新型インフル、ゲロンチョリー

 09年05月17日



 レルネット主幹 三宅善信            
                   

▼祭の中の祭といえば…

  5月15日は言わずと知れた「葵祭(あおいまつり)」の日である。葵祭を祇園祭や時代祭と並べて「京都三大祭」という向きもあるが、皇室を中心とする貴族の祭(註:現在でも、勅使(代)や斎王(代)といった人物が参列する)である「葵祭」と、庶民の祭である「祇園祭」(註:この祭が平安京における伝染病除けの祭であることは、『都市と伝染病と宗教の三角関係』をはじめ、当「主幹の主観」コーナーで再三述べたとおりである)とは、まったく趣を異にする。ましてや、東京奠都(註:京都では、明治維新の折に「江戸に遷都」したのではなく、徳川幕府の本拠地であり、千年にわたって王化の行き届かなかった野蛮な東国に朝廷の恩恵を知らしめるために、長期間にわたって「天子さんが行幸してはる」だけである。という意味を込めて「奠都(てんと)」と読んだ)後の寂れた京都を華やかにするために、明治28年に「平安遷都1100年」を記念して造営された平安神宮へのコスプレ行列である「時代祭」を一緒にするなんぞ、日本の伝統文化に対する冒涜以外の何者でもない。

  古来「三勅祭」と言えば、春日大社の「春日祭」と、石清水八幡宮の「石清水祭」(註:私は4月26日に斎行された正遷座祭に招かれて参列した)と、上(正式には「賀茂別雷神社」)と下(正式には「賀茂御祖神社」)の賀茂社で斎行される「葵祭」のことである。特に、『源氏物語』の「葵の巻」に、光源氏が勅使を務める斎院行列の見物に行った葵の上(源氏の正妻)と六条御息所(源氏の愛人)の牛車の駐車場争いが起こるシーンが描写されているように、葵祭は千年前でも大変人気のあった祭であり、平安時代、単に「祭」と言えば、「葵祭」のことを指していた。古代、賀茂族は、山背国(註:奈良に都があった時代には、大和(やまと)国から見て「平城(なら)山」の背後側という意味で、「山背(やましろ)国」と呼ばれていたが、平安京遷都後は、「山城(やましろ)国」という雅称に変えた)を本拠地としていたが、平安遷都に当たり、「先住民」である賀茂族を懐柔するため、賀茂族の氏神である賀茂社に対して朝廷が最大級の敬意を表することによって、効率的な山城国統治を目論んだのが葵祭の始まりである。

  しかして、この古式ゆかしい葵祭は、現在でも、天皇からの「勅使」(註:現行の「皇室典範」では、天皇の私的な使役人である掌典職が勅使を務める)が祭文を奏上する『社頭の儀』と、「斎王代」をはじめとする平安装束に身を包んだ選ばれた一般市民が、京都御所から下賀茂神社を経て上賀茂神社へと到る『路頭の儀』からなる。しかし、いかに一般市民から選ばれると言っても、「祭の華」である「斎王代」は、かなり良家の子女でなければ選ばれないことは、言うまでもない。因みに、今年(2009年)の斎王代は、弘仁元年(810年)に嵯峨天皇の皇女有智子内親王が初めて斎王になって1200年目の佳節に当たることから、「良家中の良家の子女」ということで、裏千家第十六代家元千宗室氏の長女千万起子さんが選ばれた。ご母堂は、昭和天皇の御弟君である三笠宮崇仁親王殿下(古代オリエント学者)の娘容子内親王(今上陛下の従姉妹)であるから、まさに「斎王」に相応しいロイヤルな血筋である。


▼「ホルモー」って何?

  さて、この「由緒正しい」葵祭の描写を物語の重要な場面に設定している万城目学(まきめまなぶ)氏の小説に基づく映画『鴨川ホルモー』がゴールデンウイークを前に封切られた。もちろん、原作は2006年4月の刊行された小説『鴨川ホルモー』と2007年11月の刊行された続編『ホルモー六景』(註:内容的には、前作の時間進行と同時並行もしくは数十年前と数年後の話が収録)であるが、映画化に当たっては当然、原作と変更されている箇所がいくつかあるが、概ね原作の色は踏襲されている。映画の脚本を担当した経塚丸雄氏とは一緒に仕事をした経験があるし、愚息は、私立の小学校・中学・高校とも原作者万城目学氏の後輩になる。そして、物語の主人公である京大生の安倍明(註:10世紀の中級貴族の陰陽師「安倍晴明」をもじった名前。安倍(=土御門)氏は賀茂氏と共に陰陽道の家系)の親友である高村(註:9世紀の公卿「小野篁(たかむら)」をもじった名前。遣唐副使を断り流刑になるも、天下無双の文才で直ぐに返り咲き、従三位参議に。夜毎、井戸を通って閻魔(えんま)の庁へ出勤し、閻魔大王を補佐していると噂された奇人)同様に「帰国子女」である。ただ、在籍している大学が京大ではなく、ホルモー競技のライバル校のひとつ立命館大学であるが…。

  小説を読んでいない、もしくは、映画を見ていない方のために、内容を簡単に要約すると、千年前(平安時代)から連綿と、京の都で二年に一度ずつ行われてきた『ホルモー』という格闘競技を通して、登場人物たちの青春模様を描いた作品である。ただし、格闘するのは、人間や動物ではなく、数千匹の「オニ」と呼ばれる身長20cmほどの「魑魅魍魎」(註:映画『陰陽師』でいうところの「式神(しきがみ)」、『もののけ姫』でいうところの「コダマ(木霊)」)の類であって、これらを「オニ」語を使って巧みに使役し、格闘ゲームを競うことになっている。ただし、「使役する」とはいっても、作戦を立て各チーム千匹ずつのオニたちに命令する人間は、オニの側から選ばれるのであって、その意味では、どちらが本当に「使役されている」のかは不明である。現在の参加チームは、京都御所を中心に、『風水』で説くところの「四神相応」の位置にある京都大学(東)・龍谷大学(南)・立命館大学(西)・京都産業大学(北)の学生サークル活動として「京大青龍会」・「龍谷フェニックス(朱雀団)」・「立命白虎隊」・「京産玄武組」の4チームが存在している。かつては、京都御所(中央)に隣接する薩摩藩邸跡に建てられた同志社大学に「同大黄龍陣」というチームがあったが、明治維新の混乱で消滅したらしい。

  1965年に創立された京都産業大学を除けば、わが国有数の歴史を有する大学であるので、この体制になってからでもかなりの年数が経過しているが、千年間の歴史(註:物語中、「今回が第500代ホルモーである」と明記されている)を有するのであるから、恐らく平安時代から鎌倉・室町・安土桃山・江戸時代と、その時代その時代のプレーヤーを変えて戦われてきたのであろう。近代に到るまで、京都はその間、ずっと「帝都」として、自ら天下人たらんとする人々が狙ってきた街だから、戦闘の種は尽きず、それ故、「保元平治の乱」・「応仁の乱」・「本能寺の変」等々、無念の死を遂げた人々も多くいたはずである。現在存在する4つのチームは、京大=吉田神社、龍谷=伏見稲荷、立命=北野天満、京産=上賀茂と、各大学の近所にある由緒正しい神社で、二年に一度、オニたちに「選ばれし新入部員」たちが、神事を通してオニたちと契約し、一年間をかけてホルモー競技を行うのである。


▼歴史的な因縁を持つ(?)ホルモー競技者

  そして、二年に一度、5月15日の葵祭の「路頭の儀」で牛車を曳くアルバイトをした各大学の新入生たちの中から、その世代間のホルモー戦士(各年度10名ずつ)が選ばれるのである。であるから、小説も映画も、葵祭の「路頭の儀」のシーンから始まる。ただし、各大学で新入生を勧誘(註:大学のサークル活動では、合格発表後もしくは入学後直ぐに新入生の勧誘活動が行われるのが一般的なので、5月の中旬までどのサークルにも加入していない学生は、たいてい中途半端な「あかんたれ」であって、物語中でも「新勧コンパ」での各参加者の微妙な心理具合が描写されている)してからも、「ホルモー」という奇妙な競技を行うサークルであることは、上回生から徹底的に隠匿され、その間、野外活動なんかでお茶を濁され、新入生たちからは「サークル活動に名を借りた新興宗教の勧誘か?」と猜疑の目で見られている。しかし、これらは各大学間の公平を期すためであって、祇園祭の「山鉾巡航」が行われる前日の「宵山」(7月16日)の20:00キッチリまで、新入生に「ホルモー」のことを一切告げてはならないことになっている(註:作品中では『宵山協定』と呼ばれる)。そして、この日、上回生たちは、初めてユニホームである青・赤・白・黒の浴衣を来て、新入生たちの前に現れ、20:00キッカリに「宵山」見物でごった返す四条烏丸交差点に、それぞれ東西南北の通りから向かい、そこで邂逅し、今年度の「ホルモー」開始を告げるのである。

  ホルモーは各チーム10人ずつで戦われるので、主人公たちがいる京大青龍会チームには、安倍と高村以外に、安倍が新勧コンパの際に、その鼻に一目惚れした早良京子(註:長岡京造営に絡む政争に巻き込まれて憤死。兄桓武天皇に祟ってわが国最初の怨霊神となった。800年に「崇道天皇」号を追贈された「早良親王」をもじった名前)。そして、安倍と早良京子を巡る恋のさや当てをすることになる文武両道のイケメン芦屋満(註:安倍晴明のライバルであった陰陽師「葦屋道満」をもじった名前。天下人である藤原道長お抱えの陰陽師であった安倍晴明との式神対決に敗れ、追放された)。芦屋の圧倒的な戦闘力は、弱小チームの京大青龍会を一躍優勝候補に押し上げ、他行から「吉田の呂布(註:後漢帝国崩壊時に活躍した猛将。『三国志演義』最強の武将であったが、性格が悪く戦略にも欠ける人物であったので、最後は曹操に滅ぼされた)」と恐れられた。それから、早良京子とはまるっきる反対の見た目もダサく、無愛想な楠ふみ(註:後醍醐天皇を助けた知将「楠木正成」をもじった名前)。最終的には、理科系の彼女の意外な活躍で、物語が終結する。あとの5人は「数合わせ」的な人物で、性格の描写も個人的なエピソードもほとんど紹介されていないが、安倍派の双子三好兄弟(註:織田信長の上洛を阻止しようとして、摂津・大和・山城国で抵抗し、滅ぼされた「三好三人衆」をもじった名前)と、芦屋の舎弟分の松永(註:将軍足利義輝暗殺、東大寺大仏殿焼失の首謀者で、「三好三人衆」の天敵、乱世の梟雄(きょうゆう)松永弾正をもじった?)、坂上(註:桓武天皇の命で蝦夷を討ち東国を統一した初代征夷大将軍坂上田村麻呂。清水寺を造営)、紀野(註:古今和歌集の編者紀貫之をもじった?)の3名に到っては、全く影が薄い。

  これらの第500代メンバー10名は、第499代京大青龍会の「会長」の「スガ氏」こと菅原真(註:讒言によって右大臣から左遷され、太宰府で憤死後、祟り神として霊力を大いに発揮し、それを鎮めるために「天満大自在天神」として奉られた「菅原道真」をもじった名前)他の上回生によって「オニ」語習得の指導を半年間にわたって受けた後、一年間におよぶ「ホルモー」(註:世代毎に、便宜的に「○○ホルモー」という呼称が付けられているが、実際に戦われる場所は、京都市内の「オニ」を扱う神社の境内と道路上以外の場所。大学のキャンパスや鴨川の河原、デパートの屋上等。ただし、「闘う」のはあくまで「オニ」同士であって、指揮する人間同士は身体を触れては行けない)競技が戦われるのである。もちろん、この「オニ」は、一般の人間には見ることができない存在であり、現在の競技者および過去の競技者だけが見ることができるが、その競技者と雖(いえど)も、「オニ」自体に触れることはできず、あくまで「オニ」語を使ってコミュニケーションが取れるだけである。物語自体は、大学生の他愛もない青春恋愛小説であるが、同じく京大出身の作家森見登美彦氏によって2006年11月に発表された『夜は短し歩けよ乙女』同様、得体の知れない魑魅魍魎が跋扈する点や、その舞台として、四季折々の京都の神社仏閣や歴史にまつわるエピソードが語られるので、読者や映画の主な観客層である若者に日本文化への興味を誘わせるのに役立っていると言える。


▼断末魔の絶叫「ホルモォォォー!」

  以上が、「ホルモー」のあらましであるが、もうひとつ大事なことがある。それは、1人100匹ずつの「オニ」を使役して、1チーム10名ずつであるから、1回の闘いでは、各チーム1,000匹ずつの「オニ」が入り乱れて闘う(短い時で約30分、長い場合で数時間)わけであるが、勝負の決着は、1,000匹が全滅させられるか、キャプテンが「降参」を宣言した時点で終わる。通常の対戦回数は、4チームが総当たり戦をホーム&アウェイ方式で行うので、1年間に全12試合が行われ、その通算成績で順位が決定する。ただし、1,000匹が全滅させられるケースはほとんどなく、実際には、敗勢になったチームが「降参」を宣言して終了することがほとんどである。何故なら、もし、誰かが自分の使役する「オニ」100匹を全滅させられた場合には、ところ構わず、その本人がいくら抗しようと思っても、身体の内部から突き上げてくる力によって、「ホルモォォォー!」と、街中に響き渡る声で断末魔の絶叫を挙げることになるからである。もちろん、この絶叫からこの競技の名称が取られたことはいうまでもない。

  これが「オニ」たちを全滅させた(註:ただし、次の「ホルモー」の際には、また、各自100匹ずつの「オニ」が与えられる)罰であり、その後、何時何処で何が起こるがどうか判らないが、本人の身に必ず異変が起こる。立命館大学衣笠キャンパスで闘われた「ホルモー」初戦で、自らのミスで「オニ」を全滅させて「ホルモォォォー!」と叫ぶことになった帰国子女の高村は、ある時、自分の右手が勝手に動いて剃髪し、織田信長のような茶筅髷(ちゃせんまげ)スタイルになってしまう。つまり、丁髷スタイルで、何カ月も生活することになり、当然のことながら、大学関係者や街行く人々の冷たい奇異の目に晒されることになる。

  因みに、『鴨川ホルモー』本編には収録されていないが、物語中「漆黒の最強軍団」である京産玄武組をリードする「二人静」こと、定子と彰子の女戦士(註:もちろん、10世紀末に一条天皇の“皇后”の座を巡って、鍔迫り合いを演じた中宮定子(=関白藤原道隆の長女、清少納言らがブレーン)と、中宮彰子(=摂政藤原道長の長女、紫式部・和泉式部・赤染衛門らをサロンに集めた)をもじった名前であることは言うまでもない)の友情と軋轢(註:これまでの人生で男に縁のなかった二人が新勧コンパで知り合って意気投合。「大学生の間は、誕生日・クリスマス等のあらゆる記念日を二人で過ごす」という『北山議定書』を締結して、色恋事なしでホルモー競技に打ち込むが、二人の同盟関係は、定子に同志社大学生の一条君という恋人ができたことによって崩壊し、「オニ」たちを私的に用いて決闘し、互いに「オニ」たちを全滅させてしまい、「ホルモォォォー!」と絶叫するシーンが『ホルモー六景』に収録されている)の物語や、くじ引きで室町幕府第六代将軍となった足利義教(註:第三代足利義満の三男。慣例によって仏門に入り、義円の名で、青蓮院門跡から第153世天台座主まで務めた仏教界の逸材であったが、兄の四代将軍足利義持の息子の五代将軍義量が夭逝したため、「源氏(武家)の守り神」であるところの石清水八幡宮で、義持の4人の弟の中から籤(くじ)引き(=中世では、籤は神意であった)で選ばれ、還俗して義教と改名し、征夷大将軍に就任。足利幕府の復権に努めた)の故事に因んで、くじ引きで立命館白虎隊のキャプテン(会長)となった細川珠恵(註:明智光秀の三女玉子、肥後細川家の祖となった細川忠興に嫁いだが、キリシタンであったため、明治以後は「細川ガラシャ」と呼ばれるようになった「明智(細川)玉」をもじった名前)の伏見稲荷大社と本能寺の変にまつわる恋物語など、随所に歴史詳しい人なら余計に楽しめる構成になっているが、細川珠恵も、「オニ」を全滅させられて「ホルモォォォー!」と絶叫したことに伴う身の異変として、時代を超えて本能寺の変に巻き込まれることになる。


▼使役されてきたのは「オニ」たちではなく人間のほう

  こうしてみると、「ホルモー」競技は、参加者の人生に関わる大変“危険な”競技であって、なおかつ、そのメンバーに選出されるのは、一見「本人の意思」によってサークルに加入したかのように見えながら、実際には、葵祭の「路頭の儀」の後に、「オニ」たちによって選ばれた者が、形式上は、安倍や高村たちが前年度会長である菅原たちの勧誘を受けただけのことである。しかも、「ぐああいっぎうえぇ」(「進め!」の意)、「ふぎゅいっぱぐぁ」(「止まれ!」の意)、「バゴンチョリー」(「取り囲め!」の意)などの奇っ怪な「オニ」語を用いて、10人X100匹の「オニ」たちを「使役」して、「ホルモー」競技を闘うように見えても、実際には、「オニ」たちとの二年間の契約を「途中解約(クーリングオフ)」することができず、もし、いったん契約した者が逃走しようとしたら、一生その人間に取り憑く(註:物語中、早良京子を巡る恋愛競争で、芦屋に敗れた安倍が、ホルモー競技に参加することによって、芦屋と顔を合わせることになるのが嫌で、京産玄武組との対戦を欠場して、携帯電話の電源も切り、下宿で一週間の「物忌み」を行うシーンが描かれているが、その話の中で、「途中解約」できないことが説明されている)ことからも明らかなように、千年間の長きにわたって、実際に「使役」されてきたのは、「オニ」たちではなく、人間たちのほうである。

  そして、めでたく二年間の「ホルモー競技生活」を終えた者たちは、『ホルモー六景』で描かれている京産大玄武組第498代会長の榊原康(註:徳川四天王の一人、初代上野館林藩主榊原康政をもじった名前)と龍谷大朱雀団の第498代会長の井伊直子(註:徳川四天王の一人。具足・旗備えなど一切の武具を朱色の染めた井伊家の「赤備え」軍団の武勇は、「戦国一」と称せられ、家康の天下に貢献した徳川家臣団の筆頭。酒井家と並んで徳川幕府の「大老職」に就ける家格。初代近江彦根藩主井伊直政をもじった名前)が、東京で平凡なサラリーマン生活を送っているシーンが描かれているように、ホルモー経験者たちも皆、普通の社会生活へと戻っていくことから、ある意味、人生における「通過儀礼(rite of passage)」(註:お宮参り、食い初め、七五三、成人式(元服・徴兵検査)、結婚式、葬儀等、人生の各段階における次なる状態に入っていくための儀礼。世界中の各民族で広汎に見られる民族特有の習俗。文化人類学の重要な研究テーマのひとつ)とも捉えることができるが、「ホルモー」はむしろ、“未開(primitive)”な社会にしばしば見られる割礼、抜歯、刺青、バンジージャンプのごとき、本人の“苦痛”が伴う――それゆえに、一人前の部族のメンバーとなったことが証明される――“勇気”を試される「イニシエーション(initiation)」に近いものである。

  したがって、「ホルモー」経験者たちだけが加入することができる「フラタニティ(fraternity=兄弟団・同志会)」のようなものが形成されており、ライバル同士も前述の榊原康(京産大玄武組OB)と井伊直子(龍谷大朱雀団OG)や、細川珠美(立命館白虎隊)と高村(京都大青龍会)のように、「ホルモー」の場を離れれば、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズにおける古代守とデスラー総統のような関係になっている。中には、第475代間「ホルモー」のOBで、その後、「ホルモー」に関する会合の会場を50年間の長きにわたって提供し続けた競技委員長的人物である三条木屋町の居酒屋『べろべろばー』の店長安倍某や、室町通六角所在の和菓子屋「沙狗利」主人等、長年にわたって「ホルモー」の面倒を見ている人物もいる。


▼新型インフルの侵入ルートは米軍基地から?

  現在、巷では、特に神戸や大阪を中心に近畿地方一円では、新型インフルエンザが大流行する兆しがある。成田空港をはじめ関西空港や中部空港等で、おそらく世界一厳重な「水際検疫」対策が取られている――その際、米国やカナダからの帰国便に数名の感染者を発見し、機内で彼らの近くの席に座っていた「濃厚接触者」たちが、成田空港近くのホテルで「停留」措置を受けた――というのに、あろうことか、海外旅行に行ったことのない神戸の高校生たちから始まって、バレーボール大会に参加した高校生を中心に百名単位で感染者が発生した模様だ。インフルエンザの潜伏期間は、二・三日であろうから、仮にロサンゼルス等で新型インフルエンザに感染したとしても、十時間ほどのフライトで日本に帰国できてしまうので、現地を出発間際に感染すれば、空港での「水際検疫」の時点では発病の徴候もなく、無罪放免となって、それぞれの自宅へと戻り、翌日の通勤通学時になって発病し、車内や学校・職場でウイルスをばらまくというセオリーであろう。

  しかも、キャリヤー(保菌者)は、日本人だけではない。北米各都市から日本の空港を通過して、中国・韓国・台湾・フィリピン等の東アジアの各都市へ行く人々も機内で日本人乗客に感染させてしまうという可能性もある。さらには、日本国内に何カ所もあるアメリカ軍は、検疫どころか、日本への入国時に当たってすら、検疫はおろか「入管(出入国管理)」すら受けずに、米軍機で上陸してくる米兵がたくさん居る。基地内で働く日本人を通じて、また、彼らが街へ遊びに出かけた際に直接、日本人に新型インフルエンザを感染させていると考えられる。おそらく、そのようなルートを通じて、日本国内へ新型インフルエンザが侵入してきたのだと思う。だとすると、あの成田空港等での仰々しい「機内検疫」は、いったい何の目的で行っているのであろうか? 言わずと知れた「政府は国民を保護するため、できるだけのことはやっていますよ!」という国民向きのパフォーマンスである。もし、本気で新型ウイルスの侵入を防ごうとするのであったら、まず、米軍兵への日本上陸を規制すべきである。

  しかし、今回の新型インフルエンザ騒動は、二重の意味で「ラッキー」であった。一番目は、今回の新型インフルエンザ(H1N1亜型)が、思いの外「弱毒性」であったことが挙げられる。もし、これが数年前からパンデミックが懸念されていた致死率60%以上のH5N1亜型だったら、大惨事になっていたであろう。二番目は、今回の新型インフルエンザ騒動のおかげで、日本政府はもとより各自治体から各企業・各学校等が「机上演習」で立てていた計画がいかに、「穴だらけ」であったかは、完全防備服を身につけて広い空港を走り回った厚労省の検疫官たちが1週間交替シフトなしで頑張ったが、これがもし1カ月連続だったらとても持たなかったであろう。兵庫県や大阪府では、とりあえず「5月18日(月)から22日(金)まで(実質的には、24日の日曜日まで)域内の中学校・高等学校を臨時休校措置とする」ということを発表したが、とんでもない。

  もちろん、今回の新型インフルエンザが、比較的若者に感染し、重篤化しているようである――つまり、「ソ連かぜ」と呼ばれた既存のH1N1亜型の変化形のため、高齢者は何らかの交差免疫を持っていると考えられる――から、とりあえず、子どもたちが接する学校を休校措置にすることによって、「学校ルート」からの感染を封じ込めようとしたのであろう。しかし、わが家にも、一人京都で学生生活を送る長男は別としても、高校生の長女と中学生の次男が居るが、ちょうど「中間考査」の時期と重なった彼らは今回の「臨時休校」を大いに喜んだ。こんなことなら、学校も1週間分の宿題を出してくれたら良いものを、突然の措置であった――特に、「集団感染者」を出した神戸市や高槻市の学校関係者が批判を受けたことから、各学校関係者が「わが校にも飛びしてはいけない」とびびって、いち早く「休校措置」を決めてしまった――ために、宿題作成の用意もできず、子どもたちを「野放し状態」にしてしまった。


▼「ゲロンチョリー!」でインフルエンザ除けを

  さいわい、家の敷地の中になんでもあるわが家の子どもたちは、1週間や2週間、屋敷から一歩も外出しなくても、両親共に家に居るので、十分退屈せずに生活できるであろうが、夫婦共稼ぎのご家庭や、比較的小さな集合住宅で暮らしておられる方々のお子さんたちは、恐らく、学校が臨時休校になったことで、キタやミナミの繁華街やUSJなのでパークに出かけたり、カラオケボックスや映画館やゲームセンター等に入り浸りになる子どもたちが大量に排出されること請け合いである。そうしたら、もし、学校で通常どおり授業が行われていたら、インフルエンザが感染しても同じ学校同士なので、感染ルートの解明や治療対策も取りやすかったであろうが、各学校の生徒たちが「野放し状態」で入り乱れて遊び回るので、インフルエンザの感染がさらに拡がってしまうかもしれない。おまけに感染ルートの特定も困難になってしまう。

  しかし、感染症の特性上、ある地域である程度感染が広まったら、どういう訳か、流行が収束してゆくことになることになっている。それは、新種のバクテリアやウイルスによる感染症が急激に拡大しすぎて、当該地域の全員が感染して、全員が死亡してしまったら、そのことは同時に、そのバクテリアやウイルスまで、結果的には宿主が居なくなってしまって、全滅するしか運命がなくなってしまうので、もし、そんな生物が居たとしても、とっくの昔に絶滅してしまっているであろうから、現存するあらゆる微生物は、ある程度、感染者数を広げたら自動的に収束していく指令が遺伝的に刷り込まれているものと思われる。そういう戦略を取ることによって、遠い過去から未来へと連綿と自分たちの遺伝子を伝えていくことができるのである。

  穿った見方をすれば、弱毒性のうちにわざと「浅罹り」しておいて、新型ウイルスに対する免疫を獲得しておき、遺伝子が強毒性に変化しても自分だけは大丈夫という作戦を考えている人も居る。神戸市内に暮らす49歳になる愚弟は、マスクも着けずに神戸市内の繁華街を彷徨いて「浅罹り」を狙っているそうだ。私自身は、いざという時のために、インフルエンザはおろか、アスベストから一酸化炭素中毒まで防げる目鼻口完全防備の業務用マスクを用意して、たとえ街中にウイルスがウジャウジャいようと平気な準備をしているので、エキセントリックぶりなら良い勝負である。


完全防備の業務用マスクを着用した筆者

  微生物による伝染病はまた、都市文明の歴史と共にわれわれ人類社会と共存してきたことは、本『主幹の主観』コーナーにおいて、再三指摘してきたとおりである。「ホルモー」競技もまた、京の都を舞台に千年間にわたって繰り返し闘われてきた。おそらく、人の目には見えない、大地から湧き出てくるアニミスティックな力――これを「オニ」と呼ぶか「魑魅魍魎」と呼ぶかはその人の自由である――は、いわば伝染病の一種と考えることはできないであろうか? 決して全員にではなく、一部の人にだけ感染し、その人の人生行路を変更させながら、代々を経て伝えられていくのである。インフルエンザの感染による発熱とか嘔吐のイメージは、「ゲロンチョリー」である。そう、これは、「ホルモー」協議中、最も多く発せられる言葉で、「オニ」語では「ぶっ潰せ!」の意である。そう言えば、新型インフルエンザに犯された人が挙げる断末魔の叫びが「ホルモォォォー!」でも、決しておかしくないのである。皆さんも、八坂神社で「蘇民将来」に「伝染病除け」のお祈りをする前に、「オニ語」で「ゲロンチョリー」と叫んだら、新型インフルエンザ除けに案外、効果があるかも知れない。


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