ガン・コントロール
 07年04月18日



レルネット主幹 三宅善信


▼長崎市長銃撃事件の「そもそも論」について

  昨日、日米両国で拳銃を使った痛ましい事件が起きた。日本では、統一地方選を戦っていた現職の長崎市長伊藤一長氏が暴力団員に射殺されるという事件であり、米国では、バージニア工科大学の韓国系学生が校内で銃を乱射し32名を殺害するという事件であった。もちろん、中東地域をはじめ、世界中では毎日、数千人規模で銃火器(fire weapon)を使った殺人(戦争・テロ・殺人事件・自殺等)が行われているのが現状であるが、今回の2つの事件はわれわれに大きな衝撃を与えたことも事実である。

 「長崎市長が銃撃された」という第一報を受けた時、多くの日本人は、1988年12月、市議会における共産党議員からの質問に対して、答弁で「天皇陛下にも戦争責任はあると思う」と答弁したことが元で、1990年1月に右翼の構成員に銃撃された当時の長崎市長本島等氏の事件であった。当時3期目の市長であった本島氏は、自民党県連の幹部も務めていたが、この“事件”が元で、自民党県連から三行半を叩きつけられた本島氏を、本来は“政敵”であったはずの共産党が実質的に支援して当選させるという政界の腸捻転現象を起こしたが、たとえ本島氏自身の戦争体験や良心が何処にあったとしても、昭和天皇崩御(1989月1月7日)の1カ月前という、日本国内がとても重苦しい空気に覆われていた時期(註:なんでもかんでも「自粛」という社会的な「半強制」が罷り通っていた非常に特殊な時期。結婚披露宴やクリスマスディナーショーを取り止めた芸能人も続出した)に、公的立場にある人物がこのような表明をしたということは、タイミング的には適正を欠いていたものと言わざるを得ないであろう。

  結果的には、「多選批判」という“別件”によって自民党から見放された本島氏に代わって1995年4月に長崎市長に当選したのが、今回の事件で犠牲になった伊藤一長氏であった。今回、伊藤氏自身は「4期目」を目指していたので、本島前市長を「多選批判」で降ろした自民党長崎県連のご都合主義の腹の底が透けて見えるが、それらの歴史的経緯をすっかりひっくるめて物事を理解しようとしている私にとって、市長選挙戦の真っ最中に起きた今回の事件が、単なる自動車事故の処理を巡る行政当局と容疑者(暴力団幹部)との間のトラブルが原因(いわゆる「行政対象暴力」に対する対応のぬかり)であったというのなら、なおさらバカげている。おそらく、そもそもこのような案件があったことすら伊藤市長自身は知らなかったであろうが、自治体の代表者として公文書に名前が掲載されているが故に、逆恨みの対象となったというのならお気の毒としか言いようがない。このような事件を起こした犯人が厳罰に処せられること望むし、ピストル(回転式)の入手経路等についても、徹底した捜査が行われることであろう。ただ、今回の事件が選挙の結果に大きな影響を与えるであろうし、昨日までは思いも掛けなかった何人かの人々の人生の進路を大きく変えてしまうであろうことも、また事実である。長年の歴史的経緯を知らずに(無視して)、その場の個人的感情だけでものごとを決済することを私がもっとも嫌うことは『主幹の主観』読者の方なら皆、ご存じであろう。


▼立法の「不作為」は民主主義の大敵

しかも、地方自治体の首長選挙(当然、当選者は一人だけ)の投票日直前になって、最有力候補者が欠けるという事態になって、選挙管理委員会によって「補充立候補」が受け付けられであろうが、この事件がもし、投票日の前日に起きていれば、「補充立候補」すら行えないということになってしまい、泡沫候補が当選してしまう(註:極端な例を挙げれば、殺し屋を雇って、投票日の前日に自分以外の候補者を全員殺害してしまえば、自分が当選できることになる)ということにすらなりかねない。民主主義は、議員の不断の精進と、有権者たる国民の厳しいチェックがなければ、たちまち機能不全に陥り、独裁政治になってしまうのである。

さらには、既に「期日前投票(不在者投票)」制度を利用して投票を済ませた人の中で「伊藤一長」と書いた票は、すべて無効票になってしまう。しかも、この銃撃事件さえなければ、今回の選挙は「無風選挙」だったので、おそらく「有効」となるどの候補者の票よりも「無効票」のほうが多いという民主主義の根幹に関わるようなケースもあり得るだろう。日本の選挙では、選挙直前に現職議員(首長も)が急逝した場合には、たいてい、身内の誰かが急遽立候補して、いわゆる「弔い合戦」というのを展開することになっている。しかし、今回のケースは、あまりにも「現職」であった伊藤一長氏が強かったので、この際、誰か(別に、故伊藤市長の親族でなくてもかまわない)が、「伊藤一長」の名前で立候補すれば(註:立候補者は本名を名乗らなくてもよいことは「そのまんま東」こと、東国原英夫宮崎県知事の場合でも明らか…。他にも、横山ノック前大阪府知事や不破哲三前日本共産党議長等も芸名やペンネームである)、期日前投票の分も含めて、「本物の伊藤一長」氏に投票された票か、「第二の伊藤一長」氏に投票された票かは、見かけ上判別できないので、その票のカウントは、投票日の時点では、唯一の「伊藤一長」であるところの「第二の伊藤一長」氏が総取りになってしまうか、よしんば「判別不能」ということで、「比例配分」(註:例えば、同じ選挙区に田中A男氏と田中B子氏が立候補していた場合、もし、投票用紙に「田中」としか記載されていなかった場合には、フルネームが記された有効得票数の比率に従って、「田中」票は比例配分されることになっている)になったとしても、今回のケースは、「本物」が既に世を去っていないのであるから、「第二の伊藤一長」氏は、少なくとも「伊藤一長」票の半分は自分の票になるので、もし、本物の伊藤氏が「圧勝」していた場合には、「偽物の伊藤氏」が、合法的にまんまと当選するということも可能である。伊藤氏の犠牲を無駄にしないためにも、公職選挙法の早急な改正を望むものである。立法の不作為は民主主義政治の敵である。


▼ユニテリアン教会ってどんな宗派?

  次に、アメリカで起きたバージニア工科大学での銃乱射による無差別大量殺戮事件は、さらに大きな影響を米国だけでなく、韓国をはじめいくつかの社会に影響を与えるであろう。例えば、事件の起きた翌日の大リーグのNHKのBSテレビ中継(註:ちょうど井川慶が初勝利を挙げたヤンキース対インディアンズの試合)の際に、興味深いシーンがあった。それは7回の裏に起きた。ヤンキースタジアムでは、毎試合、7回表の前に『YMCA』の歌に併せてグランドキーパーが場内整備をし、7回裏(日本の野球でいうところのラッキーセブン=甲子園球場ならジェット風船を飛ばすとき)の前に大リーグ共通の応援歌『Take Me Out To The Ball Game(私を野球に連れて行って)』を場内で歌うことになっているが、この日の様子は違っていた。両チームの選手がダッグアウト前に整列して、国歌を歌うときのように、胸に手を当てて『God Bless America(アメリカに神の祝福あれ)』が場内に流れたのである。

  この歌は、特に、「9.11(米国中枢同時多発テロ)」以後、アメリカ「第二の国歌」とも呼ばれ、国民の団結を図るときにしばしば歌われた。もちろん、前日、バージニア工科大学で起こった惨劇に対する国民挙げての哀悼の意を現すためである。場内では、そのことについてアナウンスが流れ、選手も観客たちも共感していたといのに、NHKのアナウンサーだけは、その映像が流れている間中、一言もそのことに触れずに、『God Bless America』斉唱終了後、何事もなかったかのように、野球解説を再開したのである。スポーツ中継担当アナにこのようなことまで理解せよというのが酷な注文かもしれないが、仮にも場内の英語のアナウンスはこのことを触れていたのだし、大リーグ側から配信された映像を元に中継しているのだから、少なくとも英語の解る人が中継しているのであろう。さもなくば、選手と審判が口論になったりした時に、「何を言っているのか解らない」なんてことになってしまうであろう。日本人とアメリカ人の「国家」に対する意識の違いを垣間見た興味深いシーンだった。

  事件の具体的な内容や自殺したとされる容疑者の韓国系学生(米国のグリーンカード=永住権を保持)の行動や背景については、今後マスコミで詳しく報道されるであろうから、私は触れるつもりはないが、この事件の背後にあるアメリカの「銃社会」については、従来から「アメリカ社会を批判」してきた私としては、一家言あることは、読者の皆さんも容易に想像が付くことであろう。「銃社会」と言われるアメリカでは、この種の事件が度々起こる(註:1999年4月にコロラド州のコロンバイン高校で起きた高校生による校内での銃撃事件=13名死亡が最も有名)が、私自身、少しでもこの種の事件に関わったことがあるのは、1992年10月ルイジアナ州のバトンルージュで起きた日本人留学生(高校生)の服部剛丈君がハロウィンのパーティ会場を間違えて射殺された痛ましい事件である。

  私は、直接服部君一家と面識があった訳ではないが、服部君がホームステイしていたヘイメーカー教授が信仰しているユニテリアン教会(正式には、Unitarian Universalist Association)のクランプ牧師とたまたま面識があった。犠牲になった服部君の追悼式は、この教会で執り行われたのである。マサチューセッツ州の名門の出身で、UUA初代会長のディナ・グリーリー博士と私の亡祖父三宅歳雄師とは1960年代からの交友があり、両師は共同して1970年にWCRP(世界宗教者平和会議)創設したほどの刎頸の友であった。1980年代の中頃、ハーバード大学で学究生活を送っていた私は、車で約1時間の距離にあるコンコード(註:アメリカ独立戦争勃発の地として有名)にある博士の教会に何回か招かれたことがある。現在のUUA会長ビル・シンクフォード師も、昨年2回大阪のわが家を訪れられたし、私もこの1年間に2回英国のオックスフォードで出合っているほど近しい関係の、アメリカでは珍しいリベラル(政治的には、一貫して反ブッシュ政権の立場)な教会である。

2004年春、大統領選挙真っ盛りのアメリカで、アブグレイブ強制収容所におけるイラク人捕虜の非人道的扱いが明るみに出て、米国内はおろか全世界から非難され、再選が苦しくなったブッシュ大統領にとって「神風」となったのが、マサチューセッツ州における「同性愛者同士の公式の婚姻合法化」の問題であるが、この結婚式を司式したのがユニテリアン教会であり、この「結婚」とは何の関係もなかったのに、たまたま「マサチューセッツ州選出の上院議員」であったということだけで、ブッシュ大統領を支持する「宗教右派」(註:聖書に書かれた言葉を一言一句そのまま「神によって発せられた御言葉」そのものだと信じる「福音派(Evangelical)」と呼ばれる「原理主義勢力(Fundamentalist)」がその中核)陣営からの巧みな世論操作によって、「不道徳な人物」という濡れ衣を被せられ、ジョン・ケリー候補(註:ケリー上院議員はユダヤ系のカトリック教徒)が大統領選に敗れるきっかけ、つまり「ブッシュ再選」という最悪のシナリオを実現させてしまったことは残念である。


▼みんな一度は手にする銃

ユニテリアン教会とのそんな関係もあって、銃撃事件が起きた翌1993年9月に、大阪で十数名のアメリカ人を含む百名を超す参加者を集めて、服部政一氏(剛丈君の父)やクランプ牧師をはじめ、アメリカ研究で有名な同志社大学神学部の森孝一教授やカリフォルニア大学バークレイ校のデルマ・ブラウン教授らを招いて「銃規制」の問題をテーマにシンポジウムを主催したことがある。私は、このシンポジウムでアメリカ人の「銃火器」に対する意識が、われわれ日本人とあまりにも異なっていることを実感したのである。

  日本人からすれば、殺人事件を起こす、起こさないにかかわらず、そもそも一般市民が銃を持っていること自体が「ご法度」である。しかし、この常識が、世界的に見れば、むしろ少数派であることは、中東地域などの映像を見れば、少年に至るまでごく普通に「銃火器」を持参しているシーンから容易に想像が付くであろう。そもそも、大多数の日本の一般市民は、一生ピストルを手に持ってひき金を引くという不孝な体験をすることなしに、その生涯を閉じるであろう。しかし、何もアフリカや中東の紛争地域でなくとも、徴兵制のある国(註:近代国民国家には「国民皆兵」が原則になっているので、ほとんどの国には「徴兵制」がある)なら、必ず「国民の義務」として軍務に就いている期間は、ライフルやマシンガンを撃つという経験をすることであろう。だから、大多数の一般市民(兵役経験のある男性)は、銃火器の取り扱いの経験があるということを忘れてはならない。

 しかし、ここで問題にしているのは、兵役における「銃火器の使用」ではなく、一般の市民社会における「銃火器の使用あるいは保持」の問題であることは言うまでもない。今回のバージニア工科大学における乱射事件という惨たらしい事件を経ても、おそらくアメリカ人の多数派は、「ガン・コントール(銃規制)をせよ!」というよりも、「一般市民が銃を保持することの権利」のほうを尊重するであろう。15年前に私が、無実の息子を殺された父親を目の前にしても「市民が銃を保持する権利」について、正統性を主張したアメリカ人を目の当たりにしたときのように…。もちろん、「銃規制運動」を熱心にしているアメリカ人もいるけれども…。


▼銃規制反対派の3箇条

 「銃所持賛成派」の論理は、その時も現在も変わっていない。理由は3つである。まず、「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのである」というNRA(全米ライフル協会)に代表される意見である。確かに、ピストルが勝手に弾丸を発射するのではない。必ず、人間の意思がひき金を引かせるのである。「ピストルを禁止するのであれば、ナイフも禁止しなければならない」という論理である。しかし、よく考えてみれば、ピストルで人を殺傷するのとナイフ(包丁)で人を殺傷するのとは訳が違う。包丁の本来の使用目的は、調理するために肉や魚や野菜を切る道具であって、その「切る」という本来の能力を援用して人間を殺害しただけのことである。その点、ピストルは、そもそも本来の目的が「人を殺傷する」ための道具である。「文鎮やドアストッパーにも使える」というのは詭弁である。

  二番目の理由は、「市民が自己防衛のための武器を持つのは当然」という論理である。今回の事件だって、「もし、教室にいた他の生徒たちもピストルを所持していたら、たった1人の犯人に32人もまざまざと殺されなかった(反撃の銃撃戦になった)であろう」というものである。あるいは、「どうせ銃規制をしても、善良な市民だけが正直に銃を手放し、肝心の犯罪者(予備軍)たちは銃を放棄しないであろうから、かえって悪党を利することになる」という論理まである。しかし、実際にどうであろうか? 「事件」と起こす犯罪者の側は、いつ、どこで、銃を使用するかを任意に決めることができるが、1年365日24時間、いつ、どこで、誰が自分に銃口を向けてくるかどうかは予測不可能なことである。長い人生の間に1回出くわすか出くわさないか判らないような出来事のために、四六時中注意を喚起しておくなんてことは、どだい無理なことだし、費用対効果の合わないことこの上ない。

  アメリカにおいて、一般市民が銃器を保有してよいことの第三番目の論拠は、『政教分離』の原則を定めた修正第1条に続いて、合衆国憲法の修正第2条に、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」とあることに由来する。これだけだと、われわれ日本人にとっては何のことだか解りづらいが、本条文は修正第一条と同様に、アメリカ合衆国誕生の歴史的経緯と重なる。1775年から83年までの8年間にわたって宗主国であったグレートブリテン王国(英国)とその海外植民地のひとつアメリカ東部13州の連邦(the United States)との間で戦われたいわゆる「独立戦争」を正当化するためのものである。

エリザベス1世による「国教会」確立によって本国を追われたピューリタン(清教徒)たちが命懸けで大西洋を渡った。中でも、最初の入植者である「ピルグリムファーザーズ(巡礼始祖)」がニューイングランドに入植してから百数十年経過したが、法的には、新開地アメリカはあくまで宗主国英国の海外領土であったが、その後の欧州での英仏両国の主導権争いや、アメリカ植民地への課税と本国議会への代議員の派遣問題などが絡んで、アメリカの「独立」戦争が始められることになった。因みに、日本で「独立戦争」と呼ばれている戦争は、英語では「The American Revolution(アメリカ革命)」である。つまり、(アメリカ)人民に対して苛烈な負担を強いるジョージ3世の悪逆な政府に対して、人民が武器を手にとって反抗する(革命)という権利を否定しては、アメリカ合衆国の建国を否定することになってしまう。この新大陸アメリカでの「革命」は、数年後、「専制君主制」たけなわの旧大陸欧州に飛び火し、フランス革命(1789年)が起こるのである。その意味では、文字通り「革命」なのである。革命に「武器」はつきものである。

  しかし、この「悪逆な政府に対する人民(民兵)の武装抵抗権」は、二百年前なら現実の手段として意味があったけれども、核兵器やミサイルといった大量破壊兵器はいうまでもなく、軍用機や戦車などといった通常兵器においても、近代国民国家の正規軍が有する強力な武器に対して、たとえ一般人民がライフルやマシンガンを手にとって武装抵抗したところで、国家権力側に武力鎮圧に対する正当化の理由を与えるだけで、なんら有効な抵抗手段にならないことは明らかである。テレビやインターネットで全世界に配信しながらガンジーの如き「非暴力」を抵抗手段にしたほうがよほど効果的である。したがって、合衆国憲法修正第2条にある「人民(民兵)の武装抵抗権」は、現在では意味が無くなっている。


▼アメリカ人にとってのミニットマン

  しかも、ここで言うところの「民兵の武器」とは、「ライフル」である。独立戦争当時、これらの民兵(militia)は「ミニットマン(Minutemen)」と呼ばれた。常平生は、一般市民として生活を送っているが、いったん招集がかかると各家々にあるライフル(本来は狩猟用)を手にとって分(minute)単位で駆けつけるから「ミニットマン」と呼ばれるようになった。コンコードと共に独立戦争の最初の戦場となったレキシントンには、ライフルを手にとった「ミニットマン」のブロンズ像が建っている。また、1960年代以来アメリカ軍の戦略核弾頭を搭載した主力ICBM(大陸間弾道ミサイル)が「ミニットマン」と名付けられたことは、アメリカ市民を「悪逆なソ連の支配者から守る」という意味が込められている。


ミニットマンの像とミニットマンIIIミサイル

  しかし、最低限、アメリカ人のこのような歴史的心情に配慮を示すとしても、それはあくまでライフルのことであり、ピストル(拳銃)の所持は即刻禁止すべきであると思う。なぜなら、もし、悪人がライフルを犯罪に使おうと思っても、抜き身のライフルを持って街中を歩いたら、いっぺんに市民から通報されて警察に捕まってしまう可能性が高いが、上着のポケットや女性用のハンドバッグにも簡単に収納できるピストルは、隠したままで、犯罪行為を行う現場まで容易に持って行くことができるので、したがって、ピストルという武器は99%犯罪に使われる武器になる。だから、少なくともまず、ピストルの販売、所持、使用を禁止すべきである。

  また、強盗等の犯罪に使われなくとも、多くの家庭にピストルがあるということは、子供が触って暴発(死亡事故の原因)したり、自殺(無理心中なら殺人も同時に発生)することを容易にせしめいていることは否定できまい。何しろ、アメリカには4,000万挺を超えるピストルがあり、ピストルが使われた殺人事件の人口10万人当たりの犠牲者数は、米国では40人であり、一般市民が銃刀を所持することがご法度の日本の0.02人は比較するべくもないが、あれだけしょっちゅうパレスチナ人によるテロ事件が起こるイスラエルでもわずか1.2人であるから、アメリカの40人という数字は異常そのものである。



▼豊臣秀吉とエリザベス1世

  日本では、戦国時代に終止符を打ち天下を統一した豊臣秀吉によって1588年に実施された「刀狩」によって「兵農分離」が確定し、以後は、「公儀」と呼ばれる公権力の側(武士)だけが武器を帯びることが許され、民衆は武装解除されたのである。そのことが、徳川時代も含めて300年にわたる平和を日本社会にもたらせたのである。「刀狩」は、政権担当者の側にも、よほどの覚悟を持って公正な政治を行わなければならないことを縛るものである。もちろん、この政策は、江戸時代だけでなく明治以後の近代国民国家によっても継承され、「武器のない社会」という日本の伝統となった。

  一方、この刀狩が行われた同じ1588年に、エリザベス1世治下の英国が、コロンブス以来百年間にわたって大西洋の制海権を独占し、新大陸アメリカからの富を収奪し尽くしたスペイン王国のシンボル「無敵艦隊」を撃破し、欧州における一等国の地位と大西洋の制海権を握ったのである。以後、400年間の長きにわたり「世界はアングロサクソン人の支配下にある」と言っても過言ではない。

エリザベス女王は、スペインとそのバックにいるカトリック教会への対抗上、彼女の父であったヘンリー8世が創った「英国国教会」を制度的に確立したのである。そのことが、少数派であったピューリタンの英国脱出を誘発し、結果的にはアメリカ合衆国を成立させたのだから、歴史の皮肉と言えるであろう。そういえば、今回の悲惨な銃撃事件が起きた大学はバージニア州にあったが、バージニア州(Virginia State)の州名は、植民地開拓当時の英国女王で生涯独身を通したエリザベス1世の別名「Virgin Queen」に因んで付けられたものであるのも、何かの因縁であろうか。

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