レルネット主幹 三宅善信
▼「公人」にはプライバシーはない
2009年5月23日、「韓国のノ・ムヒョン(盧武鉉)前大統領が自殺した」という衝撃的なニュースが世界を駆けめぐった。現在、クォン・ヤンスク(権良淑)夫人も含めた盧武鉉一族への「賄賂疑惑」で任意の事情聴取を受けていたが「逃れきれない」と観念していたからであろう。このニュースに接した際、私はむしろ、仮にも、一年前まで大統領という極位にあった人物―盧武鉉氏には、大統領職を離れる際に、青瓦台(韓国の大統領府)にあった国家機密のデータベースをコピーして慶尚南道金海市郊外の自宅に持ち帰ったというとんでもない疑惑まである――の警護体制のお粗末さのほうに驚いた。もちろん、君主制とは異なり、共和制の国家では、最高権力者の大統領であった人物も、退任してしまえば「一市民」に戻ることは言うまでもないが、それはあくまで「理念」としてのことであって、盧武鉉氏のように、不正に国家機密を持ち出していなかったとしても、彼(彼女)の頭脳の中には、軍事機密をはじめ数々の重要な国家機密が記憶されているのであるから、万が一、彼(彼女)が敵対国家によって拉致でもされたら、それこそ、一国の安全保障に関わる重大事であるから、公職を退いた後も、一生、警護官(シークレットサービス)が付くのが一般的である。
今回の“事件”でも、一人の警護官が裏山に「散歩」に行く際にも、付いていたそうであるが、警護官によると「突然、断崖絶壁から飛び降りたので、防ぐことができなかった」とのことであったが、そもそも、そのような危険な場所に行かせたことが問題であったし、本当は、警護官が「前大統領から用事を頼まれて、盧武鉉氏のもとを数分間離れた隙に…」だった(責任を問われるのを恐れて、嘘の証言をした)そうであるから、もってのほかである。場合によっては、「警護官が突き落とした」との嫌疑を掛けられても致し方あるまい。警護官と言っても生身の人間なのであるから、生理的欲求によって警護の場を離れることもあるであろうから、こういった場合は、最低でも二人でその任に当たる(「警護官が殺した」という要らぬ疑惑も避けることができる)のが常識である。事実、韓国では、1979年にパク・チョンヒ(朴正煕)大統領が、側近であったらKCIA(韓国中央情報部)の部長に射殺されたという歴史がある。
もちろん、前大統領にも「プライバシー」があるという主張も成り立つであろうが、私に言わせれば、一国の元首になろうという人間は「プライバシー」などという小市民的な権利を自ら放棄するぐらいの気概がなければ、その地位を目指してはいけないのである。天皇陛下は、食事・睡眠・排泄等の生理的欲求を処理される際にも、御所の中にはそれぞれの担当者が四六時中侍っているが、それを「嫌だ」と思っては行けないのである。「朕は国家である」と曰(のたま)ったフランスの「太陽王」ルイ14世なんぞ、希望して選ばれた数十名の国民の前で、朝食を摂る場面を毎日公開していたそうで、彼らの期待に応えて、毎朝十個程のゆで卵を優雅に召し上がったそうである。おまけに、王位継承権者の追加という「国家の一大事」である妃の出産のシーンすら、国民に公開していたそうである。そのことによって、国民は、燦然と輝く「フランス王国の万歳」を認識し得たのであろう。
▼不変妥当性があるのは「君主制」
私は、そもそも、一般国民の中から「選挙」によって国家元首を選ぶという「共和制」という制度の不変妥当性を信じていない。「国家」という“怪物”が人類社会に成立して以来、数千年間の歴史があるが、「共和制」という実験は、まだ二百数十年の歴史しか有していないので、不変妥当性があるシステムであるかどうかは言えないのである。勘違いしないで欲しい。何も専制君主による「独裁政治」を肯定しているのではない。現在のところ「民主主義」が最良の政治形態であることには、いささかの反対も表明していない。ただし、それは、一般国民から選ばれた代議員(国会議員)が立法を行い、また、一般国民から選ばれた執政官(行政府の長)が国家や自治体の行政機構を指揮するということであって、各民族や国家にとって、それ以上の「権威」あるいは、文化的・宗教的価値があると信じられている「元首」は、世俗のことを気にしなければならない――選挙の度に、国民から「票」を集めなければならない――政治家が務めることには、そもそも無理があるということである。
つまり、国家の「権威」に関する機能と「権力」に関するに機能を分ける「立憲君主制」のほうがより合理的であると考える。だからといって、特定の「家系」が世襲することを前提にしている「Dynasty(王朝)」でなければならないと決めてかかることはない。ダライ・ラマのように、幼少時に「選んできた子供」を特別に育て上げるという方式もあるし、ローマ教皇のような特定の成員(この場合は枢機卿)による選挙(コンクラーベ)方式でも良い。ただし、いったん、その人物がその地位に選ばれたら、何人も人為によってそれを変更することはできないという「約束事」を皆が承認する必要がある。したがって、一番手っ取り早い方法として、「王朝」方式が数千年間にわたって、世界のあらゆる地域で、不変妥当性をもって継続してきたものと思われる。
当然、君主の地位にある者には、「私」はないのである。ただし、大統領のように、人生のある一定期間(数年間?)だけ、そのような「聖人君主」を演じなければならないのは、本人にとっても精神衛生上良くないであろうから、特定の人に「全国民の犠牲」になってもらって、生涯懸けて「聖人君主」を演じて(本人も「演じている」という自覚すら失うくらいに)もらわなければならないのである。それには、幼少の頃から、「外の世界」を知らない人物を社会として育てる必要がある。
▼『600万ドルの男』?
さて、話を盧武鉉氏の自殺に戻そう。彼が自殺に追い込まれた原因は、言わずと知れた「賄賂疑惑」である。数百万人から数億人の人口を抱える民主主義国家で、全国民による選挙をいう方式で政治的指導者(大統領・首相等)を選ぼうとすると、莫大な選挙資金が必要になることはいうまでもない。これを「独裁」を防ぐための民主主義のコストであると国民の大多数が認識できるような成熟した民主主義国家は、欧米のごく一部の国々を除いてほとんど存在しない。つまり、政治的な意識の高い個人が、自分の考えと近い政治家を執政官(大統領・知事・市長等)に地位に就けるために、個人の所得を自主的に献金するという社会的合意がなければ、立候補者は、本人が特別の大金持ちでない限り、その資金を別の財布から調達して来なければならない。これが、企業・団体献金と言われる性質の金である。
ただし、営利を目的とする企業が、特定の政治家に献金するということは、あくまで、なんらかの「見返り」(例えば、公共事業の発注とか新規分野への参入)を期待してのことであって、なんの「見返り」も期待しない献金なんてしたら、今度は、その企業の経営者が株主から訴えられることになる。つまり、労働組合や宗教団体を含めたあらゆる企業・団体献金には、必ず「紐が付いている」と考えるべきである。これらを無くするためには、民主主義のコストとして、公金で選挙活動を賄う「政党助成金」制度があるが、これとて現職の議員や、既成の政党に著しく有利な制度であり、政界への新規参入を妨げる悪制であるとも考えられる。現在のところでは、選挙活動をすべてインターネットにすれば、最も「金のかからない選挙」が実現できるであろうが、これだと、インターネットに親しんでいる若者に有利で、そのようなメカとは縁の少ない高齢者が置いてきぼりになる可能性が高い。事実、二〇〇二年の韓国大統領選挙で、まったくのダークホースであった盧武鉉氏が選ばれたのは、「インターネット選挙のおかげ」と言われている。ということは、現時点では、インターネット選挙の弊害もあると考えるべきである。
しかも、長年にわたっての韓国の大統領選挙の固定的選択肢であった「軍人・高級官僚・財閥出身vs民主活動家」というベクトルではない基準によって、「正直」「クリーン」「庶民的」といったイメージで選ばれた盧武鉉氏だっただけに、あろうことかファミリーへの金銭疑惑は、「堕ちた偶像」へのショックは、韓国民も本人にも大きなものがあったと想像できる。あれほど、「反米」――韓国の置かれた地政学的な意味を理解できない、正気の沙汰とは思えないが――を説いた盧武鉉氏であったが、600万ドル(約6億円)という巨額の賄賂を受け取り、あろうことか息子をそのアメリカに留学させて豪邸まで買い与えていたのである。かつて、1970年代の中頃、アメリカのテレビドラマシリーズで日本でも人気を博した『600万ドルの男』(註:大事故に遭ったNASAのパイロットが、「Bionic手術」という一種のサイボーグ化手術を受けて、再生し、特務機関の命を受けて、悪と闘うというストーリー。スピンオフ作品の『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』という主人公を女性に置き換えた作品も高視聴率を挙げた)という作品があったが、大統領就任中に、夫婦揃って「二重瞼」にするための美容整形手術まで受けるという、まさに「バイオニック」な大統領であった。
▼生死を超えて仇なす盧武鉉氏
私は、ちょうど二年前の2007年5月4日に、『親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法』をやり玉に挙げて、盧武鉉大統領(当時)の政策を批判した作品『近代法のイロハも知らない韓国』を発表したが、その間、彼が取った政策はすべて、北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)独裁政権を利するだけの愚作であったので、一昨年秋、韓国の政治家にしては「常識人」であるイ・ミョンバク(李明博)氏が大統領に就任したので、少しは「まともな国」になるかと期待していた。なにしろ、彼は「大阪生まれ」で4歳までであるが、戦時中の日本で育った経験を有している。戦後生まれ――戦後の観念的「反日」教育しか受けていない――の盧武鉉氏とは大違いである。
ところが、盧武鉉氏は、大統領職を退いてからまで、自殺というウルトラCの戦術を採ることによってまで、李明博政権の足を引っ張っているのである。つまり、北朝鮮を利しているのである。北朝鮮は、4月5日の弾道ミサイル発射実験に続いて、盧武鉉氏の自殺のわずか二日後の5月25日には、「二度目の核実験」というカードを切ってきた。これには、日米両国は言うまでもなく、前回の弾道ミサイル発射騒動(本件に関しては、本年4月13日に上梓した『テポドン打ち上げ総決算』をご一読いただきたい)の際には、国連安保理で北朝鮮を庇ってくれた中国やロシアの面子も潰したので、両国ともカンカンであったが、一人韓国だけが、この国際的は大問題の中、核実験を強行した“敵国”北朝鮮金正日政権への抗議活動どころか、“自国”の李明博政権への大規模な抗議デモをソウル市内でやってくれたのには、世界中が呆れかえった。「いったい誰のために六カ国協議で北朝鮮を包囲しているのか?」と思ったであろう。
仮に最貧国の北朝鮮が核武装したところで、日米中露の四カ国にとっては、北朝鮮の時代遅れの軍事力なんか取るに足らない存在であって、戦争したら三日間で「朝鮮民主主義人民共和国」を世界地図上から抹消することができるであろう。その意味で、戦争になって、大規模な「実害」がでるのは韓国だけであるということを分かっているのであろうか?
いくら北朝鮮の軍備が旧式であったとしても、南北国境の38度線からわずか40kmしか離れていない首都ソウルが北朝鮮側からの砲撃で火の海になることは容易に想像できる。それとも、「北朝鮮に核開発をさせてから、これを併呑して、自らも核保有国になろう」という戦略を描いているのであろうか?
韓国が核武装を目指そうとしたら、日米中のいずれもこれを許さないであろうから、危険な稗は北朝鮮に引かして、漁夫の利だけを得ようとしているのなら、まだ、それだけの国家戦略があるとも言えるが、どうやらそうとも思えないだけに、死んでまでみんなに迷惑を掛ける盧武鉉氏のマイナスは計り知れないものがあると言えよう。