのであるからして、フランス共和制の理想としてきたものが、事実上、終焉したと言っても過言ではない。
▼EU統合により生み出される国家主義
実際に、ヨーロッパ各国においては、これまでの欧州連合を推進してきた各国の中道左派政権は次々と選挙に破れ、既にオーストリアでは、外国人排斥を標榜する極右の指導者が連立政権運営の中枢に携わっているし、これまで、人権問題や難民支援、や中東和平にも積極的な働きをしてきた北欧のデンマークやノルウェーでさえも、極右の政治家が閣外協力という形にしろ政権運営に関与している。
EUが統合されることによって、国境を越えたヒト・モノ・カネの往来がこれまで以上により自由になり、このことは欧州地域内における国民所得の格差の是正をもたらした。すなわち、より所得の低い国の労働者は、より高い報酬が貰えると想定される国へ、その生活する場所を移動していくという当然の結果をもたらしたことによって、これまでは、所得の高い国――すなわち、より高度な医療サービスや社会福祉サービスが受けれるということを意味するのであるが――とされていたスカンジナビア各国やドイツ・フランス等において、これまでの既得権益を有していた人々(註:近代国民国家においては、一般労働者こそ、ある意味で最大の受益者であり、この階層が往々にして極右の温床になる)に対して、潜在的な不安をもたらし、また、実際に、東欧旧社会主義圏等からより安い労働賃金で働く人々が流入してくることによって失業者も増え、あるいはアジアやアフリカからの、特にイスラム圏からの、移民が増えることによって、伝統的な社会秩序(キリスト教を前提とした近代国民国家)の変更を余儀なくされた地域の人々にも――これまでならば、そのような人々は左派政党に投票したはずであるが――投票行動の変化をもたらし、極端な外国人排斥、人種差別等を標榜するナチまがいの政権の台頭を各国にもたらしたのである。
オランダの総選挙でも極右政党が大躍進した
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今回のルペン氏の躍進と、そのことが欧州民主主義に与えた計り知れないマイナスの影響を、もっと真剣に考えてみる必要があるのではないか。続いて行なわれるオランダの総選挙で、イスラム教徒移民排斥を訴えて大躍進が予測される極右政党フォルタインのビム・フォルトゥイン党首が暗殺されるという事件が今日、起こってしました。このようなテロ事件が起こることは民主主義の危機である。また、もしこの状況を日本に置き換えたとして、選挙制度は異なるが、おそらく、明らかに悪い政府が成立すると予測される事態に至った時に、その時からでも遅くはないが、日本国民は、今回、バスチーユ広場やシャンゼリゼ通りを埋め尽くしたフランスの一般国民のように、皇居前広場を埋め尽くし、また、国会議事堂へデモを掛けるといったような60年安保の時のような行動をとることができるとはとても思えない。その点からすれば、一時は弛んでいたといえ、その後、行動に移すことのできたフランスのほうがまだ、はるかに健全である。こういう感覚のない国民(の選んだ政治家)に、「有事法制」を考えさせるなどちゃんちゃらおかしいと思う。