レルネット主幹 三宅善信
▼現代版『金色夜叉』
6,400人の犠牲者を出した阪神淡路大震災からちょうど11年目の1月17日、日本国民の目は、ここ3カ月程、社会を激震させた「耐震ビル強度偽装事件」の“主犯”格ヒューザーの小嶋進社長の国会証人喚問に注がれていた。それは、昨年9月の衆議院総選挙の大敗によって、ほとんど“死んでいた”民主党がやっと掴んだ反攻のチャンスであった。向かうところ敵なしに見えた小泉政権の与党政治家と小嶋氏との不適切な関係が問題視されていたにもかかわらず、小泉“劇場”政権は、不謹慎にも、この大震災の追悼の日――それ故、国民の関心が耐震構造に向く日――を自らの政治ショーの場としようとしていたのである。
ところが、その前の晩、さらなる激震が東京の中心部を襲い、一夜にして日本の株式市場のみならず、世界の証券市場まで揺るがす大事件が明るみに出たのである。言うまでもない、ライブドアによる「証券取引法違反」事件である。この日、“勝ち組”の象徴である六本木ヒルズは、二度目の血塗られた“バベルの塔”と化した。一度目は言うまでもなく、2004年3月に起きた「回転ドア」の男児死亡事故であり、文字通り、その入口に“死の扉(Death
Door)”を持つ摩天楼の上層階で、“活力門(Live Door)”と名付けられた企業の崩壊が始まった。
一高(現東大)での学問の道から、一転して、金儲けの虜『金色夜叉』となった“現代の間貫一”ことホリエモンが言ったかどうかはしらないけれど、1月17日の晩は、まさに「今月今夜のこの月を…」の心境であったことであろう。もちろん、昨年夏の“郵政総選挙”で、そのホリエモンを担ぎ出した自民党執行部の面々が、責任を免れると思っていたら、大間違いである。
しかし、もっと酷いのは、日本経団連である。堀江貴文容疑者逮捕の一方を受けて、奥田碩会長は「(ライブドアを加盟させるのは)少し早すぎたかな…」と宣った。何を言っているだろうか?
百年経っても、ダメなものはダメであるし、一年しか経っていなくても良いものは良いということも解っていないのか…。こんな人物が、日本を代表する企業トヨタ自動車のトップかと思うと背筋が寒くなる。しかも、「(ライブドアの加盟を認めた)11月の理事会は、全会一致だった」そうである。このことは、日本を代表するような大企業の経営者が、揃いも揃って“思考停止状態”であったということの査証である。日本株が暴落したのは、何もライブドアの事件そのものだけの影響なんかではない。世界の市場が、このような日本を見捨てたのである。
▼「一夫多妻男」事件は国民の目を欺くための…
このように、既に国内政治の関心は、完全に“ポスト小泉”へと走り出しているにもかかわらず、否、それ故、政権の求心力を最後までキープして、よしんば“キングメーカー”としての影響力を残したい小泉総理は、「国民の生命と財産を保全する」という国民国家にとって最も重要な使命の放棄に直結するこの「耐震ビル強度偽装事件」と「ライブドア事件」という、それだけで政権が交代しても仕方ないような大事件に対しても、これに真摯に対応する様子を見せようとしない。
それどころか、いつもの“マスコミ操作”によって、覗き趣味の貪欲な愚民の関心を惹起する新たな事件をでっち上げたのである。その“事件”とは、ここ数日、ワイドショーを一色に染めた渋谷何某なる自称“占い師”による「一夫多妻」事件である。読者の皆様は、不思議に感じなかったか?
何故、こんな時期に、こんな事件がニュースになったかと…。「耐震ビル強度偽装事件」も「証券取引法違反事件」も、国民の生命・財産に直接かかわる重大事件であるが、「一夫多妻事件」なんて、誰にも実害が及んでいないではないか?
おそらく、この渋谷何某なる人物の奇妙な家庭生活については、ご近所はもとより、警察もとっくの昔に把握していただろうし、逃亡の恐れもなければカルト集団に見られるようなヒステリックな集団自殺等の危険もなかったであろう。
彼女らがいったい、誰に迷惑をかけたというのか? 成人した女性が自らの意思で渋谷何某の“側室”になったのである。一部の親御さんの中には、「娘を取られた」と言っている向きがあるやに聞くが、私なら「そんな非常識な娘に育てたあなたが悪い」と答える。しかも、「重婚」なら、法律違反で裁かれるべきであるが、ご丁寧にも、この渋谷何某という人物は、十名を超す“側室”たちのそれぞれと、順次「入籍(結婚)」と「離婚」を繰り返しただけであって、そのことは“違法”ではない。法治国家においては、“違法”でない行為はすべて“合法”である。もちろん、倫理・道徳上の善悪を言っているのではない。
直接の逮捕容疑は、誘ったのに、彼らの奇妙な同居生活に加わろうとしなかった女性に対する別れ際の「ミンチになる」という脅迫的な台詞だそうである。お笑いである。男女の仲がもつれて別れる時には、たいてい捨て台詞を言い合うものである。そんな言葉、信じて気にするほうがバカである。「女にもてる呪文」や「(人間が)ミンチになる」なんて荒唐無稽で、論じる気にすらならない。もし、この男の台詞が罪に問われるというのなら(もちろん、まだ報道されていない裏側で、実際の暴力行為などが行われていたとしたら、話はまったく別であるが…)、尾崎紅葉の『金色夜叉』に登場する間貫一の熱海でのお宮への台詞は全部犯罪になってしまう。しかも、今なら差別用語満載で放送すらできないだろう。
▼見て見ぬふりが図に乗らせた
それよりも、問題なのは、渋谷何某が暮らしていた東京都東大和市の市役所の戸籍課の職員をこそ避難すべきである。数年前、東京都昭島市の住人で、生まれた自分の息子に「悪魔」という名前を付けて出生届を行った親に対して、「公序良俗に反する」とその受理を断った昭島市の戸籍課の職員がいたけれど、今回の渋谷何某も、わずかの期間中に十回以上も結婚・離婚を繰り返し、しかも、離婚したその日に別の女性と入籍、さらにわずか数十日後にまた離婚し、またその日のうちに別の女性と入籍するなんて、どう考えても、“異常”である。こんなこと、市役所の職員が少し「意見」をしていれば防げたであろうに、婚姻届や離婚届を提出に行った際に、誰一人として何も意見しなかったから、渋谷何某らも「図に乗って」ドンドンとエスカレートしたのだと思う。
ライブドアが1年間に10分割X100分割X10分割の「株式1万分割」した時も、たしかに「合法」ではあるが、どう考えても「異常」であり、「公序良俗に反する」。そのことを証券取引所や証券取引等監視委員会が、一度でも彼らに指摘していたら、もう「この手は使えない」とライブドアの若い経営者たちも思っていただろう。最初は、恐る恐るやってみたはずである。ところが、誰も、見て見ぬふりをしたから、「次はここまでやってみよう」というふうにドンドンとエスカレートしていったのであろう。ホリエモンと一夫多妻男とは、その意味で共通性があるのである。
もちろん、図に乗っているという点では、小泉政権も同じことである。いくら傍若無人なことをやっても、誰も批判しない(身を張って批判した亀井静香らを放逐してしまった)からといって、ドンドンとエスカレートして行く。そして、最後に、急降下で墜落するのである。まさに『裸の王様』である。しかし、それが一民間企業の経営者なら私も見逃すかもしれないが、人口1億2,600万人、世界第二のGDPを誇るこの日本という大国の指導者がそういうことであっては困る。だから、この5年間、大いに警鐘を鳴らしてきたのである。
▼「一夫多妻男」事件は、皇室典範改正の布石
この時期、人畜無害の渋谷何某を“事件”にして、「逮捕」して見せたのも、「耐震ビル強度偽装事件」や「ライブドア事件」さらには、BSE問題でこじれていたのを、科学的見知とは全く別に米国への気兼ねからか、国民の生命の安全を軽視してアメリカ政府の意向に添って、米国産牛肉を輸入再開したにもかかわらず、直ぐに見つかった特定危険部位混入事件等々、政府による国民の目を他所に向けさせるための話題のすり替え工作であると私は考える。
しかも、皇室典範改正問題で、男系男子天皇論者の最後の手段である「側室」という論法を封じるために、今回の「一夫多妻男」をスケープゴートにしたのである。もし、欧米かぶれの日本の“進歩的”文化人たちが、側室を認めたがらない(註:アラブの王族なんか堂々と側室を連れて訪米や訪欧をしているが、それらに対して、欧米諸国が批判めいたことを言っているのを私は聞いたことがない)のであれば、要は簡単である。「妃が嫡男を挙げるまで、離婚再婚を繰り返せば良い」のである。
日本国が“世襲制”による万世一系の天皇を頂く限り、皇族にとって、その最大の任務は、皇室外交なんぞといった次元の低い行為ではなく、「社稷(しゃしょく)を安じる」(註:古代の中国において、天子がその先祖の祭祀を絶やさないようにしたこと。すなわち、その先祖を祀ってくれる子孫を絶やさないという意味)ことの一点に絞られる。わずか、15代しか続かなかった徳川幕府でも、前征夷大将軍の正室の嫡男で将軍家継いだのは、三代将軍家光ひとりである。あとの13代の征夷大将軍はすべて側室の子か、かなり血の離れた御三家(紀州家や水戸家)から養子となって将軍家を継承したのである。いわんや、125代も続いている天皇家の「社稷を安じる」には、これしか方法がないことは、生物学的にも明らかである。
なんでもアメリカかぶれの小泉政権は、国民世論が、日本の伝統である側室制や遠縁からの養子縁組へと向かうことを恐れて、今回の「一夫多妻男」バッシングへと世論誘導を謀っていることに気づくべきである。そもそも、「共和制」の大統領を国家元首に戴くかの国と、宗教家から茶菓道の家元、能狂言歌舞伎役者に至るまで、万世一系の“血脈”を尊重するこの国の伝統とが相容れないものであることは、国民も薄々気づいているはずである。