なぜ日本は常任理事国になれないのか
 
 05年09月13日



レルネット主幹 三宅善信

▼国際連合ではなく連合国

9月13日、私はニューヨークの国連本部にほど近い聖バーソロミュー教会のサンクチュアリー(聖壇)にいた。国連創設60周年記念総会が開会するこの日に、世界の諸宗教の代表が、国連の創設を祝し、世界の平和と諸民族の和解を願って、コフィー・アナン事務総長やイアン・エリアソン総会議長らと共に祈りを捧げるためである。アメリカでは9月が新年度の始まりなので、国連も毎年9月の第二火曜日から新しい会期が始まる。特に今年は「創設60周年」という節目の年のため、約170カ国以上から、大統領や首相といった首脳がこのニューヨークに訪れるので、辺りは大変な警備である。日本においては、小泉総理が仕掛けた郵政解散と「9.11」総選挙の騒動の中で、忘れ去られ感があったが、国連創設60周年にあたる今年は、春から夏にかけて、国連の機構改革、なかんずく最も重要な機関である安全保障理事会の改革が大きなテーマになっていたと報じられていたはずである。


国連創設60周年記念礼拝に参列した三宅代表

(言うまでもなく、国連は、日独伊などの枢軸国(Axis)が、米英支(註:当時の支那(China)は中華民国など)ソの連合国(United Nations)と戦った第二次世界大戦の結果、戦勝国となった連合国によって創設された機関である。日本語に「国際連合」と婉曲に(価値中立的に)訳されているが、国連の英語の名称である「United Nations」は、第二次大戦中の「連合国」と全く同じ言葉である。したがって、中国(中華人民共和国でも台湾でも)では、今でも国連のことを「連合国」という風に呼んでいる。つまり、日本では、一般に「国連は、世界の190余の国々が、それぞれ平等な主権国家として加盟している」と勘違いされて(あるいは、意図的に隠されて)いるが、その理解は国際社会の常識ではない。国連とは、あくまで第二次世界大戦の戦勝国体制に皆が後から相乗りしたという形を取っているのである。

もちろん、再び日本が世界を相手に戦争しようなどということは、日本自身(政府や国民)も考えていない(註:その意志は、1947年5月3日に施行された日本国憲法の前文と第9条に記載されている)し、多くの国々も考えていない。しかし、だからといって、1951年に52カ国が参集してサンフランシスコで『対日講和条約(Treaty of Peace with Japan)』が締結され、日本の主権が回復された(註:国際的には、この時点が「終戦」である)にもかかわらず、その後、一貫して日本の指導者たちは、国連に於ける「旧敵国条項(註:第二次世界大戦の戦勝国は、敗戦国である日本やドイツが国連憲章に違反したとみなされた場合は、何時いかなる場合においても、これに軍事制裁を科して構わない。そして、敗戦国である日独はそのことを無条件で受け容れなければならないという決まり事)」を削除することや、あるいはどう考えても不平等体制(拒否権や核兵器の保有許可)である安保理の常任理事国の組み替えを本気で要求(註:もちろん、形の上では、主張してきたけれど)してきたことはなかったことは、日本の歴代政権の怠慢である。

何故なら、日本が国際的なお付き合いとして国連に参加しているのなら、それもまた致し方ないことであるが、日本は長年にわたってアメリカに次いで――「次いで」とは言っても、ほぼアメリカと同額の――二番目の分担金(現在は19.5%)を国連に拠出し続けてきたのである。米国を除く常任理事国である英・仏・中・露の合計よりもはるかに大きな額を日本はたった一国で国連に分担し続けたにもかかわらず、いまだに常任理事国になれていないのである(註:中国2.1%、ロシア1.1%にガタガタ言われる筋合いはないはず)。それなら、分担金を減らせば良い(註:常任理事国入りするには、多くの国々の理解が必要であるが、分担金の減額は日本の決断ひとつで可能)のに、それすらもできなかったのは、日本政府の責任である。もっと言えば、全体の19.5%といっても、たかが400億円(2005年ベース)のことであるから、逆に国連の運営費を全額日本が拠出したとしても2,000億円程度なので、十数年間にわたって全額日本が出し続ければ(もちろん、本部も日本へ移転)、国連は「日本マネーに『麻薬漬け』の依存状態」になって、日本抜きでは何もできなくなって、日本の「言いなり」になるという政策もあったはずである。

  今年は「国連創設60周年」ということで、国連改革の気運が高まり、また、60年前に国連が創設された当時は、世界には独立国が50カ国ほどしかなかったが、その後、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど多くの旧植民地が独立国となったことで、その総数は約4倍にまで増えたのに、依然として常任理事国が当初のままの欧米を中心とした5カ国だけでは、「世界の実際の声を反映できない」という国際世論もあり、「アフリカやイスラム諸国等からも常任理事国を出すべきである」という動きが澎湃(ほうはい)として興ってきたのである。


▼はじめから間違っていたG4戦略

ここで日本は、「常識的に考えられる」常任理事国へ新たに加入すべき国として、日本・ドイツ・インド・ブラジルの4カ国+アフリカ代表のどこかという形で戦略を練って、他の参加国と協調し、「G4」という連合を形成し、近年常任理事国入りを狙ってきたのである。しかし、その結果は無惨なものであった(註:このG4案の共同提案国として、アジアが賛成を表明してくれたのは、長年にわたってあれだけ日本が経済的に支援をし続けてきて、間違いなく「日本の票田」だと思われてきたASEAN諸国からは1カ国すらなかったのである。これらは皆、「新たな経済大国」中国への気兼ねからである。実際、共同提案国となってくれたのは、国際政治になんの影響もないと考えられるブータンとモルジブの2カ国だけである。しかも、この2カ国が賛成してくれたのは、日本のおかげというよりは、「地域の大国」インドへの気がねのおかげである)

おそらく「9.11総選挙」で圧勝した小泉首相は、息巻いてニューヨークに来るであろうが、テレビで報道される国連総会場を見まわしたら判るように、小泉首相の演説を聞く人などはほとんど居ないのが現状である。しかし、国際社会での評価云々には関心なんかなく、日本国内向けにええ格好しいしか興味のない小泉氏は、英語で演説を行う(註:学生時代ロンドンに2年間留学していたことになっている小泉氏の英語力が拙いことはネイティブの人には明らかであるが、一般の日本人は「英語を話せる首相」というだけで彼のことを尊敬してしまうだろうから、おそらくそういうパフォーマンスをする)であろう。小泉氏は、その演説の中で、「旧敵国条項を国連憲章から削除する」ことを要求し、「国際社会の大儀として、わが国は改革された安保理で常任理事国として、より大きな役割を果たす用意がある」と主張するであろう。お笑いである。


旧知の国連幹部と昼食を共にしながら
情報交換する三宅代表

何故なら、この時点で既にG4の構想は頓挫し、完全に空中分解しているからである。安保理の構成を変えるということは、国連総会で全加盟国192カ国の内の3分の2以上の賛同を得なければならない(註:3分の2以上の賛成がないと構造変更ができないというシステムは、「硬性憲法」と呼ばれる日本国憲法同様、事実上、改変を拒否しているシステムとみることができる)。つまり128カ国の賛成を得なければならないのであるが、これには、アフリカだけで50カ国以上あるわけだから、少なくとも全アフリカの賛成を得なければお話にならないのであるが、AU(アフリカ連合:52カ国)の「アフリカから2カ国常任理事国に入れる」という案(註:中国はAUにも裏で手を引いていると考えられる)と、G4の案の調整が失敗しているからである。つまり、ひとことで言えば「新たに6カ国常任理事国に加える」というのがAUとG4の折衷案になるはずであるが、それでは、現常任理事国の5カ国が少数派になってしまうのである。

そもそもG4という日本の戦略は初めから大いに間違っていた。すなわち、もし、日本1カ国だけが「常任理事国になりたい」と名乗りを上げていれば、G4案よりもはるかに多くの賛成を得ることができたであろうに、1+1+1+1=4になると思って、独印伯の三カ国と共同歩調を取ったのが大いなる間違いであった。以下に、その理由を解説しよう。


▼敵ばかり増やしたG4

まずドイツ。第二次世界大戦の戦勝国であった英仏は、当初から常任理事国であったのでしようがないが、EU内における4大国、つまり独仏英伊は、ほぼ同等の力関係(例えば、EU閣僚理事会の議決権が同等)で見られているにもかかわらず、――軍事的には、常任理事国である英仏は核兵器の保有が許されているが、実際に核兵器を使うような全面戦争は非現実的なので――残る独伊の内、もしドイツだけが常任理事国に昇格した場合、イタリアだけが置いてきぼりになるので、イタリアが反対するのは目に見えている。

次にインドについて言えば、インドは世界最大の人口を誇る民主主義国(註:中国が非民主的な独裁国家であることは言うまでもない)であり、これからの経済発展(IT分野)、あるいは、世界に冠たる文化の独自性ということを考えれば、インドはG4の中で最も常任理事国になる資格がある国と言えよう。しかも、既に核兵器まで保有している。しかし、インドが常任理事国になるということは、隣国パキスタンや周辺のイスラム諸国(註:10億の人口を抱えるインドにおいてイスラム教徒は「少数派」であるが、それでも、インド国内のイスラム教徒人口は、インドネシア、パキスタンに次いで三番目に大きいことは案外知られていない。しかも、インド人とパキスタン人ならびにバングラデッシュ人は、宗教が違うだけで、ほぼ同じ民族と言ってもよい)がこれを容認する道理がない。

さらには、ブラジルである。確かにブラジルもラテンアメリカ最大の人口(1億8000万人)と豊富な天然資源を抱えた国(GDPはなんと世界第9位の経済大国)であるが、いかんせん中南米地域において、唯一ブラジルだけがポルトガル語を話す国であり、他の中南米諸国がすべてスペイン語を国語としていることから考えても、ブラジルがラテンアメリカの代表であるということに反対する国は多いであろう。特に、1億の人口と第12位のGDPを誇るメキシコは「自分が常任理事国になりたい」と思っているから、必ず反対するであろう。

もちろん、日本にしても、どんなにご機嫌を取ったとしても、中国(1971年国連加盟)や韓国(1991年国連加盟)が反対するのは明らかであるから、この日独印伯4者の組み合わせは、1+1+1+1=4どころか敵ばかり増やしてしまうだけである。もちろん、老獪なフランスなどは、日本が決して常任理事国になれないのを見越して、「フランスは日本の常任理事国入りを支持する」といったリップサービスを行うであろう。しかし、これはあらかじめ中国などの反対により潰れることを計算に入れてのことである。P5(現常任理事国)はいずれも、自分たちの特権的地位が薄まる常任理事国の拡大に、本音では反対なのである。

これまで多額のODAを与えてきたASEAN諸国も、日本人の感覚からすると、「日本の常任理事国入りに賛成する」と思うであろうが、これも甘い考えである。東南アジア各国における華僑(特に客家人)の占める社会的地位の大きさは、われわれの想像を絶するものがある。しかも、中国と地続きの東南アジア各国には、中国に対する潜在的な恐怖がある。そのため、結果的には中国に気を遣って「G4案には反対」ということになるであろう。だから、G4という戦略を取ったことがそもそもの間違いだったのである。


▼小泉政権を選び続ける愚かさ

  日本は長年、常任理事国入りを目指して、先ほど触れた国連の大きすぎる分担金(以前は20%台)を支払ってきたこと以外に、1991年の湾岸戦争の際に、増税までして140億ドルという戦費を調達したにもかかわらず、「日本は金だけ払って血を流そうとしない」と、国際社会から批判されたことを皮切りに、1945年以来、一貫して遵守してきた政策を一大転換して、PKO(平和維持活動)という形にしろ、「軍事集団」である自衛隊を海外に派遣することを受け容れた。さらにその後は、「9.11」の報復として開戦された2001年秋のアフガニスタン戦争時のインド湾での補給(註:とっくの昔にタリバン政権なんか崩壊してしまったにもかかわらず、相次ぐ「テロ特措法」の延長によって、今でもインド洋上で、自衛隊の燃料補給艦が原油高によって高騰した燃料を米軍等へタダで供給して続けているのである。これじゃ、まるで「ヒモ」へ貢ぐ女である)や、今回のイラク戦争(註:サマーワは決して「非戦闘地域」とは言えない)でのイラクへの駐留と、着実に「軍事的にも国際社会に貢献する」という、いわば踏み絵を踏んできたのである。この勢いで行けば、「一線を超える」のも時間の問題である。

さらには、ODA(政府開発援助)の美名のもとに、日本を支持する国を増やすために、国内に770兆円という天文学的財政赤字があるにもかかわらず、国民の血税を大量に溝(どぶ)に捨てて来たのである。その結論が、今回の国連常任理事国入りだったのであるが、そのことが大きく頓挫したことの責任を小泉内閣は一向に責任を取ろうとしないばかりか、話題にも乗せないようにしているのである。本来、権力に対するチェック機能を果たすべきメディアも、小泉劇場の馬鹿騒ぎに悪乗りしているのである。このような愚かな政策しか執れない内閣を、圧倒的に国民が支持したというのであるから、国民の外交センスがないのも甚だしい。中国や韓国や北朝鮮がせせら笑っている姿が目に浮かぶ。

しかも、外務省ときたら、今回の失敗を棚に上げて(誰も責任を取らずに)、早くも「60周年の時は駄目だったが、次は2015年の70周年、いや2020年の75周年までには常任理事国になれたら良い」などと戯けたことを言っているのである。全くの一個人である私でも、国連創設60周年記念総会開会の祈りで、世界を代表する15の諸宗教の代表のひとりとして公式に招かれ装束を着けて式典のトリを務めたのである。国際社会においてはやり方次第でいくらでも世界の中でプレゼンスを示す方法はあるのである。にもかかわらず、無能な政治家と厚顔無恥な官僚、そしてその怠慢に気が付かないマスコミや国民がその政権を選び続けているというのが今日の日本の悲劇である。


礼拝終了後、エチオピア正教会の
大主教と歓談する三宅代表


▼日本は戦勝国の奴隷である

  そもそも、現在の国連のシステムでは、日本が常任理事国になれる道理が初めからないのである。何故なら、中国が自国内のチベットや新疆ウイグル、あるいは内蒙古地域等における自国民(少数民族)の人権を蹂躙(伝統文化の抹殺も含む)したり、台湾に対する武力侵攻を正々堂々と表明することの論理の中に、かつての中国大陸における抗日戦争で、常に自分たち(共産軍)が主体であった(「日本帝国主義からの解放者は自分たちである」という意)ということが、彼ら中国共産党および人民解放軍のあらゆる蛮行を正当化する根拠になっているからである。(註:同様の例が北朝鮮にも見られる。国連の人権委員会などで「日本人拉致」問題を取り上げられたときには、北朝鮮は必ず「日本が戦前に朝鮮半島で行った行為と比べたら万分の一もない」と、自己の蛮行の正当化に用いている)彼らがいかに自国民を抑圧しようと、あるいはベトナムなどの周辺国に戦争を仕掛けようと、それらはすべて、彼らの武力行使を正当化させる「日本帝国主義に対する抵抗手段(の延長行為)である」と言わなければならないのである。

その正当化のために、日本が(「正義の根拠」たる)常任理事国になってもらっては困るのである。「日本人は、あくまで罪人として未来永劫、国際社会から罰を受け続けなければならない。そうしなければ、自国の統治が成り立たない」と思っている国が、中国、韓国、北朝鮮をはじめ、いくつか国際社会に存在しているのである。その認識は、日本がいくらODAを増額したところで変わるものではない。一般に日本人は、ODAを経済大国たる日本が、その国民の善意によって発展途上国の人々に対して「恵んであげている」と思っているが、国際社会における日本のODAは、支払わなければならない「賠償金の形を変えたもの」というふうに理解されているということを知るべきである。

東シナ海(註:韓国や北朝鮮は、公海につけられた「東シナ海」という名称を認めながら「日本海」という名称を認めないのも同じ理由である)におけるガス田開発問題を例にとっても一目瞭然である。日本の常任理事国入りは、国連創設100周年まで待ってもできないであろう。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、北方領土問題でいみじくも言ったように、「クリル諸島(日本名:千島列島)の領有権問題について、日本が『日本固有の領土である』と主張している歯舞(群島)・色丹島・国後島・択捉島の、いわゆる『北方4島』はロシアに帰属している。ロシアは、第二次世界大戦の結果として確定した国境を変えるつもりはないし、第二次世界大戦の結果を尊重する」と言っているのではないか。手続きの合法性に関係なく、戦争の結果として決まったお互いの国境線を変更するには、領土交渉なんか何十年しても無駄である。もう一度戦争をし、勝ち組になるしかないのである。そのことを日本国民も、マスコミも、そして政治家も肝に銘じるべきである。

「不磨の大典」としての平和憲法を金科玉条のように戴き、戦争放棄を謳うということは、「日本人は身を粉にして働けるだけ働き、金を稼いで、それを国際社会に貢ぎ続ける戦勝国の奴隷という立場に、未来永劫甘んじます」という意思表示を自らしているのと同じである。何故なら、不正義の戦争をしかけた日本が無条件降伏したのであるから、日本人はたとえ足を踏まれようが、顔に唾を吐きかけられようが、これに文句を言ってはいけないのである。もちろん、日本にだって「嫌だ!」という権利はあるが、もし本気で「嫌だ」と言うならば、自ら憲法を改正し(特に、忌まわしいあの「前文」を削除し)ごく普通の国にはある交戦権を回復することによって――もちろん私は、日本に「自ら戦争を仕掛けよ」と言っているのではないが――「戦勝国の奴隷ではない」という意志を世界に表明し、そして、次に世界戦争があった時には、必ず勝ち組になる。これ以外に、1945年に確立された現在の国際連合体制(常任理事国システム)を変更する方法がないということを、日本国民はよくよく肝に銘ずる必要がある。

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