アルマゲドン:神によって選ばれた国アメリカ 1998.11.25

「レルネット」主幹
三宅善信


*しし座流星群騒動顛末記

11月18日の早暁、33年ぶりに地球に訪れるという「しし座流星群」を見ようと、夜更かしあるいは早起きをした人は大勢いたはずだ。専門家の事前予測によると、テンペル・タットル彗星から太陽のエネルギーによって吹き飛ばされた塵や小石の集まりであるいわゆる「彗星の尾」の部分を地球の公転軌道が横切ることによって、地球の引力によって引き寄せらたそれらの塵や小石が大気との摩擦によって燃え尽きる現象が流れ星であるが、33年ごとに地球に大量の流れ星(流星群)を降らすしし座流星群の今回(1998年)の観測に最も適した場所が日本であるとのことであった。

これまでにも、皆既日食や彗星の接近などのいわゆる「天体ショー」と呼ばれる現象は毎年のように起こっているが、観測に最も適した場所は、たいてい日本から遠く離れたアフリカやゴビ砂漠などの僻地で、よほどの「天体マニア」か、金と時間に余裕のある人でないと、なかなか「現地で体験」することはできなかった。それが、今回は、なんとその観測のための最も条件が整った「現地」が日本であり、アメリカからわざわざNASAの専門家が大挙して沖縄まで訪れるということであった。しかも、天空一面に流れ星が飛び交う「流星群」という現象は、天体望遠鏡などの道具がなくても観測できる「素人向き」の天体ショーのため、いやがうえにも事前の興味は盛り上がった。昨今、暗い話題ばかりの日本で、唯一の明るい話題とでも言わんばかりにメディアなども取り上げた。

「天の邪鬼」と言われるかもしれないが、「こういう時に限って曇天であったりするものだ」という気がなんとなくしていた。事実、大阪ではこの一ヵ月近く雨が降らなかったのに、この日(17日)の朝は久しぶりにまとまった降水があった。しかも、それまでは、地球温暖化の影響か11月の中旬というのに、最高気温が20度ほどある陽気が続いていたが、寒冷前線が通過したこの雨を境に、気温が前日より一挙に10度以上も下がるという「冬型」のご時候になった。徹夜で観測する人もさぞや寒いであろう。かくいう私も、結構この手の「天体ショー」は好きな方なので、楽しみにしていた。というのも、ここ3年間ほど、私の日常生活は原稿書き等のため、ほとんど深夜の3時より早く寝たことはないし、しかも、この1ヵ月ほどは、仕事の関係で毎朝5時過ぎには起床しなければならず、一層のこと、その2時間を寝なければ観測できるというものだ。私の自宅は「光害」が多い大阪市内にあるが、幸いなことに広大な庭の木々に囲まれているため、余計な都市の光が入ってこない天空が広く望める絶好のコンディションだ。

かくして、書斎で原稿を書きながら、夜半過ぎから1時間おきに庭先へ出ては、初めのうちは東の空を、朝が近づくに連れて真上の方角を丹念に見上げていた。ところが、NASAの専門家へのインタビューでは「シャワー」という表現を用いていたくらいだから、「1時間に数千個 (1分間に百個)は見える」と言われていたが、シャワーどころか滴水の雫ほどの流れ星も見えやしない。時間帯によっては空一面が雲で覆われていたが、時間帯によってはスッカリと晴れ上がって、オリオン座や北斗七星などお馴染みの星座がハッキリと見えるのに、肝心の「しし座流星群」がまるっきり現れないではないか…。悶々としながら「まぁ、明日になれば、どこかコンディションの良いところで、プロが観測したすばらしい映像がテレビで放映されるであろうから、それを見ればいいか」と思って、朝を迎えた。おかげで、この原稿をはじめ、書き仕事の方はかなり捗った。

しかし、朝5時のNHKニュースを視て驚いた。今回の「しし座流星群騒ぎ」は、まさに「泰山鳴動して鼠一匹」の類で、雲の影響を避けるために航空機まで飛ばし、超高感度ハイビジョンカメラを使って観測したNASAの専門家チームですら、320個ほどしか見られなかったというのだから、素人の私が観測できなかったのは言うまでもない。夜9:30のNHK「クローズアップ現代」では、わざわざご丁寧にと思ったほど、「見えなかった」理由について、専門家を招いて言い訳がましい放送をしていた。いわく、地球への到達時刻(地球の公転軌道が彗星の尾を横切る時刻)が少しずれていて、どうやら日本ではまだ17日の明るいうちに最大の飛来があったそうで、それで見えなかったそうである(その代わり、欧州ではよく見えたらしい)。そんなことってあるのだろうか?「曇天で見えなかった」というのなら解るが、「彗星(尾も含めて)の軌道」なんて、初めて地球に接近する(もちろん「何百年ぶり」というのも、現在の観測態勢が出来る前に接近したものは、いわば「初めて」も同然であるが)彗星ならいざ知らず、少なくとも今世紀に入ってから接近したことのある彗星に関しては、76年周期のハレー彗星はじ め、今回のテンペル・タットル彗星など33年周期なのだから、ハズしようがないと思うのだが…。


*現代版「ノアの方舟」の物語

そこで気になったことが、今年、相次いで封切られたハリウッド映画『ディープインパクト』と『アルマゲドン』という2作品である。どちらも、地球に未知の彗星・小惑星が衝突し、地上は灼熱地獄と化し、高さ数百メートルの大津波が世界の各都市を破壊し、衝突で巻上がった粉塵の影響で一両年は続くであろう大寒波によって、ほとんどの生物が死に絶えるという、かつて6,500万年前に大繁栄を誇っていた恐竜たちが一挙に絶滅したのと同じことが起こる。これに人類(と、言いながら実はアメリカ)はどう立ち向かうか?というほとんど同じモチーフの話である。ディープインパクトは6月に劇場公開されたので既にご覧になられた方も多いであろうが、アルマゲドンの方は、日本での封切りは12月12日からなので、ほとんどの読者の方はまだご覧になっていないであろうが、幸いにも私は、先週、インドで開催された第23回WFM(世界連邦運動)世界大会に参加する道中の機内(シンガポール航空)で、件の映画(字幕中国語)を観た。そこで、この2つの映画作品を題材に、欧米人の宗教性について考えてみたい。

まず、『ディープインパクト』であるが、こちらのあらすじは、偶然発見された彗星の軌道が1年後に地球に衝突することが判り、味のある性格俳優モーガン・フリーマン扮する合衆国大統領が秘密裏に2つの人類救済策を練るというものである。ひとつはNASAの特別チームをスペースシャトルで彗星まで先回りさせ、この太陽エネルギーによって表面からガスが噴出している彗星に軟着陸(そんなことできると思えないが、そこは映画)して、彗星の地面(氷)を掘削、核爆弾を破裂させて彗星を分裂させ、被害を最小限に押さえよう(突入する物体が小さければ小さいほど、大気との摩擦で途中で燃え尽きる可能性が大きい)というものである。今回、向井千秋博士と一緒に宇宙に行ったジョン・グレン上院議員を彷彿させるような老元宇宙飛行士も登場して、それなりに興味深い作りであるが、アクション映画というよりは、人間の内面描写に重きを置いている作品である。

そして、もうひとつの救済策は、このミッション(「作戦」という使われ方をすることが多いが、本来はキリスト教の「伝道」という意味である)が失敗した最悪の事態に備えて、アメリカ内陸部に巨大な防空壕(地下都市)を掘削し、旧約聖書の「ノアの方舟」の話よろしく、合衆国市民の内から抽籤で選ばれた50歳以下の男女100万人と「種の保存」のために選ばれた全ての種類の動物の「ひとつがい」がそこに退避し、破滅的ダメージを受けた地球(絶滅した人類)の中から、新しい人類(アメリカ)を後世に伝えようとするものである。確かに、宇宙飛行士たちの決死の行動(最後は「神風」的特攻)にも関わらず、ミッションは半分だけしか成功せず、二つに割れた彗星の内、小さい方が北大西洋上に落下し、ニューヨークを初めとするアメリカ東海岸の諸都市(たぶん、西欧や西アフリカも)に壊滅的な被害を与えるが、それ以外のアメリカ中央部や太平洋側(もちろん、アジアの大部分も)は助かるということになっている。

この映画の力点は、彗星大衝突(ディープインパクト)というモチーフを借りて、旧訳聖書におけるノアやモーゼといったイスラエルの先祖に対する「神の選択」という話を、現代世界で再現することである。日本ではとても実行可能とは思えない方法(くじによる抽選)で、生き残れる権利のある人を選び、親しい人同士の間の「選ばれた人」と「選びに漏れた人」との葛藤を描く、極めて宗教的な内容の作品である。彼ら(欧米人=ユダヤ・キリスト教徒)の文化には、たとえそれが人智に照らして不合理的であったとしても、それが「神(絶対的な第三者による)による選び」なら、これを受け入れるという素地がある。これが日本なら、「死なばもろともの一億総玉砕」か「利己主義的なサバイバル合戦」が展開されるであろう。終戦期の混乱を思い起こすまでもなく、昨今の金融危機に対する政府の対応をみても明らかである。「人ひとりの命は地球より重い」などという戯言を平気な顔をして曰った総理大臣がいたくらいだから…。全体の犠牲は大きくなるばかりである。この素地の違いが、脳死者からの臓器移植に対する対応の違いにも現れている。欧米社会では、「Aを助けるためにBを犠牲にする」と いうようなことに対する心の訓練はしょっちゅう行われている。


* ハルマゲドンとエホバ

さて、もう一方の『アルマゲドン』であるが、これはもちろん新約聖書の「ヨハネ黙示論」にみられる世界の終末戦争「ハルマゲドン」から採っている。ハルマゲドンについては、インチキ丸だしの「ノストラダムスの大予言」(全ての「予言」が論理的にインチキであることは、以前、この欄で述べたとおりである)やオウム真理教の麻原彰晃「尊師」の教説などで皆さん既にご存知のとおりである。なぜ、ハルマゲドンとアルマゲドンと少し違うのかというと、新約聖書が書かれたギリシャ語では気息音であるHが語頭にくるときは、記述の仕方はアポストフ(')の向きによってHの音を入れるか入れないかが区別されるのであるが、それはあくまで後世の学者が読み下すために付けたもの(筆者は同志社大学時代にヘブライ語・ギリシャ語・ラテン語の西洋三大古典語を学んだ)であって、原本には記載されていないことが多い。

蛇足ながら、聖書における神の名前である「ヤハウエ」も同じ理由で、後世、「エホバ」と読み間違えられるようになった。本来のヘブライ語には、子音しかなくヤハウエの綴りはローマ字表記すれば、JHWHになる。ところが、モーセの「十戒」にもあるように「 (そのこと自体が偶像崇拝に繋がるので) 神の名をみだりに唱えてはならない」という禁止項目があるので、ユダヤの民は、その部分に来ると「主」を意味する「アドナイ」という言葉に置き換えて音読していた。それでも、当時の人は子音ばかりでも十分読めたのである。ちょうど、国際空港名の表記が3文字(主に子音)で表記される(NRT=東京・成田、LHR=ロンドン・ヒースロー、CDG=パリ・ドゴール、JFK=NY・ケネディ等)ことが多いように。ところが、後の時代にそれが判らなくなり、聖書に元々、表記されていたJHWH(ヤハウエ)という文字に、アドナイの母音(adonai)記号であるAOAが添付されて、JaHoWaH(エホバ)と間違って発音されるようになったのである。したがって、「エホバの証人」という名称の宗教(正式教団名は「ものみの塔聖書冊子協会」)があるが、「エホバ」という神名そのものが聖書に存在しない以上、彼らはいったい何の証人になろうというのだろうか? (彼らの教義では、終末の前に「ハルマゲドンの戦い」が起こり、神の王国(エホバの証人)の軍隊と悪魔の軍隊が戦いをすることになっている。「輸血」を拒否するのでも有名)

語頭の気息音Hの話に戻すと、ハルマゲドンとアルマゲドンの関係は、ちょうど、フランス人がHで始まる言葉の最初のHの発音をできないのに似ている。実は、私はスカーフなどの有名ブランドHermes(エルメス)のアメリカにおける総責任者であるSimon-Xaviel Gerund-Hermes氏とお互いにファーストネームで呼び合う十年来の友達である。エルメス氏が大阪に来た時は、拙宅に宿泊したこともある。ユグノー(フランス人の勤勉なプロテスタント教徒)である氏は、1994年まで私の祖父(三宅歳雄)がしていたWCRP(世界宗教者平和会議)の国際財務委員長の仕事を継いでくれ、世界の諸宗教間の相互理解のために粉骨砕身を払ってくれている。このエルメスも最初のHは発音しないし、彼の最も好きな日本料理は「ひじき」である。私が初めて彼を料亭に案内したとき、彼は「イジキ(?)が欲しい」といったので、それが「ひじき」のことであると判るまで大分かかったことを懐かしく思い出す。それと同じ理屈で、アルマゲドンとハルマゲドンとは同じことである。要は、世界の壊滅的終末ということである。


* 乱暴な設定の映画

こちらの映画(アルマゲドン)の方は、あの2.5枚目のアクション俳優ブルース・ウイルスが主演であるだけに、なかなかコメディタッチである。『アルマゲドン』では、小惑星の地球接近が、僅か18日前になって発見されるという乱暴な設定になっている。しし座流星群騒ぎでもお馴染みになったように、宇宙空間には結構、塵や小石が飛散しているらしくて、しかもそれが秒速70km(なんと時速25万km=マッハ200!)の猛スピードで飛んでくるため、その物質が僅かな質量でも、衝突すると猛烈な衝突エネルギーを生み出す(運動エネルギー=質量X速度の2乗)。それを避けるため、地球周回軌道上にある多くの人工衛星が、最も面積の大きい部分である太陽電池パネルの向きを変えたり、ハッブル宇宙望遠鏡のように、流星群突入の方向に対して「お尻」を向けたりして対応しているくらいである。映画は、冒頭、船外活動(宇宙遊泳)をしているスペースシャトルの乗組員にいきなり宇宙塵が衝突する(あっと言う間に死ぬ)ところから始まる。その様子を中継画像で視ていたNASAの宇宙センターのモニターには次の瞬間、信じられないことが起きる。別の小隕石がシャトルそのものに激突し、木っ端微塵に吹き 飛ぶのである。続いて、マンハッタンに直径1メートル程度の隕石が次々と飛来し、街は大混乱に陥る。面白いのが、路上に商品(これがまたゴジラの模型)を並べて売っている人の目の前に隕石が落下し、ゴジラの足跡と同じような大穴が地面に空くという場面で始まる。

ここで、場面は海底油田の掘削基地へと飛ぶ。ここはまるで荒くれ男たちの戦場のような作業現場である。主演のウイルスは、ここの石油掘削工である。なぜだか、この「人工の島(プラットホーム)」に年頃の娘と一緒に暮らしているが、その愛娘が仕事場の後輩と「男と女の関係」になってしまう。怒った父親と逃げ回る恋人がドンパチやっている時に、いきなり合衆国海軍の総司令官が大統領命令を携えてヘリでウイルスを迎えにやってくる。何のことやら事態が把握できないままにウイルスはNASAの訓練センターに連れてこられ、ことの次第(18日後に小惑星が地球に衝突し、人類はおろかほとんどの生物は絶滅する)を告げられる。そして、「小惑星まで行ってこれを破壊する計画が立てられたが、それには(ディープインパクトと同様)小惑星の表面で核爆発を起こすだけでは不十分で、これを破壊するためには小惑星の表面から800 フィート掘り進んだ所に核爆弾を仕掛けなければならないが、その作業を数時間の内に済まさなければならないので、掘削の専門家である君に協力を頼む」ということになる。

わずか18日間で計画を立てて実行すのるの無理臭いが、ミッションに使用される2台のスペースシャトル(この名前が「フリーダム(自由)」と「インディペンデンス(独立)」というのが、「いかにもアメリカ」って感じだが…)本来、地球周回用に開発されたそれを、小惑星往き用に改造するのも大変だが、そこは映画である。ちゃんと間に合うのである。しかも、もっともらしく、月を利用した「スイングバイ」航行(以前、外惑星の探査に出かけたボイジャー号などが木星や土星の引力を利用して、方向を変え、なおかつスピードを加えた惑星間航行のテクニック)までして、小惑星に後方から追いつくということだ。ウイルスの指名により、シャトルに乗り込む掘削のスペシャリストたちがその日の内に、各地から集められるが、この連中がすべて「ならず者」ばかりである。ジョンソン宇宙センターに集められた「ならず者」たちは、自分の命を懸けるミッションを受諾するのに際して、NASAひいては合衆国政府に対して条件を提示する。「大金を要求されるのか」と内心穏やかでないNASAの責任者に手渡されたそれぞれからの要望メモには、「これまで十数回やった交通違反の反則切符をチャラにしてくれ 」だの「一生税金を払わないで済むようにしてくれ」だの「White Horse(White Houseの綴り間違い)に住ませてくれ」だの他愛もないことばかりで、観客の笑いを誘っている。

急遽、宇宙飛行士としての特訓が行われる。もちろん、シャトルの操縦等はNASAの専門の宇宙飛行士だが、2台のシャトルの乗組員(14名)の内、半分は、ならず者の石油掘削工で、残りが科学者やNASA・軍関係者である。いよいよ打ち上げの前日に、一日だけ休みをもらって「最後の休暇」を思い思いに過ごす。本当は、こんな余裕などないはずだが、ここがアメリカ的である。離婚した妻子のところに会いに行く者、高利貸しから大金を借り(どうせ世界が滅びるのだから)て、放蕩する者…、それぞれ思いを残さないようにして、打ち上げの日を迎える。舞楽や能の技法でいうところの「序・破・急」の「破」の部分である。その間にも、香港やパリといった大都市に、アルマゲドンの前触れである大隕石が次々と飛来して、これらの街々を一瞬にして破壊し尽くしてゆく。ここからの展開(「急」)は、アクション映画そのものである。


* 冷戦終結のおかげ? 何事もくじ引きで決める

1キロほど離れた発射台に並んで据え付けられた2台のシャトルに、「人類を救う使命」を帯びた乗組員たちが乗り込んで行く。彼らを送り出す合衆国大統領は、全世界へのテレビ中継で高邁なスピーチをぶち、世界の各地(イスラムやヒンズーの聖地)で群衆が「神の加護」を祈っている姿が映し出される。そして、10秒程の間隔を空けて2台のシャトルが打ち上げられる(ニアミスもいいところでかなり危険だと思うが)。しかも、いかに追加のブースター(推進器)を装備しているとはいえ、本来、地球周回用に造られたシャトルが月の向こう側まで行くためには、途中で燃料の補給が必要なため、なんと、長年、周回軌道にいるロシアの軌道ステーション(ミール?)に立ち寄って、まるで、セルフサービスのガソリンスタンドのごとき仕方で、「燃料」を補給してしまう。しかも、給油途中に事故が起こって、ロシアのステーションは大爆発! 命からがらドッキングを解いた2台のシャトルには、酔っぱらい口調のロシア人宇宙飛行士まで乗り組んでしまったではないか! 定員はどうなっているのだ! とにかむ、冷戦が終結していて良かったね。

そして、スピードを上げたシャトルは、例のスイングバイ航法を使って、月の裏側を回って小惑星に追いつく。途中、1台のシャトルは、雨霰と飛んでくる隕石に当たって敢えなく大破、もう一方(当然、主役のウイルスが搭乗している方)だけが、小惑星本体になんとか着陸できる。ここからは、ならず者石油掘削士たちの独断場である。ところが、半分ぐらい掘り進んだところでトラブルが発生してしまい、それ以上、掘り進めなくなってしまう。そこで、この映画(アルマゲドン)の『ディープインパクト』と異なる視点が発揮される。『ディープ』の方の合衆国大統領はあくまで人格者モーガン・フリーマンであるが、こちらの大統領は、より現実的というか、冷徹というか、ミッションが失敗したら、地球からの遠隔操作でシャトルに搭載した核爆弾を乗組員もろとも爆破させ、少しでも小惑星のコースを変更させようとする。作戦執行が危ぶまれる「タイムリミット」が来たら、予め待機させておいた特殊部隊をNASAの管制センターに派遣し、これを制圧。また、シャトルにも乗り込ませておいた軍人を使って、「自爆する」シャトルが小惑星から逃げ出さないようにするという念の入れようである。そ こで、核爆弾の制御装置の奪い合いのごとき活劇が行われる。当然、最終的には、主役ブルース・ウイルスの活躍で自爆装置は数秒前で停止する。

そのころ、途中で隕石に当たって大破したはずのもう1台のシャトルが、乗組員の半数(NASAの宇宙飛行士)が死亡し、ウイルスの娘の恋人を含めた掘削士たちと途中で拾ったロシア人宇宙飛行士のみがかろうじて生き残っていた。この連中で、シャトルに搭載している月面車のごとき形態の掘削機(なぜかバルカン砲まで装備している)を取り出し、これを素人が操縦しながら「義経の八艘飛び」よろしく、隕石から隕石へと飛び移って、なんと小惑星本体まで到達してしまう。ここで、唯一のプロの宇宙飛行士であるロシア人が活躍する。そして、劇的な再会を果たした2つのグループが協力して、掘削を再開し、ついに目標深度の800フィートに達するが、先程の核爆弾争奪騒ぎの影響か、セットした核爆弾のタイマーが上手く作動しなくなってしまい、誰かが残って、核爆弾の手動スイッチを入れる(当然、その本人は死ぬ)ことになる。そこで、登場するのが、またまた「くじ引き」である。欧米人は、くじ引きが好きである。というようりは、ディープインパクトの時も述べたように、人間には理解不可能な絶対的な神意を素直に受け入れる土壌があるのだ。

そして、誰が「当たりくじ(犠牲になる)」を引くのか? という、ロシアンルーレーット気分を盛り上げてから、結局、ウイルスの娘の恋人がくじを引いてしまう。そして、最後に、ひとり(核爆弾のスイッチを押す人)だけを小惑星上に残して、シャトルが出発しようとする時に、結婚に反対していたウイルスが娘の恋人を出し抜き、自分が身代わりになって核爆弾のスイッチを押す。かくして、大気圏突入数秒前に小惑星は真っ二つに分裂し、見事、地球を避けて、アルマゲドンの危機は去った。もちろん、生き残って地球へ生還した数名は「人類の危機を救った英雄」として大歓迎を受けるが、今回のミッションで起こった全てのこと(大統領の陰謀と、軍人が最後にはこれを裏切ったこと等)は伏せられたままになる。世界は歓喜に満ちあふれるが、無事、生還した者の心境は複雑である。特に、ウイルスの娘とその恋人は…。その重い気分を和らげるためか、生き残ったならず者の一人が、「これで世界の終末だと思ったから、高利貸しから借金して豪遊したのに…」と、観客を笑わせて映画は終了する。

* 神によって選ばれた国(?)

アメリカ これら2つの映画の違いといえば、最初に指摘したとおり、主演が『ディープインパクト』は、味のある性格俳優のモーガン・フリーマン。一方、『アルマゲドン』は、2.5 枚目のアクション俳優ブルース・ウイルス。当然、この配役の違いからも明白なように、CG技術の素晴らしさ(特に、地球に隕石が激突するシーンなど)などの点を除けば、同じ「小天体の地球への衝突による人類の壊滅」という状況設定ながら、描こうとしているスタンスそのものは異なっている。しかしながら、その背後には、文中でも指摘したように、「人類絶滅の危機」に瀕した時に、その運命をいかに受け入れるかという点で、明らかにユダヤ・キリスト教的な背景が共通している。しかも、その「人類絶滅の危機」を救うのは、他ならぬ、「神によって選ばれた『新しいイスラエル』ともいうべき国家アメリカである」という宣言である。制作者であるアメリカ人がそこまで意識しているかどうかは判らないが――というよりは、ほとんど意識の表層にさえ現れることにない民族の「集合的無意識」のレベルでの――アメリカ万能主義である。

さらに、2つの作品にも共通していた、「アメリカが使う核は『正義の核』である」という意識もある。現実に、人類を数回全滅させてもなお余りある数万発の核兵器を有しながら、わずか数発のインドやパキスタンの核兵器に目くじらを立て、「何をしでかすか判らないヒンズー教徒やイスラム教徒の核は危険で、神に選ばれた国であるアメリカの使う核兵器は正義である」という自己中心的傲慢がこの国の文化には巣くっている。それに対する根強い反発が、世界各地で頻発するテロや地域紛争の大きな原因であるということに気付いていない。現実に、広島と長崎に住む(反撃する余地のない)市民を数十万人単位でジェノサイド(大量虐殺)しておきながら、自分たちの保有する核兵器は、あたかも「宇宙からの侵略者(宇宙人でも、小天体そのものでもよい)に対抗するため」にでも開発され、全人類を代表してアメリカがこれを行使する権利と義務を有しているかのごとく思い込んでいるこの国の人々の神経が恐ろしい。

本欄では、引き続き折に触れ、「宗教国家アメリカ」という観点から、この国の特殊性とその背後にあるユダヤ・キリスト教文明の自己中心性について考察を続けてゆきたい。



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