レルネット主幹 三宅善信
▼葛城の一言主とは何者?
久しぶりの『主幹の主観』上梓である。愛読者の皆さんの中には、長らく新作が更新されなかったので、ご心配いただいた向きもあるが、その間、海外出張だけでなくレルネットサイト上でも発表したとおり、CSデジタル放送の「SKY
PerfecTV (通称:スカパー!)」の216チャンネルで、三宅善信プレゼンツの新番組『X
table Yの椅子』の制作に追われていたということもあって、『主観の主観』ファンの皆様にはご迷惑をお掛けしたことをまずもってお詫びする。
さて、今回のお話は、はるか古の奈良時代に遡る。記・紀には、数々の神々が登場するが、その多くは「神代記」と呼ばれる古事記「上ツ巻」に集中しているが、中には、既に世の中が神々の時代から「人皇」の時代に入ってしまったにもかかわらず、「遅れて登場してきた神々」も何人かいる。その一人として、今回、人皇第21代の雄略天皇(5世紀中頃)の項に登場する「一言主神(ひとことぬし)」という奇妙な名前の神について触れたい。一言主神と葛城氏との関係については、既に1999年に萬遜樹氏が上梓された『「国つ神」葛城の神の没落』で詳しく考察されているので、より専門的なことについて関心のある方は、そちらを読んでいただけたら良いのであるが、とにかくこの神は変わっている。
712年に編纂されたとされる古事記(註:古事記と日本書紀のどちらが先に編纂されたかは諸説があるが、ここでは一般的な「古事記先行説」に基づいて考察を試みる)においては、雄略天皇が、当時の政治の中心地であった河内国と大和国の境にある葛城山中で狩を行った時、自分たちとそっくりの一行に出くわす。ちょうど、『水戸黄門』のドラマで光圀主従が、偽の黄門様一行に出くわすのと同じパターンである。
この時、驚いた天皇がその一行の素性を問うと、その人物は「吾(われ)は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と述べる。これだけでは何のことか、サッパリ解らないのであるが、古事記においては、その一言を聞いた天皇は恐れ入って、自らの着ていた召物や持ち物をすべてその神に献上して、これを拝礼したことになっている。実に奇妙な話である。おそらく当時は、よほど一言主神の威力(註:この神を信奉する豪族)が強かったのだと思われる。
▼零落していった神
ところが、『古事記』から18年後の720年に編纂されたことになっている『日本書紀』においては、同様のエピソードが紹介されている(註:葛城山中で、雄略天皇と一言主神が出遭うという話は、当時は誰でもが知っている有名なプロットだった)が、少し内容が変わっている。葛城山中で、雄略天皇と一言主神が邂逅するまでは同じなのであるが、その後、天皇と一言主神は「2人連れ合って狩を楽しむ(対等な関係)」ということになっている。この18年の間に、ストーリーを変更しなければならなかった何が起こったのであろうか?
さらに、平安時代初期の797年に編纂された『続日本紀』によると、このエピソードは「一言主神が天皇と獲物を争った(不敬)ため、天皇の怒りに触れ、土佐に流されてしまう」と書かれているのである。わずか八十数年の間に一言主神の立場が劇的なまでに落ちぶれてしまっているのである。
このことは、一言主神をトーテムとして祀っていた賀茂族の古代律令国家における地位の相対的低下と、それに反比例するように勢力を伸ばしていった藤原氏との関係(註:『日本書紀』の本当の発注者は、藤原不比等だと言われている)に対比されると言われている。さらに、822年に編纂された『日本霊異記』よると、なんとこの一言主神は、天皇と競うどころか、「修験道の開祖」ということになっている役行者(えんのぎょうじゃ=役小角)にこき使われる人足となり下がり、しかも、そのことに不満を持った一言主は「役行者が天皇を陥れようとしている」と「畏(おおそ)れながら」と朝廷に訴え出、そのことによって、役行者は伊豆に流されてしまうのである。
ところが、実はこの役行者も賀茂一族の出身と言われており、これらの話はすべて、「吾は悪事も一言 善事も一言 言い離つ神 葛城の一言主の大神なり」と颯爽と古代律令国家の表舞台に登場し、すべての事象を「一言(ワンフレーズ)」で断罪することができた一言主神という、いわば「流行(はや)り神」が、人々の絶賛を受けて登場したのであるが、この流行り神もいつの日か新鮮味を失い、人々から忘れ去られ、その賞味期限が切れて零落していったというお話である。
▼現代の「一言主」小泉首相
さて、ここで話は21世紀の現代日本に移る。21世紀最初の年である2001年春に、この国の政界では大きな異変が起きていた。あろうことか議員内閣制を採る日本において、その権力の源泉である(与党の)「自民党をぶっ潰す!」と言って、国民から絶賛を受けて自民党の総裁となり、その結果(註:第一党の党首が内閣総理大臣に指名されるのが「憲政の常道」というものである)、宰相の地位にまで登りつめた男がいる。言うまでもない、小泉純一郎その人である。小泉政権の最初の一年半くらいは、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」とでも言うか、大げさな言い方をすれば、弥生時代以来、連綿と続いてきた日本の伝統的政治手法である談合政治(参照:『談合3兄弟:憲法十七条の謎』)の「伝統の破壊者」を宣言した小泉氏は、これらのすべてを「守旧派」という3文字に封印して、このレッテルを貼られた政治家は、あたかも額に「悪霊封じの御札」を貼られた彊屍(キョンシー)の如く、その力をスポイル(去勢)されていった。
その男は、以前アメリカの政治について触れたことがあるように、すべて物事を単純化して、あたかもクイズ番組のように「イエスかノーでお答えください」といった、テレビ的手法を日本の政治風土の世界に持ち込み、これまでの玄人好みの含蓄のある言葉を述べていた政治家を次々と与党から抹殺していったのが、小泉純一郎首相である。しかし、このテレビという「国民総白痴化」ツールの浸透によって、物事を単純化する思考方法(というよりも「思考停止」状態)に馴らされてしまった日本の民衆は、小泉政治のポピリズム的手法(ワンフレーズ政治)を絶賛した。
しかし、このファッショ政治家の鍍金(めっき)が剥げるのには、それほど時間を要さなかった。小泉氏と同じく典型的なワンフレーズ政治家である田中真紀子氏との喧嘩は、最初から予想されたことであったが、それ以外にも、高い国民的人気を背景として、「百官の長」としての説明責任を放棄し、国会や与党の言うことを無視し続けた独裁者的手法の内容のなさが、近年次々と暴露され、最終的には、あの「年金法改正案審議」の時に、思わず小泉氏の口をついて出た「人生いろいろ。会社もいろいろ」発言によって、自らの足許を掬(すく)われる形で、この参議院選挙で大敗北に喫したのである。小泉氏本人が言うように、いくら「与党で過半数を維持している」といっても、公明党の協力なしには実際何もすることができなく、死に体になったも同然の小泉内閣であり、その頼みの綱である公明党も「わが身可愛さ」から、ある日、突然この「現代の一言主神」を切り捨て、自らの持つキャスティングボートを有効に利用するため、いつ反対勢力につかないと誰が言えるのであろうか? 彼らの「御本尊」である日蓮聖人の「十界曼荼羅」には、元もと「一言主神」なんて神(註:中央に「南無妙法蓮華経」と大書きされた髭曼荼羅の周りには、天照大神や八幡大菩薩といった日本の神々の名前も記されている)は乗っていないんだから…。
言霊(ことだま)が大いなる霊力を持つわが国において、その威力を存分に活かして権力の座に就いたにも関らず、自らの驕りからか、その言霊の力によって、その権力の座から零落しようとしている小泉首相の姿を見る時、私は『古事記』→『日本書紀』→『続日本紀』→『日本霊異記』と、それぞれの書物の中で、見事なまでにその立場が零落していった神、一言主のことを思わずにいられない。