シャローム・シャロン
         03年01月29日


レルネット主幹 三宅善信

▼リクードがついに第一党に
  
 1月28日、イスラエル議会の総選挙が行われ、シャロン党首(首相)率いる右派政党「リクード」が改選前の19議席から37議席へと倍増させて第一党となり、引き続きイスラエルの政権を担うことになった。一方、「パレスチナとの和平路線」を提唱するミツナ党首率いる労働党は、1948年の結党以来最低の19議席に後退した(註:改選前は、労働党は野党ながら、なんと第一党の25議席もあった)。因みに、イスラエルの国会(クネセト)の全議席数は120なので、シャロン党首が一昨年、政権に就いた時には、全議席数の6分の1もない「弱小政党」だったのである。小政党が乱立するイスラエルでは、いかに巧く連立を組むかという議会運営上の手練手管が必要である(註:そういう国政上の混乱を避けるために、数年前、一時「首相公選制」が導入されたが、すぐに廃止された)。前作に続き、私は今回の作品を海外で書いており、おかげで、日本ではあまり報道されないイスラエルの選挙結果が詳しくTVで紹介されており、非常に興味深い。

 この選挙結果は、今回の選挙に一縷の望みを抱いていたパレスチナの人々を絶望的な気持ちに突き落としたに違いない。シャロン氏が政権に就いてからこの2年間に、パレスチナ過激派の自爆テロ等によって700名のイスラエル市民が命を落とし、一方、イスラエル軍の侵攻により、2000名のパレスチナ市民が命を落とす暴力の連鎖が繰り返された(註:同じ無差別殺人でも、イスラエル側は国家の正規軍の仕業、パレスチナ側は跳ね返り者の過激派の仕業であるところが、全く意味が異なるはずだ)。さらなる大規模な「テロ」事件が発生する可能性が高い(例えば、現在飛行中のスペースシャトル・コロンビア号には、たまたまイスラエルの軍人が搭乗しており、テロのターゲットになることを恐れるNASAは特別の警戒態勢を取っている)。もし、エルサレムやテルアビブなどで自爆テロ事件(『自爆テロの宗教的意義』)でもおきれば、「待ってました」とばかり「報復」と称して、軍事行動(アラファト議長の追放を含む)に出るであろう。この事態を喜ぶのは、シャロン首相とブッシュ大統領であろう。この二人に共通していることは、自らテロの原因を創り出しておきながら、自己正当化の理由を「テロとの戦い」と称して、「敵」に軍事的攻撃をかけていることである。

▼殿中でござる!

 そもそもシャロン政権の成立に至る経緯の胡散臭さ故、私はシャロン氏の政権を支持し得ない。ことの経緯は、以下の通りである。2000年12月、任期切れまであと1カ月と迫ったクリントン政権最後の仕事として、イスラエルとパレスチナ自治政府との間の「恒久的な和平協定」の締結まで、あと一歩のところまで行っていた。この和平プロセスは、1995年、遊説中に暗殺された「中東和平」の立役者、故ラビン首相が中心となった1993年の『オスロ合意』(註:ラビン首相、ペレス外相とアラファト議長はこの功績により、同年ノーベル平和賞を受賞している)に遡る。その後、8年間のクリントン政権を通してアメリカを仲介役としてイスラエルとパレスチナ間の「対話」が進められてきたのである。

 その一番最終の段階にきて、思いもかけない方法で、この和平交渉をぶち壊した人物がいる。ことあろうアリエル・シャロンその人である。当時、アラファト議長のパレスチナ自治政府を交渉相手と認めない野党リクードの党首であったシャロン氏(註:首相は労働党のバラク党首)は、パレスチナ側が管理している東エルサレムの「神殿の丘(イスラム教徒の聖地「岩のドーム」ことアル・アクサ寺院=預言者マホメットの魂が昇天したと信じられている岩の上に建てられたモスク)」に土足で踏み入れたのである。この地は、エルサレムがイスラム化するより遥か以前(約2000年前)に、ローマ帝国によって徹底的に破壊された古代ユダヤ教の「神殿」(註:紀元前10世紀にソロモン王によって建てられた神殿)が建っていた場所で、その「至聖所」を汚さないために、正統派のユダヤ教徒は決して近づかないことになっているところである。

 これには、イスラム教徒であるパレスチナ人が激怒した。早速、エルサレムの各地でいざこざが始まった。シャロン氏の「挑発」がまんまと功を奏したのである。東エルサレムの旧市街地では、パレスチナ人にはある程度の「自治」は認められてはいるが、警察や軍隊といった治安維持をはかる機関は、実質的にはすべてイスラエル側に握られているため、「問題」を起こしたパレスチナ人たちがドンドンと捕まった(あるいは射殺された)のである。ともかく、いかに侮辱されても、いったん「刃傷沙汰」になってしまえば、パレスチナ人の「罪」が問われるシステムになっているのである。まるで、江戸城「松の廊下」で刀を抜いてしまった浅野内匠頭である。もちろん、イスラエル政府がご公儀で、シャロン氏が吉良上野介である。  

 かくして、クリントン政権8年間の努力(さらに言えば、1970年代末のカーター政権の仲介によるイスラエル・エジプト間の歴史的な『キャンプ・デービッド合意』以来の、イスラエルとアラブ諸国間の信頼醸成の歩み)は水泡に帰し、それ以後、「暴力の応酬」が繰り返されているのである。しかし、人々の心理とは不思議なもので、戦争(まもなく戦争に突入するという緊張状態も含めて)が起これば、「強行意見(「話し合い解決」ではなく、「敵を殲滅せよ」という意見)」のほうが民衆の支持を受けるのである。現実の政治的状況として、戦争が起こってしまったので、やむを得ず「強行意見(=軍事的手段の行使)」を採用することは、事態の早期解決手段のためのオプションのひとつとして容認できるが、為政者が自らの政権を維持するために外部に"敵"を創り出して内部を結束させるための「強行意見」を説く(註:フセインや金正日の手法がこの類型に該当する)ことや、政権を奪取するためにわざと緊張状況を創り出し、この状況を突破するための「強行意見」を説く(註:ヒトラーやシャロンの手法がこの類型に該当する)ことは、許されるはずはない。

▼アメリカ政府は「9.11」を予め知っていた

 アメリカでも、この状態は同じである。1991年の湾岸戦争時には、90%近い支持率があったブッシュ政権(註:もちろん、現ジョージ・W・ブッシュ大統領の父親のジョージ・ブッシュ大統領のこと)は、米国経済の失速(=レーガノミックスの終焉)により、翌1992年に行われた大統領選挙ではクリントン氏に圧敗してしまった。戦時における国民からの人気のいかに危ういものかを肝に銘じたブッシュ"王朝"としては、政権を維持し続けるためには、その都度、国際的な緊張状態を創り出したほうが得策であると学んだことだろう。ブッシュ氏は、大統領就任直後からわざと「(アメリカ)一国主義」という国際緊張を高める政策を実施した。2000年から2001年にかけて、世界最大の温室効果ガス排出国でありながら「地球温暖化防止条約(いわゆる『京都議定書』)」からの身勝手な離脱宣言。南アフリカで開催された「人種差別撤廃条約」からの脱退。そして、国際的な約束であった「パレスチナ国家樹立宣言」の延期。と矢継ぎ早に、国際不協調路線を実行した。

 このような独善的態度が取れるのも、東西冷戦に勝利して10年が経過し、軍事力でアメリカを脅かす存在がなくなった(註:かつてのライバルのロシアは、軍事費で比較すればアメリカの40分の1でしかなくなった)上に、クリントン時代の国際金融経済のグローバル化で、長年、経済的ライバルであった日本まで沈没し、「グローバル・スタンダード」の名の下に、「なんでもあり」の唯我独尊的状況になっていたからである。かくして、ブッシュ政権は、シャロン党首が行ったのと同じような感覚で世界中の敵対する者たちに対して挑発行為を行ったのである。

 結果は、まんまとアメリカの思うツボとなった。2001年9月11日のいわゆる「同時多発テロ」事件の発生である。シャロン氏に聖地を踏みにじられて激怒した跳ね上がりパレスチナ人のごとく、オサマ・ビン・ラディン氏率いるイスラム原理主義者集団アルカイダの面々である。アルカイダは、アメリカの富と権力の象徴であるWTC(世界貿易センター)とペンタゴン(国防総省)へ自爆テロを敢行したのである。まるで、現在の「吉良邸討ち入り」である。赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りするであろうことを幕閣が予め知って(泳がして)いたごとく、アメリカ国内でのテロ事件が起こるという情報も、予め合衆国政府首脳の耳には入って(泳がして)いたそうである。
 
 しかも、アメリカが創り出した"敵"は、「国際テロリストネットワーク」という曖昧なものになっており、「お前の国はお尋ね者を匿っているだろう」と、勝手にアメリカが決めつけることによって、いつでもどこの国でも恣意的に攻撃できる大義名分が立った。かくして、アフガニスタンタリバン政権を1カ月で滅ぼした(註:9.11からなら2カ月)ブッシュ政権は――戦争が早く終わりすぎれば、経済失速の責任を問われ、父ブッシュの二の舞を踏むことになるので――次なる"敵"を親父の仇敵サダム・フセイン政権に狙いを定めて、2004年の大統領再選目指した戦争政策を採るのである。なぜなら、国民は、大統領の資質に関わらず、戦争中は「強行意見」を支持するものだから……。もし、フセイン政権が早すぎる崩壊をして"敵"がいなくなってしまったら、その次は、北朝鮮なり、イランなり、適当な"新たな敵"を創り出すだけである。

▼競争はあくまでフェアな条件で

 さて、話をイスラエルの総選挙に戻そう。リクードのシャロン党首は、今回の選挙期間中においても、現役の首相という権力を利用して、自らの選挙戦を有利に進めるための工作をした。1月9日、シャロン首相は「不正資金疑惑釈明会見」でテレビ出演していたが、会見の途中、公の電波を利用して、現在進行中の総選挙のライバル政党(労働党)を批判する意見をまくしたて、「公選法違反」の疑いでオンエアを番組途中で打ち切られるという失態(しかも、国営放送に)を犯している。そのシャロン氏が投票日の3日前に打って出た手は、さしたる理由もないのに、パレスチナ自治区のガザ地区に軍を派遣してこれを攻撃したのである。これに怒った原理主義者がエルサレムかテルアビブで自爆テロ事件でも起こしてくれたら、それこそ思うツボである。

 かくして、「パレスチナ人は交渉相手たり得ない」という論理を堂々と振りかざして、シャロン政権は総選挙をものにしたのである。このように書いてくると、読者の皆さんは、私を「反ユダヤ主義者」だと思うであろう。しかし、それはとんでもない間違いである。ユダヤ人の能力を高く買っているし、ハッキリ言って「パレスチナ人はトロい」とすら思っている。私はこの地域をこれまで2度(1992年と1999年)訪問したことがあるが、どうみても"仕事"をする能力が劣るくせに、気位だけは尊大なパレスチナ人の態度にはウンザリしている。一方、ユダヤ人とは大変よく気が合うし、知人もたくさんいる。もし、同じ条件で、ユダヤ人とパレスチナ人を競争(戦争でもビジネスでもスポーツでも勉強でもなんでもよい)させたら、10人の内9人まではユダヤ人が勝利するであろう。

 問題はここにあるのである。同じ条件で勝負してもほとんで必ずと言ってよいほど「勝てる相手」に、なぜ、かくもアンフェアな戦いを仕掛けなければならないのか、私には理解できかねる。弱者にだって対等の条件で競争に参加する権利があるはずだ。ゲームに参加した結果、「差が付いた(負けた)」のなら致し方ない。しかし、現状では、前作『マイム・マイムの謎』で述べたように、例えば、人間が生きていく上で必要欠くべからない水の1人当たりの使用量の比率「60(イスラエル人):1(パレスチナ人)」ひとつを見ても、お世辞にも「フェアな競争」とは言い難い現状である。

 もし、この結果を誘引する根拠が彼らの宗教(ユダヤ教)にあるというのなら、私はその矮狭さを大いに批判したい。日本のニュースでは、今回のイスラエル総選挙の報道では、シャロン党首率いる右派政党リクードと、ミツナ党首率いる中道左派政党の労働党の2つの政党の動静しか伝えなかったが、最初に述べた通り、イスラエル国会(クネセト)の総議席数は120であり、リクードと労働党を合わせても過半数にも満たない56議席しかない。私はたまたまこの時期、海外に出かけていたので、欧米のメディアが発信するニュースを視る機会に恵まれた。

▼"超正統派"シャスとは、何者か?

 その選挙速報には、議席数15(改選前は6議席)で、2位の労働党をも凌駕しかねない勢いの聞き慣れない政党の名前が第3位に着けていた。その名も「シヌイ」である。一瞬、ゴリゴリの超正統派(というよりは、教条主義者の集団、夏でも真っ黒な長袖の服を着て、もみあげを肩まで伸ばしている)の政党で名高い「シャス」のことかと思ったが、どうやらこれとは違うようである。読者のほとんどの皆さんは、「シヌイ」はもとより、「シャス」すら初耳の方が多いであろうから、シヌイについてコメントする前に、まず、シャスについて説明しておこう。およそどんな宗教的伝統においても、程度の差こそあれ、保守派(正統派・原理主義)と、改革派(現実主義・複数主義)と、それらの中道に位置す中間派(この部分に属する人が人数的には最も多いのであるが、ほとんどはサイレント・マジョリティのため、政治的に集約された意見とはなりにくい)から構成されていると考えて良い。

 シャスは、1984年、モロッコ・チュニジアなどの北アフリカ出身の「セファルディ」と呼ばれるイスラム教支配地域のユダヤ人グループ(註:第二次世界大戦後、世界中からかき集められたユダヤ人たちによって人工的に造られた国家であるイスラエルには、言葉や皮膚の色の異なる複数の有力なグループがある。最も有名なものは、正教会支配地域の東欧出身者の集団のアシュケナージである)を支持基盤として結成された。このシャスの連中は、ともかく、なんでも二千数百年以上も前に成立した『トーラー(律法)』に書かれたとおりことを進めるのを信条としている。飛行機も電話もコンピュータも無かった時代に作られた律法を文字通り厳守するなんてバカげている。

 例えば、「シャバット(安息日)にエレベーターに乗る時は、行き先階指定ボタンを押す行為が、律法に禁止されている"労働"に当たるので、ボタンを押さなくてもいいように、エレベーターは全階自動停止にしろ」とか、もう滅茶苦茶である。なぜ、将来エレベーターなるものが発明されることを見越して"全能なる創造主"は、律法を定めなかったのか? というふうに思わないことのほうが、私には不思議でしようがないが、ともかくそういう連中が支持母体となっている政党が、長年、イスラエルでは第3党として政局のキャスティングボートを握っていたのである(註:この辺り、自民党と民主党の狭間で、実力以上にキャスティングボートを握る公明党と同じパターンである)

▼"脱宗教"のシヌイに期待

 ところが、今回の総選挙では、この「シャス」が17議席から11議席へと議席数を減らしたのである。そして、その代わりに、誰もがビビッてよう手をつけなかったこの「シャス」をボロクソに批判して、「シヌイ」が6議席から15議席へと大躍進したのである。何事も「ユダヤ教の宗教的伝統」をアイデンティティとして成り立っているイスラエルにおいて、宗教勢力を公然と批判する世俗主義政党「シヌイ(変革)」が台風の目になっていることの意味は大きい。なぜなら、これまでのイスラエルの政界では、"右"から順に、超正統派(シャス等)から保守派(リクード等)を経て、中道左派(労働党等)に至るまで、程度の違いはあれ、「ユダヤ教の宗教的伝統」を尊重するということは「自明の理」であった。

 そのイスラエル社会において、「反ユダヤ教」を説く「シヌイ」が、全議席数の8分の1に当たる15議席を獲得して、第3党に躍進したことのショックは大きい。シヌイは、シャスの「特権剥奪」を選挙公約としてきた。"特権"とは、例えば、アラブの海の中のユダヤ人の"孤島"であるイスラエルという状況から、男も女も「国民皆兵」が義務づけられているイスラエルにおいて、「兵役免除」されているのが、超正統派公認の神学校在学生である。これらの神学校の卒業生が、ラビ(ユダヤ教の聖職者)となって、国民を教導してゆくのである。当然、自分たちのことを「超正統主義」だと思っている訳であるから、"異教徒"であるパレスチナ人なんぞ、初めから眼中になく、たとえユダヤ人であっても、「保守派」や「改革派」等とも話し合おうなどという気は毛頭ない。彼らにとっての「論争」の相手は、「正統派内の他派」だけである。「われこそが"超"正統派である」ということの度合い比べという意味で……。

 私は、本論の最初に、"敵"との対立を煽ることによって、「強行意見」で有権者の人気を集める政治手法を採る勢力(具体的には、シャロン首相)を批判してきた。シャロン氏が政権に就いてから、わずか2年の間に、イスラエル人とパレスチナ人合わせて2700名の貴い血が流されてきた。そろそろ、これまでとは違う論理でパレスチナ問題にアプローチして行かなければ、ますます泥沼へと足を踏み入れて行くことになる。そのことに、少なくとも、イスラエル人の有権者の8分の1が気が付き初めてきたのである。シャロン首相に言いたい。「シャローム(平和を)、シャロン」と……。

  


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