レルネット主幹 三宅善信
▼ 文化史的境界線
6月24日から28日の日程で、インドネシアの古都ジョグジャカルタ(Yogyakartaジャワ島中東部)で開催された第6回ACRP(アジア宗教者平和会議)に正式代表として出席するため、その前の週のケニア訪問に続いて、中3日の日本滞在で、インドネシアを訪れることになった。ただし、日本からジョグジャカルタへの直行便がないため、世界的な観光地でもあるバリ島のデンパサールに1泊し、翌日、ジョグジャカルタへ国内線で移動した。また同じ理由で、帰路は、ジョグジャカルタからインドネシアの首都ジャカルタまで国内線で移動し、日本への帰途に就いた。そのような訳で、思いがけず、バリ島を訪れる機会に恵まれた。
バリ島独特の「天下一武道会」的舞台で行われるバロン舞踊
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私自身、バリ島へは8年ぶりの訪問であるが、国民の大半がイスラム教徒である(世界最大のイスラム教国であるインドネシアには、2億人以上のイスラム教徒がいる)インドネシアにもかかわらず、最も人口の密集しているインドネシアの「本土」とも言えるジャワ島から、わずか数km
の海を隔てて、その東隣に浮ぶバリ島(島嶼国家であるインドネシアには、約17,000の島々が点在する)には、なぜかイスラム教以前にこの地域に流布していたヒンズー教信仰が色濃く残っている。このことだけでも、非常に興味深い。同様のことは、そこだけカトリック教徒が多く住む「東チモール」においても言える。
▼生物学的境界線
インドネシアの島々の間には、この文化史的な境界線だけでなく、生物学的な意味での境界線もあって、興味が尽きない地域である。太古の昔、現在のインドシナ地域とオーストラリア大陸は、陸続きであった。その名を「スンダ大陸」と呼ばれている。ところが、地球規模での地殻変動に基づく大陸移動と、間氷期の温暖化による海面上昇によって、現在のインドシナ、マレー半島の先端部からオーストラリアへと続く島々、すなわち西から順に、スマトラ島、ジャワ島、バリ島、ロンボク島、そして、今年5月に「独立」を果した「東チモール」のあるチモール島をはじめとする南側の流れと、その北側に平行して、カリマンタン(ボルネオ)島、スラウェシ(セレベス)島、アンボン島など多くの島々を経て、パプア・ニューギニア、そしてオーストラリアへと至る一連の地域が、海によって切り離されてインドネシアを構成する島々となった(実はフィリピン諸島も、この流れの続きの島々であるからして、南部のミンダナオ島あたりにイスラム教徒がたくさん住んでいても、なんの不思議もない)。
アジア大陸とオーストラリア大陸の間に点在する島嶼国家
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しかし、これらの島々が「世界のメインランド」とも言えるユーラシア大陸から切り離されてゆくタイミングのズレ方によって、各島々の生物は、それぞれユニークな進化のプロセスを経ることになった。例えば、島ごとにそれぞれ独自のクワガタ虫やカブト虫の変種がいて、マニアの垂涎の的になっているし、全世界で数千あると言われている人類の言語の半数が、深山幽谷によって人の往来を阻害しているパプア・ニューギニア島に現存すると言われており、誠に興味深いが、本件についての考察は、またの機会に譲りたい。
わずか数kmしか離れていない、ジャワ島とバリ島の間に、文化的・宗教的な境界線があるのと同じように、このバリ島とその東隣にあるロンボク島との間には、生物学上たいへん有名な「ウォーレンスの境界線」が引かれている。すなわち、最も原始的な哺乳類の特徴を残すカンガルーやコアラなどの有袋類がいることで知られるオーストラリアやパプア・ニューギニアといった地域の生物と、ユーラシア大陸をはじめとするその他の大陸に広く分布する現生哺乳類の分布の境界線が、このわずかな海峡を隔てて、はっきりと見て取れるのである。そのような文化的・生物学的に非常に興味深い地域がこのインドネシアの島々である。
▼神々の共生
バリ島では1年中、何らかの形の祭が行なわれており、そして、それぞれの家の庭には、その家々の神々を祠る(ほこら)が建てられている。もちろん、より規模の大きな、村あるいは島全体の神々を祠る寺院もあるが、家々の祠は、高床式で、なおかつ藁葺きという、日本人にはどこか懐かしい構造の祠なのである。キンタマーニという活火山で知られるこのバリ島には、水田稲作地帯が広がっている。そして、狭い島を有効に活用するため、火山の斜面のかなり上の部分まで千枚田(棚田)が開墾されているのである。同じ火山列島の高温多湿の稲作地帯であるこの島の景色を見ていると、八百万(やおよろず)の神々のおわした豊芦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに=日本)の原風景とはこんなものだったのかと想像してしまう。だから、あらゆるものに神(の働き)が宿っている(アニミズム)と信じているこの島の人々は、祭を欠かさない。
アイヌの家、北海道平取町
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バリ島のヒンズー教寺院を訪れて
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この島の人々が祠っている対象は、主に5つある。まず、ヒンズー教で創造を司るブラフマ神、維持を司るビシュヌ神、そして破壊を司るシバ神の三尊をを祠っている。これらの三尊は、宇宙の統一原理として三位一体として表現されていることもある。次に、叙事詩『ラーマーヤナ』の話に出てくるような諸神諸菩薩(ガネーシャやハヌマーン他)を祠っている。さらには、自分たちバリ人のご先祖様、そして、共同体の守り神、5番目が「悪霊」である。この悪霊も祠るという点が、非常に興味深い。というのも、バリ島の寺院で祭が行なわれるときには、必ずと言っていいほど、寺院の門前の広場で闘鶏が行なわれる。闘鶏の際には、鶏の蹴爪(けづめ=脚の後側上方に付いている喧嘩専用のツメ)に非常に軽くて鋭利な刃物を縛り付けて闘わせるのである。このことによって、どちらか一方、もしくは双方の鶏が傷つき、血を流すことになる。
人間の祭を邪魔しようとしてやってきた悪霊たちは、寺院の門前で開かれているこの闘鶏大会(「悪霊は血を好むもの」と相場が決まっている)に気を惹かれてしまい、その闘鶏を楽しんでいることによって、結果的に悪霊が神聖なる寺院の境内に入らないと考えられているのである。であるから、祭が行なわれている期間中は、必ず寺院の門前で、闘鶏も行なわれている。人々は、悪霊を否定(退治)するのではなく、悪霊にしばらくの間おとなしくしていてもらうという、いわば「棲み分け」の形(共生原理)を取っているのである。
30年ほど前に初めてケチャックダンスを見たときのインパクトはとても大きかった
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この国の観光地でよく見られる、昼間に行なわれるバロンダンス、夜間に行なわれるケチャックダンスのいずれにも、人間と神々だけでなく、猿をはじめとする動物たちや悪霊たちも数多く登場するが、仮にその舞踊の中で悪霊と神々が戦うことがあっても、決して、神々の一方的な勝利に終わらないのである。なにごとにも「過ぎたるはなお、及ばざるが如し」であるということを、この島の人々はよく知っている。そして、人々は、八百万の神々のおわす森の一部を、人間が使う田畑として分けてもらい、労働力集約型の水田稲作農業を村落共同体が一致協力して行なっているのである。おそらく、この風景というのは、弥生時代以来、明治期にいたるまで2,000年間以上続いた日本の原風景と非常に似ていたと思われる。
手入れの行き届いた天まで届くバリ島の千枚田
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農業の機械化に不向きな(人手のかかる)棚田は放棄され、また、一年を通じて行なわれていた農作業のそれぞれの段階において、人々と共働きしていた神々も忘れ去られてしまった日本において、空洞化してしまった農業を回復するためには、サラリーマン農家を作るだけの会社形式の「農業法人」などではなく、神々と祭の復活こそ急務である。神々を畏れなくなった不遜な人間のすることと言えば、コメの産地をはじめとする農作物や畜産物の偽装表示の横行に見られる、農業を単なる経済行為上での手段としてしか捉えていないことの証明である。まさに、八百万の神々のおわす「豊葦原瑞穂国は、どこへいってしまったのか?」と言いたくなるような、バリ島でのわずか半日の滞在であった。
神々へのお供え物と丹誠込めて調饌する女たち
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