アラブ百年の信頼をフイにしてはならない
04年04月09日


レルネット主幹 三宅善信


▼2つのトラウマ

  フセイン政権崩壊から満一年を迎える4月8日、イラクで取材や人道支援活動を行おうとしていた日本人3名が、「サラヤ・ムジャヒディーン(聖戦士旅団)」(註:軍団・師団・旅団という軍制は2,500年以上にも前の古代中国(春秋戦国時代)で作られた用語を明治期に欧米の近代軍制を採用する際に「訳語」として取られた)を名乗るグループに身柄を拘束され、日本政府に対して「3日以内に自衛隊がイラクから撤退しないと、人質を焼き殺す」というショッキングな要求と3名の日本人の映像を収録したCDが、アラビア語の衛星放送アルジャッジーラのバグダッド支局に届けられた。そのことに対して、日本政府は即座に「自衛隊は撤退しない。日本政府はテロには屈しない」と表明し、小泉政権の盟友(というより、親分)のブッシュ政権より賞賛を受けた。

  そもそも、今回のイラク戦争における一連の日本政府の態度は、13年前の湾岸戦争の際の日本政府(海部政権)の対応と、それに対する国際社会の反応、なかんずくアメリカ政府の冷淡な対応が、良い意味でも悪い意味でも、トラウマとなっている。湾岸戦争の際には、増税までして、多国籍軍に150億ドル(当時のレートで約2兆円)もの巨額の資金提供をしたにもかかわらず、同盟諸国から完全に無視されことが、その後の「失われた十年」の政治的な背景(註:国際的には、日本の影響力は、残念ながら経済的な発信しかないのであるから、経済的にダメになるということは、すなわち「日本がダメになる」ということと同意語に受け取られている。それを補うために「政治的発信をしよう」躍起になったのが小泉政権である。もちろん、文化的発信も重要であるにもかかわらず)となっていることは、あらためて指摘するまでもないことである。

  したがって、小泉首相が、昨年3月、米国が国際社会の同意もなく(註:湾岸戦争の際には、イラク軍のクウェートからの武力排除という国連決議がなされた)、それゆえ「大量破壊兵器疑惑」をでっち上げしまでアメリカが始めた戦争に荷担したことの意味については、これまでにも拙作『桃太郎バグダッドへ征く』)等で何度も指摘したとおりである。

  その上、今回の人質事件が起きたら、日本赤軍が起こした1977年の「ダッカ日航機ハイジャック事件」の際に、時の総理福田赳夫氏の「人命は地球より重い」という迷文句(?)とともに、ハイジャック犯の要求に屈し、あろうことか刑務所に収監されているテロリスト(殺人犯)を「超法規的措置」と称して釈放し、おまけに600万ドル(当時のレートで約16億円)という手土産まで持たせて、人質の乗客・乗員と交換し、国際社会から大いなる失笑を買ったことも、日本政府のトラウマになっている。しかも、今回の「人質事件」の対策本部長が、その福田赳夫氏の子息である福田康夫官房長官(註:小泉首相は若い頃、福田赳夫氏の書生をしていたことも有名だ)であることも、何らかの因縁めいたものを感ぜずにはおられない。彼は、亡父の汚名を晴らすためにも、たとえ人質が皆殺しになったとしても、テロリストの要求には屈しないだろう。小泉=福田内閣の時に人質事件が起きたことを、家族たちは不運と嘆くしかないであろう。しかも、悪いタイミングで米国政府内のネオコンのボスであるチェイニー副大統領が「日米国交150周年」を記念して来日し、小泉首相を一衣帯水の関係を見せつけられては、イラク人が激怒するのも無理はなかろう。


▼日露戦争が中東に与えた影響

  さて、今回の人質事件の犯人グループの要求は――そもそも、その無辜(むこ)の一般市民を拉致するという手段が不当であるとはいえ――論理的には、一応「筋が通っている」のである。犯人曰く、「日本人のことを長年アラブの友人として尊敬してきたのに、今回、異教徒の人殺しであるアメリカと一緒になってわれわれの祖国(イラク)を蹂躙した」のである。まことにその通りである。いくら国会で、小泉首相が「自衛隊は戦争に行くのではありません。人道援助に行くんです」などと詭弁を弄しても、あの自衛隊の装備と格好を見て、そのように思う人などいないであろう。

【犯人グループからの声明全文 04年04月08日付】
 「われわれイスラム教徒であるイラク人民の息子は、おまえたち日本人への友情と尊敬と真心を示してきた。しかし、不幸にも、おまえたちはわれわれの友情と真心を拒否し、不義理をもって応え、異教徒の米軍を補給面で支援し、アメリカの兵士たちがわれわれの神聖な土地を侵し、汚すのを助けた。また、われわれの血を流し、子どもたちを殺した。だから、同じことをもって返答するのがわれわれの義務である。おまえたちとおまえたちの友情は歓迎されない。

  おまえたちは、そうした立場でわれわれに戦争を宣言した。われわれは、おまえたちの3人の子どもはわれわれの手の内にあると告げる。われわれはおまえたちに2つの選択肢を与える。おまえたちの部隊を撤収し、来たところに戻るか、われわれが彼らを生きたまま焼くかだ。おまえたちに与えられる猶予期間はこのテープが放映された日から3日間だ。」

  今年は、日露戦争(1904〜05年)開戦満百年に当たる年であるが、この戦争は日本人が考えるよりはるかに大きな影響を全世界に与えたのである。コロンブスの新大陸発見(1492年)以来400年間、ヨーロッパの白人キリスト教国によって蹂躙され続けてきたという意識を持っていたアジア・中東諸国の人々にとっては、非白人・非キリスト教国である極東のちっぽけな新興国家日本が、欧米列強との接触(註:今年は、ペリー提督の黒船来航によって結ばされた1854年の『日米和親条約』の締結150周年でもある)以来、わずか50年間にして、前近代的封建領邦国家から中央集権的近代国民国家への脱皮に成功しただけでなく、欧米列強の一角を占めていた「北の巨人」ロシアを撃破したことは、欧米列強からの植民地支配(あるいは圧迫)に苦しめられていたアジア・中東諸国民にとって、指導者と言わず庶民と言わず、欧米列強への抵抗運動を勇気づけると共に、それぞれの国家において制度疲労をきたしていた前近代的専制君主制から脱皮する大いなる原動力となった。

  数百年続いたオスマン帝国のスルタン制度を廃したケマル・パシャ(アタチュルク=トルコの父)のトルコ革命やイランでパーレビー王朝を起こしたレザー・シャーなどは皆、明治国家の近代化の成功(その地域に固有な非欧米的社会の文化伝統を保持しつつ、科学技術面では積極的に欧米化・近代化を成し遂げること=和魂洋才)に勇気づけられ、これを手本にそれぞれの国民国家の独立と近代化を果たそうとしたのである。ロシアのバルチック艦隊を殲滅した東郷平八郎元帥や、満州の玄関口である旅順でロシア軍を撃破した乃木希典陸軍大将の名を冠した通りがイスタンブールにあり、トーゴー・ストリートやノギ・ストリートとして今でも人々に親しまれている(駐:東京にも「乃木坂」という地名がある)くらいだ。

  このような「富国強兵」に成功した近代日本のプラスイメージは、残念ながら、東アジア・東南アジア地域においては、日本の皇民化政策による圧迫(註:その多くは、それぞれに地域における長年の生活習慣を「日本式」に変更させられたこと)を受け、なおかつ、その日本が太平洋戦争に敗れたために手垢にまみれてしまったが、大日本帝国の「実害」の及ばなかったアラブ中東地域においては、手つかずのまま保存された。また第二次大戦後、米英の後ろ盾によってパレスチナの地に建国されたイスラエル共和国の出現によって、半世紀にわたって戦われてきたアラブ諸国家とイスラエルとの対立も、西側先進国がことごとくイスラエルに味方したにもかかわらず、元来ユダヤ・キリスト教信仰との縁が浅く、同時に、石油資源の乏しかった日本だけが唯一、終始アラブ側に友好的であったために、日露戦争から百年を経た21世紀の今日に至るまで「煌々した日本」のイメージは、中東地域においては官民を挙げて、ある意味で「あこがれ」的なものですらあったものを、昨今の小泉政権の「アメリカ追従政策」によって、百年間かけて営々と築き上げてきたものがパーになってしまったのである。

  よしんば、たとえ、日本が今回のイラク戦争で、全面的にアメリカに追従して、それなりの「成果」を得たとしたとしても、そのことによって失った百年かけて築き上げてきた「アラブとの信頼」はどうしてくれるつもりであろうか? 仮に今回の日本政府のブッシュの戦争への介入政策が正解だったとしても、現地イラクにおいて、はたして十分な情報収集活動ならびに日本政府のプロパガンダ活動が行われていたのであろうか? 自衛隊員たちは現地住民とのトラブルを恐れてサマーワの野営地を囲い込み、奥大使への襲撃に懲りた外務省員たちはバクダッドの大使館の中にひきこもってしまったのではなかろうか? こんな時に、くだらない鈴木宗男バッシングのために、現在、公判中の佐藤優元外務省主任分析官が居てくれたら、ほとんどたちどころに今回のような事件は解決していてくれたかもしれない。小事にこだわって、大きな国益を失っていると思える。


▼イスラム教徒による米軍を結成せよ

  最後に、アルカイダはじめとするイスラム原理主義を黙らせることのできる画期的なアメリカの中東政策を提案しよう。そもそも、アラブ世界において、アルカイダの主張が民衆の共感を得ることができたのは、1991年の湾岸戦争以来、イスラム教徒の聖地であるメッカとメディナを抱えるサウジアラビアに、「異教徒」であるアメリカ兵が大量に駐留している(註:民衆を抑圧している独裁政権のサウジアラビアの王政は、イランのイスラム革命やイラクの国家社会主義革命(バース党)が自国へ波及することを恐れて、あろうことか「イスラム社会共通の敵」であるアメリカに「所領安堵」を保障してもらっている)ことであり、また米兵たちも、アメリカ国内にいる時と同じ感覚で酒を飲んだり、暑ければ女性でも肌を露出させたりして、大いに顰蹙(ひんしゅく)を買っているのである。

  中東の要、サウジアラビアに米軍を駐留させ続けながら、なおかつ、アラブ諸国民の反感を買わない方法がひとつだけある。それは、「聖地」に駐留する米兵のすべてをイスラム教徒アメリカ人で編成することである。これで、アルカイダの主張する「聖地に異教徒の軍隊が駐留している」という主張は意味をなさなくなり、日に5回米兵がそろって地面に額ずき、メッカの方角に向かって礼拝する姿をTVで放映すれば、強烈なインパクトをイスラム社会に与えることができるであろう。アメリカには、ボクシングのモハメッド・アリや、プロバスケットNBAのシャッキール・オニールなど、イスラム教徒の国民的英雄もいるし、アフリカ系アメリカ人(いわゆる黒人)を中心に、「ネイション・イスラム」のメンバーなど、少なくとも数百万人のイスラム教徒が「合衆国市民権」を有しているのであるから、イスラム教徒ばかりの師団をどんどんと編成して、これを「聖地」に駐留させればよいのである。これで、アルカイダたちの主張は瓦解するのである。

  また、大晦日にお寺に参って除夜の鐘に感傷的になり、その足で元旦の神社に初詣するように、重層的信仰(シンクレシズム)に対して寛容な日本人の場合には、イラクに駐留する自衛隊員をその期間中だけ、「俄イスラム教徒」に改宗してもらって、金曜日ごとに交代でサマーワのモスクで礼拝に参拝させればよいのである。もちろん、創価学会員など、一般的な日本人とは異なった他宗教に不寛容な信仰を持つ自衛隊員は、その信仰を尊重して今回のイラク派遣部隊から除けばよいのである。イラク駐留中は、「敬虔なイスラム教徒」になり、無事、帰国すれば、その髭と共にサッパリ剃り落として、元の仏教徒(もしくは無信仰)に戻ればよいのである。また、不幸にして、現地で殉職すれば、それこそ靖国神社で祀ってもらえばよいのである。これで、中東地域での日本人のイメージはさらに上昇するであろう。これくらい物事に柔軟に対応しなければ、失われた日本の信頼を取り戻すのはなかなか困難であろう。今回の人質事件を解決するという近視眼的な対処療法だけでなく、日本人は百年かけて築き上げてきたアラブ人の信頼と尊敬をいかに維持していくことができるかにも、もっと腐心していただきたいものである。

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