レルネット主幹 三宅善信
▼チェルノブイリとペレストロイカ
悪夢のチェルノブイリ原発事故から20周年を迎えた。当コラムの読者でチェルノブイリ原発事故について知らない人はないであろうが、もう二昔も前のことなので、概略だけ短く記しておく。1986年4月26日、ソビエト連邦(当時)のウクライナ共和国の首都キエフからそれほど遠くないチェルノブイリにある商業用原子力発電所(黒鉛減速炉=ソ連型炉)で、原発史上最悪の爆発事故が起こり、広島原爆の数百倍の放射性物質(約10tと推定)を大気中にまき散らし、鎮火ならびに封じ込め作業に従事した80万人(内、数千人が死亡)や近郊住民(350万人とも言われる)もが被爆したとされる。当初、ソ連政府(註:本当に秘匿しようとしたのは、処分を恐れて自己保身を図った原発施設の関係者であり、このことがより事故の被害を拡大させた)は、この重大事故の発生そのものを秘匿しようとしたが、翌27日には、スウェーデンで、大気中から多量の放射性物質が検出されたのをはじめ、欧州各国で同様のデータが観測され、ついにソ連政府は28日、この重大な原発事故について公表せざるを得なくなった。
皮肉なことに、この原子力発電所の正式名称は、商業用の原発にもかかわらず「レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所」だった。その前年にミハイル・ゴルバチョフ書記長が華々しく登場して、行き詰まっていた一党独裁型の共産党政治や計画経済のあり方への見直しを模索していたが、思いも掛けないこのチェルノブイリ原発事故によって、言論・集会・出版・報道の自由化を行わざるを得なくなり、後にゴルバチョフ政治の代名詞とも言われる「ペレストロイカ(перестройка=restructuring=再構築)」と「グラスノスチ(гласность=openness=情報公開)」が閉鎖的なソビエト社会に広まるきっかけとなった。
私はこの時期、集中的にソ連を訪れた。まず、ゴルバチョフ氏が歴史的な安全保障政策の転換(註:ソ連からの先制核攻撃の無期限放棄=モラトリアム)を発表した『ウラジオストク宣言』の直後に、当時は「ソ連の属国」とみなされていたモンゴルのウランバートルを訪れ、政府関係者や宗教界(ラマ教)の最高指導者とも懇談した。大相撲の横綱まで輩出して、夏期には日本からの直行便が当たり前になった現在とは異なり、当時は、北京から片道32時間もかかる列車でウランバートルへ行く(さもなくば、空路モスクワ経由で遠回り)しか方法がなかったが、中ソの厳しい軍事対立の最前線を目の当たりにすることができた。
ソ連自体には、ゴルバチョフ書記長が主催した『核のない世界:人類の生存のためのグローバルフォーラム』(1987年2月)の出席するため、クレムリンに招かれたのをはじめ、同年5月にはロシア正教会の総本山で開催されたWCRP国際管理委員会に、また、翌1988年6月には、ロシア正教宣教千年祭(ミレニアム)に招かれて出席したので、当時のソ連の社会の変革ぶりは実体験している。因みに、私の大学院の修士論文は、ロシア正教会の儀礼についての研究である。
▼チェルノブイリ原発事故が早めたソ連の崩壊
ゴルバチョフ書記長(後のソ連邦大統領)の登場により、長期低落傾向にあったソ連社会の改革が進むかに見えたが、実際には、瀕死状態にあったソビエト社会主義国家に過激な手術を施すことによってかえってその死を早めるという皮肉な結果となった。グラスノスチによって明らかにされた数々のスキャンダルは、共産党一党独裁による巨大官僚国家の救いがたい社会的不正義を白日の下に曝すことになり、ペレストロイカという中途半端にそれまでの体制を温存させつつ市場経済の「美味しいところ取り」をしようとする試みは、いかに計画経済が非効率な体制であったかという自己証明となった(註:このことから学習した中国共産党は、経済体制だけはラディカルに市場経済化させつつも、言論・集会・出版・放送等への国家権力の統制は一層厳しくし、民主化を頑なに忌避したことによって、その独裁体制の温存に努めているのである)だけである。
そのことは、ゴルバチョフ氏の登場からわずか5年後の1991年8月19日、ゴルバチョフ政権側近たちが旧体制への復帰を目指した『8月クーデター』の失敗によるゴルバチョフソ連大統領の失脚と、その混乱課程で権力を奪取したロシア共和国最高会議議長のボリス・エリツィン氏(後のロシア連邦初代大統領)への実質的な権力の移行が起きた。実は、この時もたまたま、私はモンゴルからシベリアのイルクーツクを訪れている真っ最中だったので、地方都市とはいえ、クーデターによるソビエト社会の混乱を目の当たりにした。
ともかく“勝ち馬”に乗ろうと、中央(モスクワ)での情勢の変化を必死でフォローする人々。この際、日頃から気にくわない連中を便乗して「こいつら○○派(負けた側)だ」とでっち上げて、人民裁判でリンチにする光景。あっという間に、暴落した通貨ルーブルの価値等々、とても貴重な経験をした。このクーデターの際に、クリミア半島で軟禁されていたゴルバチョフ大統領の生存を西側世界で最も早く掴んだのが、私の大学・大学院の一年後輩である佐藤優氏であることは、これまでにも触れたとおりである。空港では、緊急帰国するため両手に大量の荷物を抱えて慌てて機内に乗り込む(当然、機内持ち込み荷物の制限違反は明白)キムイルソン(金日成)バッジを付けた北朝鮮の外交団一行にも遭遇した。
もちろん、これらの諸事象は、後になってみれば「歴史的な必然」であったかもしれないが、そのきっかけとなったチェルノブイリ原発事故は、約350万人にも及ぶ被爆者(小児甲状腺癌や白血病患者が急増した)と広大な面積になる耕作放棄地帯(2,800ku=大阪府の面積の1.5倍)が残ってしまう(30万人が移住を余儀なくされた)という、今なお大きな痛みをウクライナ(皮肉なことに、現在ではウクライナはソ連とは別の国家になってしまっている)の人々にもたらしているのである。もちろん、数千にもの犠牲者を出して建造したシェルター(『石棺』と呼ばれている)であったにもかかわらず、その杜撰な工事作業のせいで、今なお、ひび割れ箇所から放射能が漏れ続けている原発跡地をどのように無害化するのかは、事故から20年が経過した現在でも、国家財政力の弱いウクライナにとっては、将来にわたる重荷である。
▼チェルノブイリと黙示録
ここで、チェルノブイリ原発事故にまつわる有名な都市伝説のひとつを紹介しよう。原発事故後、匿名のロシア人作家の話として、ニューヨークタイムズ紙に「ウクライナ語の『チェルノブイリ』とは、『ニガヨモギ』という植物のことであり、それは『黙示録』の預言する大災厄のことである」という記事が載った。ここでいう『チェルノブイリの災厄』とは、新約聖書の末尾に収録されている『ヨハネの黙示録』の第8章の第10〜11節にある「…第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』と言い、水の三分の一が『苦よもぎ』のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ…」(日本聖書協会版
1955年)という部分のことである。
そこで、一部の人は、「この黙示録における『苦よもぎ』の記述が、約1,900年後に起きたチェルノブイリ原発事故を“予言”していたのである(だから、黙示録に書かれていることは皆、近い将来に実現するのだ)」と鬼の首を獲ったように囃し立てた。時あたかも、いろんな「終末論」が話題になり出した千年紀末であった。ノストラダムスやオウム真理教で有名になった「ハルマゲドン(?ρμαγεδ?ν
=Armageddon=最終戦争)」もこの『黙示録』の第16章の第16節に登場する言葉だ。
しかも、この事故の7年前の1979年には、アメリカ東部ペンシルバニア州のスリーマイル島原発(加圧水型=アメリカ型)でも、「メルトダウン(炉心溶融)」にまで至る原発重大事故(註:62tもの核燃料が溶けて原子炉の底に溜まったが、大気中への放射性物質の拡散は最小限に留まった)が発生し、また、たまたまその前年に公開された映画『チャイナ・シンドローム』(註:この映画は、メルトダウンを起こした高温の放射性物質が、原子炉構造物はおろか、大地を含めてそれに触れるあらゆるものを溶かしてしまい、ついには、地球を貫いてアメリカの反対側の中国に達する。という比喩的表現をタイトルにしている。この映画もまた実際の原発事故も、技術上の安全性そのものよりも、原発関係者による人為的なミスや重大事故後の秘匿や過少報告こそが問題であるという立場である)が、スリーマイル島原発事故を予見するような内容だったために、上記の黙示録的なメッセージを世間が受け入れるきっかけを作ってしまった。
▼カルトにしか相手にされなかった黙示録
ここで、『ヨハネの黙示録』についても、少し触れておかねばなるまい。一般的に、日本人は、キリスト教(その前提となったユダヤ教や発展型ともいえるイスラム教も含めた啓示宗教=一神教)について馴染みがないから、その長い伝統の中で、“正統”とされてきたものと、“異端”とされてきたものとの「区別」がついていないことが多いので、こういう問題について記述するのが難しさ(欧米人にとっては「言わずもがなの大前提」をまったく知らなかったりすることがある)を伴う。もう二十数年も前のことであるが、一応、私は「神学修士」号を頂いているので、キリスト教についての私の知識は「そこそこある」と思って読んでいただきたい。もちろん、キリスト教神学もそれぞれの学説があることは言うまでもないが…。
2,000年間に及ばんとするキリスト教の歴史の中で、新約聖書の巻末に収録されているこの『ヨハネの黙示録』は、実は、特異な扱いを受けてきた。聖書の正典(canon)に収録することすら反対した神学者や教派も多数あった。ローマ帝国の帝都コンスタンチノープルに本拠を置いたギリシャ正教会にはじまる東方の諸正教会(ロシア正教会、ウクライナ正教会等)の奉神礼(典礼・儀礼)の際には、『ヨハネの黙示録』は声に出して読んではいけない、事実上の「禁書」扱いを受けてきた。
“史的”イエスの処刑後、弟子集団によって“キリスト”とされたイエスの事跡と、その使徒(弟子)たちの活躍を記した諸々の文書を集約したのが『新約聖書』であるが、そもそも、その各集団(註:イエスの死後の早い段階で、使徒たちの出自や神学的立場の違いから、多くの教派・教団が成立していた)のニーズにあった形で、イエスの言行録がどんどんと“編集(解釈)”されていったのである。このあたりの流れについては、8年前に上梓した拙作『ウルトラシリーズと共観福音書の類似性』をご一読いただければ、よく解る。
もちろん、新約聖書の収録されている膨大なイエスの御言葉(みことば)の内、本当にイエス自身が話した言葉そのものであると考えられる(遡れる)言葉は、ほとんどない。この辺りの構造は、大乗仏典に釈迦自身(にまで遡れる)の言葉がほとんどないのと同様である。あくまで、それぞれの福音書記者(執筆家)の思想や教派・教団の立場を正当化するために、「イエスの口」を通して言わせしめたものである。今日、『新約聖書』に収録されている諸文書が“正典”として確定したのは、なんと、4世紀末の397年のカルタゴ公会議においてのことである。
であるからして、後の諸教会(教派・教団)においてですら、ほとんど相手にされなかった『ヨハネの黙示録』が相当胡散臭いテキストであることは言を待たない。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったもので、本流の神学者や諸教会によって疎外され続けてきたが故に、キリスト教内の異端派や、キリスト教とは何の関係もない新興カルト宗教等においては、このいかようにも読む(解釈する)ことのできる『黙示録』は、かえって異彩を放ってきたのである。私に言わせれば、分別のない人々にとっては危険なだけの「百害あって一利なし」の書である。
▼ヨハネの黙示録的小泉政権
さて、だんだんと結論に近づいてきた。今日4月26日で、小泉純一郎氏が内閣総理大臣になって満5年が過ぎた。これで、小泉氏も「首相在任5年間」という規定を満たして、総理大臣を退任したら、戦後4人目(故吉田茂・故佐藤栄作・中曽根康弘の各氏)の「大勲位」である。本件の欺瞞性については、近著『竹の園生の末葉まで』で、詳しく述べたので、皆様も記憶に新しいであろう。
5年間に及ぶ小泉政権の間に、われわれはどれだけのものを失ってきたであろう。あまりにも多くのかけがえのないものを失った。しかも、それらの多くは、長年の日本文化の経緯の下で育まれてきたものである。しかし「絶滅危惧種」のように、いったんこれを失ってしまえば、人間の手では二度とこれを創り出すことはできない代物である。その意味では、ちょうど20前の本日に起こったチェルノブイリ原発事故とも重なるものがある。その被害は、将来にわたっても長くウクライナの民にのしかかってくるのと同様に、小泉政権下の諸々の出来事(政策)は、将来にわたって日本人に災いをなすことになるであろう。
ものごとの本質を深く掘り下げようとせず、象徴的な「ワン・フレーズ」に集約させて人心を惑わす小泉政治は、いわば「現在の黙示録」である。『ヨハネの黙示録』同様、まともな人は取り合おうとしないのが上策であるべきだが、現実には、分別のない人々が、あたかも、カルト教団に絡め取られていくように、小泉政治に絡め取られていった。この点を総括し、深く反省すべきであろう。チェルノブイリ原発事故によってソ連邦が崩壊したように、いつ日本が崩壊しないとは限らないからである。