レルネット主幹 三宅善信
▼テレビは終わる〜2011♪
2009年6月26日朝、私は、最高裁判所からほど近い、千代田区平河町のホテルで目が覚めた。日頃、家ではテレビを視ない――50歳を越えた私にとっては、残された人生の貴重な時間を浪費するだけに過ぎないので、2011年7月24日の「アナログ放送終了」(地デジ切り替え)をもって「わが53年間のテレビ人生とはおさらばしよう」と思い、「エコポイント」となるインチキ商法に騙されて、地デジ対応の新型テレビを購入するような愚かなことはせずに、二十数年前に製造された自室の旧世代テレビの最期を静かに見送ろうと思っていた。ところが、まるで人民が邪な(自由な)外国放送を見ることができないように平壌放送にチャンネルが固定された北朝鮮のテレビように、最も電波が強いNHKしか映らなくなった(リモコン機能不能はいうまでもなく、直接チャンネルを操作することも、音量さえ調整することができず、ただON/OFFの機能しか作動しない)世界遺産級のわがテレビは、その地デジ切り替えの日すら待てずに、2009年6月16日、衆議院での『臓器移植法改正案(A案)』可決の報を最後に、静かにその全機能を停止したので、「家ではテレビを視ない」のではなく、正確に言えば、「家ではテレビを視ることができない」――私であるが、私の定宿のこのホテルのテレビは、地デジ放送はおろか数カ国の放送が入ったので、いつも海外出張時にそうするように、CNNのHead
Line News (HLN)かInternationalのチャンネル(別にCNNでなくても、BBCでもFOXでも良いのであるが…)に合わせた。
すると、画面には、ロサンゼルスのロナルド・レーガン記念UCLA病院(RRM.UCLA.MC)の上空からの映像が目に飛び込んできた。「またアメリカでテロ事件でも起こったか!」と思って、寝ぼけ眼を擦って、画面のバナーに目を遣ると「マイケル・ジャクソン死亡!?」というキャプションが流れているではないか!
アメリカで、芸能界やスポーツ界の著名人――もちろん、寿命を全うして亡くなる高齢者の場合は別として――が死亡する場合は、たいてい、銃で撃ち殺される(自殺も含む)か、薬物中毒死か、HIV/AIDSのいずれかである。しかし、現場(ビバリーヒルズの自宅(借家)前やRRM.UCLA.MC前)からの記者のレポートによると、「自宅で心不全に陥り、“侍医”による救急救命措置の後、救急車で搬送されるも、病院で死亡が確認された」と言っている。また、「マイケル・ジャクソン(以下、MJと略す)が搬送された」という救急車まで映っているから、事実なのであろう。件の病院の前には、すでに何百人もの熱狂的なMJファンや報道関係者でごった返している。
ところが、同時間帯に放送されている日本の朝の自称「情報番組」であるところの「帯(註:月曜から金曜まで同じ時間帯を同じ顔ぶれで放送する番組形式)」のワイドショーにチャンネルを変えてみたが、まだ、いつもの顔ぶれがいつもの番組構成で各コーナーを進行していたが、そこへ、突如「マイケル・ジャクソン死亡!?」というテロップが流れ、慌てて特別構成へとシフトして行ったが、たまたま、両方のチャンネルを視る機会があったので、日本の各放送局がレギュラー司会陣に適当に喋らせながら、裏方が一生懸命CNN等のアメリカの放送をフォローしている様子が興味深かった。もちろん、民放とはいえ、「報道機関」である限り、国際臨時ニュースへの即応体制は、24時間確保されているはずであるが、それは、主に政治・軍事・経済・事件・事故等を取り扱う「報道局(新聞社で言えば政治部や社会部)」の仕事であり、芸能・バラエティやスポーツを扱う「番組制作局(新聞社で言えば文化部や運動部)」の仕事ではないため、「生」で同時進行している海外の動きに十分対応できていない様子が見て取れた。フジテレビなんぞは、たまたまワイドショーに出演中であった米国人のデーブ・スペクターのアドリブにおんぶにだっこ状態であった。
▼マイケル、マドンナ、三宅善信の共通項
読者の皆様には、意外と思われるかもしれないが、私は、今回のマイケル・ジャクソンの急死に、いささかショックを覚えた。といっても、私が「King
of Pop」と呼ばれたMJの熱烈なファンであったとか、そういうことではない。実は、私はマイケル・ジャクソンやマドンナと同年齢(1958年生まれ)である。もちろん、育った場所や家庭環境も全く異なるが、同時に、同じ世代としての同じ空気(=社会の背景)を吸って今日に至ったはずである。しかも、満50歳(まもなく、51歳になる)という点でも、人種・性別・職業等の壁を越えて、同様の肉体的衰えを共有しているはずである。その点、MJもマドンナも、とても50歳とは思えないほど肉体的にはストイックであったが、一方、この私は、海岸に上陸したゾウアザラシのようなメタボな体躯であるからして、心臓発作に見舞われる可能性は、私のほうが遥かに高いからだ。その点が、まず、「MJ死亡!」の第一報に触れたときに感じた疑問である。
『Thriller』時代のマイケル・ジャクソン |
もちろん、私がMJを知ったのは、後に『ジャニーズ』や『モー娘。』といった十把一絡げの「ジャリ・タレ」で稼ぐ、悪徳「角兵衛獅子(越後獅子とも言う)の親方」の如きテレビ歌謡界の草分け的存在となった『The
Jackson Five(ジャクソン5)』として活躍していた1960〜70年代から知っていたけれど、私がマイケル・ジャクソンという個人に興味を持ったのは、「大人になって」独り立ちしたMJが空前のヒットを飛ばした『Thriller(スリラー)』から1980年代の前半である点では、他の人とあまり変わりがないであろう。音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズと組んで制作されたこの音楽は、ミュージック・ビデオという新しい時代の販売戦略によってアメリカだけでなく、全世界で大ヒットし、1億枚以上のCDが売れたことはあまりにも有名である。
今では、アフリカ系アメリカ人(いわゆる「黒人」)の大統領まで存在するご時世であるから、想像することは難しいことかも知れないが、当時のアメリカ社会を体験した者としては――私は、1980年代の中頃にハーバード大学の世界宗教研究所で学究生活(http://www.hds.harvard.edu/cswr/people/past/I-M.htmlへ跳べるように)を送っていた――マイケル・ジャクソンの登場の文化史的意味は非常に大きい。1960年代の「公民権運動」以前の時代ようなあからさまな人種差別はないにしろ、例えば、アメリカの総人口の15%を占めるといわれる黒人のハーバード大学における学生の比率が2%以下(人口では黒人よりも少数派の東洋系の学生のほうが遥かに多かった)であったことからも、容易に想像できる。
アメリカ社会において、黒人が最も早く「市民権」を得たのは、おそらくその生体運動能力(身体能力)のポテンシャルの高さが生かされるスポーツの世界であろう。短距離走における黒人の生理的有利さ――胴長短足の東洋人には明らかに不利――を疑う者は誰もいないであろう。脚力と瞬発力がものを言うアメリカンフットボール(NFL)には、O・J・シンプソンはじめ既に何人かのスター選手がいた。他にも、ボクシングの世界でもモハメド・アリをはじめたくさんのチャンピオンが輩出されていた。アメリカの「国技」であるベースボールの世界では、超一流の黒人選手が居ることは居るが、黒人特有の身体能力の高さがあまり関係ない競技ではないことは、「胴長短足」の日本人(ヒスパニックも同様)大リーガーが多数輩出していることからも、逆に証明される。アイスホッケー(NHL)に至っては、黒人選手はほとんど居ない。
▼『Thriller』→『Black Or White』
しかし、黒人少年だけでなく、白人も含めたすべての少年たちの「アメリカンヒーロー」として、黒人アスリートが市民権を得たのは、1980年代のNBA(プロバスケットボール)シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンたちからである。当時、わがボストン・セルティックスのスター選手は、まだラリー・バートら白人選手中心だった。映画の世界では、黒人が「主役」を張るようになったのは、『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーの頃からである。この時代はまだ、モーガン・フリーマンも、サミュエル・L・ジャクソンも、デンゼル・ワシントンもまだほとんど無名であった。もちろん、ゴルフのタイガー・ウッズはまだ少年であった。黒人がマイノリティの間だけのヒーローとしてではなく、マジョリティも含めた青少年のヒーローになるということの意味は大きい。その意味で、1980年代の前半に世界的なメガヒットを飛ばしたマイケル・ジャクソンの功績は計り知れないものがあったと言える。
『Thriller』の頃とは、まるで“別人”のマイケル・ジャクソン |
「ムーン・ウォーク」という独特のステップで踊りまくるプロモーション・ビデオ(PV)で「世界の音楽シーンを変えた」とまで言われ、全世界で1億枚以上を売り上げたとギネス世界記録にも認定されている1982年発売の『Thriller』でスターダムにのし上がったマイケル・ジャクソンは、1985年、クインシー・ジョーンズのプロデュースで、ライオネル・リッチーと組んで呼びかけたアフリカ救済エイドである『We
Are The World(ウイ・アー・ザ・ワールド)』には、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ハリー・ベラフォンテ、ビリー・ジョエル、ボブ・ディラン、レイ・チャールズらをはじめとする錚々たる顔ぶれが結集し、1960年代や70年代にあったアーティストによる些かイデオロギーの入った「反戦・平和」系の政治的活動ではなく、より普遍的な人類愛を説く社会活動の草分けとなった。当時、アメリカで生活していた私は強烈にこの時の様子が強烈に印象に残っている。
この頃から、マイケル・ジャクソンの音楽は社会性を帯びてくるのであるが、その最たるものが1991年にリリースされた『Black
Or White(ブラック・オア・ホワイト)』であろう。そのミュージック・ビデオの中でMJは、アフリカの原住民(風)の人たちと踊りまくり、続いて、タイ人(風)、アメリカ先住民(風)、インド人(風)、ロシアのコサック人(風)の人々と踊りまくって、最後に、黒人と白人の赤ちゃんが地球に乗っかって、マコーネ・カルキン君をはじめとするいろんな人種の子どもたちがセサミ・ストリートの舞台風の場所で遊んでいるシーンから、自由の女神の上で踊るMJ(背景は、世界中の著名な建造物)へと展開する。そして、この当時はまだ画期的な技術であったCGによる特殊効果「モーフィング(morphing)」を用いた映像は、黒人・白人・黄色人種の老若男女の顔が切れ目なく変化する映像は大きな影響を与えた。このPVのメッセージ性は、後半の部分に見られるように、黒豹から変身したMJがナチやKKK等の人種差別的なメッセージを徹底的に破壊するという表現で終わっている。
▼「天才には“奇行”が許される」と言うけれど…。
しかし、全世界で5億人が見たというこのPVに登場するマイケル・ジャクソン自身の顔は、度重なる美容整形手術(皮膚漂白を含む)によって、この音楽のメッセージとは裏腹に、十年前のMJとはまるで別人――というより、別の人種――のような顔になっていた。おまけに、この頃から「奇行」(例えば、ペットの類人猿バブルス君を連れて1987年秋に来日したとき、宿泊先のホテルにスイートルームの水道の蛇口からミネラルウオーターが出るように要望したりした。また、日本のホテルもそれを真に受けて、「ウチのホテルはお客様の要望にはなんでもお応えします」とバカみたいなことを言っていた)が目立つようになり、MJの「Paedophilia(俗に言うロリコン)」性向が指摘されるようになったので、このPVに登場する子どもたちや歌詞そのものにも、「別の意味」が付与されて解釈されるようにもなったが、このPVを見れば明らかなように、このPVからは、そのようなメッセージ性はないと言える。
「侍医」のコンラッド・マーレイ医師 |
ただし、マイケル・ジャクソンがサンタ・バーバラに開設した遊園地風の広大な自宅「ネバーランド」(もちろん、永遠の少年『ピーター・パン』やロスト・チルドレンたちの暮らす世界の意味)と呼んで、多くの子どもたちを招いていたことが、「Paedophiliaによる幼児虐待ではないか?」ということで、逮捕され、裁判にかけられたが、結果的には「無罪」が確定した。しかし、21世紀になってからのMJは、ポジティブな話題よりネガティブな話題の多いタレントになってしまったこともまた事実である。そして、その極めつけが、今回の「変死」事件である。MJには、いつも「侍医」のコンラッド・マーレイ医師が着いていたはずである。今回の「変死」事件の報道においても、マーレイ医師が、「寝付けないMJに鎮静剤を注射して、少し目を離して戻ったら、心停止状態だった」と証言しているらしい。医者である彼は、当然のことながら心肺蘇生述を試みたであろう。
しかし、救急車が到着した時には、すでに「死後」相当時間が経過していたとのことである。本件は、自然死、事故死、事件の三つの観点から今後、捜査が行われると思われる。やせ形の50歳の男性が心臓発作を起こす可能性は、そう高くはない――閉経前の女性と比べたら、遥かに高率ではあるが――はずである。しかも、高齢者や重い既往症がないかぎり、心臓発作は、最初の3分間に適切な処置をすれば、救命される率がかなり高い。だから、近年は、ちょっと不特定多数の人が集まるところには、「AED(自動体外式除細動器)」が設置されているのである。おまけに、MJの場合は、プロの医師がそこに居たのだから、助ける気になれば助かる確立は高かったはずである。
助からなかったとすると、場合によっては、このマーレイ医師によって処方されていた鎮静剤がMJの死を引き起こす原因になった可能性もある。マーレイ医師こそ、まさに「Black
Or White(黒白をハッキリせよ)」である。ひょっとすると、MJ自身に「薬」の注射を依頼されたのかもしれない。そうすると、「幇助(ほうじょ)」の罪に当たる可能性がある。場合によっては、「業務上過失致死」から「殺人」罪で起訴されるかもしれない。いずれにせよ、「稀代の大スター」マイケル・ジャクソンは、もうこの世に居ないのであるから、彼のネバーランドももはや永遠に叶わない「ネバー・ネバーランド」になってしまったことには変わりないが…。