南総あたご発見伝

 08年2月22日



レルネット主幹 三宅善信


▼はじめから決まっていたヒール

  今回は、2008年2月19日の未明に房総半島の南40kmの海域で起きた自衛隊の最新鋭イージス艦「あたご」と、千葉県新勝浦市漁協所属のマグロ延縄漁船「清徳丸」の衝突事故について論を進めたい。とはいっても、テレビのワイドショーでやっているような海難審判ごっこをするつもりではないことはいうまでもない。大多数の一般市民にとって、実際に船を操縦したことなどないだろうから、海上交通における国際ルールについて、したり顔をした専門家から「海上で二隻の船同士が鉢合わせになった場合は、右側(相手方に赤色の舷灯を見せているほう)に優先権がある。したがって、今回のケースでは、護衛艦あたごが“面舵”(船首を右へ向ける)を切って清徳丸を回避する義務があった」と言われれば、単純に「あたごが悪い」と思ってしまうであろう。

おまけに、船体がまっぷたつに割れて、あわれ海の藻くずとなってしまった清徳丸には、演歌の世界を絵に描いたような父子の漁師が乗っていて「行方不明(註:マスコミ関係者は皆、冬の冷たい海に投げ出されたのであるから、本心では「即死している」と思いながら、この表現を避けているのは何故だ? それどころか、ついうっかり本心を表に出してしまって「亡くなられた○○さん父子」などと発言する人を寄ってたかってバッシングするほうが、よほど変である。そのこと自体は、大変な悲劇であり、私もご親族や関係者の皆様に心からお気の毒に思うけれども…)」となったにもかかわらず、一方では、国民の生命財産を守るべき自衛隊の最新鋭のイージス艦が無傷で生還したことの明暗をことさらにクローズアップさせて大騒ぎしているが、こんなことナンセンスである。あたごと清徳丸とでは、排水量(船の大きさの単位)が千倍も違うのである。ゾウにネズミが踏まれるようなものである。衝突すれば清徳丸がひとたまりもないことは当たり前である。この衝突事故で、イージス艦のほうが大破したら、それこそ大騒ぎすべきである。

  ずっと以前から、途上国へ行ったときに思っていたことに、日本では天下りした国交省や警察官僚を養うために、ワンセット1,000万円もするような高価な交通信号が日本全国ほとんど車の走っていないような離島にまで設置されているが、本当にあれだけの交通信号が必要なのだろうかということである。昨今の地球的規模のモータリゼーションで、途上国でも大都市に行けば車が街に溢れているが、日本の基準からいえば交通信号の数が極端に少ないけれど、そう頻繁に交通事故が起こっているようには思えない。否、実際には、信号機が少ないほど、交差点に進入する車は、安全確認により慎重になるものである。横断者専用の信号などという甘っちょろい装置で保護されている日本からの旅行者など、途上国で道路を渡るときに、どの車が止まってくれて、どの車が猛スピードで突っ込んでくるのかをなかなか見極めることができないので、道路ひとつ横断するのにもビクビクされた経験を有している人も多いであろう。


▼「弱いほうが譲る」のが自然界の掟

しかし、インドで注意深く交差点を行き来する車を見ていると、歩行者も含めて一定の法則があることに気づくはずである。それは、歩行者と自転車が出くわしたら歩行者が止まり、自転車とバイクが出くわしたら自転車が止まり、バイクと乗用車が出くわしたらバイクが止まり、乗用車とトラックが出くわしたら乗用車が止まるという実に簡単な黄金律である。つまり、ぶつかったら負けるほうが自ら身を引くということである。日本でもそうであろう。いくら自分の目の前の信号が青であっても、横からトラックが飛び出してきたら、自分が止まってトラックをかわさなければ、いのちがいくつあっても足りないことになる。いくら道路交通法的には「私のほうに優先権がある」と言っても、バカ正直に法律を守って、いのちを落としたら元も子もない。私は何も、大型トラックの運転手に道路交通法を無視した乱暴運転を推奨しているのではない。ただ、運動している物体は、「重たい(大きい)ものほど、停止するために制動距離(制動時間)がより必要である」という慣性の法則が、世界中(宇宙中)どこへいっても普遍的に作用するという事実を言っているのである。だから、身軽な者は、そのことを弁(わきま)えて行動しなければならない。

  つまり、交通ルールを厳格に守るということと、その場の状況に応じて(たとえ交通ルールに違反したとしても)臨機応変に危険を回避するということは別次元の問題であるということである。今回のあたごの事故で言えば、4隻で集団行動をとっていた清徳丸の僚船の金平丸がその良い例である。本来ならば、清徳丸同様、右側から接近してきた金平丸には、先行していた幸運丸同様、あたごの前方を直行して横切る権利はあったが、「このまま直進してはぶつかってしまう」と判断した金平丸の船長は、海上交通のルールを無視して、急遽、取り舵(船首を左に向ける)を切って、衝突を回避しているのである。この場合、ルールを無視したからと言って、誰も金平丸の行動を批判することはできないであろう。

その上、海上で「船と船とが鉢合わせになった場合、右側に見える船に優先権がある」といっても、その海域に二隻しかいない場合には、そのルールを適用することは簡単であるが、多数の船が密集して航行している場合には、そう簡単にルールどおりにはいかないであろう。なぜなら、仮に直進する船A(今回で言えば、あたご)が右側から接近してくる船B(同じく、清徳丸)を面舵でかわしたとしても、そのまた先に船C(同じく、康栄丸)がいるので、ある船に対しては右側であったとしても、それがそのまま、別の船に対して左側というややこしいポジショニングになってしまい、どうして良いか判らない状態になってしまうこともあるであろう。おまけに、午前4:07と言えば、辺りはまだ真っ暗な未明の海である。臨機応変に、手動操舵しながら避けていく以外にない。であるからして、今回の場合で言えば、このような状況下であるにもかかわらず、あたごが「自動操舵」していたことは、明らかに判断ミスである。


▼艦長がいつもブリッジに居るわけではない

  実は、SF映画やアニメにおける軍艦の艦橋(ブリッジ)の勤務体制について、ずっと以前からひとつの疑問を抱いていた。それは、いつも艦長以下エース級のフルキャストが揃っているときに必ず事件が起きる、あるいは、敵の攻撃が仕掛けられるという原則である。『スタートレック』で言えば、カーク船長(大佐)、スポック副長(中佐)、スールー操舵手(中尉)、ウフーラ通信担当士官(中尉)、チェコフ航海士(少尉)といった面々、『宇宙戦艦ヤマト』で言えば、沖田十三艦長、古代進戦闘班長、森雪生活班長、島大介航海班長、真田志郎工場長といった面々のことであるが、広大なる宇宙空間を何カ月も(あるいは何年も)航海し続けるのであるから、当然のことながら、三交代とか四交替といった体制で、一日(地球時間の24時間)の内、何回かクルーのチームが交替するはずである。もちろん、その際には、必ず業務の「引き継ぎ」が行われるはずである。

しかし、映画やテレビの中でそういったシーンを視た覚えはない。必ずA(トップ)チームの面々だけで話は展開し、BチームやCチームといったサブチームが宇宙船を操縦していたり、ブリッジが当直班だけに委ねられているということはない。それどころか、艦長自らが副長以下の高級幹部を連れて(ブリッジを空にして)敵星や敵艦へ乗り込んだりすることもしばしばである。もし、その間に敵襲があったりしたら、いったい誰が指揮を執るのか? ということすら、不明瞭な場合が多い。逆を言えば、われわれは、今回の「あたご」のような事故が起こった時、すぐに「何故、艦長はブリッジにいなかったのか?」と攻めるが、それは、船舶の現実の運用についてあまりにもお粗末な質問であるということある。

それどころか、『宇宙戦艦ヤマト』の場合、乗組員(クルー)たちは、制服まで着た明らかな武力組織(軍隊)の構成員であるにもかかわらず、軍人に付きものの「階級」すら存在しない。「生活班長」だなんて、まるで、小学生の修学旅行のレベルである。また、“敵”の宇宙人は、必ず、地球時間のフルキャスト体制の「最強チーム」がブリッジに居る時に限って攻撃してきてくれる“親切な”宇宙人ばかりなのである。あるいは、「勤務時間内以外には攻撃は仕掛けてはならない」という不文律が敵味方相互間で認証されているのであろうか…。そんなことはあり得ないし、そもそも、広大なる宇宙空間に「昼夜の区別」なんか存在しない。

だとすると、やはり、夜間の攻撃やトラブルは、お互いのエチケット違反ということになるのだろうか? 今回のイージス艦あたごと清徳丸の衝突事故は、こんな未明のあたご艦長もご就寝中に起こったエチケット破りの不孝な出来事であったのであろうか? そんなはずはない。だいたい、漁船というものは、たいていまだ夜も明けきらない暗い内から出航するものであることは、誰でも知っている常識である。だとすると、暗い夜道を無灯火でダンプが走って、それに気づかずに横断歩道を渡ろうとした歩行者をはねたようなものなのであろうか? 戦闘行為中ならいざ知らず(そもそも、「専守防衛」の自衛艦は「戦闘地域」には侵入しないことになっている)、通常の航行をしている時には、ステルス(身を隠す)する必要はないのであるから、民間航空機のようにフロントビーム(ヘッドライト)を明々と灯火して航行すれば良かったのである。


▼イージス艦は「神風攻撃」を防ぐために発想された

  私があらためて述べるまでもなく、読者の皆さんは、イージス艦のネーミングの元になった「イージス(Aegis=Αιγ??)」の意味をご存じであろう。イージス(アイギス)とは、ギリシャ神話の主神ゼウスが、娘アテナに与えたあらゆる邪悪や災難を祓う防具(楯・胸当て等の諸説あり)である。もともと、目を合わせてしまったものを全て石に変えてしまうという魔物メドゥーサ(註:海神ポセイドンの愛人であり、天馬ペガサスの母である。元々は美女であったが、女神アテナから憎まれ、髪の毛を蛇に変えられてしまった)の首を切り落とした英雄ペルセウスが、アテナにこれを献上し、この首をイージスに縫い込むことにより、イージスはいよいよ無敵の防具となった。アテナは、知恵・芸術・戦略を司る女神で、ギリシャの首都アテナイ(アテネ)のアクロポリスの丘に聳え立つパルテノン神殿に祀られた。ここから転じて、同時に複数の攻撃に対処できる高度な防空能力を有したシステムを搭載している艦船のことを「イージス艦」と呼ぶようになった。

  しかし、アメリカ海軍がイージス艦を開発するそもそものきっかけが、太平洋戦争における日本海軍との戦闘であったことは案外知られていない。今から70年くらい前までは、軍艦と軍艦との戦闘は、その主砲同士で砲撃し合うことであった。できるだけ大きな大砲をたくさん搭載することが、その軍艦の戦闘能力を向上させることであり、そのためにはより大型の戦艦を就役させることであった。いわゆる「大艦巨砲主義」である。その時代のコンセプトを最も体現した軍艦が、大日本帝国海軍が誇る戦艦大和であったことは言うまでもない。ところが、戦争における最も効率的な武器として航空機が普及し、その上、その航空機を船に載せて運ぶ (英語では、文字通り「Aircraft Carrier」と呼ぶ) 航空母艦(空母)が登場すると、制空権と握った側が海戦の帰趨も制するようになった。なぜなら、高速かつ小回りの効く艦載機から急降下爆撃されたら、いかな超弩級戦艦といえどもひとたまりもないからである。

そのことは、1941年12月の「日米開戦」いわゆる「真珠湾攻撃」で証明されたが、その半年後の1942年6月の「ミッドウェー海戦」で、日米まったく攻守を入れ替えて再度証明された。さらに、戦争末期、日本軍(主に海軍航空隊)によるいわゆる「神風特攻」は、圧倒的に優位に立っていたはずのアメリカ海軍を恐れさせた。なぜなら、敵艦に対して真上から攻撃する急降下爆撃が、軍艦に対する有効な攻撃方法であるが、同時に、海面すれすれに接近して真横から体当たり(自爆)するのもまた、軍艦に対する有効な攻撃方法であるからである。小型の戦闘機によるこれらのいずれの攻撃に対しても、巨砲はほとんど役に立たないし、戦艦の巨大な船体はむしろ、敵の攻撃の恰好の的となってしまった。一人のパイロットが自爆することによって、千人以上の乗組員のいる軍艦を撃沈できれば極めて効率が良いという考え方によるものである。この神風攻撃を防ぐために、太平洋戦争末期には、米海軍の艦船の艤装(ぎそう=軍艦本体にいろいろな武器で装備すること)は、大切なブリッジを守るため、艦橋の回りをハリネズミのように対空機関砲で固めるというスタイルに進化して行った。

  米ソ冷戦時代に入って、対艦攻撃(敵の主力空母機動部隊への攻撃)には主にミサイルを用いるようになった。当然、ゼロ戦などのプロペラ機による神風攻撃の時代とは異なり、音速で飛来する対艦ミサイルを目視で撃墜することなど不可能であるから、当然の帰結として、レーダーと迎撃ミサイル(当然、迎撃する側もミサイル)を連動させて、敵のミサイル攻撃を検知すれば即、これを迎撃するというシステムが開発された。しかし、敵のミサイル攻撃を百発百中で迎撃することなどそもそも難しいし、たとえ敵の攻撃をレーダーで検知したとしても、敵ミサイルの軌道を計算して瞬時に撃墜ミサイルを発射することはかなり高度な技術である。しかも、もし、敵が多方向から同時に5発のミサイルで攻撃してきたら、たとえレーダーでそれらの全てを検知することができたとしても、これらを同時に軌道計算して、個別に迎撃ミサイルを発射することはほぼ不可能である。


▼「イージス艦大国」日本

ところが、その後のIT技術の飛躍的な進歩は、ミサイル監視衛星(註:ミサイルを発射すると、大量の熱を放射することから、人工衛星から赤外線レーダーでその熱源をキャッチすれば、ミサイルの発射を)や早期警戒管制機(AWACS)からのデータ送付や高速大容量コンピュータの情報処理を一元化し、半径数百キロのエリア内のあらゆる敵機やミサイルを同時に捕捉して、それぞれ別個に迎撃ミサイルを発射することができるという防空システムを生み出した。これをギリシャ神話の「無敵の防御楯」に見立てて「イージス戦闘システム(Aegis Combat System)」と名付け、このシステム一式を備えた軍艦を「イージス艦」と呼ぶようになった。であるからして、「イージス艦」とは、旧来、軍艦を大きさによって、戦艦>巡洋艦>駆逐艦>フリゲート艦>コルベット艦と呼び分けしていたような種分け方法ではなく、どんなに小さくても、イージスシステムで艤装している軍艦はすべて「イージス艦」と呼ばれている。

  もちろん、アメリカの重要な軍事情報の塊のような軍艦であるため、一部の同盟国にしか供給されていないし、たとえ、供給されたとしても、このような高性能艦ゆえ、調達費用(艤装の程度にもよるが、1隻千数百億円程度)が高くつくため、現在、イージス艦を保有する国はごく限られている。アメリカの74隻(タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦22隻、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦52隻)は別格としても、現時点(2008年2月)で実戦配備されている艦は、日本が5隻(こんごう級4隻、あたご級1隻)、スペインが4隻、ノルウェー2隻しかない。現在、韓国海軍が2008年中の配備に向けて世宗大王級イージス艦を艤装中である。因みに、日本ではまもなく「あたご級」の二番艦として、「あしがら」が就役する予定であるので、日本のイージス艦は6隻体制になる。湾岸戦争やイラク戦争でもお馴染みになった現在の戦争では最も有効な兵器である巡航ミサイル「トマホーク」を標準装備できることから、イージス艦は「仮想敵国」にとっては最も恐れられる軍艦なので、「専守防衛」を旨とする自衛隊への導入に反対の声が出るかと思われたが、運良く、北朝鮮による日本海に向けたミサイル発射実験や核実験が行われたおかげで、軍備に関しては消極的な日本国民もイージス艦導入に関してはたいへん寛容であった。

  その後、「9.11」に対する『テロ特措法』によって、防衛族念願の「インド洋(実質的には、ペルシャ湾ギリギリの戦闘区域)派遣」が決定され、インド洋派遣の本来の目的である補給艦「はまな」、「とわだ」、「ましゅう」等を守ったり、海上における警備行動(註:砂漠や山岳地帯でのゲリラ戦を得意にしているテロリストの連中が、陸地からはるかに離れたインド洋上で軍艦相手になんらかの行動を起こせるとはとても思えないが、一応の派遣目的として、「海上での武器や麻薬の密輸の臨検」などが設定されている)にイージス艦が必要とは思えないが、絶好の実践演習の機会とでも思ったのであろうか、イージス艦「きりしま」、「こんごう」、「みょうこう」、「ちょうかい」のすべてが順次インド洋に派遣された。


▼日米“軍艦”命名法の比較

  ここまで読んできて、皆さんも既にお気づきと思われるが、何故、海上自衛隊の軍艦(註:名目上は「軍隊」ではないことになっている海上自衛隊では「軍艦」という名前はおろか「巡洋艦」や「駆逐艦」といった名前の使用を避けて、すべて「護衛艦」という名称で統一している)の名前は、皆「ひらがな書き」なのであろうか? どうやら、一定の規則――補給艦なら「はまな(浜名)」、「とわだ(十和田)」、「ましゅう(摩周)」といった湖の名前、イージス艦なら「きりしま(霧島)」、「こんごう(金剛)」、「みょうこう(妙高)」、「ちょうかい(鳥海)」、「あたご(愛宕)」、「あしがら(足柄)」といった山の名前――があるようであるが…。

もちろん、大日本帝国海軍の時代でも、戦艦には「大和」、「長門」、「武蔵」といった旧国名を付け、空母には「鳳翔」や「飛龍」といった空想上の瑞獣の名前を付けた。太平洋戦争開戦後、戦争の帰趨は「戦艦の時代から空母の時代」へと変化していったので、もともと戦艦として計画されかが、途中で設計変更をされて空母となった軍艦には、その名残として「信濃」や「加賀」という旧国名が付けられている。アメリカでも、戦艦には「アリゾナ」や「ミズーリ」といった州名が付けられていることが興味深い。

  日本では、通常は公共の建造物に個人の名前を冠する習慣は古来よりない。むしろ、古代以来の氏名を「藤原→九條」や「源→足利」といった具合に、居住地に因んだ姓に変えたり、姓のなかった庶民に対して明治維新期に大量に付けられたような地名のそのまま姓にしたりしたことは枚挙に暇がないが、逆に、個人名を地名や公共建築物に付ける例は、天理や金光といった宗教都市を除いてほとんどない。皇族(親王)ですら、三笠宮、秩父宮、常陸宮など地名に因んだ宮号を付けるほどである。

一方、欧米では、ワシントンDCやケネディ空港といった具合に、国家に功績の大きかった人物名を地名や公共物に付けることのほうが一般的である。ロシアでも、支配者が変わる毎に、サンクトペテルブルグ→ペトログラード→レニングラード→サンクトペテルブルグと同じ街の名前がコロコロ変わることも珍しくない。当然、軍艦にも国家に功績の大きかった人物の名前がどんどんと付けられた。特に、アメリカのニミッツ級原子力空母には、プロトタイプの「ニミッツ」(註:第二次大戦中の米太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツ海軍元帥)をはじめ、「ドワイト・アイゼンハワー」、「セオドア・ルーズベルト」、「エイブラハム・リンカーン」、「ロナルド・レーガン」といった歴代大統領の名前がずらりと付けられている。それどころか、なんとまだ存命中の「ジョージ・ブッシュ」と命名される空母まで建造中である。この辺りは「感性の違い」と言ってしまえばそれまでのことであるが、それなりに興味深い。

そういえば、アメリカ製のSFドラマ『スタートレック』には、カーク船長たちの載る宇宙戦艦「USSエンタープライズ」号の他に、「USSゴンドウ」とか「USSヤマグチ」といった宇宙戦艦名が科白の中に出てきてたまげたが、なんと言っても、「コバヤシマル」という遭難した宇宙輸送艦(註:劇場版スタートレックIIの『カーンの逆襲』と、IIIの『ミスター・スポックを探せ』で、宇宙艦隊の士官に課せられる最終適性試験シミュレーション。あらゆる想定外のクライシスに直面するが、艦長になろうとする者はその危機をどうクリアしていくかの適正が試される。因みに、「コバヤシマルテスト」をクリアしたのは、カーク船長が唯一の人物と言われている)が、話のキーを担っていると言う点では抜きんでている。


▼「言霊(ことだま)の国」日本

  であるからして、大日本帝国海軍も、日本人の感性に従い、旧国名や山や川の名前を軍艦に命名した。問題は、戦後の海上自衛隊である。日本が戦争に勝とうが負けようが、山河の名前は変わらないので、やはり「護衛艦」に順次命名してゆくとしたら、これらの名前を使わないわけにはいかないであろう。さすがに「大和」や「武蔵」といった旧国名に因む巨大戦艦の名前は、「戦艦」そのものが存在しなくなったのであるから、命名するのは気が引けた――その点、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』は、現実の世界では存在しなくなった「戦艦」をはるか未来の宇宙戦争という舞台を設定し直したからこそ、「最終兵器」的な意味で復活させることができた――のであろう。

  さすがに日本は「言霊(ことだま)の国」である。そこで、「軍国主義」という批判をかわすために、最初に取ったのが、「護衛艦(この言葉自体、実態は同じ軍艦を名称だけ変更することで印象を変えようとしたことは前述のとおりであるが…)」に「気象用語」を付けるという作戦である。「むらさめ」だの「あさぎり」だの「ありあけ」だの、まるで百人一首(和歌)の雅さで、およそ軍艦らしからぬ命名法である。小型の掃海艇なんぞに至っては、「ばら」、「ゆり」、「あやめ」、「つつじ」、「ぼたん」、「なでしこ」と、まるで幼稚園のクラス名である。しかし、それだとあまりにも弱そうな印象を受けると思ったのか、次第に、旧来どおり、山や川や湖の名前を付けることになってきたいが、それでも、そのまま漢字を使うと、当然のことながら、帝国海軍の時代と同じ名前になってしまうので、「ひらがな」表記を貫いているのだと思う。

これは、仏教が日本に伝来したときに、旧来、鳥獣の肉を食していた日本人が、「肉食禁止」の戒律を持つ仏教に敬意を払いつつ――つまり、「こんな戒律には、合理的な意味はない」と真っ向から否定するのではなく――なおかつ、美味しい肉食を続けるために、方便として「猪肉→ぼたん」、「馬肉→さくら」、「鹿肉→もみじ」、「鶏肉→かしわ」と呼び変えたことと軌を一にする日本人に独特の発想法である。とは言っても、海上自衛隊員の制服の名札には、乗船している艦船の名前が記載されているので、本来は「榛名」という立派な山の名前にもかかわらず、ひらがな書きしたら「はるな」って女の子の名前のようにも見えてしまうので、排水量5,000トンもある立派なヘリコプター搭載護衛艦にもかかわらず「はるな」の乗組員は恥ずかしくて街も歩けないであろう。もう少し、考えてあげればよいのに…。と思うのは私だけであろうか。


▼「火伏せの神」愛宕権現(あたごごんげん)

  ところが、このように、半世紀にわたって注意深くソフトイメージを装ってきた海上自衛隊にも、大きな転換期が訪れた。それは、何を隠そう、北の将軍様による「ミサイル発射実験」と「9.11」以後の『テロ特措法』によって、晴れの舞台が転がり込んだのである。念願であったイージス艦もアメリカに次ぐ規模で整備できた。今回の不幸な事件がなければ、ハワイで艤装および運用訓練を済まして横須賀に華々しく入港することになっていたイージス艦「あたご」は、「北朝鮮の火遊び」や「中国の核の射程」から日本列島を守る、まさに「火伏せの神」になるはずであった。

「愛宕山=愛宕神社」が火伏せの神であることは、皆さんもご存じであろう。東京にも、港区の愛宕山(標高26mの山)に愛宕神社が鎮座しているが、これは徳川家康が江戸開府(1603年)の折に京都から招来した火伏せの神社である。なんでも、家康は、新開地の「江戸を京都にする」ために、京の鬼門(北東)の方角にあった「比叡山延暦寺」を真似て、江戸城から北東の丘(上野)に、同じく元号を寺号とした「東叡山寛永寺」を創建したり、元からあった増上寺(註:徳川家は浄土門であったため、この寺を菩提寺にして、元来の紀尾井町付近から)を江戸城の裏鬼門(南西)の方角の芝に移転し、大伽藍を建立したりして、本気で神仏の加護まで借りて江戸を「新しい京都」にしようと思ったようである。

皮肉なことに、その江戸は、二百数十年後に、徳川幕府の崩壊と明治天皇の東京奠都によって、文字通り「新しい京都(東京)」となったのである。だが、東京で生活をしたことのない私にとって、江戸(東京)の愛宕山とは、やはり、テレビ時代劇『子連れ狼』シリーズの終盤のほうで、柳生烈堂と拝一刀との死闘に絡んできて、あわよくば二人を同士討ちさせた隙に天下を壟断しようとする「毒使い」の阿部頼母が、公方様愛宕山参詣の日に、江戸城で火の不始末をして切腹させられるシーンで、妙に印象に残っている。そろほど、江戸時代を通じて上は将軍から下は市井の庶民まで信仰を集めた神である。

  「愛宕権現」と言えば、言うまでもなく、もともとは、山城国と丹波国の境、京都の北東の愛宕山頂に鎮座した愛宕権現のことである。私は京都で学生時代を送ったので、古い町屋の「おくどさん(竈=かまど)」には、必ず「阿多古祀符火廼要慎(あたごしふひのようじん)」と記された火伏せの護符が三宝荒神の神棚と共に祀られていたのを覚えている。愛宕権現は「火伏せの神」であると同時に、「勝軍地蔵」という戦いの神としても知られている。愛宕山は、奈良がまだ都になるより以前の大宝年間に、役行者らによって修験道の聖地として開かれ、平安京が開かれた桓武朝の時代に和気清麻呂によって山頂に愛宕権現を祀る白雲寺が建立された。



世の中のもめ事の火種? 三宅善信

院政期にも保元の乱の元になる事件もあったりもしたが、なんと言っても、「本能寺の変」の直前に、織田信長を討つかどうか迷った明智光秀が参籠し、御神籤(おみくじ)を「吉」が出るまで四度引いた(つまり、最初の三回は皆「凶」であった)というエピソードが残っている。そこで開かれた連歌の会で詠んだ有名な発句が「ときは今 あめが下しる 五月哉」。このように、愛宕権現は「火伏せの神」であると同時に、「勝ち戦の神」であるから、まさに最新鋭のイージス艦には相応しい名前だったのである。もっとも、その後の光秀は、本能寺の変後の対応の拙さから、「三日天下」に終わってしまったが…。イージス艦あたごの運命も、防衛省の対応の拙さから「三日天下」にならないことを祈るのみである。


▼連綿と繋がる日本の歴史

  同様に、イージス艦とならんで、海上自衛隊が自信を付けたことが見て取れるネーミングに、最新鋭のヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」は、全長197m(わざと200m以下にしてあるところがミソ)、全通甲板(註:普通の軍艦のように、船の前部甲板と後部甲板が中央部のブリッジによって分断されていない空母特有の構造)を持った排水量18,000トンの堂々とした軍艦であり、実際には、明らかに「ヘリ空母」と呼べる代物である。否、ハリアーなどのSTOLV機(垂直離発着能力を持った飛行機)なら十分運用できる大きさである。もちろん、近隣諸国から「あらぬ嫌疑」をかけられることを嫌う自衛隊は、「ひゅうがは、甲板の装甲が高熱に耐えられない(発進時のジェット噴射が甲板に吹き付けられるから)し、STOLV機離陸用のジャンプ台も設置していないから、空母ではない」と言うであろう。しかし、逆を言うと、全長200mの全通甲板を持った巨大な軍艦そのものはあるのだから、甲板を耐熱コーティングして、舳先(へさき)にジャンプ台を設置さえすれば、簡単に軽空母に変身できる代物であるということである。しかも、来年実戦配備予定の「ひゅうが」に続いて、もう1隻建造が決定されているので、日本のヘリ搭載護衛艦は、旧来(こちらは、前後分断型甲板なので、純粋の「ヘリ空母」である)の「はるな」と「ひえい」の2隻と合わせて4隻体制で運用されることになる。

  しかし、海上自衛隊が、最新のヘリコプター搭載護衛艦に付けた名前が「ひゅうが」であることをよくよく考えて欲しい。これは、旧海軍時代の伝統に基づけば「旧国名は戦艦に付ける」ことになっているから、「ひゅうが(日向)」はもろに、旧海軍時代に、当初は「戦艦」で予算が付いたにもかかわらず、時代の要請で「空母」に変更された「加賀」や「信濃」と同じパターンを踏んでいるとも言える。「ひゅうが」に続く二番艦もおそらく、旧国名が付けられるであろう。先述したように、日本は「言霊の国」であるから、同じ「軍艦」でも、艦名がひらがなで表記されているのと、漢字で表記されているのとでは、受ける印象が違うであろうが、軍艦としての機能は艦名に関係ないはずであるが、軍艦も運用するのは人間である。今回の衝突事故で傷ついた「あたご」のイメージを回復するのは大変である。おそらく、「やまと」という名前の自衛艦が就航した時が、海上自衛隊と日本国にとって最大のターニングポイントとなるであろう。

  最後に、皆さんも沈没した「清徳丸」が所属していた千葉県の新勝浦漁協の皆さんが、あわれ海の屑となった父子の無事生還を祈って、漁港の岸壁で「団扇太鼓」を叩きながら題目を唱えている光景をニュース映像でご覧になったであろう。あの映像を視て、あらためて、千葉県の人にとって日蓮聖人は特別な存在なのだと感じた。安房国の南岸の出身の日蓮は、なにせ、自らのことを「旋陀羅(せんだら)の子」と呼んでいたくらいであるから…。鎌倉新仏教の宗祖たちは皆、そこそこの名門の出であったが、日蓮だけは正真正銘庶民の出、しかも、「殺生を生業(なりわい)とする漁師(=旋陀羅)の出である」と宣言されているのである。漁業従事者の人々にとって日蓮聖人は、それだけ親しみの深い宗祖だったのであろう。一心に団扇太鼓を叩きながら題目を唱えるシーンに感銘を受けた。

しかも、「清徳丸」が所属していた新勝浦漁協の組合長の外記(げき)栄太郎氏の抑えの効いた一連の発言が、防衛省の官僚たちの間の抜けた発言と比べて秀逸だった。私は、以前から、明治以後の高等文官・キャリア官僚制度に批判的な発言を展開してきたが、この組合長の姓「外記」こそ、律令時代に太政官から天皇への上奏文を作成した少納言局の主典(さかん)に当たる職責である。中世から近世にかけても、朝廷のさまざまな儀式や事務を執行する重要な実務官僚の役職であった。外記組合長の先祖がどのような家柄なのかは知らないが、偶然、あたごの艦長(最新鋭イージス艦に初代艦長に就くぐらいだから、当然、海上自衛隊きってのエリート)の姓が「舩渡(ふなと)」であったことと比較しても興味が尽きない。律令時代に制定された旧国名を冠する日本の軍艦と言い、漁協の組合長の姓と言い、日本はなんと歴史の豊かな国なのだろう。


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