レルネット主幹 三宅善信
▼たまにはブッシュも良いことをする?
いつも、ジョージ・W・ブッシュ大統領の政策を批判ばかりしている私ではあるが、本日はアメリカ合衆国の独立記念日でもあるし、たまには、ブッシュ大統領の政策を褒めてみよう。6月27日、米国政府は、連邦取引委員会(FTC)および連邦通信委員会(FCC)と提携して、業者からの電話勧誘拒否者リスト『National
Do Not Call Registry』のサイトを開設した。そして、大統領自ら、「(合衆国の)市民が夕食で一家団欒をしている時や、親が子供に本を読み聞かせている最中に、最も不愉快なことは、突然、見ず知らずの人間からかかってくる迷惑なセールス電話である(註:ブッシュ氏が長年生活したホワイト・ハウスや知事公邸にもセールス電話がかかってくるのだろうか?)」と指摘し、市民に『Do-Not-Call(電話をかけるな)』名簿への積極的な登録を呼びかけたのである。これぞ、まさに「ブッシュ・フォン」である。
われわれ一般市民が平穏な生活を送っている日常のプライベートな空間に、毎日毎日、よくも飽きもせずに、様々なセールス電話がかかってくるものである。自宅の敷地内に、他人が無断で侵入してきた場合には、これを射殺しても構わない(註:以前、日本人留学生がハロウィーンの仮装をして訪れた家で、射殺される事件があったが起訴された加害者は無罪となった)というお国柄のアメリカで、よくも、こんな無遠慮な行為が罷り通っているものだ。できるのなら、電話線から電気を逆流させて、かけてきた業者を関電死させても、無罪になるはずだ。電話という道具の性格上、こちらの都合を無視してかかってくる。しかも、電話口に出るまで、誰からかかってきた電話だか判らないので、「ひょっとして大事な電話かも?」と思ってあわてて出たら…。それだけでも、十分暴力的だ。しかも、電話を用いたセールスを行なう会社は、個々の家庭の事情に配慮するどころか、むしろ家族団欒をしている夕食時を狙ってかけてくるのである。これらの迷惑電話を排除するための有効な試みが、アメリカで始った。それは、連邦政府が開設した『Do-Not-Call』のウェブサイトに自分の電話番号を登録さえすれば、本年10月1日以後は、電話による勧誘を行なっている業者が、もし、その拒否リストに載っている番号に電話をかけてしまった場合には、一軒につき11,000ドル(約130万円)の罰金を支払わなければならないという法律を作ったのである。一軒につき130万円であるから、その業者が1日に1万軒電話すれば、それだけで130億円の罰金となり、そのような商売は成り立たなくなるのである。この法律では、不特定多数の人に勧誘セールスをする会社は、政府が作った『Do-Not-Call』サイトの「拒否者」リストに登録されている電話番号と、自社の顧客リストを毎日コンピュータで照合し、『Do-Not-Call』サイトに登録されている番号は、自らの顧客リストから削除しなければならないというのである。
▼時給が違うから『アリーmyラブ』
このことが発表されるや否や、米国では、毎秒1,000件のペースで『Do-Not-Call』サイトへの登録が殺到しているのである。この春までNHKで放送されていたボストンの弁護士事務所を舞台にした恋愛コメディ『アリーmyラブ(原題は「Ally
McBeal」)』でも、その第5シリーズにおいて、クレア・オトムズという紫色の髪をした奇妙なおばさん(実際に演じているのは、女装した男性)が登場し、「マサチューセッツ州の一市民が電話会社を訴える」という話があって、「そんなことができる(註:裁判所が本人に請求権があると認めるかという意味)のか?」と気になっていた。一人暮らしのクレアは、大切にしている自分の時間に、遠慮会釈なしに入り込んでくる企業による電話セールスに対して腹を立て、多数の一般市民を代表して、そのような会社に回線を提供している電話会社を訴えるというものである。何ごとも訴訟社会のアメリカのことである。最初は、賠償請求金額30万ドル(=3,600万円)で電話会社と和解が成立しそうになるが、主役の弁護士のアリーが務めている「ケイジ&フィッシュ弁護士事務所」の面々の活躍もあって、「もし、この訴えが全マサチューセッツ州の住民からとなると賠償金の請求額は膨大な値段になる」という無茶な論理を展開して、30万ドルの和解金額をドンドンと釣り上げ、最終的には1,500万ドル(約18億円)という巨万の和解金を電話会社からせしめるという話である。
誰に強制されたのでもなく、自分で煙草を吸っておきながら、「自らの健康被害の原因は、喫煙による危険性を消費者に十分告知しなかった煙草会社のせいだ」と訴えた裁判で、数兆円の賠償請求が罷り通る訴訟社会のアメリカのことなので、この『アリーmyラブ』の電話会社を訴える話もあながちナンセンスではないと思っていたが、あろうことか、いきなり国のトップである大統領自身が、この問題を取り上げたのである(註:日本の場合、行政は、消費者よりも生産者のほうを優遇する傾向が多い)。
私はそもそも、不特定多数の人への電話によるセールス(布教行為や投票依頼も含む)行為は、すべて法律で禁止すべきだと思っている。私の元にも、連日アホみたいに多くの迷惑セールス電話がかかってくる。曰く「お忙しいところ申し訳ございませんが……」と言われたら、「お忙しいですから申し訳ございません!」と言って電話を切ってやる。中には、「ちょうどお宅のご近所まで来たので、ご挨拶にお伺いしたいのですが……」等という奴もいる。「馬鹿なことを言うんじゃない。キミの勝手な都合でうちの近所を回っているだけであって、私にはなんの関係もない」と言って、一切の電話は断っている。あるいは、それでも、一方的に電話での売り込みポイントを話したてる業者がいるが、そんな時には「用があったら、文書でよこしなさい。失礼ながら、あなたの時給と私の時給とは桁が違うんだ。あなたが30分働いてもらっている時給を私は3分間で稼いでいる(もちろん嘘)。したがって、あなたが話す3分間と、それを聞く私の3分間とでは値打が違う」と言って切ることもある。このように、面識のない人からの電話はことごとく排除するようにしている。
それどころか、私は面識のある人からの電話にもほとんど出ない。なぜなら、電話という通信手段は、身勝手で極めて暴力的であるからである。相手が寝ているか、起きているか、トイレに入っているか、仕事中か判りもしないのに、そこへ自分の都合だけで電話をかけてきて、相手が今していることを中断させるという無神経さが許せないからである。たいていの場合、電話でかかってくる用件は、たとえそれが今から1時間後にかけても、1時間前にかかってきても、それほど違わない内容なのに、そんな用件で、今、ここで私の思考を中断されることは許し難い。最近特に、物忘れが酷くなったので、いったん中断されると、何を考えていたのかサッパリ判らなくなることもあるから深刻だ。この種の用件は、すべて文書(e-mail、fax、手紙等)でよこすべきだ。文書だと、相手が30分かかって書いた手紙でも、3分で読むこともできるが、電話だと、30分かかってする話を聞くのには、やはり30分かかってしまう。
しかし、先ほど言ったように、人によって時給が違うのであるから、まともに文章も書けない連中と同じ時間帯で拘束されるのはまっぴら御免である。おまけに、そういう連中に限って、たいてい、話の論理も支離滅裂で聞くに耐えない。私は電話という通信手段に対する基本的な使用原則を持っている。それは、「1時間前でもダメ、1時間後でもダメ。今このタイミングでなければならない用件以外では電話をかけるな」と…。つまり、「たった今、誰々さんが亡くなった!」とか、「誰々が救急車で病院へ担ぎ込まれた!」とかいったような、いわば110番や119番の緊急電話に相当するような内容の電話以外は受けないし、かけないことにしている。そんな緊急電話的な内容の電話だけに絞っても、私の周辺では、3日に1度くらいの割合で、何らかの「事件」が起こるのである。ただし、私自身は「年中無休24時間営業」体制で仕事をしているから、このような「事件」が起きた時の対応は素早く、たとえ深夜でも相手の所へ飛んで行く。
▼父の薫陶のおかげ
その点、e-mailは便利な道具である。たとえ夜中の3時であろうが、こちらが読みたい時間に着信情報を取りに行って読むことができ、また、相手の時間帯も気にせずに送っておいて、相手は自分の都合の良い時間にこれを読む。相手と何について意見を交換したかの記録も残る。しかも、世界中どこへ送っても同じ料金だ。このような便利な道具があるにもかかわらず、旧態依然たる暴力装置である電話を使って、自分の都合だけで自分の意図を相手に一方的に伝えようとすること自体、とんでもない蛮行である。
私は1970年代末に、学生として京都で下宿生活を送ったが、ある時、大阪の実家に電話して父からえらく叱られたことがある。曰く「その電話は、今、かけてこなければならない内容か?」確かにそうである。そして、父は「そんな用件は手紙で書いてよこせ」と言って、具体的な内容を聞かずに電話を切った。しぶしぶ手紙認ためて郵送すると、直ぐに返事が届いた。その返信には、私の質問に対する解答だけでなく、敬語の使い方をはじめ、目上の人に手紙を書く場合の修辞法についてまで、ご丁寧にも、私の手紙に朱を入れて校正してくれていた。しかも、小遣いまで同封して…。学生時代にそんなことが何回かあったが、おかげで、それ以来、現在に至るまで、自分より相当、目上の人に対してでも、手紙を書いてものを頼んだりすることが全く億劫ではなくなり、事実、私が書簡で物事を頼んだ人は、十中八九はその依頼を引受けてくださる。これは、間違いなく父の薫陶のおかげだ、と今でも感謝している。それどころか、たとえば、昨年1年間に父の名前で出版した2冊の本のゴーストライト、それから、父への新聞・雑誌の依頼原稿の代筆、手紙や弔辞の草稿作り…と、月に2・3度は75歳の父の「右筆」をする機会があるが、少しも臆することがないのは、学生の頃からの鍛練の賜物であろう。その父も、私にものを頼む時は、よほどの緊急性がないかぎり、秘書を介して父の手書きのメモ書き(これがなかなかミミズの這ったような達筆で読みづらい)で届く。やはり、父は父なりに、私の仕事の段取りを中断させることを気にしているのだろうと思う。
▼ あまりにも無責任な通信会社
以上のような理由により、日本政府も即刻、「不特定多数の人に向けて発信する営業用の電話および電子メールを規制する」という法律を制定すべきである。『住基ネット』より遥かに意味があると思う。それから、ついでに、インターネットを通じて送られてくる「ウイルスやスパムメール類も禁止」すべきである。このような愉快犯的な罪を犯した個人は、「市中引き廻わし」の上、無期懲役も含めた厳罰(註:法人の場合は、その会社の年間売り上げ額に相当する罰金もしくは法人の解散命令)に処すべきである。日本の刑法で、常々おかしいと思っていることは、たいてい「特定の人が、特定の人を殺傷したり、略奪したりした場合」のほうが刑罰が重く、「犯行の対象や動機が不明瞭」という理由で、不特定多数の人へ無差別な迷惑行為のほうが、たいていの場合、本人の責任能力が問題になったりして、重い罪に問われないケースが多い。これは、法律のベクトルが間違っている。特定の個人が特定の個人を殺したり、つきまとったりする場合には、殺されたり、つきまとわれたりされた人のほうにも、それなりの理由(註:たとえ、それが加害者による一方的な妄想であったとしても、被害者と加害者との間に、何らかの人間関係があるはずである。だとすれば、「事件」に至る何らかの理由も存在しうる)がある場合が多いのであるから、ある意味で、致し方ない部分もある。
ところが、PCや携帯を問わず、インターネットを使って送られてくるウイルスやスパムメールの類は、これらと全く条件が異なる。1秒間に何億回も演算できるコンピュータが導き出すランダムな数値の羅列(これが個々人のメルアドに該当)によって送りつけられるのであるから、被害者の側には、PCや携帯を持たないということ以外に防御のしようがない。自分のメルアドの順列が、業者に簡単にレファレンスされないようにするために、自分でも覚えきれないほど長いものにするといったネガティブな対応法しかない。私など、毎日毎日、ウイルスやスパムメールが100件以上は確実にやってくる。これらを消去するだけでも一仕事だ。
それでは、なぜウイルスやスパムメールの発信をプロバイダーや通信会社が制限しないのだろうか? 答えは簡単である。スパムメールやウイルスを発信している会社や個人が回線のヘビーユーザーであるから、通信会社やプロバイダーは儲かるので、これらの「上顧客」を排除したくないだけである。軍事産業にとって、テロリストやゲリラ集団も、どこかの国の正規軍と同様に「上顧客」であるのと同じ理屈である。自分たちの売った武器で誰が傷つこうと、彼らの知ったことではない。これも法律で厳密に取り締るすべきである。
高度情報社会で取り締るべきは、猥褻や暴力といった表現上の中身ではなく、たとえ「善いこと」であったとしても、「無差別かつ大量に」発信されるという行為そのものであるべきである。コンピュータを使って、同時に数千通、数万通送るメールは、不特定多数の人を狙った迷惑メールやウイルスであることはほぼ間違いないのであるから、そのようなメールが発信された場合には、その内容の善し悪しに関わらず、すべて自動的に通信会社やプロバイダーのコンピュータを通るときにカットすることが公共の利益にも叶っていると思われる。わが国でも一日も早い法律の制定が待たれる。