キムとサダムの神隠し
    03年04月04日


レルネット主幹 三宅善信

▼サハフ情報相と同次元の論理

 アメリカ側から見た言い方をすれば「イラク解放戦争(私はこれを「対イラク侵略戦争」呼んできた)」が最終局面に突入したことになっているが、その間、アメリカは盛んに、イラクの最高指導者サダム・フセイン大統領に関する死亡説・重症説・国外逃亡説などのいわゆる「不在情報」を流し、そのことによるイラク民衆の蜂起やフセイン政権内部の自己崩壊を画策している。アメリカ軍によるいわゆる「狙い撃ち(ピンポイント)」攻撃を避けるために、当然のことながら、地下施設もしくは国内のどこか目立たない場所に身を潜めているであろうフセイン大統領に対して、「死亡した」とか「国外に逃亡した」とかいう嘘の情報を流し、卑怯な世論操作(註:今回の戦争でアメリカは、イラクの国営放送局を破壊し、その代わりに、「空飛ぶ放送局」と呼ばれる放送器材を積んだ特別仕様のC130輸送機をイラク上空に飛行させ、イラク国民を欺く作戦を実行している)を行なっているのである。

 これでは、イラク側に都合のよい発表ばかりしているサハフ情報相(註:ムハンマド・サイード・アル・サハフ氏は若い頃、NHKで研修を受けたこともあるメディア戦略のプロ。かつて化学兵器を使って多くのクルド人を殺したとされるアリ・マジド元国防相のあだ名である「ケミカル・アリ」をもじって、欧米では、サハフ氏は「コミカル・アル」と揶揄されている)のことを「嘘つき」呼ばわりする資格はアメリカにはない。


偵察衛星が映し出した標的は外さない

 ところで、今回の米国によるフセイン大統領およびその息子たちを狙ったピンポイント攻撃を、最も注視していた者は、中東から遠く離れた「北の将軍様」ことキム・ジョンイル(金日正)総書記である。今日(4月4日)現在で、キム総書記は50日間の長期に及んで公の場に姿を現していない。一昨日(4月2日)の自分自身の国防委員長就任10周年記念の国家行事にも姿を現さなかったのである。これは、明かにアメリカによるフセイン政権への「shock and awe(衝撃と畏怖)作戦」を意識しての行動である。

▼水戸黄門の物語が成り立つためには

 近代政治における国家指導者に求められる必要な条件のひとつとして、常に日頃から国民大衆の前に自らの姿を露出して、その健在ぶりを示しておかなければならない、という宿命がある。そのことは同時に、テロリストをはじめとする彼もしくは彼女の存在を快く思わない勢力(政敵や外国を含む)が、彼もしくは彼女の存在を亡きものにするための絶好の機会を与える。ということを意味する。

 これが近代以前であれば、「龍顔(帝の面相)」はもちろんこと、例えば、征夷大将軍の顔でも、ほとんど誰も見たこともなかった。庶民はいうまでもなく、それが、たとえ士分の者(諸大名の家臣)でも、幕府の御家人ですら、公方(将軍)様の顔を拝したことがない(知らない)ということが物語の展開を成立させる前提になっているのは、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』といった時代劇を見ても分かる。私腹を肥やす悪代官たちはいうまでもなく、場合によっては、たとえそれが諸侯(大名)でも、変装した八代将軍(徳川吉宗)や水戸老公(徳川光圀)と面と向かって話をしていても、本人が名乗るまで、彼が公方様であったり、黄門様であることに気が付かずに、日頃の悪い行為をしてしまい、最後には罰せられるというお決まりの筋書きであるが、これらの物語が成り立つためには、「誰も支配者の顔を知らない」ということが前提でなければならない。

 一方、近代の「民主主義的国民国家」においては、本当の意味での実態かどうかは別として、一応、選挙という民意集約の手続きによって国民からの支持を得ることが、為政者にとって必須の通過儀礼として存在する以上、為政者たちは積極的に有権者の前にその姿を晒し出さなければならない。特に、現在のように、映像メディアが発達した社会ではなおさらのことである。しかし、これが他国と軍事的な交戦状態に至るということになると、話は違ってくる。最新の精密誘導兵器は、文字どおりピンポイント(針で突いたように)で相手の潜伏場所を攻撃することができる。1,000km離れた地点から巡航ミサイルを発射しても、恐らくその誤差は数メートル以内であろう。サッカーで例えれば、わずか16.5mの距離からのペナルティキックでも、ゴールをはずす選手もいるのに、巡航ミサイルは、大分県営スタジアムからシュート(発射)して、東京の国立競技場にあるゴールマウスをはずさないという驚くべき精度だ。


一時はTVに度々登場した
ウサマ・ビンラディン氏

 ということは、アメリカによっていのちを狙われている独裁者が、いつどこで、どういうような形で国民の前に姿を現すかということをCIA等に事前に知られることは極めて危険であるといえる。一昨年のアメリカによるアフガニスタン侵略戦争の時もそうであったが、アメリカは盛んに、アルカイダの首魁ウサマ・ビンラディン氏を挑発して、なんとか公の場所に彼を引きずり出し、その隙をついてビンラディン氏を抹殺しようと試みたが、なかなかうまく行かなかった。

▼9.11の時はブッシュも逃げ隠れした

 ところが、一度だけアメリカ合衆国大統領も、ビンラディン氏やフセイン大統領と同じ恐怖感を味わったことがある。それは、いわゆる「9.11米国同時テロ」の際、思いもかけない方法で、米軍の中枢であるペンタゴン(国防総省)を奇襲攻撃され(註:ペンタゴンは純然たる軍事施設であるので、思いもかけない民間機を使ったテロ攻撃とはいえ、これを破壊されたのはアメリカ軍の油断以外の何でもなく、ペンタゴンを攻撃されたこと自体を批判する権利はアメリカにはない。今回の対イラク戦争でも「われわれが攻撃しているのはイラクの軍事施設だけだ。民間人には迷惑をかけていない」と、さかんにアメリカが主張しているように、ペンタゴンで人が何人死のうと、軍事的にはフェアである)、同様にホワイトハウスへの攻撃も予測されたので、ブッシュ大統領はしばらくの間、姿を隠した。しかし、これは、明らかにアルカイダ側の情報収集力不足で、たとえホワイトハウスへの自爆攻撃が「成功」していたとしても、肝心のブッシュ大統領はフロリダで遊説中であったので、ブッシュ氏を殺すことはできなかったのである。

 この国家安全保障上の一大事に、ブッシュ大統領はまっすぐはホワイトハウスに戻らずに、大統領専用機であるAir Force1に飛び乗って(逃げ込んで)姿を隠し、空中高く絶対に自分が攻撃されない安全な位置まで行って、はじめて、現在の所在地(機中)を明らかにしたものである。その後もしばらくの間は、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領が同じの場所に所在することによって、正副大統領が同時にテロの対象となって欠けることを避けるため、「大統領と副大統領は同席しない」ということもしていたではないか(註:ちなみに、正副大統領が同時に欠けた時は、下院議長が大統領職を引き継ぐことが予め憲法で定められている)

 その点、首相官邸の危機管理室で日本の安全保障上の危機管理について「自分たちはこんなに情報を把握できてます」と、嬉しそうにマルチ・モニター画面を見ながら、話し合っているテレビで放送している日本政府の能天気さには呆れるばかりである。あの場所を敵のミサイルで狙われたらどうするつもりであろうか?(註:おまけに、日本では、総理大臣が欠けた場合の暫定継承者の就任順位が前もって法律で定められていないから驚きだ。参照→『総理大臣の欠けたときは』)

▼逆にテレビに姿を晒け出すのが正解

 今回のイラク戦争において、フセイン大統領の執った戦術の誤りおよび見込み違いがいくつか指摘しているが、私から言わせれば、最大の誤りは、アメリカのピンポイント攻撃を逃れるために、地下の防空壕に隠れたという行為である。人間の心理として、(例えば、ビルの爆破解体のように)人のいないことが判っている(表面上、人の姿が見えない)建物の破壊はできても、現にその建物の中に人がいることが明白な建物なら、たとえ、それが敵の軍事施設であったとしても、明らさまに人が死んでいくところが見えることには抵抗があるはずである。それがなおさら、無抵抗な市民であれば……。


影武者かどうか疑われている
TVに登場したフセイン大統領

 このテレビ時代の特質を逆手にとって、私がもし、フセイン大統領の立場であれば、バグダッド市内の最も歴史的に由緒のあるモスクに入って、一般市民(の格好をさせた挺身隊員でもよい)と共にお祈りしている様子をインターネットやテレビをはじめとするあらゆるメディアを通じて24時間実況生中継させる。お祈りに疲れたら、時々、影武者と交代すればよい。そして、もし、テレビで生中継されているその場所に、アメリカ軍の巡航ミサイルやバンカーバスター爆弾が落ちてきて彼が死んだら、もしくは、そのモスクへアメリカ兵が乱入してきて神アラーに祈る彼を殺害したら、その映像は瞬時にして全世界へ配信され、全世界に10億人以上いるといわれるイスラム教徒にとって、アメリカが決定的な敵であるということが歴然と判明することになり、これで、アメリカがいかに反論しても、自己を正当化できない状態に陥らせてしまうのである。それこそ「100人のビンラディンを作り出すだけ(ムバラク大統領)」である。

 このことを中東で一番よく知っていて、自身の延命策に巧く用いているのが、パレスチナ暫定政府のアラファト議長である。彼は、ことある毎にモスクや――場合(クリスマスやイースター等)によっては――キリスト教の教会にまで足を運んで、人々と共に祈っている姿をテレビに撮らせている。これでは、さすがにイスラエルも迂闊(うかつ)に手を出せまい。パレスチナという弱小「国家」において、30年以上も権力を握り続けるには、それなりの才覚がいる。


モスクで人々と共に祈るアラファト議長

▼朕は国家なり

 その国が、たとえ独裁国家であってもなかっても、自国の国民大衆はいうまでもなく、TVカメラの向こう側にいる全世界の人々に対して、その生の姿を晒し続けるということが、メディア時代に独裁者にとって身の安全を守るのに最も効果的な統治方法であるとさえ言える。しかし、一向に公の場へ顔を出そうとしない「北の将軍様」は、今回のイラク戦争から何も学んでいないか、あるいは、「わが人民は、心の底から将軍様を敬愛しているので、よもや金王朝を見逃すことはない」と自負しているのであろうか……。

 フランス絶対王制の絶頂期には、国王一家は毎日曜日の晩餐を国民に公開していたそうだ。ルイ13世は、自らの臨終や王妃のお産の様子ですら公開した。「太陽王」と呼ばれたルイ14世は、死の1週間前まで、自らの食事の様子を国民に公開していた。また、ルイ15世は公開食事会のたびに1ダースものゆで卵を優雅に食して、見物の国民を感嘆させたそうだ。まさに、「L'etat, c'est moi (朕は国家なり)」である。逆に、キム・ジョンイル総書記のように、姿を隠すことによって自らの安全が担保されるという考え方は、18世紀のフランス革命以前の国家体制であることを自ら証明しているようなものであり、この意味からも、現在時点で居所の判らないアジアの西の端と東の端で同時進行している『キムとサダムの神隠し』状況は、メディア政治論的に言っても極めて興味深い現象である。


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