アカウンタビリティって何?
 1998.12.5


「レルネット」主幹
三宅善信


▼大物歌手James Brownと接近遭遇

英国での仕事(SOAS=ロンドン大学東洋アフリカ研究学院にCSJA=日本宗教研究所を開設するのに伴う打ち合わせと、国連公認NGOであるIARF=国際自由宗教連盟の理事会に出席)を終えて帰国する途中、アムステルダムからのKLM便で、有名な黒人歌手のJames Brown と乗り合わせた。取り巻きのマネージャたちも含めて6〜7人のスタッフすべてがファーストクラスという豪勢なご一行様であったが、その中の大柄な一人(マネージャかボディーガード)が、ハーレム街の黒人少年のように大きな「ラジカセ」を抱えていたのには思わず笑ってしまった。


思いがけない「大物」の搭乗に、客室乗務員たちもそわそわで、用もないのに入れ替わり立ち替わり来たりしていた。私の席はたまたまビジネスクラスの最前列だったので、その様子をつぶさに観察できて興味深かった。また、関西空港の税関では、官吏が一応、形どおりの質問をした後、ブラウンに握手を求めていたのを目撃した。やはり「有名人は扱いが違うな」と僻んだわけではないが、アムステルダムの搭乗口の手荷物検査場から関空の税関検査場まで、一部始終を間近で見、また、機内のトイレや通路ですれ違ったときに声をかけてみたが、いかに人気商売とはいえ、プライベートな移動時間でも本当に気さくに応えてくれ、そのサービス精神に感心した。

ところで、11月19日の晩、TBSの報道番組『ニュース23』にクリントン大統領が生出演したのをご覧になられた人も多いであろう。私は「生」で視る機会は逃したが、幸い番組の一部がビデオに録画されていたので、翌日、それを視ることができた(残念ながら、大阪の主婦が「モニカ疑惑」に触れた場面は収録されていなかったが…)。翌日の同番組は、さすがは日本の商業主義とでもいうか、番組の本質(日本の市民との対話)以外にクリントン来局騒動の顛末を『大統領がやってきた』という括りで、警備等の「面倒な部分」も面白おかしく見せてくれた。主眼は、NHKならぬ「一民間放送局」に合衆国大統領が来ることの大変さを取り上げたものであった。実は、7年程前になるが、大阪の拙宅に元米国大統領のジミー・カーター氏を招いたことがあるので、現役と退役の違いこそあれ、合衆国大統領の招聘に関するいろんな「面倒」を、私も経験したことがある。


▼シークレットサービス

ご承知かと思うが、アメリカの大統領は、退任後も死ぬまでシークレットサービスが身辺の警護に付くことになっている。戦略核兵器の配置をはじめ国家安全保証上の機密事項を多く知っている元大統領が誘拐させるようなことがあってはならないという配慮からである。面白いことに、シークレットサービスは警察ではなく財務省の職員だ。そもそもは、幌馬車で全米にFederal Reserve Note(ドル紙幣)を配達していた頃に、それを護衛していた部署から出発している。それ故に「シークレット」サービスなのである。それにしても、さすがに最近は、「幌馬車を襲うインディアン=悪、それをやっつける騎兵隊=正義」という図式のジョン・ウェイン世代に代表される映画は姿を見せなくなったものだ。もっとも、今でも、アメリカ合衆国は「世界の騎兵隊」を自認している節があるが…。因みに、大統領来日に際し、先遣隊として乗り込んでくるシークレットサービスは、通常グアム島に駐在している。

迎える側から言えば、ある意味では、現職の大統領よりも前職の大統領の方が大変である。というのも、「現職」の場合、滞在中の行為は全て「公式」な行事であるので、接遇に関しては、警備を含めて、全て日本政府がお膳立てしてくれるが、「退役」の場合の面倒は全て当方で見なければならないからである。そもそも「万世一系の天皇」を戴くわが国では、「元」国家元首が何人も存在することが想定されておらず、さらに、そういう重要人物を「一民間人」が招待するということは、なおさら想定されていないために、いろいろな「面倒」が生じることになる。おまけに、当時のブッシュ政権は共和党政権(民主党カーター政権を倒したレーガン政権の継承者)であったので、日本政府が「現政権」に遠慮したのかもしれないが…。

しかし、カーター氏は、大統領職を退いた後も、ほとんどの「元」大統領がそうするように、回顧録などの執筆で「余生」を送るのではなく、現役時代にイランの米国大使館人質事件等で全うできなかった「人権外交」を推進するため、「民間」の立場から、積極的に世界各地(スーダンやハイチでの活動が有名)の紛争調停や選挙監視活動を行い、世界的に高い評価を受け始めていたにもかかわらず(日本でカーター氏の「活動」が評価されるようになったのは、1994年に北朝鮮への電撃訪問、金日成主席と直談判し、米朝対話の端緒を付けた頃からである)、当時(1991年)の日本では、マスコミ各社はもとより政府関係者ですら、湾岸戦争で圧勝したブッシュ政権が1年後の大統領選挙で、ワシントンではほとんど名の知られていなかった民主党のクリントン候補に完敗するとは誰一人として予想していなかったようだ。


▼カーター元合衆国大統領を招いて

そのカーター氏来阪(1日だけ大阪に滞在した)の顛末を記すと、まず、空港での入国である。まさか元合衆国大統領に「他の一般乗客と一緒に並んで入国審査だの税関の手荷物検査など受けてくれ」と頼む訳にもゆくまい。たとえ、ご本人がOKされても、警備上の問題もあるし、接遇上の礼を欠くということにもなる。そこで、要人が来日するときと同様、特別に駐機場まで送迎車を入れて、そのまま空港を離れてもらうことにした(「元」大統領のパスポート等は別にお預かりして、後で「手続き」をすることになる)。それが、日本の官庁の縦割り行政の壁が大きく立ちはだかることになろうとは考えてもいなかった。

そもそも、日本では、一民間人が直接、中央官庁のものを申すことは許されていない(ほとんど受け付けてくれない)。そこで、全ては大阪の合衆国総領事館へ依頼することから始まるのである。以下、書類は、合衆国大阪総領事館→合衆国駐日大使館→ワシントンの国務省→日本国駐米大使館→日本国外務省→各所轄官庁へと回るのであるが、これがまた大変である。「入国審査」は法務省、「税関検査」は大蔵省、「検疫」は厚生省、「空港施設の管理(中まで車を入れる)」は運輸省、「警備」は警察、しかも、大阪国際(伊丹)空港は大阪府と兵庫県に跨っているので、大阪府警と兵庫県警の両本部…と、かくのごとく多くの官庁にいちいち許可を取らなければならないのである。これらの官庁のうち一つでも「ノー」と言えば、それで終わりである。私がカーター元大統領を迎えるための全ての「書類(厚さ数十センチ)」を手に入れることができたのは来日前日の晩であった。こんな面倒なことをしてもらわなくても、「一市民」に過ぎない私が、海外から戻ったときに、飛行機が空港ビルに到着してから全ての「手続き」を済まして「自由の身」になるまで、10分とかからないであろう。それを「簡略 化」してもらう(「手続きをしない」のではなくて、別の人に「代行」してもらう)だけで、こんなに「無駄な」手続きが必要だとは思いもしなかった。どこかひとつの役所に依頼すれば、そこが調整してもらいたいものだ。


▼ 日本の役人は叱りつけるのが一番

ともかく、日本の官庁は「個人」といものを相手にしない傾向が強い。遅々として進捗しない作業(私が本当にしたかったのは、湾岸戦争直後の「新世界秩序」についてアメリカのリーダーはどういうふうに考えているかを直接、大阪の人々に聞かせたかっただけで、日本の官庁とくだらない手続き論争をすることではない)に痺れを切らせた私は「もう結構だ。実際に空港を通過するのに必要な時間はほとんど変わらないので、カーター氏に頼んで一般市民と同じように税関の列に並んでもうらうことにする。それでも、私はちっとも困らないんだから…。カーター氏から『非礼な国だ』と思われるのは、日本国政府なのだから」と言うと、「それは困る」と答えるのである。そこで、「私はちっとも困らない。困るのはあなた方(官庁)なのだから、困るあなた方が対処すればよい。しかも、どうやらあなた方は、個人がこういうリクエストをすること自体、あまり快く思っておられないようだから…」というと、「それも困る」と答えるこのである。「それなら、特別の便宜を計りなさい」と言ってやると、やっと、しぶしぶ「それなら便宜を計りましょう」と答えた。日本政府と交渉する外国が痺れを切ら すのも無理はない。この国の官僚に仕事をさせるのは「下手に出で頼んだのでは絶対にだめで、叱り付けるか、外圧で脅す」のが一番である。困ったことに、この方式が、アメリカや中国はじめ世界中の国々に知れ渡ってしまっていることである。

このようなバカバカしい「交渉」を外務省・法務省・大蔵省・厚生省・運輸省・大阪府警・兵庫県警等を相手に順番にしてゆくのである。もし、たとえば、法務・大蔵・運輸の各省がOKを出して厚生省だけがNOと言ったらどうなるのであろう?やはり、カーター元大統領は「通過」できないのであろうか? そういう風に、役人に聞くと、「(あなたの申請が)受諾されるときは、各省一斉に受諾されるでしょう」と答えるのである。なんという「横並びの事勿れ主義」だろうか。そうこうしているうちに、来日の日を迎えた。外務省など、なんら便宜を計ってくれない(外務省の規定では、「前大統領まで」は「それなりのサービス(便宜供与)」をするが、「元大統領」には「何もしない」そうである)くせに注文だけはする。


▼ 文化の違い

事実、その2週間後に、スリランカの「前大統領」であるジャヤワラデネ氏がわが家に来られたときには、外務省の担当者が添乗して来て、カーター元大統領の時に私が「往生した」した手続きはすべて外務省がしてくれた。しかし、「食事はどうしろ」だとか、注文が多い。これも、私の祖父と古い友人であるジャヤワラデネ氏の方から「来日に際して、大阪の三宅歳雄師に会いたい」と言われたのだから、どのような持て成しをしようとこちらの勝手だ、と答えた。こう言ってはなんだが、「前スリランカ大統領」よりも、「元アメリカ大統領」の方が、警備等の点では大変なはずだが…。

それにしても、当方の申請を受けてくれて、元大統領の来日1週間以上前から詳細に警備の打ち合わせをしたシークレットサービスの連中の観点がいろいろと面白かった。具体的な警備のポイントについては「シークレット(内緒)にしておいてくれ」と約束したので、ここでは取り上げないが、日本の役人と一番異なっていたのは、一民間人である私にも懇切丁寧に「警備」の手順や要点を解説してくれたことだ。当方の警備体制について質問されたので、「わが家でもそれなりの警備はしている」と私が告げると、「What arm do they have(どんな武器を持ってか)?」と聞き返されたのには驚いた。文化の違いというか…。それに、「大統領(英語では現職も前職も共にMr. Presidentと呼びかける)が滞在される部屋の壁の厚さはできれば10インチ(25cm)以上が望ましい」という彼らの希望に、私が「日本の家の間仕切りは、障子という紙切れ一枚でできている」と答えたら、今度は彼らがショックを受けていた。このようなちぐはぐな会話を進めながら、お互いが理解を深め合った。なによりも、当日、彼らが一番手を焼いたのは、靴を脱がなければ上がれない日本の屋敷だった。特に、出入り口が2個所以上ある時は、屋敷内を片手に靴を持ってウロウロしなければならず、傍から見ていても滑稽だった。


▼誠実そうに見せること

ここで、クリントン大統領の『ニュース23』生出演の話に戻るが、テレビ(ビデオ)を視ていて一番思ったことは、一般市民のどのような「つまらない質問」に対しても、実に誠実(そうに)応えるのが上手いということである。弁護士出身で、州知事時代から尾を引いている「ホワイトウオーター疑惑」や、昨今の「モニカ疑惑」という公衆の面前で修羅場の責め苦(裁判所での証人出廷等)を受けても、平然とこれをかわして、むしろ「ギャラリーである国民」に対して、「追求している独立検察官や野党の政治家たちの方が悪い」と思わせるだけの技量を備えているクリントン氏のことだから、初めて相見える日本の一般市民を丸め込むくらいわけのないことであろうが、それにしても上手い。あの番組を視た何千万人という日本人の大部分や司会の筑紫哲哉氏に対して、「クリントン大統領は誠実な人だ」という心証を与えるに十分な成果を挙げることができたと思う。もちろん、合衆国市民でない(大統領選挙権のない)日本人がいくらクリントン氏のことを好きになろうと、直接的には何の利益もないように見えるが、これで、少なくとも今後は「アメリカの対日要求が無茶なものではない」と思う日本人は 増えるはずである。それだけでも、一国の指導者としての得点になる。

それに引き替え、わが方の政治家たちと来たら、「ボキャ貧」首相とか、威勢だけよくて相手に誠意の伝わらない前首相だとか、「言語明瞭意味不明」といわれたキングメーカーの元首相(この人は並外れた能力はあるが)とか、トップクラスの政治家にしてこの程度なのだから、そこらに掃いて捨てるほどいる(752人もいる)国会議員など論外である。為替のディーラーでもあるまいし、一国の首相を狙おうという政治家が自分のグループの名前に「近未来研究会」などという名前を付けるぐらいだから、ほとんど終わっている。ロマンというか将来のビジョンを示すのが国家の指導者の役目で、対処療法的なことをするのが政治家の役目ではないはずだ。それもこれも全てアカウンタビリティ(説明責任)が欠けていることの現れだ。


▼「本物」を見分ける基準

私は何も、欧米型の民主主義が高級で、日本型の民主主義が低級だといっているのではない。少なくとも、民主主義体制下の政治家になろうという連中は、最低でも、有権者に対する説明能力が必要であるという意味だ。もちろん、政治家に限らず、役人でも、経営者でも、(宗教)団体の長でも、およそ組織のトップに立とうという人ならば必ず、社会(有権者・株主・会員等)に対して、彼らから質問を受けた時には、否、受けずとも、自ら進んで積極的に情報を公開し、質問に答えてゆくべきである。株主総会の特定日集中開催や開催時間の短さを競うなんて論外だ。株主総会の翌日に郵送されてくる報告書には、とても前の日に決議されたことの報告とは思えない丁寧さでふんだんにカラー写真が挿入された冊子が同封されているではないか…。おまけに「昨今のわが国経済状況の悪化に伴い、遺憾ながら今期の配当は中止させていただきます」などというふざけた一文まで添えられている。利益を上げることを目的としている株式会社で、利益を上げられなかった取締役が一人も責任を取って辞任することなしに無配で済まそうなんて、理解に苦しむのは私だけだろうか?しかも、任期切れ退任する取締役 にはキッチリと退職金が出ているではないか。


価値観の多様化した時代において、国家や民族間の対立、あるいは、政治・経済はいうまでもなく宗教教団においても、「何が正しい」かは誰も決めることはできない。ただし、社会や個人が、これらの国家や組織に対処してゆくとき、どの国家や組織がより健全に運営されているかを知るための指標としては、その規模(軍事力・経済力・信者数等)の大小でなく、その情報の公開性やアカウンタビリティの優劣でもってそれらの国家や組織の価値を測って行くことこそ今後の社会に求められ基準のひとつだと思う。