11/2 更新

怨霊シリーズ(2)南無権藤大権現 1998.11.2

「レルネット」主幹
三宅善信


10月26日、横浜ベイスターズがパ・リーグの覇者西武ライオンズを破り、その前身である大洋ホエールズ時代から数えて38年ぶりに日本一の座についた。日本一はおろかリーグ優勝にも縁のない弱小チームとしての歴史が長かったからか、この半年間の横浜市民の熱狂ぶりは凄かった。今回は、横浜ベイスターズフィーバーを題材に、典型的な日本人の集合的無意識のひとつである人間の神化および怨霊化について考察を進めたい。

まず、横浜ベイスターズの優勝の第一の立役者が「ハマの大魔神」こと佐々木主浩投手であることに異議を申し立てる人はいないであろう。事実、佐々木投手は今年度セ・リーグのMVP(最優秀選手)に選ばれている。Jリーグのゴールキーパーから生まれた「守護神」というという言葉は、プロ野球にも転用され、押えの切り札である各球団のリリーフエースを指す言葉にもなった。ところが、横浜ベイスターズだけはリリーフエースが佐々木という特定の選手に固定されているにもかかわらず「守護神」という言葉が使われず、2年程前から「ハマの大魔神」という特別の表現がなされるようになった。もちろん、これには、佐々木投手の救援投手としての卓越した成績と身長195cm体重95kgという日本人離れした体躯からの連想されたものであろう。しかも、佐々木投手が登板するのは、1点を争う試合最終盤の9回に限られるから、観る方も最もハラハラする場面である。今シーズンの佐々木投手の成績は、51試合に登板して敗戦は僅か1回(1勝45セーブ)という98%にも及ぶ脅威的な成功率(防御率0.64)を残し、味方からの信頼感抜群(敵方から見れば「佐々木に出てこられたらもう駄目だ」と諦めさせる 恐怖感抜群)であった。マウンドで仁王立ちして敵に立ちはだかる佐々木投手の姿は、文字どおり「大魔神」と呼ぶに相応しかった。

ここで、面白いことが起きた。優勝街道を驀進する横浜ベイスターズの活躍を見て、いつの頃からか、市内の繁華街に「ハマの大魔神社」と称する金色に輝く佐々木投手の右腕を象ったご神体を戴く「祈願施設(もちろん本物の神社などではない)」がお目見えした。優勝への足取りが近づくに連れて、連日、ここを訪れる(参拝する)人の数が増え、優勝祈願の「お賽銭」を入れる人も急増。総額は800万円を超えたそうだ。大変なご神威である。「本物の神社」ですら、賽銭が年額800万円も入るところはそうざらにはない。一体ここら辺の精神構造はどうなっているのであろうか?そういえば、この国では、たとえ美術館のごとき宗教施設でない(礼拝対象でない)ところに展示された美術品としての「仏像(画)」にでも、手を合わせて「お賽銭」を上げる人がたくさんいる。欧米の美術館の「ピエタ(幼子であるキリストを抱いた聖母マリア)像(画)」に、十字を切って「賽銭」を上げる人はいないであろう。ところが、日本では、誰が祀っているかも定かでない道端のお地蔵様にでも、必ずといってよいほど団子や線香が供えられている。それから類推すれば、300万横浜市民の期待を一心に背負っている「大魔 神」佐々木投手の右腕が、崇敬の対象になったとしてもなんらおかしいことはない。今シーズンの佐々木投手には、それくらいのご神威はあるというものだ。

ところで、この国のプロ野球界において神格化されたのは、何も横浜ベイスターズの佐々木投手が初めてのケースではない。1956(昭和31)年の日本シリーズで、巨人相手に4試合を1人で投げぬき、4連勝を果たした西鉄 (現西武) ライオンズの「鉄腕」稲尾和久投手は、当時「神様、仏様、稲尾様」と神仏と並び称せられる程の圧倒的存在感があった。当時のライオンズは、「青バット」大下弘、「怪童」中西太…。と、圧倒的な存在感を持った選手たちの伝説的「野武士」軍団であった。それ以前にも、昭和20年代に活躍した巨人の川上哲治選手も「打撃の神様」と呼ばれた。野球以外にも「○○の神様」という称号を持つ人は、たくさんいる。その分野で、常人離れ(卓越)した能力を持つ人や実績を挙げた人は、すぐに神様になれるのである。

その同じ論理で、一旦、ある分野で一世を風靡しながら、思いがけないこと(事故や策略)によって、その地位と名声を追われた人も、容易に怨霊になりうるのである。この国の歴史上、怨霊として大活躍(大暴れ)した人(=神)を数え上げたらきりがない。有名なところでは、オオクニヌシノミコトに始まって、聖徳太子・菅原道真・平将門・順徳院・後醍醐天皇・西郷隆盛…。

逆に、初めは「悪逆」だった人(悪神)を「神」として鄭重に崇めたら、コロッと「いい人(神)」になって、皆を守ってくれる「善神」になる場合もある。高天原を追放されたスサノヲノミコトが、人間界に降りてきた途端に、わが身の危険も顧みず村人を助けてくれる「善神」になったりする。幕末から明治期にかけて成立した金光教や大本とそれに係累する諸宗教の「神」は、実は、元々は民衆から恐れられていた「悪神」の「艮金神(うしとらのこんじん)」という神である。この鬼門の祟り神が、金光大神(金光教祖)や出口なお(大本教祖)という稀代の信心家の人格と接する(嫌われ者の祟り神を慈悲深い恵の神として徹底的に持てなす)ことによって、金神の性格が劇的に変化し、(真の発見者が現れるまで)長年、隠れていた「世界の救済神」として人々を救い助ける「親神」になる。という神格のコペルニクス的転換が起きるのである。

要は、この国では、その人(神)の出自の善し悪しは関係なく、人々がその人(神)を徹底的に崇めれば「善神」になり、その逆をすれば「祟り神=怨霊」になるという構造である。全国に数多ある「明神」や「権現」という神様は、ほとんど元々は「人」であった。読者の皆様は、日本シリーズ中の横浜球場に「南無権藤大権現」というバナー(横断幕)があったのに気付かれただろうか。もちろん、監督就任1年目にしてチームを日本一に導いた横浜ベイスターズの権藤博監督のことである。この人の戦略は少し変わっていた。監督就任に当たって「選手には自分のことを『監督』と呼ばせない。『権藤さん』と呼べ。ピッチングコーチの時(昨年)が監督(今年)になったからといって、俺自身の人格は変わらないんだから」と、一見、自身への権威の集中を避けたかのような言い回しの裏に、「自分は月並みな監督(12人いる)ではない」ということを意識付けようとしたのではないだろうか?そのことによって、たとえ妙な采配を振るっても、選手や観客たちに「きっと何か裏の意図があるのでは?」と思わせる効果を狙ったのではないだろうか。

ともかく、今年に関して言えば、権藤戦略は悉く成功し、思いもかけない「日本一」になった。一旦、トップに上り詰めるということは、その位置を維持するだけでも大変な上に、あとはいつか没落するだけであるから、来年以降、横浜ベイスターズの成績が悪くなった時に、「大魔神」佐々木投手がどうなるのか?大権現権藤監督は怨霊になるのか?を注目して、プロ野球を見れば一層興味が湧くというものだ。


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