レルネット主幹 三宅善信
▼中国人ばかりがSARSに罹るのなんでだろう?
この春、アジアの西では、イラク戦争で数千人単位の人が殺され、また、アジアの東では、新型肺炎SARS(重症急性呼吸器症候群)の大流行で大勢の人がいのちを落しつつある。5月4日現在の数字でも、既に感染者の総数(註:もちろん、中国の農村部等では正確な数字は掴めていないだろうが、一応、公表されているだけでも)は全世界で6,000人を超し、既に400名以上の人が、この世に突如として現れた新型コロナウイルス(註:一説には、麻疹(はしか)と流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)のウイルスを人為的に遺伝子合成した生物兵器の一種とも言われている。そういえば、本来、免疫力の弱いはずの子供がほとんどSARSに罹らないのは、麻疹や流行性耳下腺炎の予防接種を受けた直後だからかもしれない)と見られる病原体による新型肺炎の流行によって、亡くなった。
ところで、皆さんはあの街中マスクだらけの異様な光景を目に浮かべながら、このSARSに関する報道を聞いていて、何か気になることがないだろうか? 私は、昨年8月に『都市と伝染病と宗教の三角関係』を上梓したことがあるように、実は、感染症(伝染病)問題は創唱宗教の成立にとって要因なテーマであると考えている。最初に、「全世界で6,000人を超す感染者」と書いたが、実にそのうちの3分の2に当たる4,000人は、中華人民共和国(中国)なかんずく首都北京市に暮らす人々なのである。あれだけ国家の威信を懸けて防疫体制を敷いているのにもかかわらず、一向に患者数が減らないどころか、どんどんと拡大していっている始末である。そこには、何か深刻な原因があるはずである。
国家の威信をかけてSARSの
拡大を阻止できるか?
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しかし、一番初めにこの新型肺炎の流行が大きく取り上げられたベトナムでは、既にWHO(世界保健機関)のお墨付きによる『終息宣言』が早々に出された。現時点(5月4日)で患者数の多い国(及び地域)は、中国の4,000人を筆頭に、香港1,600人、シンガポール200人、カナダのトロント110人、台湾(中華民国)100人……と続いているが、主権国家の名前こそ違え、これらの国々はみな「中国系」の人々の国である。「本土」である中華人民共和国は言うにおよばず、既に「中国の一部」になった香港や、中国系住所が国民の過半数を占める都市国家のシンガポール、さらには台湾と、よくよく考えてみれば、世界中でSARSに罹っている人々の大半は、「中国人(漢民族という意味)ばかり」である。いわゆる欧米の先進国であるカナダのトロントで、例外的にSARSの流行が見られるが、トロントにおいても、実際には多くの患者は中国系の移民である。
▼排泄行為に対す感性の違い
ヒトに感染するウイルスが、その人の国籍を選択して感染するようなことは生物学的にはありえない。にもかかわらず、実際(臨床的)には、このように、ほとんど中国人ばかりがSARSに罹るのには、中国人の独自の生活様式、なかんずく公衆衛生に関する習慣が、なんらかの意味でSARSの感染拡大条件にマッチしていると考えるのが常識的であろう。実際に中国を旅行したことのある日本人の漏らす感想で最も顕著なのは、あの中国独特の便所である。ここ数年、経済発展が著しい上海など一部の大都会では、さすがに欧米や日本式の「個室」のトイレが普及してきたが、今でも、首都北京をはじめ、「開発が進んでいる」と言われている沿岸部の大都市でも、公衆便所は、伝統的な厠(註:文字通りの「かわや」であり、一本の溝に複数の人が跨り、他人が排泄した糞尿が自分の股間を流れてゆくのが見える)であったり、あるいは、仮に個室があったとしても、ドアや鍵の壊れた便所が多数派であり、初めて中国を訪れた日本人の多く、特に女性は、カルチャーショックを受けて、中には、中国滞在中、一度も出なくなってしまう人もいるるらしい。ともかく、中国人は排泄に関してはあまりに無頓着(註:各部屋にトイレのない一般のアパートなどでは、備え付けの尿瓶に排泄して、窓から放ったりもする)であり、個室であるが故に「誰が用を足しているか判らない」トイレですら、排泄音にまで気を遣って水を流して消音する日本人の感性とは対極である。
また、用を足した後を拭いた紙も、日本や欧米のようにトイレに流すのではなく、たとえそのトイレが汲み取り式であったとしても(註:汲み取り式のトイレに紙を落せば、後で肥料として再利用しにくい)、あるいは、水洗式であったとしても(日本のような高価な水溶性のトイレットペーパー)の普及が不十分で、「(紙を流せば)トイレの配管が詰まる」という理由で)、用を足した紙は、トイレに備えてある籠にあたかも鼻をかんだティッシュのように捨てる。だから、中国のトイレでは、ウンチのついた紙が山ほど捨てられている。
中国人のマスク姿を見ても、
日本人との感性の違いは歴然
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以上のようにトイレひとつをとってみても、中国人からは、排泄行為に関して非常に「無頓着な」印象を受けるが、もうひとつ中国人の生活習慣で気になることは、床をやたら汚すということである。レストランでは、食べ滓(かす)を平気で卓上や床にぺッぺと吐くし、また、鉄道の客車の床は「これでもか」というくらいゴミだらけ(註:長距離路線等では、床に放尿する奴までいる)である。その上、人前で平気で屁を放ったり、痰や唾を吐く。日本では、嫌らしい中年爺でしか見られないような行為を男女共に平気でする。若いカップルがデート中にもぺッぺと痰や唾を吐いているのを目の当たりにして、思わず引いてしまうことがある。日本人と中国人の排泄行為に対する感性のここまでの違いとは、たぶん農耕民族と遊牧民族の違い(註:当たり前のことであるが、家畜は人前でも、あまりにも堂々と排泄するので、それを見慣れているため、自然な行為である人間の排泄にも寛大なのかも知れない。因みに、中国人は排泄するところを他人に見られても平気だが、裸身を他人に見られる銭湯や温泉では、とても恥かしがる)かもしれない。このことが、日本人の宗教的感性の基準のひとつ「浄・不浄」という物差しと関係しているの知れない。
▼なぜ中国に遠慮しなければならないのか?
かつて、清朝時代に締結された不平等条約によって155年間にわたって英国の祖借地となった(註:条約締結時における「99年間」という文言は、「半永久的に(条約を延長する)」という意味であったことは、言うまでもない。だから、英国は、返還期限間際になっても、香港新空港を建設するなどの資本投下を行ったのである)香港の返還について、興味深いエピソードがある。当時の英国の指導者は「鉄の女」と言われ、強気の交渉と軍事力の発動を厭わない姿勢でフォークランド戦争を勝利に導いたマーガレット・サッチャー首相であった。そのサッチャー女史と、たいへん小柄ながらも中国の最高実力者であった「小瓶(註:発音が小平と同じシャオピン)」と渾名(あだな)されたケ小平氏との間で、打打発止の返還交渉が行われた時に、最後の決め手となったのは、首脳同士の外交交渉の最中に、このケ小平氏がレディの目の前で、自分専用の痰壷にカーッペッと痰を吐いたのを見て、サッチャー女史の気力が萎えたというのは、有名な逸話である。私は、1997年の7月のはじめ、香港返還式典に出席したその足で日本を訪れたサッチャー女史と面会したことがあるが、現役を退いて十年近く経ったその時でも、凄いパワーを感じる女性であった。
香港返還式典直後に
サッチャー女史と言葉を交わす筆者
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人前で咳やくしゃみをする時に、日本では手で口を押えてするように躾けられるが、中国人は手で口を押えずに咳やくしゃみをするし、さらに、鼻をかむ時でも、中国人はティッシュなどを使わずに、鼻を指で抓んで片一方の鼻の穴を押えて、フンッと息を噴き出して、鼻汁を飛ばすということを平気でする。世界には多種多様な文化・習慣・宗教・言語等があり、それらを一元的に自分たちの価値観でもって、それらの優劣を順位づけようとは、私は決して思わない。食事をするにも、箸を使うか、ナイフとフォークで食べるか、あるいは、直接手で掴むか、ということの間に文化的優劣の差があろうはずがない。ただし、飛沫感染が重要な原因と考えられる(註:だから、みんなマスクをしている)今回の新型肺炎SARSの中国における爆発的な流行は、彼ら中国人の生活様式と大いに関係あると考えられても仕様がないこともまた事実であろう。
「一致団結してSARS撲滅を図ろう」と、
スローガンだけは立派だが…
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さらに言えば、もっと不思議なことは、日本の政治家もマスコミも、中国人の生活様式(排泄行為に対する無頓着さ)をよく知っているはずなのに、誰一人として、その「中国人の生活様式のあり方がSARSの蔓延を助長している」ということを言おうとしないのはなぜであろうか? 私にはそちらのほうが気になる。この30年間、日本では、こと中国に関する話題は、それがたとえどんなネガティブなこと(註:100%中国側に「非」があると思われる場合でも)でも、腫れものにでも触るようにして、北京政府に気を遣うのである。厚生労働省のホームページの『SARS情報』のサイトを見ても、未だに「東南アジア地域を中心に流行している新型肺炎云々」と書かれてある。新型肺炎SARSの流行地域は、東南アジアなんぞではなく、紛れもなく、中華人民共和国そのものであり、また中華人民共和国以外でも、ほとんどのSARS患者は中国系の人々である。だのになぜ、それほどまで中国に遠慮しなければならないのか、私にはどうしても理解できない。