日本海か東海か

 02年09月14日


レルネット主幹 三宅善信

▼表日本vs裏日本

 最近、「日本海」をめぐる問題が国際的に話題を呼んでいる。と言っても「拉致の海」としての日本海のことでないことを最初にお断わりしておく。というのも、韓国が「日本海という名称はけしからん。われわれはずっと以前から、この海のことを東海(トンへ)と呼んでいた。日本・ロシア・韓国(註:なぜか北朝鮮が入っていない)と複数の国によって囲まれた、言わば「地中海」である東海(トンへ)を、そのうちの一国の名称を採って日本海とつけるのは許し難い。日本の植民地支配を固定化するものだ」と、国連の地名標準化会議において主張しているからである。毎度のことながら、そのことに対する日本政府(外務省)の対応がボケている。しかも、実はこの問題は、10年以上も前から韓国側によって提起されているのである。

 私が小学生だった頃、社会科の授業では、太平洋側を「表日本」と呼び、日本海側を「裏日本」と呼ぶと習った。明治以後の近代の歴史・経済を見れば、この区別は当然と言えば当然である。東京・横浜・名古屋・大阪・神戸など近代日本の主要都市のほとんどは太平洋側にあり、日本海側には福岡以外これと言って大きな街はない。したがって、「太平洋ベルト地帯」と呼ばれた大都市群、あるいは空港や港湾施設といったいわゆる日本の「玄関口」が太平洋側に集中していることから、日本列島の太平洋側を「表日本」と呼んだのは致し方ないことである。(註:江戸時代には反対に、「北前船」といって、日本海側が「樽廻船」や「菱垣回船」など千石船による物流のメイン航路であった)ただし、この呼称は、戦後の高度経済成長を終え、実際にはますます「表日本」と「裏日本」との経済格差が生じてしまった時に、「裏日本」側の人々からの「差別的だ」という「言葉狩り」的主張によって、一気に公式用語から葬り去られてしまった。そこには、無意識のうちに「表が良くて裏が悪い」という前提で物事の価値判断をしている。しからば、茶道の表千家と裏千家の関係はどうなるのか? 私の記憶では、裏千家のほうが弟子の数も多くて繁昌していると思うのであるが……。


大学の先輩でもある裏千家15世宗主の千宗室氏と

 先進国(G7)の仲間入りした日本では、典型的な裏日本であった新潟県出身の田中角栄氏が総理大臣になり、「日本列島改造」を唱え、国内の格差是正(註:表日本が生み出した富を裏日本に配分するという公共事業立国政策=土建屋政治)を図ろうとした。同様の手法は、島根県出身の竹下登氏が総理大臣になったことによって引き継がれ(「ふるさと創成論」というバラ巻き行政)、裏日本というネガティブな表記ではなく、価値中立的な日本海側と呼ばれるようになった。このことによって、日本国内の「裏表格差」は、実際はともかくとしても言葉の上ではなくなったように思われた。しかし、その後、世界的な東西冷戦構造の崩壊によって、日本や韓国はロシアとも積極的に交流するようになり(相変わらず北朝鮮は蚊帳の外だった)、「日本海」を囲む経済圏という概念が提唱された。ウラジヴォストーク・新潟・舞鶴・プサン等を拠点にしたひとつの貿易圏(地域分業システム)というものが考えられたのである。当時日本は、バブル経済の絶頂期であり、世界の富が日本に集中していたので、これらの「日本海」に面する国々は、日本からの経済的な援助や企業進出を期待して、この「環日本海」構想に両手を挙げて賛成した。


▼それならインド洋はどうなる?

 しかし、日本のバブル経済の翳りが見え出した頃、潜在的には「日本の言うことには、なんでもケチを付けたい」韓国から、「環日本海という呼称はけしからん」という主張が出てきた。彼らは、「われわれは古代以来、この海を東海(トンへ)と呼んでいる」と言ってきたのである。実は、国連の地名標準化会議において、最初にこの話題が持ち出されたのは、湾岸戦争への対応で世界の笑いものになった海部内閣(1989〜90年)の時代のことである。何故、私がそのことを知っているかと言うと、海部内閣の外務大臣を務めた中山太郎代議士から、直接、本件について意見を求められた東アジアの古代史学者として著名な上田正昭氏から聞いたからである。

 上田正昭氏が堺市にある大阪府立女子大学の学長をしていた時に、中山太郎外相(註:選挙区は堺市)から電話が入り、「韓国が突然、『日本海と呼んでいるのはけしからん。東海(トンヘ)と呼ぶべきだ』と言ってきています。先生どうしたら良いでしょうか?」と尋ねられたそうである。本件についての詳しい記述は、上田正昭氏が大阪国際宗教同志会で行った講演『環日本海文化と東アジアの宗教』をご一読いただければ一目瞭然であるが、その時点での外務官僚の対応が悪かったので、毎度のことであるが、十年以上経ってこの様な大きな国際問題になってきたのである。何故、韓国が日本に対して最初にそういう主張をした時に、すぐその場で即答しなかったのか……?「韓半島の東側にある海を日本海と呼ぶのはけしからん。公の海(複数の国々に囲まれた海)にどちらか一国の名前を付けるのは植民地主義的だ」という主張に対してである。その場で、こう切り返せば良かったのである。「それなら、東シナ海はどうなる? フィリピン海はどうなる? ペルシャ湾はどうなる? もっと言えば、インド洋はどうなる? アフリカ・アジア・オセアニアの十数カ国がインド洋に面してるが、インドという一国の名前を冠しているではないか! 日本海とこれらの海との合理的な違いを説明しろ!」と、国際会議という満座の前で、韓国の当局者に言い返してやれば、愚の根も出なかったはずである。それを、教養と決断力のない外務官僚が、本省に問い合わせたりしているから、事は相手方の有利なように進む(国際世論の誘導)のである。

 ちなみに、今日、英語のウェブサイトで、「East Sea VS Sea of Japan」という項目を検索してみると、圧倒的に韓国側の主張が有利に展開されている。つまり、この12年間、日本側(外務省)はこの問題をほとんど放ったらかしにしてきたが、韓国側は国際世論を自らの有利なほうに運ぶために、いろいろな多数派「工作」をしてきたのである。工作は北朝鮮のお家芸だが、韓国も言わば民族的には同じなのであるから、工作は得意なのである。その時に、こうも言ってやれば良かったのである。「あなた方は、朝鮮半島の東側にある海を東海と呼べと主張するのなら、何故、あなた方の地図では、半島の西側にある海を西海と書いていないのか? あの海については、中国側の呼称である『黄海』をそのまま書いてあるではないか。もし、日本に対して『日本海を東海と呼べ』と言うなら、中国に対しても、『黄海の名前を西海と変えろ』と主張すべきであるのではないか?」と言ってやれば良かったのである。そもそも外交の場面に、最低限、宗教・歴史・地理についての教養のない人間を出すべきではないというのは、私の前々からの主張である。


▼近代国民国家が創り出した建国神話

 小泉総理の北朝鮮訪問についての報道でも同様のことが言える。日本のメディアでは、不用意に「補償」という言葉を使っているが、これは明らかに間違いである。北朝鮮側の主張によると「補償」であり、日本政府の主張は「経済援助」となっているのである。補償と援助では意味は大違いである。補償は、金品を受け取って当たり前。お金を渡した側が「済みません。ご迷惑をおかけしました」と言って渡すのが補償であり、援助は、受け取った側が、「有難うございます」と言って貰らうのが、援助である。この意味の違いが正反対であるにも関わらず、日本の政治家もメディアに登場している人々も、ほとんどが不用意に「補償」という相手方のターミノロジー(用語法)に乗って話をしている。これなど、既に二国間交渉以前の問題であり、この「補償」という言葉を不用意に使っているジャーナリスト、あるいはタレント(芸能人)などの出演者をテレビ局側でチェックして、本人たちに注意を促す(私なら、テレビ出演から排除する)か、もしくは画面の下にスーパー(字幕)を出して、「彼の言っている補償とは経済援助のことで、この愚かな出演者が、不用意にこの言葉を使っているだけです」というふうに、視聴者に喚起を促すべきである。それができないのなら、テレビ局にニュース報道(あるいは解説)なんかする資格は初めからない。国際交渉において、金を払うしか能のない日本政府は、いわば、北朝鮮と「援助交際しましょう」と言っているのと同じである。客観的には売春以外の何でもない行為を、「両者間で合意の上の援助交際に文句あるか」と言っているようなものである。

 国際的な(註:当然、19世紀の近代国民国家形成における「国際法」の概念成立後の話である)地図に記されている地名の問題についての韓国側の主張の根拠を聞いて、私は唖然とした。「西暦512年まで遡れる」というのである。日本政府が日本海という名称の根拠として、19世紀初頭に日本(徳川幕府)とロシア帝国との外交交渉において、「ロシアが日本海という名前を使っていた」ということを引き合いに出せば、韓国側は百済・新羅・高句麗の三国鼎立時代の文章を引き合いに出して、「その時から東海と呼んでいる」と主張しているのである。これは驚いた話である。なぜなら、百済と新羅と高句麗は、お互い国家の存亡をかけて戦った仲である。つまり、これらの三国は敵の国同士だったのである。じゃあ現在の大韓民国は、百済人の子孫なのか、新羅人の子孫なのか? どちらの国を継承していると言うのか? たしかに、百済と新羅両国を併せた領域と現在の大韓民国の版図がほぼ重なり合っているが……。

 もちろん、どちらの国の(統治機構の)継承者でもないことは明らかである。同様に、北側(註:中国東北部の遼寧省と吉林省と黒竜江省と北朝鮮の版図を含む広大な地域を領有していた)の高句麗が、現在の朝鮮民主主義共和国の先祖であるはずもない。にもかかわらず、韓国・北朝鮮ともに、『檀君神話』を根拠に「自分たちは半万年(5,000年の意味)の悠久の歴史を持つ朝鮮(韓)民族だ」などという訳の解からない神話史観を標榜している。特に、北朝鮮の「国父」故金日成主席などは、壇君の父で、天帝の息子である恒雄(ハンウン)が最初に地上に降臨したとされる「聖地」白頭山で生まれたことになっている。ここまで、神話と現代の自分たちを結びつけることによって正統性を出そうと演出しているのである。

 これは、戦前の大日本帝国が、昭和15年(1940年)に紀元2,600年(つまり「神武天皇の即位以来、日本は2,600年間に及ぶ一貫して継続した(万世一系の)歴史がある」というフィクションを国威宣揚に用いたこと)を祝ったことに対抗して、「ウリナラ(わが国)の歴史はイルボン(日本)の2倍の半万年だ」という宣伝以外の何ものでもない。萬遜樹氏が『鶏林(ケリム)望見』で指摘しているように、そもそも「民族」という概念自体、近代国民国家が創り出したフィクションである。そのようなことを国際社会間の交渉事の法的根拠に持ち出す国の主張であるから、初めから合理性を欠いてるのである。現在のアラブ人によるエジプト共和国が、ピラミッドを建てた古代のエジプト帝国と同じ国ではないこと、あるいは、旧ユーゴスラビアのマケドニア共和国が、アレクサンダー大王のマケドニア帝国と同じ国(民族の一貫性)でないことは明白であるのと同じ理屈である。以前、私は「主幹の主観」シリーズにおいて、『南海道:太陽と海の道』(、『東山道:もうひとつの国譲り』、『北海道:アイヌだけが先住民族か』という三部作を現したことがあるが、実は、まだ海道には、「西海道」と「東海道」が残っており、「いずれ上梓しなければならない」と思っていたが、今回、別の意味で、「東海」をテーマに書かなければならなくなったのは残念なことである。


▼方向概念は中華思想の賜物

 外務省の主張によると、文化2年(1805年)に、ロシアの提督クルゼンシュタインが「開港」を求めて長崎に来た(註:もちろん当時の日本は鎖国していた)が、そのクルゼンシュタインがウラジ・ヴォストーク(註:日本では、一般的に「ウラジオ・ストック」と呼ばれているロシア沿海州の港町は、ロシア語ではウラジ・ヴォストークと発言され、その意味は、なんと「東の領地(支配)」という意味である)に戻って、ロシア帝国の地図に「日本海」という名前を記しているというのが、当初の外務省が調べた「日本海」という名称についての起源の説明であった。しかし、上田正明氏によると、その3年前の享和2年(1802年)に出版された新井白石が著し、蘭学者の山村才助がこれに手を加えた『采覧異言(さいらんいげん)』という本には、クルゼンシュタインが「日本海」と命名したよりも3年早く、この海のことを「日本海」と呼んでいる。しかも、この本では、現在、世界中が「太平洋(Pacific Ocean)」と呼んでいる海のことを「東日本海!」と呼んでいるのである。さすがに、ここまで来たら書きたい放題であるが、韓国の主張は、言わば、これとほとんど同じ論理なのである。近代国民国家間のルールである国際法によれば、当事国同士の見解が合わない案件については、当該国以外の第三国によって承認させることが重要な手続きである。

 韓国側は「日本海」という名称を所有の概念として捉え、これを批判しているが、彼らが「単なる方向概念である」と主張する「東海」とて、極めて中華思想的であり、自国を中心として、世界をひとつの原理の下に統合しようとする傍迷惑な思想である。私が、中華思想としての「東海(トンヘ)」と言う言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、昭和13年(1938年)発表された『愛国行進曲』である。日本には数少ないマーチ(行進曲)のひとつである。若い読者の皆さんはこの歌を知らないだろうから、以下を記しておく。

『愛国行進曲』

1)
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

2)
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

3)
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろ)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ

 この一番の歌詞など、JR東海のコマーシャルソングにしても良いぐらいの名調子である。私は、この勇ましい歌詞が結構、気に入っている。ただし、ある特定の近代国民国家が、周辺諸国と摩擦を生じた時に、自国の行為(特に軍事的行為)を正当化するための理由として、宗教(キリスト教やイスラム教に顕著)や古代の神話を持ち出すことには、はっきりと反対である。つまり、近代国民国家とは、それぞれの地域に住む「国民(nation)」の意思によって人為的に構成された「統治機構(state)」のことであって、地縁血縁によって自然発生的に成立した古代国家とは、同じ国家は国家でも、その概念が全く異なるのである。

 つまり、アジアで最も早く近代国民国家となった日本の太平洋戦争における敗戦という国際情勢の変化によって、20世紀の中頃、人為的に建国された中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国あるいは大韓民国といった国家は、イデオロギーによって、まさに人為的作られた近代国民国家であり、その近代国民国家としての成立のレジティマシー(正当性)は、残念ながら、それらの民族の神話によってではなく、国際社会を構成する諸外国によって「承認」されることによって生じるのである。これは、19世紀以来の欧州における「万国公法(国際法)」の概念である。


▼いまさら先住民の地名に戻せるか?

 したがって、地名も含めて、近代国民国家の統治領域の及ぶ範囲の正当性の起源を古代からの民族の伝統に求めるのは、大間違いである。大日本帝国は、19世紀の後半に成立した紛れもない近代国民国家であるにも関わらず、その正当性の根拠を遥か昔の神代に置き、悠久の過去から連綿として続いている(ことになっている)万世一系の天皇を戴くということにおいていたのと同様の論理なのである。国際法上、そんなことは必要ないのである。それにしても、「新しいイスラエル」としてのアメリカ合衆国といい、近代国民国家を建てるのに、何故、神がかりの物語を持ち出さないといけないのか理解に苦しむが、自分たちの支配の正当性を示すために、どこの国でも、ことさら古代と結びついた地名を付けたがる傾向が見られる。

 しかし、もし、地名が古代以来の歴史と直結していなければならないのであれば、われわれがよく知っているアメリカ合衆国の地名の多くはナンセンスになる。ニューヨークもワシントンもボストンもサンフランシスコも、300〜400年ほど前までは、先住民(ネイティブ・アメリカンいわゆるアメリカ・インディアン)の人たちが呼んでいた固有の名前があったはずである。(註:中西部の諸州の名前に、結構、先住民由来の地名が残っている。例えば、アイオワはスー族の「美しい土地」、アラスカはイヌイット族の「本土」、アラバマはチョクト族の「茂みを開く人」、イリノイはイリン族の「教養のある立派な人」、オクラホマはチェロキー族の「赤い人々」、カンザスはスー族の「南風の人々」といった具合である)それを後に、ヨーロッパから多数の移民が入り、先住民たちから土地を纂奪してゆき、自分たちの都合の良いニューイングランドとか、ニューアムステルダムとか、ルイジアナ(フランス国王ルイの土地)、バージニア(英国の処女王ヴィクトリアの土地)といったような名前を適当に付けたのである。

 もし、「日本海」の呼称問題における韓国の主張が正しいのであれば、韓国は「アメリカやオーストラリアの地名は、全てネイティブア・アメリカンやアボリジニの人たちが呼んでいた地名に戻すべきである」と主張すべきである(さもなければ、これは単なる「反日」感情から出たダブルスタンダードに過ぎない)。しかし、今さら、そんなことができないのは当然のことであり、また、近代国民国家は「その成立の基盤をその統治領域に住む人民(=国民)の意志(選挙)によって選ばれた政府であるから」ということが、その存在理由になっているのであるから、自国の領域にかつて住んでいた人々の歴史を以って正当化の根拠にするのは、全くナンセンスなのである。そのような韓国側の論理の混同に対して、国際会議の場でまともな反論ができなかった外交当局の責任は大きい。だからと言って、私は「古代史を軽視して良い」といっているのではなく、逆に、自国の歴史だけでなく、世界各国の古代から現代に至るまでの連綿と続く歴史のことを広範囲にマスターした者だけが、国際社会に出て発言する資格を有する者であると考えているのは言うまでもない。多いに考えていただきたい問題である。


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