玄関扉論:瀋陽総領事館事件考  
   02年05月12日


レルネット主幹 三宅善信

▼ハメ撮りされた日本

 日本文化と欧米文化を比較して、文化の違いをその玄関扉のあり方を比較することによって論じた『玄関扉に見る日本文化論』を上梓して、十日も経たない5月7日に、まさに日本文化における「玄関扉論」で考察したことを実証し得るもってこいの事件が勃発した。言うまでもない、中華人民共和国遼寧省瀋陽市における脱北者(と思われる人々)による日本総領事館駆け込みおよび中国武装警官ウィーン条約侵犯事件である。

 この事件は、その衝撃的な映像と共に、驚きをもって世界中に配信された。世界中の人々が、どこに驚いたかということについては、日本国内での大使館(領事館)に亡命希望者が駆け込んだ(このような「事件」は、日常茶飯事である)ことよりも、日本総領事館員の危機意識を感じさせない「態度」のほうであった。日頃は、北京に対して、「朝貢」を繰り返す日本政府をして、ポーズの上でも怒って見せなければならない(註:日中間には常に「外交」はなく、あるのは、何を言われても謝る土下座外交か、もしくは逆ギレして戦争をしかけるしか選択肢がない。いずれにしても、相手と対等の交渉をするという意志もなければ、能力もなかった)という日中国交"正常化"30年にして最悪の事態を招いた。 私が、この事件の第一報(マスコミで報じられたのは5月8日)を見て一番驚いたことは、あまりにも鮮明な写真(最初に公開されたのは、動画ではなく静止画だった)によって、中国公安当局の制服を着た武装警官(私服の公安部員は、ビザ申請者を装ってしょっちゅう潜入しているであろうが、これは全く別次元の問題)が、ウィーン条約の「領事条項」によって保護されている(「治外法権」という言葉は、高校生でも知っている常識である)総領事館の敷地(日本国の「領土」といえる)を、あからさまに侵犯する様子が映し出されていたことである。

 そこで、天の邪鬼の私の脳裏にあるひとつの考えが浮んだ。「ハメられたのではないか?」と…。皆さんよく考えて欲しい。防犯カメラが常時設置されている金融機関やコンビニ等の強盗事件においても、いつ何処で発生するか判らないこうした事件を偶然捉えた映像というのは、なかなか鮮明には映らないのが常識である。その点、われわれ人間の目は、ボーッと見ているようでも、常に自動的に注目しなければならない地点(たいていは、動いている対象物)を判別し、これにフォーカスを合わせて視るようにできているが、定点観測の防犯カメラというのは、ただその場所全体を漫然と写しているだけなので、銀行強盗にしろコンビニ強盗にしろ、画面上の何処で起こるか判らない事件に対して収録された画像は、ピントがかなり甘いのが通例である。

 だから、事件が発生した時には、無理に(犯人の顔を)拡大したりして、画質の粗い映像になることが多いが、今回の瀋陽日本総領事館駆け込み事件の際に、すぐさま韓国の聯合通信から配信された写真は、あたかも写真週刊誌のパパラッチが、芸能人の逢引きの現場を待ち伏せして撮ったように、フォーカスがピッタリ合っていたのである。私は、まず、このことに疑問を感じた。これは、一種の「仕組まれたやらせ」なのではないだろうかと…。事実、本件については、まもなく、ある亡命支援NGOによって「仕組まれた事件」であることが判明する。


▼舐められて当然の態度

 当初、瀋陽の日本総領事館は、(たぶん、北京の大使館にお伺いを立てた挙句のことだろうが)東京の本省に報告を上げる時に、「事件は起こったが、それは、あくまで総領事館の門前(敷地外)のことであり、日本総領事館に侵入しようとした不審者が、中国の武装公安警官によって取り押さえられただけだ(つまり、総領事館とは関係ない)」と報告していたらしい。つまり、自分たちの明らかなミスを隠蔽(いんぺい)して、何事もなかったかのように報告しようとしたのであろう。そこには、総領事館に逃げ込んだ後、中国官憲に身柄を拘束された(場合によっては、北朝鮮に強制送還される)5人の人々の人権への配慮など、微塵も考えに入れられていない。自己の保身のみが彼らの関心事であった。

 ところが、「動かぬ証拠」とも言える写真がメディアで公開され、明らかに、たとえ一瞬ではあっても、女性2人や幼児を含めた5人とも総領事館の敷地内に踏み入り、最初に駆け込んだ成人男性の2名に至っては、門から40メートルも離れた建物の中まで到達していた。そして、スタートが一歩遅れたが故に、武装警官と揉み合いになってしまい、泣き叫ぶ子供連れの女性たちを中国の武装警官がわずか数歩ではあるが、総領事館敷地内に侵入して、連れ出そうとしているシーンが、翌日には、写真だけでなく、動く映像までも公開されたのである。「仕組まれた事件」とは言え、明らかな国際法違反を中国の官憲が犯しているシーンが全世界に流されたのである。もちろん、これには、「いのちがけで脱出」しなければならないような北朝鮮の「圧政」を世界の人々に見せつけるという意図が「支援」NGOにあったのであるが、それ以上に、中国の国際法違反と日本の人権軽視の実情も、白日の下に晒(さら)す結果となった。

 しかも、そこに映っている中国官憲の行為は、違法とはいえ職務熱心のあまり、つい勢いあまってしたことと言えるかもしれないが、そこに映っている日本の総領事館員たちの態度は、あまりにもお粗末であった。まず、門から1メートル(内側)の詰所にいた日本側の守衛は、目の前で事件(女性や子供が門扉にしがみついて警官と揉み合っている)が起こっているのに、それに対処せずに、一直線に総領事館の建物の中に走って「一大事」を知らせに行った。その後、ノコノコと歩いて出てきた総領事館員たちは、目の前で壮絶な光景が繰りひろげられているのに、ポケットに手を突っ込んだままこれを傍観…。果ては、地面に落ちた中国武装警官の帽子を拾ってやる始末である。中国側に「領事が謝意を表わした」と、受け取られても致し方ない態度である。

 しかし、これは総領事館から外務省本省にあった最初の報告とは、まるで内容の異なる映像であった。さすがに、これには致し方なく、日本政府も中国の武大偉駐日大使(名前からして威圧的)を呼びつけ、抗議(のポーズ)をしたが、それに対する武大使の答えが、また奮っていた。曰く、「中国の警察は、日本総領事館を害しようとするテロリストから、日本総領事館員の安全を守ってあげたのである」と…。「盗人猛々しい」とはこのことである。あれほど明白な侵犯行為の証拠映像をつきつけられていても、黒を白と言い切られるのは、日本が、舐められている証拠である。


▼何故、中国に「許して」もらわねばならないのか?

 本件については、事件発生以来、国会やメディアでいろいろ取り上げられたが、この中の議論で最もピントが外れているのは、「まず、中国当局に身柄を拘束された北朝鮮の難民と見られる人の人権の確保云々」という議論である。ここで問題となっているのは、そうではない。真っ先に問題にすべきは、『ウィーン条約』という国際条約で保障された日本国の主権を、たとえ偶発的な出来事であったといえ、中華人民共和国が侵犯した行為があったという一点である(さもなくば、「巨額のODAの打ち切り」や「大使の召還」をほのめかすべき)。まず、中国政府にその事実を認めさせた上で、すべての交渉に当たるべきである。これほど明白な証拠があるのにもかかわらず、黒を白と言い張る国が主張する60年も前の出来事(南京事件等)への信憑性は、かなり「怪しい」ことが実証されたも同然である。

 先日、小泉総理が靖国神社の春の例大祭に参拝した際に、中国の江沢民総書記(国家元首)は、「許しません」と言った。私は、個人的には、総理大臣の靖国神社参拝(それどころか、正月の伊勢神宮の参拝にも)は反対である。しかし、総理大臣の靖国参拝の是非については、日本国民がその是非を問うべきであって、外国政府からガタガタ言われるべき筋合いのものではない。

 中華人民共和国が、仮に故毛沢東主席を「教祖」として奉ろう(註:中国の国家的「聖地」である北京の天安門には、巨大な毛主席の「ご神影」が掲げられており、天安門広場には、永久防腐加工処理された毛主席の「聖骸」が安置され、毎日、何千人もの人民がこれを拝しに全国から「巡礼」して来る)と、あるいは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、故金日成主席を「現人神」(註:金主席の長男金正日総書記が「王朝」を継承している北朝鮮では、中国以上に、「教祖」の神格化は進んでおり、その「奉斎」のあり方は、新宗教教団の教祖と、類似点が多々ある)として奉ろうと、そんなことは彼らのビジネスであって、外国人であるわれわれがとやかく言うべき問題ではない。

 同様に、日本人が、菅原道真を神として祀ろうと、西郷隆盛を神として祀ろうと、東条英機を神として祀ろうと、それは日本人の勝手である。しかも、これらはすべて民間の一宗教法人(神社)の行為にすぎず、国家がそれ(ご祭神)を云々すること自体、間違って(憲法違反)いる。小泉首相が、靖国神社の例大祭に参拝した時、そのことに対して中国政府が相当激しい批判をしたが、中華人民共和国外交部(外務省)による定例の記者会見の際に、ある記者が、「そのような行為は、日本に対する内政干渉ではありませんか?」と尋ねたら、中国外交部の孔泉広報官は、カンカンに怒って、質問者に対して、「あなたは第2次世界大戦における日本の行為を許すことができると言うのか?」と、逆ギレし、「日本の行為は、未来永劫非難されるべきである(日本に対しては、何を言ってやってもよい)」と言い放った。


▼ 事勿れ主義と事大主義

 これも全くおかしい話である。第2次世界大戦における日本の敗戦責任(註:私は一般的に用いられる戦争責任という語は用いない。なぜなら、およそ戦争たるもの、双方が正義を主張し合って行なわれるのであるが、常にその決着は「正義のいかん」によってなされるのではなく、勝ったほうの論理を事後承認的に義とし、敗者の論理を邪とするのであるから、問われるべきは、倫理的な正邪ではなくて、戦争に負けたことに対する敗戦責任をこそ問われるのである)と、一宗教法人である靖国神社とは何ら関係がない。問題にされるべき点があるとすれば、憲法20条の「政教分離」規定、すなわち、「公人中の公人たる総理大臣が、特定の宗教法人に公式に参拝する」ということの是非をこそ問題にすべきであって、当該する宗教法人に、A級戦犯が祀られていようが、狐が祀られていようが、そんなことは関係のない話である。しかし、江沢民国家主席は、小泉総理の靖国参拝について、「国家対国家、歴史対歴史の問題だ。私は、小泉純一郎首相の神社参拝を許さない」と言明している。

 中国政府からこのような不遜な態度を日頃から取られているのに、今回の明らかな証拠写真付き国際法違反行為に対して、何故もっとはっきり抗議しないのかという疑問を持たれた読者も多いであろう。もちろん、第一義的には、現地の外交官の「事勿(ことなか)れ主義」が原因していることは、言うまでもない。しかし、背後にある日本文化の本質に迫る問題(すなわち、「玄関論」)について触れられている「解説」が、あまりに少ないことに愕然とさせられる。

 それでは、まず、ごく一般的な外交官の「事勿れ主義」の問題から話を進めよう。これは、まさに瀋陽総領事館のわずか半間(90センチ)程開いた門扉を境界にして生じた出来事である。本省・在外公館勤務を問わず、外務省員あるいは、広く国家公務員・地方公務員を問わず(註:事実、在外公館には、いろんな役所から出向者がかなりある)、大多数の役人の勤務に対する基本的姿勢は、言うまでもなく、「事勿れ主義」である。この点、基本的には、儒教的伝統の政治風土が支配する中国や韓国の「事大主義」と比較してみると面白い。

 今回の瀋陽総領事館侵犯事件で適切な対応ができなかったことの言い訳として、「たまたま岡崎清総領事が(同じ管轄区域である)大連沖で起きた中国北方航空機墜落事故(日本人乗客3名死亡?)の対応(註:実はこの情報収集もお粗末で、事故に遭った日本人の安否の確認が二転三転した)に出かけて不在であったため、責任者の適切な判断が遅れた」などと言っているが、こんなことは言い訳にはならない。総領事館は機関として仕事をしているのであるから、最高指揮官が欠けた場合は、次に誰が責任者になるかは予め決まっているはずである。もし、そうでなければ、危機管理どころか、機関としての体もなしていない。本件については、2年前、時の小渕総理が突然、脳梗塞によってその機能(首相としての判断能力)を停止した際の日本政府の対応『総理大臣の欠けた時は』において詳しく論じたので今さら言うまでもない。


▼杉原千畝と鈴木宗男の皮肉な関係

 このような在外公館における現地職員のあり方について、日本の外交史上、希有のエピソードが伝わっている。それは、ナチスドイツとソ連との秘密協約により、国家消滅という悲劇が襲ったバルト三国のひとつ、リトアニア共和国での出来事である。当時、リトアニアに居住していたユダヤ人には、ナチによる迫害の魔手が迫っていた。その時、リトアニアで代理領事を務めていた杉原千畝氏は、生命の危険を訴えて避難して来るユダヤ人たちを助けるために、(シベリアを横断して)日本に脱出し、これを通過して第三国へ逃れるためのビザの発給を独断で実行した。杉原氏は、目の前に押し寄せるユダヤ人を助けようと、当然、最初は東京の本省に問い合わせたが、ドイツ・イタリアと三国同盟を結んでいる日本政府は、名も知らぬユダヤ人を助けることよりも、ドイツ政府に遠慮してビザ発給を許可しなかったが、目前の人命に関わる緊急避難処置として、杉原千畝氏は独断で、ナチの実効支配が始まるまでのわずかの日数で、6,000人分のビザを手書きで発給し、無実の罪で殺されようとしていたユダヤ人避難民たちのいのちを助けることになったのである。

 しかし、杉原氏の生前中は、外務省はこの世界の人道史上に残る行為を、単なる「本省命令に対する違反」ということで否定し、杉原氏の功績を評価しようとさえしなかった。ところが近年になって、この時いのちを助けられたユダヤ人たちを始め、海外においてこのような行為が高く評価される(註:映画『シンドラーのリスト』がまさに、こういった行為に焦点を当てて制作された)に至って、態度を一変、杉原千畝氏を顕彰する動きが出てきた。

 2000年は、杉原千畝生誕百周年ということもあり、杉原氏が育った岐阜県加茂郡八百津町に、杉原千畝記念館が建設(この辺が、箱物行政の面目躍如たるところだが)された。しかし、この杉原千畝氏という希有な日本の外交官は、わずか10年前までは、主な人名辞典にすら名前が載っていなかったのである。しかし、この「日本版シンドラ−」とも言われる世界的な働きをした杉原氏は、外務省内において、突如として評価されるようになったのである。杉原千畝記念碑顕彰プレート除幕式が、杉原氏の遺族や関係者を招いて、東京の飯食にある外務省外交資料館で行なわれた。このオープニングセレモニーが、現時点から見ると極めて興味深い。当時の外務大臣は河野洋平氏であったが、河野外務大臣より遥かに目立つ形で、なおかつ外務大臣自身の口から「この実現に多大なご尽力をされた○○○○氏から改めてご説明があると存じますから、私からは一言のご挨拶に留めさしていただきます」と称して、紹介された人物がいる。この「外交官の鏡」杉原千畝氏を顕彰した人物こそ、ことあろう鈴木宗男氏だったのである。事実、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館は、鈴木宗男氏が名誉館長である。しかし、今回の事件、いわゆる「ムネオ疑惑」が起きてから、杉原千畝記念館も困ったらしい。皮肉と言えば皮肉である。

 もし、今回の瀋陽総領事館に杉原千畝氏のような人がいたならば、事態は全く変わっていたであろう。ここで私は、ある外交官の名前が頭に浮かんだ。ノンキャリアにもかかわらず、主任分析官というキャリア級の職責に就き、海外での情報収集活動を多いに推進し、尋常ならざるバイタリティを持って活動したにも関わらず、今回の「ムネオ疑惑」に連坐させられる形で、ことあろうその外交資料館の課長補佐に左遷させられた佐藤優前主任分析官である。もし、この佐藤氏が瀋陽の総領事館にいたとしたら、今回のような無様な結果は起きなかっただろうし、むしろこれを突破口に中国政府に「貸し」を作り、この一点から日中関係の全面に神学論争を展開して、これまでの30年間続いた中国に対する土下座外交を一転させる機会を得ていたかもしれない。つくづく日本政府は、有能な人材を無駄遣いしていると思えてならない。それどころか、ムネオ疑惑の外堀を埋めるために、佐藤氏は、いずれ逮捕されるであろうが、学生時代から、泣く子も黙るKCIA(韓国の国家安全企画部)やソ連の沿岸警備隊とわたりあってきた(身柄を拘束されたこともあるらしい)佐藤氏が、日本の検察の取り調べに口を割るはずはないと思う。

  最後に、日本文化の本質との関連で、今回の瀋陽総領事館駆け込みおよび中国武装警官ウィーン条約侵犯事件の際の日本総領事館員の対応の拙さを弁護すれば、『玄関扉に見る日本文化論』で論述したように、日本では、「靴を脱いでから」が本当の「内」であり、たとえそこがウィーン条約で保証された日本国の「領土」であったとしても、総領事館の敷地内や建物内であっても、土足のままの空間は、日本人の感覚では、そこは「外」なんだ(だから不法侵入されたのではない)という意識が働いていたような気がしてならない。


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