イラク派遣を前にシベリア出兵を検証せよ
03年11月24日


レルネット主幹 三宅善信

▼多国籍軍の指揮権は日本軍にあった

1918年(大正7年)、大日本帝国は欧米列強と図って、シベリアに兵力を派遣した。いわゆる「シベリア出兵」として知られている歴史上の出来事である。この時、シベリア出兵に参加した列強(日・米・英・仏)の当初の(特に英・仏の)狙いは、第1次世界大戦で交戦中のドイツに対して、東西二正面作戦を余儀なくさせるということであり、なおかつ、前年の1917年、世界初のボルシェビキ革命(十月革命)によってサンクト・ペテルスブルグに成立した「社会主義(政権)が各国に拡散することを防ぐ(防共)」という2つのことを目的にしていたのであるが、国際法上の直接の言い前は「シベリアに取り残された少数のチェコ(ボヘミア)軍の部隊(註:同盟国側のドイツ・オーストリア軍から脱走して、連合国側のロシア軍に加わっていたチェコ部隊であったが、肝心のロシア帝国が赤色革命で解体し、「敵(ボルシェビキ)軍」の真っ只中に取り残された)を救出するため」という訳の分からない人道的大義名分であった。

ロシアで成立し、その後、この国の民を70年間にわたって支配した社会主義(ソビエト)政権が、結果的には当時の列強であった米・英・仏・日のいずれの国へも波及しなかったのは歴史の事実である(註:実際に社会主義化したのは、資本主義の成熟した「先進国(列強)」ではなくて、欧米文明の「辺境」にあったロシアおよび、そのまた「周辺」の近代市民社会になり損ねた「遅れた国々」だけであった)にもかかわらず、適当な言いがかりを付けて列強各国はシベリアに兵力を派遣した。

しかも、それぞれの国々が、それぞれ別の思惑(註:英仏両国は、自らの対峙するドイツ軍の西部戦線への圧力を緩和させるために、ロシアと友好的な関係にあった日本をシベリア経由で欧州まで進出させて、ドイツ軍に新たに東部戦線を形成させようとしていた。一方、ウィルソン大統領率いるアメリカは、日本とシベリアへ共同参戦して、英仏を牽制する意図があった)を持って派遣したので、シベリアに集結した多国籍軍(註:なんとこの時の8カ国からなる多国籍軍の指揮権は日本軍(陸軍)にあったが、語学上の問題で――というより、戦闘行為には長けていても、他国の武官と言葉巧みに交渉する際に不可欠なレトリックの技術など全くなかった――現地駐在武官会議では、日本代表は、東京からの訓令を棒読みして伝達するだけで、実際の話し合いは入れなかった)は統一した意思の下に軍事作戦を行なうこともできず、2年の間に日本軍以外は皆、勝手に撤収してしまったのである。

一方、東京でも現地でも、幹部の見込み違いによる失敗の責任を明確にすることのできなかった日本軍は、いつまでも撤収できず(註:撤退するということは、過去の自分たちの判断の間違いを認めるということになる。現在の日本でも、金融機関の不良債権処理や道路公団の工事計画と同じ論理で社会が動いている)に、現地で駐留を続けているうちに、欧米列強から「日本は、極東に領土的野心を持っている」と思われてしまった。しかも、「シベリア出兵」までは、海外への兵力の展開に消極的であった陸軍が、その後、海外に兵力を派遣することへの心理的バリアが低くなってしまい、結果的には、日本は、満州事変・ノモンハン事件から続く、いわゆる「十五年戦争」の時代へと突入していったのである。


▼アルカイダは日本では活動できない

今回のイラク戦争では、米英軍とその眷属(註:最近日本のテレビ討論番組でも、日本のことを「アメリカのポチ(飼い犬)」と自虐的に唱える与党政治家が出てきたことは一種の進歩である)は、数の上では三十数カ国がイラクに占領軍を派兵しているが、その実質が米軍であることは言を待たない。第二次世界大戦後、伝統的な連合軍を構成していたカナダ、フランス、ドイツさらには、米ソ冷戦終結後は、いつの間にか「アメリカの仲間」になったロシア軍の姿は今回のイラクにはない。その代わり、ウクライナやポーランドといった失礼ながら「二流の国々」が、数合わせのためにイラクに兵力を派遣している。この手の作戦に初めて参戦したイタリアも、今回(11月12日)大規模な自爆攻撃に遭って、派遣部隊に大勢の犠牲者を出した。アルカイダと目される連中から「自衛隊がイラクの地に一歩でも踏み込んだら、日本の首都でもテロが起きるであろう」と脅しまでかけられている始末である。このことは、日本は「脅してやればビビる国」と国際的に思われている証拠である。

瀬戸際外交の北朝鮮をはじめ、実際に日本まで攻撃する能力のないアルカイダにまで舐められる始末である。北朝鮮と日本が正規軍の正面戦力同士で戦争をすれば、アメリカがイラクの正規軍(国軍や共和国防衛隊)をあっという間に撃破したように、経済力と軍事的装備の差によって、ごく短期間で北朝鮮の正規軍が壊滅的打撃を受けたことは火を見るより明らかである(註:アラブ諸国とイスラエルの間の数次にわたる戦争を見ても、いつもイスラエルが圧勝していた)。ただし、日本国内に何十万人いるかも判らない北朝鮮の息のかかった連中が、国内で爆発物や「貧者の核」と呼ばれる化学兵器や生物兵器を使ったテロ活動を行なう可能性があることは容易に想像できるし、これを完全に防ぐことは不可能である(だから、もし北朝鮮を叩くのなら、一挙にかれらの忠誠の対象である中枢部を取り除き、彼らに反撃する意味を失わさせる戦略を採用するしかない)

しかし、アルカイダが実際に日本国内でテロを行なうことはそれほど容易ではない。というのも、もし、イスラム原理主義の聖戦士(ムジャヒディン)がそのまま日本に来たら、彼の風貌はあまりにも目立ち過ぎる。以前、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件(1981年)があったが、逮捕されたその犯人(トルコ人)は、教皇暗殺の機会を狙って、警備が手薄と思われる日本での決行を予定し、事実、ヨハネ・パウロ2世が来日された際に、同様に来日して、暗殺の機会を伺っていたそうである。しかし、「日本のどの街に行っても、自分自身の存在が、そこにいるだけであまりにも浮いた目立つ存在で、とてもじゃないけれど狙えなかった」と、バチカンのサンピエトロ広場で教皇に凶弾を浴びせて逮捕された後に述懐している。

いわんや、アルカイダなどの敬虔な原理主義イスラム教徒は、まず、食べ物からして日本国内で彼らが安心して食することのできる食品(註:有名な豚肉の禁食だけでなく、たとえ、それが牛肉や羊肉であったとしても、コーランに定められたキチっとした方法で屠殺された肉以外は、食することができないが、そんな肉は日本にはほとんど存在しない)がないので、彼がイスラムの教えに厳格であればあるほど、結果的に、日本に三日と住めないことになり、それなりのテロ攻撃なぞ行えるものではない。また、様々な邪神や偶像を崇拝する異教徒(神道や仏教)である日本人の「堕落した」生活様式に平気で適合できるような人物なら、彼(アルカイダ)はじめからイスラム原理主義者たりえない。したがって、どちらをとっても、日本(国内)は大丈夫ということになるのである。


▼大量破壊兵器の存在などどちらでもよかった

しかし、だからといって、そのことが、自衛隊をイラクに派兵することへのバリアを低くするものではないことは言うまでもない。ちょうど、1918年の「シベリア出兵」の際に、欧米列強と日本は「危険な共産主義思想の拡散を防ぐ」という教条的な大義名分を立てて、自己の行為を正当化したのを同じように、今回のイラク戦争でも、最初は「国連決議に違反する大量破壊兵器を取り除く」という大義名分を立てたが、実際に、米軍がイラクを占領して半年以上、各地を隈なく探したのに、「大量破壊兵器が見つかった」という報告が未だにないではないか! ただのライフルや地雷ではない。大量破壊兵器というくらいであるから、それなりの特殊装備(例えば、ミサイルなら発射ランチャーもセットでないと使えないので、相当大がかりな装備になる)も必要であり、それだけ隠蔽しきるのは容易ではないはずであり、また、探すほうは、その筋の専門家が探すのであるから、もし本当に大量破壊兵器が存在しているのならば、すぐに見つかっているはずである。

何より、もしフセイン政権が、本当に有効な大量破壊兵器を持っていたのなら、あんなにあっさりと米軍に負けなかったであろう。少なくとも、自分たちの部隊がやられる前に、最後の抵抗手段として、一発くらい大量破壊兵器を使って応戦したはずである。が、実際には「大量破壊兵器を使わなかった」というのが、本当は大量破壊兵器がなかったという第一の証拠とも言える。

もちろん、アメリカにとっては、「大量破壊兵器の存在」など、はじめからどうでもよかった(註:イラクにたとえどのような大量破壊兵器があったとしても、その脅威は、せいぜい中東地域内のことであって、その危害が直接アメリカ本土に及ぶものではないから)のである。いわばケンカを売るためのやくざの難癖と同じ論理だったのである。したがって、小泉首相も「何をしでかすか判らない独裁者が、大量破壊兵器を持っていること自体が、国際社会の安全にとって危険極まりないことであるから、日本もそれを取り除くためアメリカと共に戦うのである」と言ったが、それなら、国際社会に公言して、危険な核兵器開発やミサイルで火遊びをしている「北の将軍様」は、なぜ排除しようとしないのか? 「六カ国協議」なんて生ぬるい。一気に殲滅すればよい。それをしないのなら、度重なる「国連決議違反」を行っているイスラエルを野放しにしているアメリカと同じ論理である。これでは、典型的な二枚舌とは言えないだろうか。


▼ 「人道的介入」という虚構

そういう訳で、「大量破壊兵器云々」という理由づけが通じなってくると、日本でも、小泉政権をはじめアメリカ追従派の「イラク派兵」を熱心に唱える人々は、論理をすり替えて「イラクの困っている人々を助ける(復興人道援助)ために、その能力のある自衛隊を派遣する」という点を声高に説え出した(註:しかも、「人道的援助に反対する人はいないでしょう」などと、勝手に決めつけて…。少なくとも、私は、「軍隊による人道的援助」などという虚構には反対しているぞ!)が、これまた「シベリアで取り残されたかわいそうなチェコの部隊を助けるため」と称して大量の将兵が出兵したあの1918年の「シベリア出兵」と同じ理屈ではないか。いかなる場合にでも、自国の軍事行動を正当化する説明はいくらでも付けられるが、戦後、これを評価するのは、正義でもなければ倫理でもない。その戦争に勝ったか負けたかがその行為の正当化の唯一の尺度であるということ(註:この論理自体は「間違っている」が、厳然とした「事実である」)を解っているのであろうか? そんなことのために、尊いいのちを失わされるはめになったんじゃ、兵隊もたまったものでない。

私は、21世紀に入ってからの世界の混乱の最大の原因は、2000年11月に行なわれたアメリカ合衆国の大統領選挙の集計をめぐるゴタゴタ、なかんずくフロリダ州のインチキ開票(註:史上稀れにみる大接戦の結果、フロリダ州での雌雄が、全米の趨勢を決することになったのであるが、開票集計の再計算をする度に生じる数百票の差は、統計学上の「許容誤差」の幅より小さかったため、開票結果そのものの信憑性を問われることになり、遂には疑開票の再々計算を封印して、「ジョージ・W・ブッシュ候補の勝ち」とブッシュ候補の実弟ジェフ・ブッシュ・フロリダ州知事が任命した司法長官が認定した)の結果、当時、テキサス州知事だったジョージ・W・ブッシュ氏が、副大統領だったアル・ゴア氏を破って大統領職に就いたわけであるが、「憲法の番人」である連邦最高裁まで巻き込んだこのゴタゴタの結果、ブッシュ氏は合衆国大統領としてのその危ういレジチマシーを確固たるものにするためにも、「外」にを創り出すことによって国民の結束を図り、父親の時代からの宿敵であったサダム・フセインをはじめ、全然、要因の異なるイランと北朝鮮まで一絡(ひとから)げにして、「悪の枢軸」という言葉まで創り出して、自らを「神によって選ばれた正義の国」と思い込んでいるアメリカ人の民心を惹き付けるために、難癖をつけやすそうな国に戦争を仕掛けていったのである。

アフガニスタンにイスラム原理主義政権があろうがなかろうが、世界中のほとんどの人々は何の実害もないであろうにもかかわらず、アフガンのイスラム原理主義政権(タリバン)にチャチャを入れ、その結果起きたことは何だったか? 「9.11」をはじめとする世界中へのテロの拡散であり、バーミヤンの巨大石仏の爆破という文化財破壊であり、中東の全域のパレスチナ化(自爆テロの日常化)と、世界中への「暴力の応酬」の拡散であった。ブッシュを大統領に選んだアメリカ国民は、このことに対する責任をどう取るつもりなのか? 戦闘集団である軍隊が敵から襲われることは、その性質上、ある程度仕様がないことであるし、また、軍隊は自らそう覚悟し、自らの生命を守る応戦能力を持って行動しているのであるが、日常の生活を送る一般の人々が、突然テロに巻き込まれて犠牲になることに対しては、ほとんどすべてアメリカに責任があると言ってもよいであろう。

そういえば、列強がシベリアに派兵した1918年には、「スペイン風邪」という名のインフルエンザが大流行し、信じられないほどの大勢の死者が出た(註:この時の全世界の「スペイン風邪」による死者数は、なんと2,500万人であり、同じ時期の第1次世界大戦の総犠牲者1,000万人をはるかに凌いでいる!)が、今春、東アジアでは「SARS」という謎の感染症が流行して世の中を騒がせた。しかも、この1918年には、日本各地で「米(こめ)騒動」という、社会不安から来る暴動が起きた。現在の日本もまた「米(アメリカ)騒動」への対応で、大変な迷惑を蒙っているように思えてならない。


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