共産党お前もか:政党の遺伝子組み替え  
 03年06月24日


レルネット主幹 三宅善信

▼「60年安保」の盛り上がりの中で

 日本共産党がその『綱領』を42年ぶりに全面改訂するそうである。もちろん、この42年の間に国際情勢は大きく変わり、また日本社会自身も、当時では想像することさえできないくらい豊かになった。現在の『綱領(正式には「日本共産党綱領)』が壮絶な路線闘争の末、宮本賢治書記局長(当時)らによって制定されたのは、1961年(昭和36年)のことであった。

 太平洋戦争敗戦後、6年間に及ぶ連合国軍(実質的には米軍)による占領体制を終わらせ、日本の独立を回復させた『サンフランシスコ講和条約』締結とセットで、「日本国内にアメリカ軍の基地を置く」という、いわば「属国」体制を取り決めた『日米安保条約』も締結されたが、その改定の絶好の機会であったにもかかわらず、岸信介内閣はむしろ、米軍の駐留を半永久的に固定化させる「安保改定」を1960年に実施した。そのことに反対する民衆のパワーによって、いわゆる「60年安保闘争」が熱病のように盛り上がり(註:今では想像もつかないことではあるが、連日デモ隊が国会議事堂を取り囲んで、国会議員たちにプレッシャーをかけた)、日本社会全体が大きく混乱したことを受けて、共産党も本気で「いよいよ自分たちの出番だ!」と思って、その翌年(1961年)に制定されたのである。もちろん、当時の世界情勢は、「核戦争一歩手前」という「米ソ冷戦」まっ盛りで、ソ連がアメリカに先がけて人工衛星を打ち上げたりして、経済的にも、またまだ資本主義陣営と社会主義陣営の「黒白がハッキリと着いておらず、社会主義陣営にもそれなりの「明るい未来」が期待されていた。しかし、その後20年を経ても、社会主義陣営は「計画経済」の硬直的な実態と、「一党独裁」体制による政治の閉塞観は否めず、社会主義の理想は地に堕ちたのである。


▼A級戦犯は自社さ政権

 わが国の近代政治史において、帝国議会が開設される以前から現在に至るまで、数多くの政党が離合集散を繰返してきた。特に、この十年間の日本は、経済や金融の世界におけるいわゆる「失われた10年」よりも、政治の世界において遥かに深刻な政治不信をもたらした「失われた10年」があった。今からちょうど十年前の1993年6月、宮澤喜一内閣の不信任決議が可決され、衆議院が解散総選挙となったが、自民党は分裂し、竹村正義氏らの「新党さきがけ」や、羽田孜・小沢一郎両氏らの「新生党」が相次いで旗揚げし、自民党は総選挙に惨敗。同年8月、ついに、非自民連立政権であるところの細川護煕内閣が成立して、一時的にではあれ、自民党は初めて野党に転落した。

 わずかの期間ではあれ、「浪人」生活の憂き目が身にしみた自民党は、その1年後、こともあろうに、日本社会党の村山富市委員長を首班として担ぎ、「自社さ」連立政権という鵺(ぬえ)知恵的野合、否、もっと悪質な「政党の遺伝子組み替え」を行い、与党の座に返り咲いた。「過去十年間の政治的混迷の中で、A級戦犯と呼べる事象を挙げよ」と問われれば、私は迷わず「村山内閣自社さ連立政権(を創り出した自民党幹部)」を挙げる。このことがもたらしたことは、政党政治における完全なモラルハザードである。この出来事は1940年(昭和15年)の大政翼会の創設に匹敵する。

 村山内閣のできる前までは、一部の例外はあったにせよ、一応、各政治家はそれぞれの主義・主張に基づいて政党に属し、定期的に選挙という「民意の洗礼」を受けてきたが、自社さ連立政権以後は、自分が何党に属するかという政治的信条より、ともかく何党でも良いから「与党にいたい」という連中がその馬脚を現わし、たとえ、国民が政権党の失政を批判して選挙で野党のどの政党かを勝たしたところで、負けた政党に所属していた議員が大挙して勝った政党のほうに移り、あるいは連立政権を構成し、「新しい与党」になってしまうので、結果的には、選挙が「意味のないもの」となってしまった(註:選挙でいったん選出された議員は、その議員としての任期が終わるまでは政党を移動してはいけないように制度を改正すべきである。私の知っている大阪府下のある選挙区選出の代議士は、1回の選挙から選挙の間に、社会党→民主党→自由党→保守党と、左から右まで4回も所属政党が変った)。このことによる国民の政治不信はいよいよ大きくなり、投票率は選挙の度に下がる一方となり、ますます一部のカルト的政党(註:特定の指導者の方針に従い、個々人が自己判断を停止して、各選挙区において指導者が指名した人を何がなんでも投票するという行動パターンをとる政党のことである)が、政治のキャスティングボートを握るという事態を招き、この国の政治状況はほぼ脳死状態に陥ってしまった。


▼日本文化の伝統を受け継ぐ共産党

 
そんな中で、唯一、政党の離合集散や看板の掛け替えとは無縁の形で「唯我独尊」を貫いてきた日本共産党が、この期に及んで、その『綱領』を全面的に改定しようと言い出したのである。否、この政党においては、党内で民主的な議論など行われない(註:ほとんど「全会一致」で決まるということは、逆に言うと、民主的で自由なディスカッションなどなく、党大会や中央委員会は「民主的決定を行なった」と装うためだけの通過儀礼に過ぎない)ので、執行部から原案が発表されたということは、すなわち、結論が出たも同然である。

 今回の改定案なるものを読んでみて、私は思わず笑ってしまった。曰く、「日本文化の積極的な伝統を受け継ぎ、その多面的な発展をはかる」などという血迷うた表現が出てくるのである。日本文化の伝統とは、すなわち、どろどろとした地縁血縁の世襲制(天皇制や家元制度)であり、がんじがらめのムラ社会であり、談合社会である。このどこに「科学的社会主義」と相容れるものがあるというのか? それとも、これこそ、文字どおり、地縁血縁関係者内で利権を独占する「共産主義」だとでも言うつもりだろうか? 私は、この6月21日に発表されたA4用紙15枚に及ぶ『日本共産党綱領(原案)』を読んでみて、さらに面白いことに気がついた。

 かつては、たいへんな手間を要したので、このような馬鹿げたことをする人間は、よほどの暇人か、マニアックな研究者であったが、コンピューター社会のおかげで、長い文章の中から、簡単に、特定の単語の検索作業ができるようになったので、日本共産党の『綱領(改定案)』の中から、気になる単語をいくつかピックアップして検索してみた。読者の皆さんは、共産党綱領の中で使われているキーワードのトップ5は何か想像がつくだろう? まず、「日本」という単語を調べてみた。もちろん、日本共産党は、日本における政治団体であり、その目指す社会変革も日本のことについて書かれており、だいいち「日本共産党」という政党の固有名詞にも使われているので、「日本」という単語が一番多いのは当たり前だが、考えてみたら「日本」という言葉がきっちり100回登場した。これなど、古事記の『神代記』において、天之御中主(アメノミナカヌシ)から始まって素戔嗚尊(スサノヲ)に至る神々がちょうど百人という「百(もも)」という言霊説と類似性があるかも知れない。(参照:『天河弁財天と桃太郎』)。


▼「国」とはいったい何をさすのか?

 次に、多く現れた単語は「国民」の57回である。これもある特定の国の政治について語る政党の綱領としては、当然のことであろう。ただし、日本共産党の『綱領』においては、「国民」のという言葉自体の厳密な定義が行われていないのである。そもそも、「自明の理」だと思われているのだろうか?「日本」は、説明しようのない固有名詞であるから、アプリオリなものとして受け入れざるを得ないものかもしれないが、「国民」は普通名詞であるので、政治的文章においては、厳密にはこれを定義して使わなければならない。この辺が、定冠詞(英語で言えば「the 〜」)や不定冠詞(同じく「a 〜」)を持たない日本語の言語としての特徴でもあろう。これは『日本国憲法』にも共通する厳密な政治的文章としての欠陥である。否、聖徳太子の『憲法十七条』(註:『談合3兄弟:憲法十七条の謎』参照)以来、この国では「国民」ということの厳密な定義が行われたことは一度もなかった。

 普通「国」といった場合、ある特定の地域の山川草木を含めた地理的なひとつの領域を意味する「country(国土)」と、ある特定の文化・言語・習慣を共有する人々の集団を意味する「nation(国民)」、さらには、その地域の統治機構を意味する「state(国家)」に該当する3つの概念(註:イラク戦争で、米英軍が排除しようとしたのは、「フセイン政権」という統治機構であって、「イラク国民」でないことは、ブッシュ大統領がその演説で、たびたび「Hussein's Regimeを終わらせる」と言っていたことからも明らかである)を含んだ意味で使われている。普通はこれらが微妙にずれる場合(註:イラクにおけるクルド人の存在のように)が多いのであるが、日本においては、長年にわたって、これら3つの概念がピッタリと一致してきたので、逆に、この国の人々はこの3つの本質的な違いを意識できなくなったのである。

  以前にも何度か指摘したことがあるように、歴史上、最初にこの3つの違いをハッキリと意識した日本人は、日蓮であった。彼は元冠という歴史始まって以来の国難に際して、その『立正安国論』の中で、統治者としての鎌倉幕府に、日本の何を守るべきかを説いた(註:もちろん、当時の幕府首脳(北条家)にはその意味が解らなかった)。その次に、日本人がこれらの3つの違いを意識したのは、明治維新後のいち早い近代化の成功により、当時、欧米列強が当たり前のようにしていたのと同じ手法を用いて、近隣の朝鮮半島や台湾島を大日本帝国の版図に加えたことにより、「生活習慣を異にし、日本語を解さない日本人」が大量に発生し、countryとnationとstateにズレが生じてしまった。

 これが、東アジア諸国側のターミノロジーで言うところのいわゆる「日本帝国主義」時代だけのことである。この日帝時代には、これらの、自然の状態ではピッタリとは合致しない3つのファクターをむりやり統合するために、「万世一系で神聖不可侵の天皇を頂く五族共和の神聖国家」という「人工の統合原理」を創り出したのである。このような人工の統合原理の典型がマルキシズムである。20世紀の中頃に建国されたユースラビア連邦においても、同様のシステムが導入され、チトーというカリスマを持った終身大統領と共産主義のセットという、まるで戦前の国家神道と同じようなシステムでもってユーゴスラビアを統治していたが、チトーの死と東欧社会主義圏の崩壊というタガが外れた途端、ユーゴスラビア連邦は跡形もなくなり、各民族・各宗教毎に細分化してしまったことをわれわれはこの目で見てきた。


 今国会で成立した有事法制についてもそうであるが、肝心の「国民の生命と財産の保護規定」が抜け落ちているのも、何より、この国においては、右から左まで、実は「国民」という概念がきっちりと定義されていないからである。今、盛んに論議されている「教育改革」なるものにおいても同様である。「愛心を育てる」という文言を入れる、入れないでもめているが、そもそも、「愛心」と言った場合の「国」とはいったい何をさすのか? 先ほどの定義で言えば、countryなのか、nationなのか、stateなのか? そのどれを指すかによって、答えはえらく異なってくることになる。日本人はいったい「どの意味でのを愛せよというのか?」が、ほとんど論議されていない。ただし、共産党綱領の中に見られる57回に及ぶ「国民」という言葉の中で、6回は「諸国民」という形で使われているので、これは全く意味が異なるのから、これらを引き算すれば、「国民」の使用頻度は51回である。


▼アメリカへのアンビバレントな感情?

 3番目に多い単語は、驚くべきことに「アメリカ」という固有名詞であり、45回も登場する。さらに、実質的に「アメリカ」のことを意味する「米」(註:「日米」とか、「米軍」とか、「対米従属」といった使われ方をする)まで含めると、実に、合計65回に達する。これは、良い意味でも悪い意味でも、現在の世界がアメリカ中心に回っており、小泉政権のようにアメリカに従属的な態度をとるか、もしくはイラクのフセイン政権や北朝鮮のキム・ジョンイル政権のように反米的な態度をとるか、そのいずれであったとしても、今の世界は「アメリカ抜きでは成り立たない」ということを見事に表わしている。

 因みに、「共産党」と聞いて人々がまずイメージする「ソ連」はたったの8回しか使われず、「中国」に到ってはわずか5回しか使われていない。しかも、その5回のうち4回は、戦前の「日本が中国大陸を侵略した」というコンテキストにおいて使われているのみであって、あとの1回は、「ロシア革命と中国革命」という過去の歴史的事実の描写の場面で使われているのみであって、現在の華人民共和という主権国家を指す意味での「中国」という言葉は一度も使われていない。日本共産党は中国共産党とは、きっと仲が悪いのだろうか? 『綱領』では、ただ「人口が13億を超える大きな地域」という形で、暗示的に中華人民共和国を指す表現が1カ所だけあるが、どういうわけか、現実に存在する「中国」という言葉は使われていない。「ソ連」にしてもたったの8回であるからして、いかに日本共産党にとっては、アメリカが大きな存在であるかということである。

 その次に多く登場する言葉は、選挙での国民の「受け」を狙っているのか、「当面の間は、市場経済(=資本主義)体制を維持しつつも、機が熟したら…」といったふうに、社会主義への未練がある。使われている言葉として、「社会主義」の38回と「資本主義」の37回が拮抗している。つまり、未だに「科学的社会主義」なる幻想(註:「正解がひとつしかない」というのが科学であり、「いくつかある選択肢の中から、よりbetterと思われるものを選ぶ」というのが政治である以上、「科学的社会主義」という言葉自体は、論理的矛盾である。あるいは、「政党はひとつしか許さない」というのが「科学的社会主義」の意味だとしたらギャグ以外の何ものでもない)を、形の上では標榜している日本共産党においても、現実問題としては、ネガティブなレッテルを貼りつつも(註:例えば、「独占資本主義の弊害」といった形で用いて、「資本主義」という言葉の印象を悪く見せようとしている)事実上、資本主義社会の優位性をかえって認めてしまっている。

 因みに、「天皇」については『綱領』の中で11回登場する。「自衛隊」については、たったの4回にすぎない。今回の『綱領』改定に当たって、一般にニュースとして大きく報じられた点は、「天皇制を憲法上の制度として認め、自衛隊も同様に当面は存続を容認する。(対米従属的な『日米安保条約』は、その手続きに基づいて廃棄するが、新たに対等平等な『日米友好条約』を結ぶ)」という形で報じられているが、こんなことを書くようでは、それこそ共産党の思うツボである。衣の下から見えている鎧になぜ気が付かないのか…。というのは、一方で、アメリカによる世界支配を、好ましくないこととは言え、現実として追認しておきながら、新しい条約の名前をどのように名付けようとも、そのアメリカに軍事的に従属している日米安保体制がほぼ永久的に継続してしまうことになるからである。日米二カ国間の関係を根本的に変えたいのなら、「もう一度、戦争する」しかないことは、国際的には常識である。

 また、日本共産党が、ある意味で「モデル」としている西ヨーロッパの成熟福祉社会は、決して共産党が政治のあるべき姿だとしている「共和制」ではないという矛盾もある。英国にしろ、オランダ、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー等々、西欧の社会福祉制度が充分に進展した「成熟した社会」において、「君主制」を採る国は、決して少数派とは言えないのである。むしろ、共産党が理想として目指す「共和制」国家の代表は、彼らが蛇蠍のごとく忌避しているアメリカ合衆国であり、あるいは、今回のイラク戦争においてアメリカに対抗して独自に国際政治に影響力を行使しようとしたフランスやドイツなのである。この点からも、共産党綱領の矛盾が目につく。


▼ 農地解放が日本の農業をダメにした

 さらには、『綱領』中の日本の戦後史を総括した部分において、「半封建的な地主制度のもとで搾取されていた農民を解放して云々」という表現が4回も登場するが、これもおかしい。農業従事者の大多数が小作人(サラリーマン農民)であった時代と、現在のようにほとんどの農民が自作農(自営農業農民)になった時代を比較して、もし本当に、「現在のほうを良し」とするのであれば、農業の後継者不足や農村の過疎化の問題はなぜ起きたのか? 戦前の日本には、農村にも多くの人口がいたが、戦後は、もし共産党が言うように「(農地解放によって)農民が自由になって搾取されなくなった」のなら、農村の人口が増えることはあっても、減ることはないはずであるが、実際には、自由になって搾取されなくなった農村から人々はいなくなってしまった。しかも、人々は自ら進んで、工業社会の「小作人(サラリーマン」となってしまったではないか!

 おまけに、小規模な自作農(しかも、ほとんどが兼業農家)が増えたこの国においては、第二次産業に従事する人々が、常に厳しい国際競争の中で切磋琢磨し、工業生産物の世界における「Made in Japan」商品という確固たる国際的地位を築いてきたにもかかわらず、自作農になって惰眠を貪っていた農業は、国際的な価格競争力を失ない、また国内においても、後継者すらなくなってしまったではないか。こと、農業に関して言えば、戦前の地主と小作農の関係を維持していたほうが、農業の大規模経営化による効率化が進み、遥かに日本農業に将来があったことは明白である。「小作(サラリーマン農民)」が嫌なら、都会へ出て来て、第2・3次産業に従事すればよかったのであるから…。最近では、「農業の株式会社化」まで検討されるようになった現在でも、戦後の「農地解放」をポジティブに評価するなんてアナクロニズム以外の何ものでもない。

 3年前(2000年6月6日)に『共産党が与党になっても大丈夫』という作品を上梓したことを覚えておられる読者もいるだろう。当時は、小渕恵三総理の急逝により、森喜朗政権が誕生したばかりであり、なおかつ、いわゆる「神の国」発言が大いに問題となった時期であった。そういう社会情勢下において、私は、日本共産党という政党のいわば「ゲノム」の分析を試みた。そして、「日本共産党という政党は、共産党という普遍的な理念を表わす言葉の上に、日本という特殊な条件が冠として付いており、実は、この日本の部分に引っ張られることが大きい(註:同じ労働党でも、英国の労働党と朝鮮労働党とでは、その性格が全く異なるように)から、たとえ共産党が与党になっても、日本の社会は何ら変わらないから安心してよい」と結論づけた。ということは、逆を言えば、もし、日本共産党が、たとえ連立政権の一翼を担うという形式をとるにせよ、実際に政権与党になった場合でも、その瞬間に、政党としての「遺伝子組み替え」が生じて、日本の部分に呑み込まれて(註:具体的には、逆に、党名から「日本」が取れるかもしれない。もはや、わざわざ「日本」と名乗る必要がなくなるのだから…)しまうだろう。そして、村山政権後の日本社会党(現、社会民主党)が陥ったのと同じように、レゾンデートルを失って、この日本的アニミズム世界の大海の中に埋没してしまう可能性が高いであろうことを共産党の関係者諸氏に忠告しておきたい。

※ この作品を脱稿して、ホームページ上にアップさせる作業を行っている最中に、日本共産党所属の筆坂秀世参議院議員(党常任幹部会委員)によるとされるセクハラ事件(註:選挙で選ばれた公人である議員本人の記者会見もないあのような形での議員辞職では、「事件」の真相は薮の中である。セクハラは「申告罪」であるにもかかわらず、「被害者」とされる女性も「加害者」とされる議員も両方とも公(第三者機関)の場に顔を出さないのだから、ひょっとしたら、セクハラとは何の関係もない共産党内の権力抗争に敗れただけの「濡れ衣」事件かもしれない。日本共産党も天下の公党であるのなら、ここはぜひ、積極的に情報開示していただきだいものである)の発生と、それに伴う党中央委員罷免ならびに参議院議員辞職の報に接した。
 この事件は、日本共産党が一皮剥けて、自民党をはじめとする「堕落した」他の政党並みに近づいた証拠とも言える。案外、共産党の連立政権入りは近いのかも知れない。ただし、その時は、1940年の大政翼賛会結成時と同じく、日本の政治は、総与党体制となって、実質的に議会制民主主義が機能しなくなるということを意味するのであるが…。


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