トルコをめぐる欧米の亀裂
         03年02月12日


レルネット主幹 三宅善信

▼ならずもの国家アメリカ

 国連安保理決議1441号(2002年11月8日採択)によるイラクの大量破壊兵器武装解除に関する査察をめぐる国際社会の駆け引きがいよいよ佳境に入って来た。明後日(2月14日)の安保理を目前に控えて、それぞれの国がそれぞれの国力と国益を天秤にかけて、極めて巧妙に国際社会を舞台につばぜり合いを展開している中で、わが国もちっとは見習っていただきたいことがたくさんある。しかも、"アジア"というものに対するヨーロッパ人の考え方を知る上で、極めて興味深いので、今回は本件について考えてみることにした。

 そもそも、国際政治におけるアメリカの論理が無茶苦茶(少なくともダブルスタンダード)であることは過去数年来、当「主観の主幹」コーナーで繰り返し指摘してきたので、読者の皆様にはあらためて言うまでもないことである。今回のイラクへの大量破壊兵器査察活動に対するアメリカの言い分もふざけたものである。はじめは、「イラクが査察に応じないと、アメリカ一国でも攻撃する。また、たとえ査察に協力したとしても、もし、大量破壊兵器が発見されたら、フセイン政権を追放し、イラクを武装解除する」と、まるで「天誅気取り」であったが、UNMOVIC(国連監視検証査察委員会)やIAEA(国際原子力機関)の専門家による懸命な査察活動にも関わらず、一向にそれらしい決定的な証拠が発見されないとなると(註:査察した結果、明白な物的証拠が出なかったのであるから、たとえイラクが大量破壊兵器を巧妙に隠していたとしても、その時点でイラクのは明白であり、「査察の結果、であればイラクを攻撃する」といったアメリカの主張は否定されるはずである)、今度は、「これだけ入念に査察しても大量破壊兵器を製造しているという証拠が出ないこと自体が、大量兵器を隠しているという証拠である」などという訳の分からない難癖をつけて、イラクを攻撃しようとしている。これなんぞ、論理そのものが、まるで、ヤクザの因縁と変らないではないか! どちらがならずもの国家か! と言いたい。


▼英国は欧州ではない

 このようなイラクの大量破壊兵器に関する国際的な競り合いの場面で、ソビエト連邦崩壊以来、国際社会で発言力が著しく低下したロシア(註:1991年の湾岸戦争の開戦前夜には、ソ連の特使が何度もバグダッドを訪れて調停を試み、また国際社会もこの調停にある程度、期待していた)が、「ここぞ!」とばかり国際社会での復権を狙い、また、新たに国際社会で無視し得ない勢力となってきた中国も、自らのキャスティング・ボートをいかにアメリカに高く売りつけるかという観点(註:フセイン政権が存続しようと、しまいと、中国にはなんら影響はないが、「イラクの次」と言われる北朝鮮の武装解除の際に、対米関係において、いかに自国を有利なポジションに置くかは、今回の対イラク戦争へのスタンスにかかっている)から独自の外交を展開している。

 このような国際情勢の緊迫の中で、極めて興味深い問題が顕在化してきた。もともと、第二次大戦後の欧州の枠組みは、過去数百年来のライバルであったドイツとフランスの関係をいかにとりもつかということが、戦後60年間に及ぶ欧州における国際政治の基本的なフレームであり、具体的には、1958年のEEC(欧州経済共同体)から、1967年のEC(欧州共同体)、そして1993年のEU(欧州連合)から、さらに2000年の通貨統合へと順次展開してゆくことによって、各国民国家の"主権"を制限しつつ、古代ローマ帝国以来の「ヨーロッパの家」という理念を徐々に実現させてきた。

 一方、欧州大陸からわずか数十キロしか離れていないが、ドーバー海峡を隔てた大西洋に浮かぶ島国である英国と大陸の間では、まさにドーバーの「白亜の絶壁」のごとく、距離的にはごく近いにもかかわらず、心理的には目に見えない大きな壁が横たわっている。だから、地政学的には、英国は、欧州の一部というよりはむしろ、大西洋を遥か隔てたアメリカと近いのである。このことは、アメリカ人の先祖が英国人であるということからいえば、当然のことかもしれないが、それにしても、ここ百年間にわたる一貫した米英両国の「血の同盟」は揺らぐことがなかった。


▼ソ連の消滅はアメリカの必要性を低下させた

 もともと、ソ連邦ならびにその衛星国であった東欧社会主義圏が存在していたいわゆる「東西冷戦体制」の時代には、西欧各国は常に、ソ連という軍事的脅威に対して、アメリカという後ろ盾を必要として、その結果、大西洋の遥か彼方にあるアメリカを西欧諸国がNATO(北大西洋条約機構)を結成して集団安保体制を確立することによって、ソ連・東欧ブロック(註:軍事的にはワルシャワ条約機構=WTO。経済的にはコメコン=CMEA)に対抗してきたのである。しかし、圧倒的な経済格差がついて冷戦が西側の勝利に終わり、目に見える「ベルリンの壁」が崩壊してからは、かつての"敵"は草刈り場となり、「西欧の東方拡大」が始まったのである。

 そして、ついには、ポーランドやハンガリーといった東欧の旧社会主義圏の国々は、ことごとくEUの傘下に入った(註:昨年の秋に加盟申請が受理された)。しかし、ヨーロッパにおけるロシアの影響力の低下とEUの東方拡大は、結果として、後ろ盾である軍事大国としてのアメリカの必要性の相対的低下も招くことになった。そのことはまた、21世紀の最初の年に起こった「9.11(同時多発テロ事件)」に象徴的に見られる新たな枠組み内での対立構造(註:いわゆるキリスト教圏とイスラム教圏という「文明の衝突」のこと)としても現れ、アメリカがその「軍事的・経済的一人勝ち」にもかかわらず、世界中の人々から、嫌われるという結果も招いたのである。

 そのことでは、今回の米英(アングロサクソン)同盟による対イラク攻撃積極姿勢に対し、"西側"同盟諸国の中では、米ソ冷戦時代から「アングロサクソン同盟」に対して一家言を持ってきたフランス(例えば、ド・ゴール政権による独自の核戦略等)は言うまでもなく、第二次大戦敗戦後は、日本と同様、「アングロサクソンの側に付いておきさえなっておけば、貧乏クジは引かない」と、アメリカの忠実な下僕を演じてきたドイツですらも、今回のブッシュ政権の方針に対しては真っ向から反旗を翻したのである。つまり、国連安保理の新たな決議を経ない米英両国主導によるイラク攻撃(戦争)に対して、「正統性がない!」と「待った」をかけたのである。


▼猫も喰わぬ北朝鮮  

 これは単に、巷間、さかんに言われるような、戦後のイラクの石油資源の分配をめぐる主導権争いだけの問題ではないが、まずはその前に、入門編として、石油利権問題から話そう。それが事実であるかどうかは別にして、アメリカは「われわれは核兵器を造っていない」と言って、現に査察も受け入れているイラクを「攻撃して武装解除する」と言い、逆に自ら「核兵器やミサイルを造っている」と宣言している(それどころかIAEAの査察官を追放した)北朝鮮を「攻撃しない」のには明白な経済的理由がある。

 それは、イラクを分捕れば、世界第二の石油埋蔵量を誇るこの国の石油分配権を自らのものにできるという具体的な利益があるが、天然資源もほとんどない世界最貧国の北朝鮮を分捕っても、その餓えた人民を食べさせてやらなければならなくなるだけで、なんら利益がない。という極めて経済的な原理から、イラクに対する態度と北朝鮮に対する態度――アメリカから言えば、両方とも「ならず者」国家ということになっているが――の違いにハッキリと現れているのである。アメリカの本音は、「地球上から朝鮮半島の北半分が、餓えた人民もろとも消滅してしまえばよい」と思っているのである。北朝鮮に隣接するのは、安保理の常任理事国であるロシアと中国であり、北朝鮮を攻撃すれば、当然、両国との国境付近でも軍事的衝突が起こり、難民も大量に発生するので、砂漠に囲まれたイラクを攻撃するほど容易ではない。国際政治における人道主義とは、普遍的な「理念」などではなく、相手を糾弾するための単なる道具のひとつ(理由づけ)に過ぎないことはいうまでもない。

 韓国の「太陽政策」も同じことであり、「民族の統一」という理念から言えば、北朝鮮という軍事的脅威は消えてなくなって欲しいけれど、それよりも困ることは、現在の北朝鮮の国家体制が急激に崩壊して、自分たちが貧しい北朝鮮を食べさして(註:単なる食糧援助という意味だけでなく、経済が壊滅的した国家を併合することによって、いわば大量の不良債権を抱えた状態になること)やらなければならない事態に陥ることである。それよりも、北朝鮮の現体制が存続してくれるほう(註:実は、北朝鮮経済を建て直すウルトラC的プランを私は有しているが、今回はテーマが異なるので、別の機会に譲る)が、遥かに国際社会にとっては都合が良い。ここでも、虐げられた北朝鮮人民の福祉のことなど真剣に考えている国はどこにもない。したがって、とんでもない人権抑圧を行ない、軍事的にも危険極まりない北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)政権に経済援助して、これを延命させるという、一見矛盾する政策をアメリカや韓国や日本がとっているのである。しかし、イラクの場合は別である。先に述べたように、イラクを分捕れば、石油という具体的なフルーツが得られるからである。それが、いかなる難癖をつけても戦争をふっかけようとする本当の理由である。


▼トルコがなぜEUに入れてもらえないのか

 本題に戻るが、イラク攻撃に関して、アメリカは大きな計算違いを犯した。それは、トルコを巡る欧州との温度差に気づかなかったのである。12年前の「湾岸戦争」の時のように、主にペルシャ湾岸側(サウジ側)からだけイラクを攻撃するのであれば、欧州各国も容易にアメリカの戦争に賛成したであろう。なぜなら、それは、「中東」というエキゾチックな世界での戦争だったからである。しかし、今回は、(ペルシャ湾岸側から見た)イラク奥地のバグダッドまで攻め込んで、フセイン政権を壊滅させようとするのなら話は別である。この作戦には、イラクに隣接しているトルコの協力は軍事的には必要不可欠な条件である。しかし、ここは欧州の近隣なのである。一方、トルコは、今回アメリカに貸しを作ることによって、最大限の経済援助を得るだけでなく、長年の夢であった「EU加盟」(註:アフガニスタンのタリバン政権打倒のために、アメリカが隣接するパキスタン、タジキスタン、ウズベキスタンを「取り込んだ」のと同じ理由)に後押しをして欲しいと期待していることは明白である。これは、トルコというアジアとヨーロッパに跨った不思議な国の歴史と実際に関係している。

 トルコは、ずいぶん以前からEUへの加盟を申請してきたが、EUの中心国であったフランスとドイツは、いつもいろいろと難癖(例えば「(西欧型の)民主主義体制が確立していない」とか「資本主義的の法体系が整備されていない」等の可変条件を言っているが、本音はもちろん、大多数のトルコが有色人種であり、イスラム教徒という不変条件への差別的態度であるからだが、それは口が裂けても言わない)をつけて、トルコのEU加盟に反対してきた。一方、トルコは、国民の大多数がイスラム教徒であるにも関わらず、「イスラム教国であるというイメージが、ヨーロッパ人に忌避される原因であるのなら」ということで、世界中のイスラム教国では唯一とも言える徹底した政教分離を実施し、場合によっては、個人の「信教の自由」を侵しているんじゃないか――公的な場所における(イスラム教をイメージする)ターバンやスカーフ等の「被りもの」の着用を禁止する――という法律まで作り、「脱イスラム化(世俗化)」政策(註:イスラム社会ではシャリーアという法体系自体が宗教的原則によって定められており、数々の社会規範と共に存在するイスラム教を、われわれ日本人が考えるような、宗教を「単なる個人の内面の問題」として捉えることはできないので、イスラム教徒が多数派を占める国で、ことの良し悪しは別として、世俗化することは容易ではない)を実行してきた。

 トルコでは、経済体制としてのEUと表裏の関係であった軍事体制のNATOに早くから加わり、イスラム諸国から「裏切り者」扱いされながらも、アメリカが中東各国へ軍事攻撃を加えるたびに、その足場となる基地を提供し続けてきたのも、EUの仲間に入れて欲しい一心からである。まさに、現代版の「脱亜入欧」である。にも関わらず、EUの中心国である仏・独は、トルコのEU加盟を拒否し続けてきた。それどころか、つい10年程前までは、「敵国」であったポーランド、チェコ、ハンガリー等の旧社会主義圏の国々のEU加盟申請を、スピード承認したものだから、トルコ人が怒るのもごもっともである。ちょうど、窓口で、長い列に行儀良く並んで待っていたのに、後から来た連中に狡で「横入り」され上に、そのことを窓口の係の人に言ったら、係がその「横入り」の味方をしたのだから……。


▼ついにNATOが割れた

 こうした歴史的・地政学背景があって、今回の米英によるイラク攻撃策に端を発したNATOのトルコ共同防衛計画に破綻が生じたのである。イラクに国境を接しているトルコは、米英によるバグダッド占領作戦が行なわれた場合、必ずと言っていいほど、トルコ南部=イラク北部の国境地帯で軍事的な緊張が生じ(註:都合の悪いことに、トルコ・イラク国境に跨って、遊牧民のベドウィン族が多数暮らしており、別の意味でも、不安定要素を創り出している)、トルコの領土保全への姿勢をめぐるNATO内の軍事的亀裂が生じるに違いない。したがって、相互の安全保証体制をとる(註:軍事同盟というのは、一般的に締約国のいずれかが、第三国からの侵略を受けた時には、「その侵略は同盟国全体への攻撃と見なす」ということにして、「同盟国全体で反撃する」という担保を取る集団安全保障の考えによる侵略されることへの抑止効果を意図するものであることはいうまでもない)NATO加盟各国には、当然トルコを防衛する義務が生じる。しかし、NATOの中心国であるフランス・ドイツおよびベルギーの3カ国は、NATOの方針を決定する会合(註:加盟各国政府代表からなるNATO理事会は全会一致で決議することが慣例になっている)において、NATOの盟主アメリカが説く政策に対して、歴史上初めて反対票を投じた。つまり、事実上の拒否権を行使した訳である。

 そのことに対して、アメリカはカンカンに怒っており、ブッシュ大統領などは「仏・独は同盟国の義務を果たしていない」と批判しているが、それはとんでもないおかど違いである。ヨーロッパの歴史というものを根本的に解っていない。古代のペルシャ帝国、中世のモンゴル帝国、近世のオスマン帝国の例を見るまでもなく、ヨーロッパの東部は常にアジア(註:「アジア」という名称自体は、古代ギリシャ人が勝手に付けた名称である)の専制君主帝国からの軍事的脅威(心理的圧迫)を受けてきたのである(註:地続きの隣国を持たない日本人には解りにくいかもしれないが、東(南)アジア諸国が常に中華帝国の脅威を意識してきたのと同様、欧州も「アジア」を意識してきた。近代以前は、明らかにアジアの諸帝国のほうが、欧州よりも軍事的にも文化的にも優位であった)


▼欧州を覆う「黄禍論」

 そして、地続きであるこれらのアジアからの潜在的脅威は、欧州では長く「黄禍論」(註:『ノストラダムスの大予言』に出てくる終末の破壊王アンゴルモワというのは、モンゴル人という意味だという解釈もあるくらいだ)として信じられ、明治維新後の急激な近代化の成功と、その延長としての日露戦争の勝利の後や、石油ショック後に日本の経済が急激に発展した時も、「新たなモンゴル帝国」である日本による欧州支配を心配する現代の黄禍論が真剣に論じられたぐらいである。最近では、経済的・軍事的発展の著しい中国に対する黄禍論もフランスで起っている。

 そもそも、ドイツ人の先祖であるゲルマン民族が現在の位置(欧州中央部)に定住するようになったのも、アジアからウラル山脈を越えてフン族が移住してきたことに押し出されてのことであり、中世においてはスラブ社会はモンゴル人の支配下(註:これをロシアでは「タタールのくびき」と呼んでおり、モンゴル人の騎馬部隊が侵入できないように街を囲んだ城壁のことを「クレムリン」と呼んだ)にあった。また近世では、オスマントルコ帝国とハプスブルグ帝国(オーストリア・ハンガリー二重帝国)との間の争いというものを体験している。その後遺症ともいうべきものが、20世紀末のユーゴスラビアでの民族紛争であることはいうまでもない。

 また、第二次大戦後、日本と同様、急激な高度経済成長を成し遂げた西ドイツは、その不足する労働力(註:「本来のドイツ人」の半分は、東ドイツとしてソ連に取り込まれていた)を、「 ガストアルバイター(Gastarbeiter=客員労働者)」という形で、トルコ等から導入したが、やがて経済発展期が終わったからといっても彼らがおいそれと生活水準の低い出身国へ帰るはずもなく、彼らは定住民としてドイツ国内に留まり、白人でキリスト教徒であるドイツ人とは全く異なる生活習慣をもった有色人種でイスラム教徒のトルコ人コミュニティーがドイツ国内に多数存在するに至ったのである。(註:これらの「異質なマイノリティ」の存在を、「社会の不安定要因だ」と決めつけて、差別を煽っているのが「ネオ・ナチ」と呼ばれる極右の勢力である)


▼一番得したのは誰か?

  このように、かつては"敵"だった旧東欧社会主義圏諸国のEU取り込みは構わないが、その先に開けるアジアという異質の世界へと繋がるトルコに対してEUの窓口を開くことについては、(アジアと)地続きのフランスやドイツは、理屈を超えた大変大きな心理的危機感を抱いているのである。その点、ヨーロッパ大陸とは、たとえわずか数十キロとはいえ、ドーバー海峡を隔てた島国である英国や大西洋の遥か彼方のアメリカにとっては、欧州大陸に住む人々の、長い歴史と圧倒的な人口を誇るアジアへの潜在的恐怖感というものは、実感できないのであろう。このことが、今回のトルコの共同防衛に対するNATOとEUに亀裂をもたらした真の原因であると思う。ある意味で、古代ローマ帝国以来の「統一欧州」を目指したEUは、今回の一件によって、古代ローマ帝国が西ローマ(ラテン)帝国と東ローマ(ビザンツ)帝国に分裂したのと同様、「分裂」の危機が訪れているのではないだろうか。

 今回のイラク攻撃問題をきっかけに起きたこの思いもかけなかった米英と仏独の対立に、早速、嘴(くちばし)を突っ込んだのが、ここ10年、とにみ国際的な発言力が低下したロシアであり、プーチン大統領はこの一件によって、かつての栄光を取り戻す端緒にしたいと思っているのである。もちろん、バグダッドの独裁者フセイン大統領にも、思わぬ「助け船」が生じたのであり、「現代のファラオ」であるブッシュ政権は、ペルシャ湾岸地域における石油資源の確保と、父親の時代からの仇敵であったフセイン政権の打倒を成し遂げたとしても、そのことによるヨーロッパの亀裂という大きな代償を支払わされることになるのである。既に、中東地域に相当数の兵力を集中させているアメリカは、安保理で脅かしすかしの多数派工作(註:たぶん小泉政権は、お先棒を担ぐことで、「アングロサクソン同盟」への忠誠心を示そうとするであろう)を繰り広げて、イラク攻撃を実行するであろう。今の情勢ならさしずめ、次の新月である3月3日あたりが要注意である。「♪明かりを点けましょ、ぼんぼりに♪」さもないと、新月の闇夜に何が起こるか判らない。各国のお手並みといこう。


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