レルネット主幹 三宅善信
▼日本シリーズとワールドシリーズ
日米共に、プロ野球は今、一年間に及ぶレギュラーシーズンの総決算ともいえる「選手権シリーズ」真っ盛りである。なぜ、セ・リーグとパ・リーグの覇者が「日本一」を決める選手権のことを『日本シリーズ』と呼び、ア・リーグとナ・リーグの覇者が「(一部のカナダを含む)全米一」を決める選手権のことを『ワールドシリーズ』と呼ぶかは知らないが、もちろん、アメリカ人の「全米一、イコール、世界一」をいう強烈な自負心と「ベースボール発祥の地」という本家意識がそう呼ばさせているのであろう。日本では、この秋、阪神タイガースが18年ぶりにセントラルリーグを制して(註:なぜ星野阪神が優勝できるかについての風水的説明は、2002年4月13日付の拙論『珍説:キトラ古墳の謎』で述べたとおりであり、その際、「青龍→白虎」ならびに「青春→白秋」というアナロジーを用いて、秋には星野阪神のエネルギーが減退することについても論じた)パ・リーグの覇者、福岡ダイエーホークスとの間で『日本シリーズ』を戦うのであるが、一方、海の向こうでは「常勝軍団」ニューヨーク・ヤンキースと、「新興チーム」フロリダ・マーリンズとの間の『ワールドシリーズ』が同時並行的に行なわれている。
イチローや松井の活躍で、大リーグの試合が日本でも毎日衛星中継(註:野茂のような投手だと、投板しない日は、日本人選手が活躍しないが、打者だとほとんど毎試合出場するから)されるようになり、「本場のプレイ」を身近に視ることができるようになったが、私はヤンキースとマーリンズとの間のワールドシリーズよりも、その2日前まで戦われていたニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスとの間の「アメリカンリーグ・チャンピオンシップ(優勝決定戦)」のほうに関心があった。結果的には、4勝3敗で、かろうじてヤンキースがアメリカンリーグのチャンピオンとなり、ナショナルチームの覇者マーリンズと「ワールドシリーズ」を戦うことになるのであるが、このヤンキースとレッドソックスの間には、日本の巨人vs阪神に勝るとも劣らない「長年の宿命のライバル」としての因縁がある。私は今から20年程前に、ハーバード大学の世界宗教研究所でフェローを務めたことがあるので、ボストン(註:厳密には隣町のケンブリッジ市)に暮したことがあり、レッドソックス(註:因みに、ボストンのNBAプロバスケットボールのチームは、もちろんセルティックス(Celtics=ケルト人=古代アイルランド人)という強豪である)という古参チームについては、それなりの親しみがある。実際に、何回かフェンウェイパーク(レッドソックスのホーム球場)へも足を運んだことがある。もちろん、一番盛り上がったのは対ヤンキース戦である。
▼ ベーブ・ルースは偉大な投手でもあった
野球を全く知らない人でも、おそらくその名前だけは知っているであろう生涯に714本のホームランを打ったベーブ・ルースは、ニューヨーク・ヤンキースの名選手ということになっているが、実は、ベーブ・ルースは、選手として4つのプロ野球チームをわたり歩いている。当時、まだマイナー・リーグ(3A)球団であったオリオールズ。次に、メジャー球団のレッドソックス(1914〜19年)。そして、ヤンキース(1920〜34年)。最後に、ほんの何カ月間であるが、ブレーブス(註:1935年当時は、ブレーブスはボストンにあった)でプレイした。つまり、レッドソックスとヤンキースは共に、名選手ベーブ・ルースに因縁の深い球団なのである。そして、今年のアメリカンリーグ優勝決定戦が、そのヤンキースとレッドソックスとの間で戦われたのである。
実は、大リーグの草創期には、レッドソックスは何度も優勝した名門チームだった。特に、1914年にベーブ・ルースが投手として入団して以来、1915年、16年、18年と立て続けにワールドシリーズを制覇した。ルースは、レッドソックス入団2年目の1915年には18勝を上げ、続いて16年には23勝、17年には24勝という投手としてもずば抜けた成績を残している。ルースは、レッドソックスの投手として、ワールドシリーズで29回2/3イニング連続無失点というすごい記録まで残したし、その上、選手の「分業化」が進んだ現代では考えられないことであるが、1919年のレギュラーシーズンには、まるで高校野球のように、ピッチャーとして登板のない試合には、外野手として出場し、投手でありながら年間29本塁打、打率.322という半端じゃない記録を残しているというとてつもないスーパープレーヤーだったのである。
▼巨人は最も伝統のあるチームではない
ところが、80年以上の歴史を経て、アメリカ社会において今なおその威力が衰えることなしに語り継がれている『バンビーノの呪い』と将来呼ばれることになる事件が1920年に起きた。当時のレッドソックスのオーナー、ハリー・フレジー氏は、ショービジネスで財をなした人物であったが、彼が企画したブロードウェイでの公演を打つ資金調達のために、在籍した5年間で3度もレッドソックスが世界一になることに貢献したベーブ・ルースを、あろうことか最大のライバルチームであるヤンキースに金銭トレードしてしまった(註:プロ野球をよく知らない人のために;一般にプロ野球選手のトレードは、あるチームのAという選手と別のチームのBという選手を交換するという相互利益提供の形で両チームの戦力バランスを取りながら行なわれるのであるが、相手チームに提供した選手に見合う適当な交換選手がいない場合など、まれに、ある選手を提供する見返りとして、金銭を貰うということが行なわれる。しかし、この場合は、両チーム間の戦力に著しい不均衡が生じるので、同一リーグ球団内ではあまり行われない。さらに、超レアなケースとして、何ら見返りを求めない「無償トレード」というものが存在するが、この場合、たいていは、「裏」で別の取引があったと考えて良い)。
ところが、これまでのライバルチームにトレードされたベーブ・ルースは、なんとその年に54本という当時としては世界記録になる年間本塁打を放ったのである。80年の歴史(註:現在の「日本プロ野球機構」に直接繋がる「日本職業野球連盟」が設立されたのは1936年であるが、既に大正年間にアメリカの影響を受けて、それ以前からあった「東京六大学野球」とは別に、職業(プロ)野球チームがいくつか存在し、それなりの興行成績を残していたが、運悪く、1923年8月30日の第1回大会優勝決定戦の2日後に、関東大震災が起こり、球場施設等が被災して、世間が野球どころではなくない、日本におけるプロ野球の芽は消えたかに見えたが、翌1924年、大阪で小林一三が「阪急協会」(阪急ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ)が旗揚げした。「球界の盟主」を僭称する巨人軍なんぞは、阪急から遅れること6年後の1931年に結成された「新参者」に過ぎない)を持つ日本のプロ野球でも、王貞治他が出した年間55本が今でも最高記録である。その後、ヤンキースの主力選手として、ベーブ・ルースはホームランを量数しまくり、ついに714本という不滅の生涯本塁打記録(註:この大記録は、1975年にアトランタ・ブレーブスのハンク・アーロンに抜かれるまで、40年間にわたって破れることはなかった)を残すのであるが、その間、ヤンキースは何度も世界一に輝き、今日の「常勝球団」の礎を築いた。
▼「バンビーノの呪い」とは何か
一方、ツキに見放された形のレッドソックスは、1918年のワールドチャンピオンを最後に、2003年の今年に至るまで、一度も「世界一」になることはできていない。大リーグの長い歴史の中で、いつの頃からかボストン・レッドソックスがワールドシリーズで優勝できなくなったことを『バンビーノの呪い』(註:ベーブ・ルースの本名は、George
Herman Ruthであるが、その「童顔」から「ベーブ(babe=赤ちゃんのような)」とニックネームが付けられた。同様に「バンビーノ(bambino=子鹿ちゃん)とも呼ばれた」)のせいだと思われるようになった。
私がボストンから帰った翌年(1986年)には、レッドソックスは久しぶりにアメリカンリーグを制してワールドシリーズに出場したが、3勝2敗と先に「王手」をかけた第6戦の延長10回、あとアウトを1つ取ればシリーズ制覇(=「呪い」の解除)というところまでこぎ着けながら、一塁手ビル・バックナーの「悪夢のトンネル」で逆にサヨナラ負けを喫し、そのショックからか続く第7戦も落として、結局はシリーズ制覇を逃している。1918年以来2003年までというのであるから、85年間も続く『バンビーノの呪い』は凄まじいかぎりである。
1985年、21年ぶり(註:今回の「18年ぶり」より酷い)にセ・リーグ制覇を果たした阪神タイガースのファンが、喜びのあまり、心斎橋筋に架かる戎橋から道頓堀川に何百人も飛び込んだが、その際、暴走化した一部のファンが、この橋の近くで店を開いていたケンタッキー・フライド・チキン(KFC)店を襲撃し、店頭に飾ってあった同社のマスコットである「カーネル・サンダース」の人形を道頓堀川に投げ込んで以来、優勝できなくなったという所謂『カーネルの呪い』(註:この呪いも18年経った今年、タイガースがセ・リーグを制してついに解消したが、その代わり5,300人もの人が道頓堀川に飛び込み、中にはいのちを落とした人までいる。人間のいのちをもって贖わなければならないほど重い呪いだったのか…。なにせ、KFCの創業者のカーネル・サンダース氏は近代史の節目々々に登場する秘密結社フリーメーソンのメンバーだったから…)を凌ぐ強烈な都市伝説(Urban
Legend)である。因みに、この橋からわずか数十メートルしか離れていない350年の歴史を誇る上方芝居の聖地中座が「芝右衛門狸の祟り」によって昨秋、全焼した都市伝説については以前にも述べた。
▼映画『メジャーリーグ』におけるロッカー
話を大リーグに戻そう。勝負の世界に生きているスポーツ選手は、一般に験(げん)を担いだりする傾向が強いのであるが、大リーグにおけるこのような現象について、それをコミカルに描いた作品が、1989年に封切られた『メジャーリーグ』というハリウッド映画(チャーリー・シーン主演)である。弱小球団クリーブランド・インディアンズのファンキーな選手たちが繰り広げる髪型や試合前日のセックス等いろんな験担ぎがあったが、中でも、印象的だったのは、キューバ出身の強打者セラノ(デニス・ヘイスバート)に関わる験担ぎである。セラノには、剛速球には滅法強いのであるが、カーブはどうしても打てないという妙な癖があった。しかし、熱心なブードゥー教(註:カリブ海地域に土着の呪術宗教)信者であったセラノは、カーブが打てないのを自らの技術的問題ではなく、「敵」から自分のバッドにかけられた呪いのせいだと思い込み、球場の選手用ロッカーの中に、ブードゥー教の祭壇を祀り、試合毎に生け贄を捧げて好成績を祈願するシーン(註:もちろん、この奇行を茶化す他のチームメートたちとのドタバタも含めて)が、この映画のひとつのミソであった。
この映画には、1994年に続編『メジャーリーグ2』が作られたが、続編では、この激しい性格を持っていたブードゥー教信者のセラノは、meditation(瞑想)を行う極めて穏和な仏教徒に改宗し――やはり、彼のロッカーの中には仏壇が祀られていたのは笑ってしまったが、欧米人の目には、日本の各家庭における仏壇というものもこのように映っているのかもしれない――今度は、石橋貴明演じる特攻隊精神に満ちた日系人タカ・タナカがチームに活力を注入するという役回りになっていた。要するに、白人によるキリスト教が「標準」であるアメリカ社会において、異文化を持った人間の行為がいかに奇異に映るかを表現しながら、自分たちが「当然」だと思っている行動様式も、世界の他の地域においては「異文化のひとつ」にすぎないということが理解できていないことを端的に表しているのである。
▼ロッカーの扉の向こう側は別世界
実は、「ロッカー」という近代的な都市生活が生み出した極めて無機質なスチール製収納ボックスの扉一枚の向こう側に、全く別の世界が広がっているかもしれないというのである。しかも、このさして大きくもない箱は、われわれの日常生活の空間にさりげなく置かれながら、あたかも『ドラえもん』の「どこでもドア」のごとく別世界への通路となっている。その上、この不思議な扉はピタリと閉めてしまえば、また元どおりの「こちらの世界」におけるただのスチール製ケースの外面になるのである。これが、精神分析論的ロッカーの解釈である。現実的な言い方をしても、いつ、どこで、誰が、何を入れたか、外部からでは誰にも判らない(註:かつて駅のコインロッカーに、生まれたばかりの嬰児を棄てるという痛ましい事件が続発したこともあるし、麻薬取引等の犯罪に関わる多額の現金の受け渡しにも利用されたこともある)不思議な空間でもある。
そのロッカーなる異次元空間に棲み着く「ハナコさん」という、なぜか1960年代風のファッションで身を固めてファンキーな幽霊が主役のNHKドラマ『ロッカーのハナコさん』(註:昨年秋の放送時の好評により続編が作られ、『帰ってきたロッカーのハナコさん』という題で、現在NHKで放送中である)
というお話である。番組中でいみじくも指摘されたように、これは、いわば「都市伝説」という範疇に括れるお話である。『ロッカーのハナコさん』(註:もちろん、命名のプロットはある時期、子供たちを恐れさせた『トイレのハナコさん』である)の粗筋は、とある商社で11年前に死んだ北浦華子(ともさかりえ)というやり手のキャリアウーマンの霊魂が、何らかの理由で成仏できずに、会社の地下室に放置されたロッカー内に棲みつき、その会社のダメOLたちを助けるというお話である。
ロッカー内のインテリアは
60年代アメリカ風 |
しかも、この幽霊は、ダメOLにしか見えない(註:宗教学で言うところの「身体的欠損者」が、ゼロ・サム・ゲームという「正負の法則」により、健常者よりも多く有していると考えられる霊的な特種能力のこと)という代物で、不況下のリストラや外資による買収などという今日的テーマを織り込むドタバタコメディーとして作られているのである。しかも、このドラマの中でハナコさんが着用している60年代風のファッションおよびロッカー内のインテリアは、明らかに、1964〜72年という一世を風靡したアメリカのTVドラマ『奥様は魔女(Bewitched)』を意識していると考えられる。
▼日本はもともとユビキタス社会であった
日本には、そもそも神棚や仏壇という「home shrine(家庭用祭壇)」というものが各家庭にあった。日頃は森厳な磐坐(いわくら)や神社におわす神々も、祭の時は御輿(portable
shrine)に乗って巷間までお出ましになるし、善光寺などの秘仏も、たびたび江戸や大坂へ「出開帳(でかいちょう)」といった形で、自らもしくはその分身を各地へ派遣して人々が親しく拝することができるようになっていた(註:神宮の大麻や、各地の社寺の守り札など含めると、おそらく日本の総人口よりも多くの神仏へのアクセスポイントがあったと考えられる)。
同様に、社寺の本殿だけでなく、それぞれの家庭においても、神棚や仏壇の中に「収まる神仏」という共通認識が人々の間で持たれていた。いわんや、そのような宗教的文化的伝統のある日本社会において、公的には科学万能主義に見える現代社会の都市の片隅に、あるいは、インターネットを通じて複雑に絡み合ったコンピュータ・ネットワークの隙間に、このような神々が棲んでいると人々が信じてもおかしくはないし、これがまた、文字通り「ユビキタス(ubiquitous)」社会を創り出していく活力になるのだと思う。
「ユビキタス」の語源はラテン語の「ubique」で、「in any place whatever(どこでもなんでも)」という意味であるが、もちろん、この名称が現在のコンピュータ・ネットワーク社会の行きつく姿として、人々がいつでもどこでも特別な道具なしでも高度な情報システム接続できる米製TVドラマ(『スター・トレック(Star
Trek)』に登場する宇宙船USSエンタープライズ号の中のような環境)という未来社会像をイメージして付けられたのであるが、あらゆる所にコンピュータ(神々)がおわすという極めてアニミズム的な考え方を宗教学では「汎神論(pantheism)」と呼ぶ。今年のプロ野球日本シリーズにおいて、名前だけは阪神でも、直営の百貨店がひとつしかない阪神(タイガース)と、数千店に及ぶスーパー(ダイエー)とコンビニ(ローソン)で全国展開している福岡ダイエーホークスのいづれに軍配が上がるかに日本のユビキタス社会の将来がかかっているといっても過言ではない。
ただし、日本シリーズ終了後に、一部で噂されている「球団の身売り」や、経費削減のための「高年俸選手の切り売り」などの事件が起きた場合には、『バンビーノの呪い』に匹敵する新たな都市伝説が生まれかねないのが、野球というスポーツの奧の深いところである。新たな「伝説」は、一企業の死活問題を超えて、近代都市の住民を巻き込んで一人歩きするのである。