レルネット主幹 三宅善信
▼日本の最高裁判決の鼎の軽重が問われている
2008年2月24日、その日は、珍しく朝から雪がしんしんと降り続く旅先のホテルで「『ロス疑惑』の三浦和義氏サイパンで逮捕!」のニュースに接した。その報に接した時、私は、「また何か余計なことをしでかしたのか、このオッサンは…」と思った。というのも、今から27年前に世間を騒がせたあの『ロス疑惑』事件以外にも、書店で自分が出版した本を万引きしたり、コンビニでサプリを万引きしたりと、「殺人容疑という重要事件の被告として無罪判決を得た」という人物にしては、実に「軽はずみな行動をする人物」という印象があったからである。せっかく無罪を勝ち得たのに、「やっぱりあの人って胡散臭い人ね」と言われるのが惜しいからである。だから、「また何か余計なことをしでかしたのか、このオッサンは…」と思ったのである。
しかし、私を驚かせたのは、その逮捕容疑が、あろうことか『ロス疑惑』として有名な、あの1981年にアメリカのロサンゼルスで起こった「妻の三浦一美さん銃撃事件の容疑者としてサイパンの空港で逮捕された」という事実であった。たしか、この事件に関しては、2003年に日本の最高裁で無罪判決が確定しているはず…。「一事不再理」は、「不遡及の原則」(註:これについては、『近代法のイロハも知らない韓国』で詳しく解説した)と共に、近代刑事訴訟法の重要原則のひとつであり、刑事訴訟法どころか日本国憲法でも、その第39条に「何人(なんぴと)も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。」と明確に規定されている常識中の常識である。
であるからして、このニュースを伝えるマスコミは、「アメリカ当局がサイパンで三浦和義氏を不当に身柄を拘束した!」と伝えるべきであるのに、「『ロス疑惑』の三浦容疑者サイパンで逮捕!」というふうに報じた。この時点で、この国のマスコミのレベルの低さ(恐らく「民度の低さ」に比例するのであろう)に愕然とした。そこで、したり顔をした“評論家”が「一事不再理の原則は日本国内だけで通用する原理で、たとえ日本で“無罪”判決を受けても、外国ではそれがそのまま通用する訳ではないですからね…。今回の三浦容疑者の逮捕は致し方ない(「日本におりさえすれば身の安全は保障されたのに、のこのこ出かけていった三浦氏がバカ」というニュアンス)ですね。しかも、“属人主義”の日本と違って、アメリカは“属地主義”ですからね…」などというふざけた能書きをそのまま電波で垂れ流したことには、憤りをさえ覚えた。
本件に関して、日本政府は、即刻アメリカ政府(註:サイパンは一応「北マリアナ連邦」という“国家”ということになっているが、その実は、グアムのようにアメリカの“準州”)に抗議し、三浦氏の身柄の即時釈放を要求するべきである。それが、国民の生命財産を守る義務を負う主権国家の政府のするべき仕事である。自国の国民を拉致されたのに、「戦争も辞さず」といった姿勢で抗議もせずに、あろうことかその張本人の将軍様と握手するのが日本の総理なのである。仮にも一国の最高裁判所が下した判決の内容(この場合なら「無罪」)を、第三国が否定するなんてもっての他である。もし、これが逆で、アメリカの最高裁(Supreme
Court)で“無罪”が確定したアメリカ人の“元被告”を、日本国内で日本の官憲が逮捕したりしたら、アメリカ政府は烈火の如く抗議して来るであろう。それほど、一国の「最高裁の判決」とは重いものであるべきである。
▼私が三浦和義氏の肩を持つ訳
しかも、27年前の『ロス疑惑』事件の際には、日米の捜査当局同士が話し合って、「銃撃事件が起こったのはロサンゼルスであるが、犠牲者も容疑者も日本人なので、公判は日本で行う」ということで合意されたはずである。アメリカの捜査当局も、日本の裁判所に証拠を提出し、その上で“無罪”判決が出たのである。しかも、日本の刑事裁判は、いったん起訴されてしまえば、被告の99%が“有罪”になる(註:殺人行為は明らかなのであるが、被告の精神状態が心神耗弱のため、責任能力がないので“無罪”という場合は除く)という極めて検察側有利の刑事裁判制度の中にあって勝ち取った“無罪”判決なのである。
もし、こんなゴリ押しが通るのなら、それこそ、アメリカが日本のことを「一人前の独立国」と認めていない証拠である。と、この日、同じ学会のシンポジウムに出席することになっていた学者の先生方と一緒に、ホテルから会場の大学まで移動する間に、「不当逮捕」について熱弁した。すると、ある教授が「三宅さんは、どうしてそんなに三浦の肩を持つのですか?」と聞かれたので、「私も三浦は、品行の悪いヤツだと思います。でも、私と誕生日が同じ(7月27日生まれ)なので、根は決して悪いヤツのような気がしないんです…」と、結末は、とんでもない理由で茶化して話を締めくくったのには、同乗者一同唖然としていた。因みに、真言宗の開祖となった空海(幼名:佐伯真魚(さえきのまお)も、陰暦の宝亀5年6月15日生まれであるが、今日われわれが使っているグレゴリオ暦に換算すると)も7月27日生まれである。
▼刑事裁判で大事なことは真偽ではなく、手続きの正統性
実は、日米両国に跨(またが)る案件の訴訟で、同じく、私が世間の見方と真っ向から対立している案件があるのである。それは、いわゆる『ロッキード裁判』である。こちらは、『三浦一美さん銃撃事件』とは異なり、日本の裁判所で「有罪」(註:正確には、1983年に東京地裁で“有罪”、1987年の東京高裁では「控訴棄却(つまり“有罪”)」という判決が出たが、最高裁での上告審の最中の1993年に、被告の田中角栄氏が死去したことによる「公訴棄却(裁判の打ち切り)」となった)とされていたが、この二つの裁判には、共通する「手続き上の問題」があった。
『ロッキード裁判』とは、アメリカ上院の多国籍企業小委員会で行われた公聴会で暴露された「ロッキード社が全日空にL-1011トライスターを売り込むために、児玉誉士夫氏や小佐野賢治氏といった“胡散臭い人物”や、代理店であった総合商社の丸紅を通じて、その“販促費”30億円の内、5億円が時の宰相であった田名角栄氏の懐に納まった」という“事件”について争われた裁判であることは、いまさら指摘するまでもない。
おそらく5億円は、角栄氏の懐に納まったに違いない。しかし、私が問題にしているのは、探偵ごっこのような「事実認定」などではない。あらゆる刑事裁判で問われなければならないのは、“真実”ではない。「事の真偽」を問うのは「神学論争」の世界であって、そんなものは、中世の“魔女裁判”の世界である。元来、「事の真偽」なんぞは「神のみぞ知る(=誰も知らない)」ものであって、その事件の現場に居合わせなかった捜査当局や裁判官なんかに判る道理がない。では、刑事裁判で「問わなければならない最も大切なこと」は何かと言えば、それは言うまでもなく「法執行の手続きの正統性」についてである。何故なら、法執行には、個人に対して圧倒的に優位な立場にある国家権力の公使を伴って、該当者の自由を奪う可能性(生殺与奪の権)があるからである。であるからして、個人や団体に対する公権力の行使に当たっては、慎重の上にも慎重でなければならないことは、近代民主主義国家においては当然の要件である。このことを端的に現す言葉が「疑わしきは被告人の利益に(=疑わしきは罰せず)」である。
アメリカの映画やTVドラマでよく見られるシーンに、誰かが逮捕されるときに、警察が必ず逮捕者に告げなければいけない「あなたは弁護士を呼ぶ権利がある。あなたは黙秘する権利がある。これからあなたが発する言葉は証拠として採用される可能性がある」というお決まりの科白(せりぶ)があることは、皆さんご存じであろう。もし、この逮捕の際の手続きを経ずして逮捕してしまった場合には、逮捕そのものが“無効”になってしまい、したがって、不起訴処分になる。つまり、刑法の執行に当たって最も大切な要件は、「事の真偽」の究明ではなく「手続きの正統性」のほうなのである。
▼私が田中角栄氏の肩を持つ訳
ところが、『ロッキード裁判』においては、アメリカ上院の多国籍企業小委員会で行われた公聴会おけるロッキード社のコーチャン副会長とクラッター元東京駐在事務所代表なる人物が行った“証言”に基づいて、日本の裁判が進行したという点である。いわば、贈賄側の両氏は、「日本の警察権の及ばないアメリカに居る」という理由だけで、日本の検察当局から“免責”を受けてペラペラとしゃべりまくり、その証言を“証拠”として検察側が提出し、その“証拠”を裁判所側(一・二審)が「信憑性に足る」と採用して、収賄側の田中角栄氏を“有罪”にしたのである。しかし、普通なら、犯罪に荷担した側(贈賄側)の証言というものは、「余計なことを言えば、自らにも罪が及ぶ」という恐れから抑制の効いたものになるはずであるけれど、己の身の安心を保障(免責)された上でペラペラ喋った証言が証拠能力を持つという論理は、どうしても納得できない。
その上、アメリカに居る彼らは、日本の法廷に一度も立たないのであるから、被告側の弁護士による「反対尋問」すら受けなくてよいのである。弁護士の腕前さえ良ければ、この反対尋問で容疑をひっくり返すということがあるのである。しかし、『ロッキード裁判』では、弁護側にこのチャンスを与えずに判決を下した。私的には、この一点だけで、裁判そのものが“無効”である。なぜなら、この一点だけで十分、裁判を進める上での「手続きの正統性」が崩壊しているからであって、したがって、田名角栄氏の金銭の授受の真偽に関係なく「無罪」ということになる。
先ほどの「三浦無罪説」に引き続いて、私が「角栄無罪説」までまくし立てたので、また、別の教授が「三宅さんは、えらいまた角栄の肩を持ちますね?」と聞かれたので、私は「待ってました!」とばかり、「だって、角栄が逮捕されたのは、1976年の7月27日で、家族のみんなもこのニュースで持ちきりで、私の誕生日がすっかり忘れられたから、そもそも入口からこの裁判は気に入らんねん」と、これまた同じ車に乗っていた先生方に呆れられた。『ロッキード裁判』に関しては、言いたいことが他にも多々あるが、今回の主題は、あくまで『ロス疑惑裁判』についてであるから、話を元に戻そう。
▼サイパンは独立国? それとも米国の一部?
まず、そもそも、「何故、サイパンでアメリカ合衆国(この場合、カリフォルニア州)の発行した逮捕状が有効性を持つのか?」というところから話を始めなければなるまい。十年ほど前、私はフィールドワークでしばしばサイパン島を訪れた。皆さんもサイパンに行かれた経験のある方なら、サイパンの公用語が英語であり、通貨が米ドルであることはご存じであろう。しかし、私の記憶が正しければ、確かサイパンの税関申告書には「北マリアナ連邦へようこそ」と日本語で印刷されていたはずである。現在はどうか知らないが、この三十年間、サイパンを訪れた外国人の圧倒的多数は日本人であったことは間違いない。何しろ、サイパンはグアムと同様、東京や大阪から三時間のフライト(因みに、ハワイへは8時間かかる)で「南の楽園」へ行けるのであるから、最もお手軽な海外リゾートとして人気を保ってきた。
もちろん、太平洋戦争以前は「大東亜共栄圏」のスローガンの下、サイパン島が大日本帝国の一部になっていた時代もあったことも、いちいち私が指摘するまでもなく、皆さんご存じであろう。サイパン島は、隣接するグアム島やテニアン島と共に、太平洋戦争の激戦地のひとつであり、この島々が米軍の手に落ちたから、B29による日本本土への爆撃が可能になり、広島・長崎への原爆投下は言うまでもなく、日本本土の主要都市が焦土と化した米軍による日本の非戦闘員への無差別攻撃(英語では、このような攻撃を「carpet
bombing=絨毯爆撃」と呼ぶ)が行われ、日本の敗戦が決定的になったのである。多くの日本の将兵がこの島々を死守するためにいのちを落とし、1944年、これらの島々を米軍に奪取されたことによって、百万人を超える日本の一般市民がいのちを落とす結果となったのである。このような歴史を持つ島々が、そのわずか三十年後には、日本人に最もポピュラーなリゾートとなったことも皮肉と言えば皮肉である。
ところが、よく調べてみると、このサイパン政府そのものが発行している税関申告書そのものがインチキなのである。何故なら、今回の「三浦和義氏逮捕劇」でも明らかになったように、「サイパンは(アメリカ合衆国の司法権が及ぶ)アメリカ合衆国の一部」だったからである。テレビのニュースでは、サイパンを「アメリカの準州」と伝えている局もあるようだが、これは不正確である。確かに、サイパン島のすぐお隣(正確には、テニアン島を挟んで「隣の隣」であるが…)のグアム島は、アメリカ合衆国の「準州」であるが、サイパンは、ロタ島やテニアン島他の島嶼と共に、英語表記では「Commonwealth
of Northern Mariana Islands (北マリアナ諸島のコモンウエルス)」と呼ばれている。日本語では耳慣れない「コモンウエルス」について論じる前に、まず「準州」から説明しよう。
▼真珠湾攻撃の時、ハワイはまだアメリカ合衆国ではなかった!
アメリカ合衆国(本当は「合州国」)が1976年7月4日に独立宣言をしたことは誰でも知っている。また、その時の合州国(United
States)を構成したのは、当初「ニューイングランド(New England)」と呼ばれたマサチューセッツを始めとする北東部から南部のジョージアまでの大西洋岸にある東部13州であったことも常識である。そのことは、アメリカ合衆国の国旗である「星条旗」を見れば明らかである。「左上約4分の1の部分にある50個の星は50の州を表し、残りの約4分の3の部分に引かれた13本の紅白の線が、独立時の13州を表す」と、皆さん小学生の時に習ったはずである。日本と違って、小学校の教室は言うまでもなく、国中の至る所に星条旗がはためいているアメリカは、実に国旗を大切にする国家である。
しかし、今から六十数年前、日本とアメリカが開戦したときには、星条旗の星の数は48個だったことは、案外しられていない。アラスカとハワイが正式のアメリカの「州」になったのは、太平洋戦争後14年も経った1959年のことである。だから、星条旗の星の数が現在の50個になって、まだ半世紀しか経っていないのである。日本軍が真珠湾を攻撃した時(1941年12月7日)は、ハワイはまだ正式にはアメリカ合衆国の「州」ではなかったのである。しかも、日本軍が行ったのは、真珠湾内に停泊していた米海軍艦船やその母港としての基地の戦闘員に対する限定的なピンポイント攻撃であって、その三年後にアメリカ軍が日本本土に行った一般市民への無差別攻撃(絨毯爆撃)とは自から性格を異にするものであり、アジア諸国への侵略戦争は別として、ことアメリカ合衆国との間の戦争だけに限定すれば、「人道に対する罪」という点では、アメリカ合衆国のほうがはるかに大きかったということを見逃してはならない。
ただ、アメリカは戦争に勝ったので裁かれなかっただけである。現在のように、戦争の勝ち負けと関係なく「人道に対する罪」を裁く「国際刑事裁判所(ICC)」があったなら、裁かれるのは当然、トルーマン大統領のはずである。もっとも、実際には、「世界最強の国家」であるアメリカ合衆国の最高司令官(=大統領)を逮捕するだけの「警察力(軍事力)」を持つ国家や国際機構は現実には存在しないので、相変わらず、アメリカの不正義は野放し状態であるが…。
▼場合によっては、ハワイは日本になっていた?
では、当時、ハワイはいったい何であったのか? というと、連邦国家であるところのアメリカ合州国(United States)を構成する「単位共和国」として認められていない「準州(territory)」と呼ばれる地域であった。もともと「ハワイ(Hawaiiであるから、厳密には「ハワイイ」)」は、18世紀末にハワイ諸島を統一した有名なカメハメハ大王などが統治した王国であったが、「太平洋のへそ」の位置にある軍事戦略拠点という地政学上の重要性が災いし、1843年には英国が、1849年にはフランスがその領有を原住民の意向を無視して勝手に宣言するなど、欧米列強の草刈り場と化した。
日本との関係で言えば、1885年にハワイのカラカウア国王が来日(海外の国家元首の来日第一号)した際、国王は姪のカイウラニ王女と山階宮定麿王(後の東伏見宮依仁親王)との婚姻を提案したが、明治政府はこの申し入れを断った。この時、日本の皇室と姻戚関係になっていたら、ハワイは日本領になっていたかもしれないし、五十数年後に真珠湾攻撃などする必要も無かったので、日米開戦もなかったかも知れない。ヨーロッパの各王室は、ほとんどが姻戚関係にあり、そのことが一種の安全保障にもなってきたことから、日本も学ぶべきであったと思う。
慶応3年に伏見宮家に生まれたこの定麿王なる人物は、明治2年に山階宮家の養子になり、その後、明治18年に小松宮彰仁親王の養子となった(因みに、私の母方は、浅香宮家や小松宮家と親戚筋なので、母の名前が「壽賀子」と名付けられたそうだ)。1903年、小松宮彰仁親王薨去の後、依仁親王は東伏見宮家を創設。英国王ジョージ5世(註:英国ウインザー朝の初代国王。現女王エリザベス2世の祖父。因みに、ジョージ5世は、デンマーク王女アレクサンドラの次男であり、ロシア皇帝ニコライ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とも従兄弟同士)の戴冠式には、明治天皇の名代として、東郷平八郎・乃木希典を随員に従えて参列した。因みに、現在の青蓮院門跡は東伏見慈晃師であり、今上陛下の従兄弟に当たる。
東伏見慈晃青蓮院門跡と三宅善信代表 |
アメリカ合衆国は、高度な自治権を有する「州」(註:アメリカの「州」は、日本の「県」とは違い、法律も制定できるし、軍隊まで保有している)による連邦制国家であるから、「州」に昇格しなければ、大統領選挙にも参加できないし、上院議員を連邦議会に送ることすらできない。上院は、外国との条約締結や宣戦布告に関しては、下院より優越するという点で、日本の参議院とは全く性格を異にする。しかも、人口の多寡に比例して議席数が配分されている下院と違い、人口の多寡・面積の大小に関係なく、各州皆2議席(半数ずつ改選)が配分されている。また、大統領選挙時においても、各州毎に得票数を集計して、一票でも多く票を獲得した候補が、その州に割り当てられた大統領選挙人の票を丸取りするシステムになっていることからも、「州」と「準州」とでは、大違いである。日本語では、「準州」は「州に準じる」自治体として理解されるが、英語では、文字通り「州(state)」は「国」のことであり、「準州(territory)」は「地域」のことであって、まったく別の存在である。
▼『ロス疑惑』を採り上げること自体が疑惑である
このように、今回のサイパンにおける三浦和義氏の不当逮捕事件だけでも、この百年以上にわたる日米間のさまざまな問題が浮き彫りにされてきたが、さらに、私の心にひっかかったのは、今この時期に三浦和義氏を逮捕したことの背後に何か意図があったのでは…?
という点である。何故なら、司法というのは、政治に対して中立である振りをしながら、実は、中立ではないからである。例えば、与党の大物政治家の収賄事件の裁判が行われていて、たまたまその判決が3月1日に出るという公判日程が予め決まっていたとしても、突如として衆議院が解散されて、その投票日が3月3日に決まったとしたら、裁判所は、その判決の結果が直後の総選挙に大きな影響を与えると配慮して、判決の言い渡しを1週間遅らせた3月8日に変更するようなことがよくある。もちろん、ある人物を逮捕したり、ある団体を一斉家宅捜査したりする時も、明らかにその政治的タイミングを図って執行されている。
今回の「三浦和義氏逮捕」劇で言えば、明らかにその数日前に起こった自衛隊イージス艦あたごによる漁船との衝突事故が意識されている。衝突事故発生以来、日本のマスコミは、正規のニュース以外にも、ワイドショーやスポーツ新聞等、自衛隊・防衛省に対する非難の嵐一色である。それでなくとも、「ガソリン税の暫定税率延長」問題で、窮地に立たされている福田内閣にとって、今回の衝突事故がもたらしたイメージダウンは致命的なものになり(文字通り、福田内閣の“沈没”に繋がり)かねない。そこで、アメリカ政府が「三浦逮捕という“助け船”を出した」と考えられないだろうか?
案の定、日本のマスコミは「三浦逮捕!」に一斉に飛びついた。取材陣を何十人もサイパンに派遣し、朝から晩まで、『ロス疑惑』の再現に躍起である。おかげで、イージス艦の事故の報道体制は、沈没した漁船の捜査態勢と共に、急激に縮小されつつある。アメリカ政府の狙いは、おそらく、その直前(2月16日)に沖縄で起きた米海兵隊員による女子中学生暴行事件そのものも「薄めて」しまう効果も計算されているであろう。
よくよく考えてみれば、日本のワイドショーが、現在のような「衆愚制」を醸成する形になったひとつの大きなきっかけは、1981年に起きたいわゆる『ロス疑惑』が最初だったと記憶している。いわゆる「メディア・スクラム」と呼ばれるマスコミによる集団的加熱取材の弊害が叫ばれて久しいが、私が一番恐れていることは、疑惑の張本人をはじめ事件現場の周辺にいる人々への迷惑よりは、マスコミがひとつの問題を集中的に採り上げることによって、結果的には、別の場所で同時に進行している国民全体にとってより重要な問題を隠してしまっていることである。文字通り「『ロス疑惑』疑惑」である。アメリカ政府は、今回の「三浦逮捕劇」で、日本政府関係者にいったいどれだけの“貸し”を作ったのだろうか?
今回のサイパンにおける三浦和義氏逮捕事件に関して言えば、日本の最高裁で無罪判決の重みを米国政府がどう考えるのかという点と、たとえ米国の捜査当局から協力を要請されたとしても、「一事不再理」の原則を楯に取って、日本の捜査当局が「ノー」と言い切れるかどうかだけが重要な問題であって、個別の破廉恥事件である三浦氏個人の問題など、国民全体にとってはなんの意味もない。ところが、民放各局が一所懸命に採り上げているのは、「サイパンの弁護士がイケメンである」とかいった具合に、「なんの意味もない」部分にのみ躍起であって、これではまったく国家権力の思う壺に填(はま)っているではないか!
こんなマスコミに、「権力に対するチェック機能」を期待するほうが愚かである。今日も相変わらず、国民全体にとってはどうでもよい「個別の殺人事件」の詳細なディテールを公共の電波を用いて垂れ流し続けるのだ。なんとかならないものかと考えているのは私だけであろうか。