ウルトラシリーズと共観福音書成立の類似性
 1998.12.29


レルネット主幹 三宅善信


▼ シュバイツアーって何をした人?

1999年ということで、世紀末だとかミレニアム(千年紀末)だとかいわれるが、この年号の基準になる「西暦紀元(AD)」とは、いうまでもなくキリストの生誕年を元年とする年号である。ADとは「Anno Domini(主の紀元)」のことであり、「紀元前」を現すBCとは「Before Christ(キリスト以前)」の略であることを日本ではあまり認識されていない。近代日本では、公的には天皇の一世一代の元号(明治・大正・昭和・平成)を使い、同時に西暦を併用している。イスラム圏では、マホメットのメッカ帰還の年(西暦622年)を基準にしたヒジュラ暦(陰暦)が民衆の生活に根差して使われており、たとえば現在、進行中の断食月「ラマダン」は、ヒジュラ暦の「第9月」のことであるが、1年365日の陰暦であるので太陽暦とは毎年ズレてくる。また、東南アジアの上座部仏教諸国では、釈尊生誕(紀元前463年?)に基く「仏暦」を使っている。したがって、「世紀末(千年紀)」といっても、キリスト教徒でなければ、気にすることは全くないのである。もちろん、「ノストラダムスの大予言」なんてナンセンスであることは言うまでもない。

キリスト生誕を基準とする紀元の話は「後から創られた」ものであることは有名な話である。現在、われわれがよく知っている「イエスの生涯の物語」は、新約聖書の中で「福音書(Gospels)」と呼ばれる「マタイによる福音書」・「マルコによる福音書」・「ルカによる福音書」・「ヨハネによる福音書」の4つの福音書に記された「イエスの生涯」に基いて創られている。蛇足ながら、英語のhistory(歴史) は「His story (彼=キリストの物語)」から来ているともいわれるくらいだ。

皆さんはもちろん、アルバート・シュバイツアー(1875〜1965年)という人物をご存知であろう。「アフリカ(フランス領ガボン)のランバレネというところで、近代医学の恩恵の及ばない現地の人に献身的に尽くした医者だ」ということで、「日本では」知らない人はいないくらい有名な人だ。私も、小学生の頃に『世界偉人伝』とかで読んだ覚えがある。

なぜ、私がわざわざ「日本では」という部分を括弧でくくったのであろうか?実は、シュバイツアーは牧師であった。欧米では、ヒューマニズムに基づいた医者として社会的な功績を上げるより以前に、まず、J・S・バッハの音楽の研究家またオルガン奏者として著名であり、また、19世紀末から急激に発展した新約聖書における「イエス伝研究」という分野でも大きな業績を上げた神学者としても有名であった。私事で恐縮だが、1982年に、医者でもない私の祖父(三宅歳雄)が、ボストンに本部のあるChurch of Lager Fellowship という団体から「アルバート・シュバイツアー賞」を頂いたことがある。世界的な宗教対話の分野で活躍した祖父の業績が評価されたからである。シュバイツアーは、それほど多くの分野で業績を残した人であった。


▼イエス伝は「神話」か、それとも「史実」か?

それでは、いったい「イエス伝研究」というのはどういう学問なのであろうか?もちろん、ここでいう「イエス」とは、「キリスト教の創始者であるイエス・キリストその人」のことであることは言うまでもない。それでは、なぜ、私がわざわざ「キリスト教の創始者であるイエス・キリストその人」という部分に括弧をつけたのであろうか? 19世紀に入るまで、欧米のキリスト教国では、さすがに旧約聖書の天地創造の物語は「神話」であるとしても、少なくとも新約聖書に記されているイエスに関する事蹟は全てそのまま「史実」だと信じられていた。

しかしながら、『種の起源』(1859年)を著したC・ダーウィン(1809〜1882年)や、『資本論』(1867年)を著したK・マルクス(1818〜1883年)らが活躍した19世紀後半には、人類はもはや単純な意味で、聖書に書かれた「物語」をそのまま「史的事実」として信じることができなくなっていた。中には「史的イエスそのものが実在せず、後のキリスト教会が創り出した架空の人物(神の子)だ」という極端な意見まで現れた。こうして、史的イエスの存在証明への関心は、肯定派・否定派双方から沸き起こり、科学的・分析的アプローチ(文献批判学)は、長年タブーであったテキスト(資料)としての「聖書」そのものへも向けられることになった。

すると、新約聖書の冒頭に収録されている「イエスの生涯(誕生から十字架まで)」について記録された「マタイによる福音書(以下「マタイ伝」と略す)」・「マルコによる福音書(以下「マルコ伝」と略す)」・「ルカによる福音書(以下「ルカ伝」と略す)」・「ヨハネによる福音書(以下「ヨハネ伝」と略す)」という4つの福音書のうち、明らかに「ヨハネ伝」だけは内容を異にしている(他の3福音書とは別の資料を元に成立した)ことが判った。そして、この「ヨハネ伝」を除く「マタイ伝」・「マルコ伝」・「ルカ伝」の3福音書は、共通の資料を有しているらしいことが判ってきた。そういう訳で、この3福音書のことを「共観福音書」と呼ぶようになった。しかも、その成立順は、新約聖書に収録されているマタイ・マルコ・ルカの順ではなく、「マルコ伝」はイエスが十字架刑によって死んで(AD30年頃)から三十数年経ったAD66〜70年頃、「マタイ伝」がAD80年頃、「ルカ伝」がAD80年代後半頃、(因みに、「ヨハネ伝」はAD90年代)に成立したらしいということまで判ってきた。

そして、たとえ「イエスは復活したメシア(救世主)である」ということが、後の初代教会(使徒ペテロや使徒パウロの時代)の「創作(信仰告白)の代物」であったとしても、その基になった歴史上の人物として「ナザレのイエス」という人が実在したらしいということも証明された。彼を「キリスト(救世主)」と呼ぶかどうかは、ちょうど、史的人物であるシャカ族の王子ゴータマ・シッダッタを涅槃の悟りに達した人「ブッダ(仏陀)」と呼ぶかどうかと同じように、われわれ各人の信仰に依存することになった。つまり、科学的方法論による「歴史的信憑性」という第一次侵略に対して、宗教の側は「実存性」を武器にギリギリのところで踏みとどまることができたのである。


▼作者の立場によって異なるイエス像

シュバイツアーも取り組んだ「共観福音書」の文献批判学的研究は、20世紀に入って飛躍的に進歩し、マタイ伝とルカ伝は、「マルコ伝」を共通のテキスト(資料)にしていることを明らかにした。つまり、マタイ伝の作者(キリスト教神学界ではこれを「福音書記者」と呼んでいる)とルカ伝の作者は、マルコ伝を基本資料にして、それに、作者が置かれていた立場から、独自の解釈(神学)を加えて、それぞれ「マタイ伝」と「ルカ伝」を現したのだ。同じ事象に対して立場の違いから別の解釈がなされることは、よくあることだ。

「マルコ伝」は、AD66〜70年の「ユダヤ独立戦争」の時期に、ユダヤ人キリスト教徒である作者マルコが、ローマかシリア地域において、作者自身にとっては外国語であるコイネー(当時の地中海世界の共通語であった簡略化されたギリシャ語)を使って記述した(つまり、想定される「読者」は、ローマ帝国内の非ユダヤ人)。思想的傾向は、独立戦争という国難に当たって、生前イエスが説いた「直ぐにでも起こりそうな再臨(世界の終末と神による究極的な裁き)」が、いっこうに来ないことへの「言い訳」と、自分(ユダヤ人)たちの現状を「受難者」としてのイエスに重ね合わせることであった。

「マタイ伝」は、ローマ帝国との戦争に敗れて壊滅的打撃を受けたAD80年代に、ユダヤ人社会で勢力を伸ばしてきた「パリサイ人(ユダヤ教内の一学派)」勢力からのキリスト教共同体(当時は、まだキリスト教はユダヤ教から完全に独立していなかった)への攻撃への弁証と、ユダヤ人でキリスト教へ改宗した人々への理論武装が主な目的だったと考えられている。

AD80年代の後半に著された「ルカ伝」の作者は、非ユダヤ人でキリスト教信者としては三代目の世代である。しかも、使徒パウロの存在を知らない。著述の目的は、既に定着しつつあったキリスト教を、いかにローマ帝国によって認めてもらうかであり、帝国の有力者に向けて書かれている。イエス処刑の責任は、当時、ユダヤを占領していたローマ軍にあらず、イエスを担いで独立運動を起こそうとした急進派ユダヤ人たちの仕業である、ということにした。

ついでに、共観福音書ではないがAD90年代に成立した「ヨハネ伝」について触れると、この作者は、ギリシャ哲学を身につけたインテリであり、イエスの言動から悪霊追放などの奇跡物語といった具体性が削り取られ、極めて形而上学的な内容となっている。また、既に大きな集団になっていたキリスト教内の他のグループ(グノーシス派)への論駁や、キリストの再臨(世界の終末)がなかなか来ないのではなくて、理念化された終末は既に始まっているという解釈を編み出した。


▼ 「Q資料」とは何か?

更に厳密な研究によって、オリジナルであると考えられていた「マルコ伝」に何ら言及されていないにも関わらず、マタイ伝・ルカ伝に共通して言及されている事象があることも判ってきた。すなわち、どうやらもうひとつ「失われた基本資料」があるらしいということが判明してきた。共観福音書研究家は、この資料を「泉」という意味のドイツ語の頭文字を取って「Q資料」と名づけた。つまり、共観福音書は、現存する新約聖書に収められた3つの福音書に、いわば「Q福音書(?)」を加えて、4つの共観福音書が存在したことになる。


4共観福音書間の相互関係は、図のようになる。まず、「Q資料」が編纂され、これとは全く別の伝承から「マルコによる福音書」が成立した。それから、十年程してから「Q資料」と「マルコ」を資料に「マタイによる福音書」が、さらに数年して、同じく「Q資料」と「マルコ」を資料に、別の立場から「ルカによる福音書」が、それぞれ別々に成立したことになる。さらに、ルカ伝の作者は、新約聖書中、ヨハネ福音書に続いて収録されている「使徒行伝」の作者でもあることが判明した。

それではなぜ、ひとつしかなかったはずの「イエスの生涯」を、かくも別の角度から何度も「福音書」が作り直されねばならなかったのであろうか?そのひとつの理由は、初代教会内の勢力争い(イエスの在世中でも「12人使徒」と呼ばれる高弟がいたが、それぞれ民族・社会的背景も異なり、史的イエスに求めていたものもそれぞれ異なっていた)である。もうひとつの理由は、イエスの処刑後に結成された(イエスを救世主キリストであると信じる人々の集団である)初代教会の地理的・社会的立場が、年数を経るにしたがって変化し、その現状に合わせるために「都合のよいイエス像」がその都度、書き改められたのであろう。


▼ウルトラシリーズの歴史的経過

さて、ここで、本エッセイのもうひとつのテーマである「ウルトラシリーズ」について触れないわけにはゆくまい。私はこれまで当「主幹の主観」コーナーにおいて、ウルトラシリーズについて2度触れた。すなわち、『ウルトラマンに観る親鸞思想:「光の国」と「往相還相」』では、日本人の集合的無意識ともいえる死生観を、『堕落したウルトラマン:異安心タロウ』では、ウルトラマンに始まり現在放送中のウルトラマンガイアに至るウルトラシリーズを高度経済成長期以後の社会情勢の変化との関連で分析を試みた。今回は、共観福音書の成立プロセスを参考に、三十数年間にわたるウルトラシリーズの各作品を分類してみたい。

まず、テレビシリーズにおける「怪獣もの」の原点=文字通り「Q資料」である「ウルトラQ(1965年)」と続いて制作されたウルトラマンシリーズのプロットともいえる「ウルトラマン(1966年)」と「ウルトラセブン(1968年)」の両作品である。この2作品は、その後、二十数本のシリーズ作品が制作されたが、これを超える作品が未だに創られない程、完成度の高い作品である。というよりか、アイデアが既に出尽くしている。

主人公が、普段は科学特捜隊やウルトラ警備隊の一隊員であり、怪獣・宇宙人の出現に対して、まず、人間的努力(武力その他による攻撃)を行ってみるが、それがうまくゆかず、人知の万策(自力)が尽きたときに、ウルトラマンあるいはウルトラセブンが現れ(絶対他力)て怪獣・宇宙人をやっつけてくれる。これらを倒した後、直ちにこの超人たちは、人類になんら見返りを求めずに「光の国(浄土)」へと飛び去る。そしてまた、繰り返し出現する(往相還相)のである。しかも、この両作品は「(大量生産大量消費を礼賛した)大きいことはいいことだ」の高度経済成長真っ只中の60年代に作られたにもかかわらず、今日の世界のもろもろの状況を予見している作品である。共観福音書でいえば、文字通り「(ウルトラ)Q資料」に当たる作品だ。

次に、70年代に入って連続して制作された――共観福音書に譬えれば「マタイ伝」に当たる――「帰ってきたウルトラマン(J)」、「ウルトラマンエース」、「ウルトラマンタロウ」、「ウルトラマンレオ」の4作品であるが、「石油ショック」以後の世相を反映して、経済成長の限界や公害に見られる成長の陰の部分が意識して作られていた(特に「帰ってきたウルトラマン」)にもかかわらず、途中から、問題を深く掘り下げることを諦め、幼児向きへとレベルを下げ、兄弟愛や家族愛といった時代錯誤のストーリー展開となってしまったことは、『堕落したウルトラマン:異安心タロウ』で論証したとおりである。

子供たちの関心は、当時、主流になりつつあった「仮面ライダー」や「キカイダー」などの「等身大ヒーローもの」に完全に移ってしまった。しかも、これらのヒーローたちは、前時代のネアカのヒーローではなく、常に自分の心に陰を持った人である点でも、少年たちから親近感を持って歓迎された。ウルトラシリーズが不調を極め、それ以後に作られた諸作品が悉く「駄作」であったことは言うまでもない。

その後「等身大ヒーローもの」も、「秘密戦隊ゴレンジャー」の大ヒットをきっかけに、道教的五行思想に基づく「集団戦隊もの」というジャンルを確立し、わが世の春を謳歌した。ところが、諸行無常は世の習いというか、バブル経済時代にTV番組とタイアップした玩具メーカーの「売らんかな」根性丸出しの半年交代の「2段合体ロボットもの(まず、等身大ヒーローがロボットと合一し、それから、それらのロボットたちがさらに合体して巨大ロボになるというもの)」へと展開することによって、この路線にも行き詰まりが見えだした。子供たちの関心は、ファミコンを初めとするコンピュータゲームへと移ってしまった。

▼平成のウルトラマン

そういう時代(90年代)に現れたのが、劇場公開用映画作品として作られた「ウルトラマンゼアス」である。この石油会社(出光興産)とタイアップして作られた異色のウルトラマンは、人気者とんねるずの2人の起用はいうまでもなく、これまでのウルトラシリーズにはなかったCG技術の導入と、初代ウルトラマンに出演していたメンバーをコミカルなゲストとして総出演させることにより、自らの少年期にウルトラマンを観て育った現在子育て中の30代の親たちに、ノスタルジアを感じさせると共に、子供に「安心して観させることのできる作品」として支持を取り付けることに成功した。共観福音書に譬えれば、「マタイ伝」に当たる。

そして、いよいよTVシリーズとして復活することになったのが「平成のウルトラマン」と呼ばれる「ウルトラマンティガ」とその続編である「ウルトラマンダイナ」の両作品である。これらは、共観福音書に譬えれば「ルカ伝」に当たる。70年代の諸作品のようないい加減な作りではなく、それぞれにしっかりとテーマを持たせてキッチリ作られた「ウルトラマンティガ」と「ウルトラマンダイナ」は、原点である「(初代)ウルトラマン」と「ウルトラセブン」に相当する作品であった。制作サイドもまた、そのことを意識して作品を仕上げていた。というよりも、制作サイドのスタッフたちの中心が、二十数年前にウルトラマンを観て育った世代が作ったからだとも言える。つまり、キリスト教信者としては三代目であった「ルカ伝」(と「使徒行伝」)の作者が、狭いユダヤ人世界を離れて広いローマ人世界へキリスト教を伝播することを目的としていたように、「ティガ」と「ダイナ」の両作品は、ウルトラシリーズに新しい地平を開いたと言える。



▼ ガイアはヨハネ伝

息子たちと一緒に「ウルトラマンダイナ」の最終回を観終えて、「来週からはウルトラマンガイアが始まる」と聞いた時、私は一瞬、悪い予感がした。「これはいつか来た道ではないか?」そう、30年の時を隔てて、「帰ってきたウルトラマン」に始まるウルトラシリーズ堕落の道の再現か? と思って、最新のウルトラマンであるガイアを視た。

ところが、このウルトラマンは少し変わっていた。もちろん、題名の「ガイア」からして「地球環境もの」であることは予測が付いたが、これまでのウルトラシリーズが「他力性」つまり、人間の側の努力や才能に関係なく、ウルトラマンの側からの一方的な選び(選択本願)によって、ハヤタのように事故死した人間がウルトラマンと合一するのではなく、また、ウルトラマンが遥か宇宙の彼方の「光の国(極楽浄土)」から来るのでもない。ガイアの主役である天才青年ガム(無我の逆)は、自らの意志によって、量子論的存在(時間と空間を同定してこの世に存在できない)であったウルトラマンをこの世界に「目に見える存在」として出現させたのである。しかも、このウルトラマンは、遥か宇宙の彼方M78星雲(光の国)からではなく、このガイア(ギリシャ語で「地球」の意)そのものが生み出したのである。

さらに、このウルトラマンのユニークなところは、もう一人の謎のウルトラマン「アグル」が登場する。このギリシャ語の「土地」や「野生」という意味のアグロスを連想させる名前の正体不明のウルトラマンに至っては、正義(人間)の味方でもなんでもない。場合によっては、人間のために怪獣をやっつけようとしたガイアの邪魔をして、ガイアと戦うことすらあるのだ。ここには、単純な人間中心的な価値観からの意味での勧善懲悪はない。視聴者に、常に「生命の星、地球からの視点」でものを見るように求めている。恐らく、ガイアとアグルの2人のウルトラマンは、生命体としての地球の「和霊魂(にぎみたま)」と「荒霊魂(あらみたま)」に相当するのであろう。

そういう意味からも、ウルトラマンガイアという作品は、他のウルトラシリーズとは異色な、哲学的・観念的な発想で作られているという点からも、新約聖書における「ヨハネ伝」に相当する作品であると思う。「主幹の主観」読者の皆様の批評を仰ぎたい。

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